-第49訓- 女子の過去にも何かある
「ほい」
「あ、お帰りなさい。ありがとー」
俺は近くの自販機でペットボトルのお茶を二本買い、先の階段に戻って待っていた由比さんに手渡す。
「……電話してたんか?」
再び彼女の隣に腰を下ろし、彼女が手に持っていたスマホを見て訊く。
「うん、お姉ちゃんと。うち一人で屋台に来ちゃったから心配してくれたみたい」
「あ、やべ。もう戻った方がいいか」
そうか。由比さんには待たせている家族がいるんだった。俺にも待たせているツレがいる。バイクも借りているし、そろそろ戻るか。
「ううん! 友達と一緒にいるって言ったら安心してたし、もうちょっとゆっくりしていきなって」
「……ほうか」
自分考えとは逆の結果になったというに少しホッとして、海の方に向き直る。ザザンザザンと黒い波が静かに寄せては返す。
すまんウェス、航大。もうちょっと待っていてくれ。この仮は倍にして返す。
「ねね。海の方行かない?」
彼女もそんな波を見ていたのだろうか、そんなことを提案してくる。
「ええけど、砂で足汚れんぞ」
俺はスニーカーだから靴の周りに砂がつく程度で済むが、彼女は下駄であるため素足に直接砂がかかることは必至だ。
「いいよ。それに最悪海で洗えば大丈夫!」
「え、海入るん? 浴衣濡れね?」
「ちょっとだけなら平気平気! 足先だけ!」
「いやーやめておいた方がいいぞそれは。海で足濡れると戻る時に余計砂つくしの」
「そっかなるほど! やっぱり海に詳しい! さすが地元民!」
そういうもん? 普通に考えたら分かるくね?
「でもせっかく海に来たし、とりま近くまで行く!」
いや行くんかい。
由比さんは早速立ち上がって、階段を降りていく。
そんな彼女の後姿を見て思う――――由比さんって変な行動力あるよな。
そう、単純に行動力があるんじゃなくて、「変な」行動力があるのだ。
俺に告白したのもそう、俺の女嫌いを直そうとしてたのもそう。行動力があるのはあるんだが、何か少しズレているというか、そうじゃないだろとつっこみたくなるというか、たまに明後日の方向に指針が向いているというか。
もっといい方法とか、もっと利口な手段とかあるはずなのに、やりたいことを優先して突っ走りがちな感じがする。
今もまさにやりたいことに突っ走っていってる彼女。とりあえず俺もその後を追う。
「わっ、ほっ、ほっ、ほっ」
由比さんは桐下駄で砂浜を歩くのに手こずっているようで、足元を確認しながら海へと進んでいた。
足に砂つくことに加えてこれもあった。おいおい大丈夫か。そもそも動きやすい恰好ですらないのに。あーあーコケるなよ。
「ほら手……ぁ」
やっべ。何やってんだ俺。
つい、いつもこーこちゃんといる時のように手を差し伸べてしまったが、その相手が由比さんだと気づいて急いで手を引く。
「ん? なに?」
俺の声に気づいてしまった由比さんは振り返って問う。
ど、どうする……。
この流れでさらっとエスコートすべき? いやそれはさすがにやりすぎだろ。だって普段同級生女子にそんなことしねぇもん。そもそもこの子は俺が女嫌いだって知ってるわけだし、急にそんなことやりだしたら引くだろ。
……いや引きはしないかな。びっくりはするかもしれんが、そんな子ではない。いつもこーこちゃんにやってるからとかなんとか言えば話の流れ的にも自然か。むしろ女嫌いがさらに直ったと喜ぶかもしれない。
「…………」
あと必要なのは……勇気。こいつを発揮しないと何も始まらない。だー緊張する。こういう感じ久々だからなぁ。やべ、どうしよ。何かダルくなってきた。
「……ん?」
由比さんがこちらを向いたまま首をかしげる。マズいもう時間がない。
ふぅ。おい七里……てめぇ男だろ。ウジウジしてんじゃねぇ。女の腐ったのかよお前は。
俺は気持ちを入れ替えて自分に喝を入れる。よし。
「いや、歩きづらそうだから。ん」
俺はさり気なさを出して再び手を差し伸べる。
さっきはこーこちゃんにもよくやってるとか言えばーとか考えたりしたが……しゃらくせぇ。俺は男だぞ。そんな言い訳するかよってんだ。
どうだ、 男 ら し か ろ う !
