-第48訓- 女子も男子が変わらないことを願う

「アメリカンドッグ二つとー、お好み焼きはブタとイカ一つずつとー、あ! 大判焼きも二つください! あとー」


 屋台のお兄さんに次々と注文をする由比さん。その隣で頭を抱える俺。

 先の男気じゃんけんの結果はこの絵づらの通りである。

 ま、負けた……。

 そんなバカな……この俺が女相手に敗北を喫するなどとは……。


「……くっそ」


 いや二年になってから割とこの気分味わっている気がする。

 その対戦成績はというと、まずは由比さんを振って鵠沼たちに呼び出された時。あれは俺の勝ちでいいだろう。そのあといじめを喰らったが返り討ちにしたし。俺一勝!

 あとは和田塚くんをバカにした女子どもを一喝してやったが、あれは勝ち負けとはちょっと違う気がする。

 稲村事変の時は特に俺は何もしてないか。球技大会の後に稲村と組んで由比さんにセクハラしたがあれも勝負とは違うか。

 あ、夏休み前に倉高さんにいい様にされたわ。あれはなかなかに屈辱的だった。未だに俺のことナメてるしなあいつ。くそが。俺一敗。

 うーわそうだ夏休みに予備校で鵠沼に入塾テストで負けたんだ。俺二敗。そのリベンジで最終テストのために命を燃やして結果は出したが、結局鵠沼の点数は分からず仕舞いなんだよな。

 げ……祭であのクソ女にナンパしたんだった。最悪なこと思い出しちまった。死にてぇ……俺三敗。

 ちょっと待ておい。俺、負けてばっかじゃね? 由比さんとの男気での敗北を加えたら一勝四敗……!? う、嘘だろ……こ、ここはやっぱり和田塚くんの件も俺の一勝にしておこう。あとほら、予備校の最終テストはたぶん勝ったろ。うん、絶対勝った。勝ったはず。勝ったことにしておこう! それでもまだ三勝四敗で負け越しだが……。

 そんな風に頭の中で過去の戦歴を整理していると、

 

「はい七里くん。落ち込んでないでこれ持って」


 由比さんはニヤニヤしながらめちゃくちゃ厭味ったらしく先に出来上がったアメリカンドッグと大判焼きを渡してきた。くっそ、この女め煽りやがって……!


「はい……ありがとう……ございます……」


 だが男気じゃんけんで負けておいて今さら言い訳かまして開き直ることなど男としては決して許されないので、しっかりとこうべを垂れながらありがたく奢ってもらった品々を頂戴する。


「いい子いい子~。んー、いいね男気じゃんけん。すごいイイ気分♪」


 その対応に対しルンルン気分で満足気な由比さん。

 違う。男気じゃんけんとは本来そういうものじゃない。本当なら勝った方は完全なる敗北感を抱きながらも無理やり喜ぶリアクションをしなきゃいけないという苦行を強いられるはずなんだ。逆に負けた方は勝利の恍惚を味わいながらわざと残念がって勝ったやつを煽るもんなんだ。


「今度女子たちでもやってみるね! ふんふふんふーん♪」


 由比さんは本当に気分良さそうだ。鼻歌まで唄ってるし。

 ……なら、いいか。うん、むしろこれでいい。これでよかった。

 冷静になって考えてみれば、彼女の喜びはもう俺の喜びになっていたんだった。

 彼女が喜ぶためならば、俺なんて別にどうなったって――――。


「どこで食べよっか?」


 気づくとお好み焼きの入ったパックを二つ握った由比さんがあたりをキョロキョロと眺めていた。


「ああ、あっちに砂浜に下る階段あるからそこでええんじゃのうて」


「おお! さすが地元民! そこ行こ!」


 そうして二人でその階段のあるところまで向かった。

 その場につくと既に何組かの集団がごはんを食べていたり、駄弁っていたりしていたが場所は空いていたので少し下ったところで適当に腰を下ろす。


「うんしょ。あ、ハンカチしかないと。七里くんは平気?」


 階段にも多少海岸の砂がついているため、由比さんは浴衣が汚れるのを危惧し、一回立ち上がって巾着からチーフと取り出して下に敷く。


「あ、ああ。俺は別に多少砂ついてもかまわん」


 何だかそれがすごく女の子らしくて心がふわっとした気持ちになってしまった。我ながらきめぇ。


「そか! じゃあ食べよー。お腹空いたー。お好み焼きブタとイカどっちがい? 選んでー」


 はい、と両手で二つのパックを俺に差し出してくる。


「俺はどっちでも」


 と言いかけると「ダメ!」と食い気味に言われた。な、何が……?