「……大丈夫! もう脱いじゃうし!」
由比さんは桐下駄を脱いでそれぞれ両手で持ち、再び砂浜を進む。
チーン……。
対して俺は手を差し伸べた状態のまま固まっていた。
あんれー? 結構キマったと思ったんだが……。
「七里くん早くー」
その場から一歩も動いていない俺を見かねて由比さんが呼びかける。
……そうだな。彼女のこの変な行動力はいつも独断専行だ。誰かに相談したり、誰かの助けを得たりをあまりしないように感じる。今も男の手なんか借りなくても自分でやってのけてしまうのだろう。
こっちに向かって手を振る彼女の姿に思わず口角が上がるが、それを隠すようにして俺も海へと向かう。
「うわー、夜の海って近くで見ると怖いね。なんか吸い込まれそう」
波打ち際まで着くと、俺ら二人の目の前広がる海は真っ黒で、時たま出る月が光の道を作り出すが、それが逆に少し不気味な雰囲気を醸していた。
「確かにの。俺、夜の海こんな近くで見るのたぶん初めてだわ」
「えー地元民なのに?」
「そんなもんよ。そもそもそんな海行かんし、夜なんてなおさら。ほらあれじゃ、横浜の人が桜木町の観覧車乗ったことないみたいな」
「確かにない! あのロープウェイもできるって聞いた時は乗りたーいと思ってたけどできたらできたでまだ乗ってないや」
「じゃろ? 近くにあると逆にの」
近くにあるものは、なかなかその魅力に気付けない。
だから彼女に連れられて来たこの夜の海も、いい機会だと思って今日は改めて堪能してみようと思う。
なぜなら、俺も気付けなかったから。
いつも俺のもとに寄ってきて、よく分からないが自分なりに考えたお題を出されて、あーだのこーだの俺を更生させようと試行錯誤していた……そんな彼女に、いつの間にか俺は――――。
「ここが七里くんの地元かー。中学もこのへん?」
由比さんはあたりを見回して訊いてくる。
そういえば、五月に由比さん家に行った時、俺も同じようなこと思った気がする。
「いやここからだと結構遠い。中学とここの中間地点にうちの家がある感じ」
「へー、そっかー。七里くんってどんな中学生だったの?」
どんな? ミソジニストになった以外はそんな変わらないんじゃないか? 周りから見たら違うんかな? あーでも、
「高校入ってちょっと背筋伸びたってのはあるな」
「背筋? 七里くん猫背だったの?」
そうそう中学時代は猫背で腰いわしてて……やかましいわ。由比さんは素で言ってんのかボケているのかわからんが……いやこれ素だな。
「なんつーか『え? 高校ってこん~な平和なの? やっべ』みたいな」
背筋伸びたっていうより、襟正したと言う方が良いか。いや似たようなもんか。
「平和ー? あはは、全然わかんないどゆこと? 平和ならやばくないじゃん」
んー、なんつったら伝わるんだろ。直接的に表現するとたぶん引かれるんだよな……まぁいっか。
「いやだってうちの高校さ、喧嘩もねぇ、先輩のいびりもねぇ、他校のやつが乗り込んでくることもねぇって感じじゃん」
「なにそれラップ……っていうかどんな中学!? 大丈夫だったのそんな環境にいて……?」
これ言うとみんなこんな感じに驚くんだよなぁ。なんというか恥ずかしい。お里が知れそうで。知られてるけど。
「うんまぁ。喧嘩は多少巻き込まれることはあったけど、俺は先輩には距離とられてたし、他校のやつ乗り込んでくるつってもあれポーズだから。校門まで来て威圧するだけで結局なんもしねぇんだあいつら。そんなことしてるやついたらすぐ体育教師軍団が駆けつけてくるし」
あれマジだせぇよな。遠路遥々あのヘンテコに改造したチャリ漕いできて何もせずまた同じ道辿って帰るとかご苦労なこった。
「へ、へー……。す、すごいところいたんだね七里くん……」
由比さんはなかなかに引いている。やっぱこうなるか。俺にはそれが日常だったから当たり前のことだったんだけど。
「高校は進学校だしマシな環境になるだろうとは思ってたしそれ望んでたけど、正直ここまでとは……って感じだったの。なんせ喧嘩どころいがみ合いすらないし、いびりどころか女子なんか先輩にタメ口だし、学校に乗り込んでくるのは購買のおばちゃんたちくらいだし」
由比さんは「おばちゃんて。それは乗り込むとかそういうのじゃないでしょ」と笑いながら、しゃがみ込んで波打ち際を覗き込む。
「でもうちも先輩にタメ口なのは最初驚いたー。一年の最初、バトン部の仮入行ったらさ、『敬語やめよ! もう友達なんだから!』ってみーちゃんに言われたなー」
水面に浮かぶ月の光を眺めながら、由比さんは昔を懐かしむように語った。
「みーちゃんって先輩よな? 呼び方までタメみたいだよな」
そうなのよ。うちの高校は先輩後輩の垣根低すぎんのよ。これって普通なんかな。
「そう! いま三年で元副部長のみーちゃん! 可愛いんだよー。バスケ部のヤッピーわかる? 三年の! その人と付き合ってて去年のベストカップルに選ばれてたんだよ」
あー、あの文化祭の後夜祭でミスコンとかと一緒に発表されるアレか。どちらの人もなんとなく顔はわかるが俺は絡みがない。
「うちの女子は男子の先輩にもタメ口だよな。そのヤッピーさんとかにもそうじゃろ?」
「うん。先輩後輩男女部活問わず仲良しなればタメ口って感じ? でも女子の全員が全員そうってわけじゃないよ? 上下関係しっかりしてる運動部とかだとちゃんと敬語だし」
なるほどね。要はバトン部を中心としてその周りにいる陽キャな男女はみんなタメ口ってことか。身内ノリみたいなもんと言えばいいのだろうか。俺と大ちゃんみたいなもんだな。
「七里くんは仲良しの先輩後輩いないの?」
「俺は部活やってないしの。先輩後輩の絡みほぼないわ」
「えー、もったいない! じゃあ来年エンダンやりなよ! あれで先輩後輩めっちゃできるし、超仲良くなれるよ!」
それに続けて由比さんは「あ、来年は先輩もういないかー」と天を仰ぐ。
エンダンとは————毎年五月に開催される体育祭のメインイベントである赤組、青組、黄組による応援合戦で演舞を披露する応援団のこと。各組が全学年から有志を募って相当な大人数で練習をするため、同じ組の団員同士は先輩後輩同学年関係なく多くの人と親交が深まる、ということだろう。
そういえば、楽寺さんが稲村に恋心を抱いたのも今年のエンダンで一緒に過ごしている中だったっけか。
「応援団ねぇ。あーそれこそうちの高校、イベントに対するモチベ高すぎだろって驚いたわ。中学じゃ学校行事なんて適当にやり過ごすやつが大半で、真剣なやつは逆に浮いてたし」
俺もウェスも航大もサボりまくってたからなぁ。いや、ウェスはあれで結構人望あったし、航大は女子に好かれてたしそうでもなかったっけな……あんま覚えてね。
「あ、やっぱこれも他の、由比さんの中学とかとは違うんか?」
他のっていうより地域の問題なんかな。横浜エリアと湘南エリアの違いというか。
「んー……どうだったんだろ。わかんない」
……わかんない? 自分が通ってた中学ことを? 俺みたいにあんまり覚えていないということだろうか。
「部活ばっかりだったからねーうちは」
海からの風を受け、砂浜にしゃがむ由比さんの髪が靡く。
どことなく寂しいような表情に見えるのは昔を懐かしんでいるからだろうか。
そういうこと……え、でもいくら部活やってたからって学校行事参加しないわけじゃないよな?
「ほう。確かバレー部だったんだっけか」
なんとなくどうリアクションしていいものかわからなかったため、とりあえず俺でも知っている情報を口にした。前に稲村がそんなことを言っていたのを覚えていたから。
「そう。よく知ってるね。結構うまかったんだよこう見えて」
由比さんは腕を上げて力こぶあたりに逆の手を当て、ふふんと得意げな顔をする……のではなく、ただただ静かにそれを言った。
何か、おかしい。急にいつもの由比さんでなくなったというか。何だ? 俺また変なこと言ったか?