「七里くんが選んで! うちが男気じゃんけん勝ったんだからうちの言うことは絶対! でしょ?」


 え、なにそのルール。そんなの聞いたことないんだけど。

 あれ? でもなーんか聞いたことある気がー……あ、それ王様ゲームだろ。王様の言うことは絶対! だろ。ごっちゃになってんぞおい。

 ……でも、まぁいいか。


「では、イカの方をいただければと」


 先ほど屋台の前で品々を受け取った時のノリでお好み焼きを選択する。

 ああ、そうか。俺が最初から異様に下手に出てたせいで由比さんは勘違いしたんだな。


「ふむ! 素直な七里くんかわいー。男気じゃんけん最高だね! はいどうぞ」


「……どうも」


 俺が素直なのは男気じゃんけんのおかげだと彼女は思っているようだが、それだけではない。だからといってそんなことを伝えることなどはしないが。

 ……でも仮に、伝えたらどうなるのだろう。


「…………」


 少し考えてみたが、やめた。一体どうなるか、いくつか浮かびはしたが何だかどれも俺が望むものではない気がした。このままでいい。今はこの関係性で、この空気感で、この時間を堪能することが一番良いと、そう感じた。

 でも、どうなるのか見てみたいという気持ちもあった。

 これを伝えたら今の世界は崩壊し新たな世界に変わることは明白だが、これを伝えない限り新たな世界がどんなものなのかは絶対に味わえない。

 今の世界の心地良さと、新たな世界への好奇心————どちらかを選ばなくてはならない。この両方を満たすことはどんなにうまくいったとしても不可能。何かを得るということは、何かを失うということなのだから。


 ――もしかして、由比さんもあの時……五月の放課後の教室でのあの時、同じような気分だったのだろうか。


 「今の世界」と「新たな世界」。その二つが天秤にかかって、彼女の場合は後者に傾いた。ただ俺と違って由比さんにとっての当時の「今の世界」は俺がぶっきらぼうにしか接してこない全く心地の良いものではなかっただろうが……待てよ。それなら彼女が「新たな世界」に傾くのも頷ける気がする。

 だから何の確証もなく告白をしてきたのだろうか。当時は何でそんな危ないマネするんだと思ったが、俺が箸にも棒にも掛からないその状況なら、その選択に賭けるのも理解できる。

 

「…………」


 はふはふと美味しそうにお好み焼きを頬張る由比さんを見やる。

 ……そうなのか? 由比さんあんたは世界を変えたかったのか? たとえそれがどんな世界になったとしても。


「……ん? んんっ? な、なになに!? うちの顔になんか付いてる!?」


 俺が彼女を凝視しすぎていたのか、由比さんはお好み焼きを頬張ったまま口元を隠して慌てふためく。やべ、そんな見つめてたか。恥ずかし。


「あいや違う違う。えーっとあれだその……よよよく食べるなと」


 俺も慌てて適当なことを言うと彼女は哀しそうな顔をして、


「そんな食いしん坊に見えるの……? ショック……」


 マズい。言い訳のチョイスで地雷踏んだ。そうだったこの子自分の体形とかちょっと気にしてるタイプだった。


「あー違う違う間違えた。美味しそうに食べてるから見入っちゃって。ほら大食いの人の動画とかつい見ちゃう的な……」


 やべ、墓穴掘った。逆効果だこれ……と言った瞬間に気づいた。


「大食い……」


 今にも泣きそうな顔で俯いてしまう由比さん。

 やっちまった……どうすりゃいいんだこれ。くっそこういう時に対女スキルが問われる。稲村、お前ならこういう時どうする。今すぐ電話して助言を仰ぎたいところだがそんな猶予はない。

 女をフォローするなんてここ数年やった記憶すらない。これに関してはサボり散らかしてきた。女と戦う方なら俺の右に出る者などいないのに。今のところ負け越してるけど……。

 ……ん? 戦う? はっ! これだ!

 俺は全く手を付けてなかったイカのお好み焼きの蓋を開け、割り箸を口と右手で割り、由比さんに向けて言い放つ。


「い、言っとくけどの! 俺の方が由比さんよりメシ食うからな? このお好み焼きだって三口くらいでいけっかんね? ナメんなよ? ちょっとアメリカンドッグと大判焼き持ってろ。見てろよ」


 俺は女子へのフォローの仕方がわからないので、とりあえず食欲において上には上がいるということをアピールするという謎の行動をするしかなく、イカのお好み焼きをがっつく。

 あーもう味わかんね。でも腹は減ってたからイケんな。オラオラオラオラ。


「ふぉ、ほら見ろ。三口は無理だったが五口でいったぞ。うぷ」


 俺は由比さんに空になったパックを見せつけて口の中にあるお好み焼きを飲み込む。


「ちなみに俺は一日五食じゃけ。朝メシ、二時間目終わりに弁当、昼は購買、学校帰りに買い食い、夜メシ……たまに寝る前にも食うからの。由比さん程度で食いしん坊とか甘いんじゃボケ」