「ああ、球技大会でいい動きしてたの。意外だったわ」
何が原因かわからないため、彼女に合わせて会話を続けた。
「だよねーよく言われる。部も県大会常連でもう少しで全国だったんだよ?」
え、そんなレベル高かったん? それは素ですごいわ。
「髪もね、引退するまでこーんなに短かったんだ。もちろん黒髪だったし。想像できないでしょ?」
由比さんは笑顔で耳の下あたりを両手で差して言う。それショートっていうかベリーショート入ってるよな? へー、そうなんだへー。
「……マジか。それはめちゃくちゃ意外だわ」
表情に出ているかわからないが、結構驚いている。
由比さんが元バレー部だと稲村に聞いた時、「ああ、っぽいな」と思った。
しかしそれはこんなガチのバレー少女というイメージがあったからではない。
中学で女子バレー部といえば花形。いわゆるキラキラした部活。うちの高校で云えばバトン部ってとこだ。男子で云うならばサッカー部といったところか。
つまり、いわゆるスクールカーストで上位の層が入る部活。由比さんは中学時代も今のようにクラスでイケてるグループに属し、それに準じてバレー部に所属していたんだろうと、そういう風に思っていた。
「うん。それくらい真剣にやってたんだ」
だから、意外だったのだ。
この感じは学校の雰囲気や友達に流されてバレー部にいたようなファッション女バレ女ではない。そもそもそんなんなら県大会常連なんてそんな強豪校ではやっていけない。そんな甘い世界ではない。
最初に言っていた「部活ばっかりだった」とは本当に部活ばっかりの中学時代だったのだろう。それこそ学校行事に構っていられないほどの。
「バレー、そんな好きだったんだな」
これで中学は部活ばっかりだったと言うならば、本当にマジのガチ勢だったということだ。そんな側面があったなんて想像だにしていなかった。
しかし、俺の言葉にたいする由比さんの発言は思っていたのとは違った。
「うーん……好き、だったのかなぁ。そこしか居場所がなかったから本気でやるしかなかったって気もする」
由比さんは昔を振り返るかのように少し上を見上げて、静かに息を吐く。
……これか。さっきから由比さんのテンションが低い原因は。
その意味深な発言をした彼女を俺は横目で見やる。
「…………」
……これは掘り下げて聞くべきなのだろうか。
かくいう俺は過去を詮索されるのがあまり好きではない。話の流れでそういう雰囲気になってもやんわりと避けることも多い。
逆に聞き手としてこういう状況になった時もここはこれ以上深く聞くべきじゃないと自ら話を変えたりもままある。
「…………」
俺が人の過去をあまり詮索しないのは、俺がされるのが苦手で相手にもそういう思いをさせたくないから、というのは良い方の理由だ。
つまり悪い方の理由もある。それは――――そもそも相手の過去にさして興味がない、ということだ。
それを知ったところで俺にできることはないし、それを知ったか知らないかで相手への対応も変えない、変えたくない。だったら聞く意味はないだろう、もし聞いてほしいのならそのうち自分から話すだろうと、そういう結論に至る。
「…………ふぅ」
俺は一息吐いて、隣にいる由比さんのように砂浜にしゃがんだ。
——でも、それは『この間までの俺だったら』のようだった。
どうも今の俺は相手の過去に興味があるらしい。いや、相手なら誰でもいいわけじゃないんだろう。由比さんだから興味があるんだ。
この人のことを知りたい、話を聞きたいという今までの俺にはあまりなかった感情が芽生えている。俺の中で彼女はもう、そういう特殊な存在になってしまっていた。
全てでなくていい。ほんのちょっとでいい。少しでも彼女に寄り添えるなら……なんてかっこつけたことも考える。
もしかしたら彼女はその話を聞いてほしいからこんな意味深なことを呟いたんじゃないか……なんて自分に都合の良いことも考える。
まったく……以前とは真逆の結論に至りそうだ。こんなに変わってしまっていいのかと、謎の罪悪感すら抱く。
でも、それでも、今の俺は――――。
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