 あんま噛まずに飲み込んだから胃の上というか喉の下が痛い。そういや飲み物買い忘れた。う~……ってかこれ、大食いじゃなくて早食いだった。意味ねぇ。


「……何か優しいね。今日の七里くん」


 苦しんでいるのを何とか隠していると由比さんは笑った。

 ……ほっ。よかった。だが変なことに感づかれてしまった。


「それはあれよ。男気で負けたからよ」


 咄嗟に出た言葉だったが、こっちの言い訳はうまくいったようで、


「あ、そっか! そうだった~。うちの言うことはぜったーい!」


 由比さんはさっき俺が渡したアメリカンドッグを天に掲げる。もう完全に王様ゲーム感覚である。


「えーじゃあじゃあ! 海での話聞かせて! 命令!」


 男気じゃんけんによって絶対的権力を有していると思い出した由比さんは掲げていたアメリカンドッグを渡す代わりに語りを要求してきた。


「それもう女子たちからたくさん聞いたんじゃないの? たぶん同じ話しかできんぞ」


「いいの! 何度でも聞きたいもん、七里くんがみんなに称えられた話!」


 この子「称えられた」って単語気に入ったなさては。

 しかし何でこんなに我が事のように喜んでくれるのだろうか。なんなら俺よりも喜んでいる。

 すると「あっ!」と由比さんは何かを思い出したかのように声を上げた。


「みんな七里くんのお母さんのこともすごい言ってたよ! 若くて綺麗ですんごいいい人だったって! マザコンになるのちょっとわかるって! うちも会いたかったなー」


 マザコン……のところは釈然としないが、


「あらそう。こーこちゃんのご機嫌取りたい時にでも伝えとくわ」


 するとふふふと笑われる。え? なんか変なこと言った俺?


「本当に仲良しなんだねお母さんと。自分が褒められてる時よりお母さんが褒められてる時の方が七里くん嬉しそうだもん」


「んなことねぇわ」


 と返すも「はいはい」とからかわれる。いやまぁこーこちゃんが高評価なのは悪い気はしないけどよ。むしろ自分が褒められても嬉しいというよりむず痒くなる。


「あと、お母さんのご機嫌取りたい時があるんだねー。かわいっ」


 出た。このいたずらっぽいキシシシ笑い。相変わらず可愛いの基準が全くわからんが。


「ってか真面目な話、そんなマザコンぽい俺? みんなネタで言ってんのかそうじゃないのか分からんくなってきてよ」


 稲村はネタっぽく言っているが、他の女子たちは本気っぽいトーンな時もしばしばあったように思う。別に女にどう思われようと知ったことではないが、一般的に見てどう見えるかは知っておきたいところだ。


「え? うーん、うちはマザコンって言い方は好きじゃないけど、そんな気にすることじゃないよ!」


 そういうことを聞きたいんじゃなくて一般的に見てどうなのかなんだけどな。別に気にしてるってほどじゃない。


「いや普通は母親ともっと距離置くもんなんかなと。だから俺も多少はそうした方がいいk……」


「——ダメっ! 絶対ダメっ!」


 うわっ、びっくりした……。声デカ。


「お母さんとはずっと仲良しでいて! みんなが七里くんのことマザコンって言うのも『あのいつも強気で負けん気な七里くんがお母さん大好き』っていうのがいいギャップだからだよ! キモいとかは絶対思ってないから! 少なくとも海行って七里くんのお母さんに会った女子メンはみんなそう思ってるから!」


 由比さんはすごい剣幕で訴えてくる。その勢いに気圧され思わず身を引いてしまうが彼女は構わず続けた。


「変わらないで! 七里くんはそのままでいて! お願い!」


「…………」


 〝変わらないで〟――――か。

 俺は、女嫌いミソジニスト。だが昨今謳われる女性の権利や社会進出や差別の是正に対しては特に異論はないし、主張もない。

 では女の何がそんなに嫌いなのかというと「恋愛が絡むと人が変わる」というところ、その一点だけ。

 ただただ変わらないでほしいだけ――――でもそれが無理なことくらいもう知っている。だから諦めたのだ。諦めた上で、いや諦めているからこそ女嫌いミソジニストになっているのだ。

 〝変わらないで〟なんていう願望はもう持ち合わせていない。女嫌いミソジニストになってからは女子に対してそれを伝えたことも、願ったこともない。

 なのにまさか当人である女子という存在が自分に向けてそれを発言するなどとは――――。


「ふっ、ははははは」


 俺は腹を抱えて思わず割かし大きな笑い声をあげてしまった。


「な、何で笑うの!?」


 由比さんが真面目に話している中で急に笑い出したのだからそりゃ驚くだろう。


「いやすまん。あんだけ『女嫌い直せ』って言ってたのに、変わらないでって可笑しな話じゃの」


「え!? 違う違う! 女嫌いは直してほしいけど、お母さん好きなのはそのままでいてって意味!」


「わかっとるて。でもなんか可笑しくての。ははははは」


「そ、そんな可笑しいかな……?」


 ああ、可笑しい。可笑しくて堪らない。

 確かに彼女の言う通り「女嫌いを直す」のと「マザコンを直すな」は別の話だ。

 けれど、恋愛が絡むとあれだけ変貌を遂げる女子という生き物が、なんであれ男子に向かって〝変わらないで〟と願うことがあるだなんて、考えてもみなかったのだ。

 それがなぜか、どうしようもなく可笑しいのだ――――。

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