-第47訓- 女子は男気を知らない

「七里くんっ……!」


 信じられなかった。

 たぶん俺の細い目は過去最大に開いていたと思う。

 それくらいしないと面前の信じがたい光景を認識することすらできなかったからかもしれない。


「えー! 会えると思ってなかったー!」


 袖をを揺らして、桐下駄をころんころんと鳴らして、人込みの中からこちらに近づいてくる浴衣の女の子が、うつつのものだと思えない。


「久しぶりだね!」


 彼女は俺の前まで来ると、巾着を握った手を後ろで組んで俺に笑顔を向けてくる。

 何だこれは。現実なのかこれは。会えると思ってなかっただと? 当たり前だろ。こんなたくさんの人がいる中で何の便りもなく出会えるわけないだろ。冗談も大概にしてほしい。


「……? おーい」


 何をおかしな顔をして俺の顔の前で手を振っていやがる。見えてるわ。目が細いから見えてないとでも思っているのか? あまり俺をバカにするなよ。ふざけやがって。

 ふざけているといえば、今までもずっとそうだ。

 俺の本性を晒しても、嫌なことを言ったりしても、何をやっても全然俺から離れなかった。そのくせにこんな時ばっかりはいくら探しても見つからなくて。

 なのに……なのに……諦めた途端にひょっこり現れやがって。


「……ナメ……とんの、か」


 やっと出てきた言葉に由比さんは「え? なめ?」と首をかしげる。


「……っ。はっ。はぁはぁはぁ」


 俺は悪い夢から目覚めた時かのように息を切らしていた。無意識に息が止まっていたようだ。どっかから魂でも戻ってきたかのような感覚だ。

 まるで全速力で走ってきた後のように俺は手に膝をつき、とにかく息を整えようと努めた。


「ちょちょ、大丈夫? どしたの? 人酔い?」


 夢見心地ってのを初めて味わった。夢見心地という表現でいいかわからんが、変な世界に行っていた。いやまだ彷徨っている気分だ。何だよこれ。お前は誰だ。いや由比さんか。何言ってんだ俺。しかし多少は落ち着いた。とりあえず返事をしよう。


「ああ……大丈夫じゃ」


 そう答えつつ再び彼女に目を向ける、が。


「そ、そう?」


 心配そうに俺を覗き込む彼女の瞳と目が合う。

 そのくりくりとした双眸は俺を捕らえて離さない。それだけじゃない。後ろで結って少しほつれた髪も、浴衣から伸びる首筋も、少し覗かせている鎖骨も全て、俺をどうにかさせてしまうような――――これはマズい。


「……ん、じゃあの」


 それだけ伝えて俺はその場を去る。

 これはダメだ。何だあれ。あんなのが存在していいのか。いやいいわけねぇだろ。マジふざけろよ。は。ありえねぇ。勘弁しろよ本当に。

 すると「えー!? 早すぎない!?」と由比さんは追ってきて洋服の裾を掴まれた。

 グイっと、シャツが伸びて我に返る。まるで夢かうつつか確かめるために頬をつねられたかのように。

 はっ……おいおいおい。何やってんだ俺は。何で帰ろうとしてんだ。


「……ああ。悪い。ええと何だっけ。何すんだっけ」


 俺は彼女の方を振り返って頭を掻く。

 よく考えたら俺は由比さんに会って何をしたかったんだ? いや、何も考えていなかった。そっちは考えないようにしてたとかそんなんじゃなく、本当に何も考えていなかった。

 ……というのを、そのまま口に出してしまっていた。


「何言ってんのー? 何か変だよ七里くん。もともと変だけどさ」


 そんな俺を見て彼女は笑う。このいたずらっぽい笑い方、久しぶりだな。


「……久しぶりだな」


 やべ。また声に出してしまった。まだ寝ぼけてんのか俺。いい加減起きろ。


「うん。久しぶり」


 しかし、それは違う意味に捉えてくれたらしく、功を奏した。

 それにほっとすると、やっと視界が開けてきた。

 今日は夏の終わりの割には過ごしやすくて、潮風も心地良い。そのおかげでこの人込みの中でもそれほど不快ではない。というよりもう帰っている人たちもいるせいか花火の最中よりも少し空いたように思う。海岸線に並ぶ屋台はさっきまでどこも行列ができていたのに、そうでもなくなっていた。

 そんな中に浴衣で着飾った由比さんと、多少余所行きを意識しただけの何の変哲もない私服姿の俺が対峙する。


「あ、そうだ。うち七里くんに言いたいことあったんだよ?」


 すると由比さんは思い出したように言う。

 え、何? 言いたいこと? 会って直接? 何だよ待て。心の準備が……。


「全っ然花火の写真送ってくれてない! 送ってって言ったのに!」


 ……んぁ? 写真? 

 再び謎に慌てる俺に対して彼女の放った言葉は意外なものですぐには理解できなかったが……ああ、忘れてた。花火とか後半ほぼ見てなかったし。


「くれたの最初の一枚だけ! うちはめっちゃ送ったのに!」


 なにらやプンスカ怒っている。その様子を見ていたら何だか拍子抜けしてしまい、今度はこっちが笑けてきた。


 ――ああ、そうだ。これだ。


 夏休みの間、何かが足りないとずっと思っていた。

 それを埋めるには何かしないといけないと思い込んでいたけれど、違うんだ。

 何がしたいとか、何をしなきゃいけないとか、そういうことじゃないんだ。

 ただただ無邪気で、感情表現が豊かで、健やかな彼女。

 俺は――――それが見たかっただけ、だったんだ。


「あ! なに笑ってるの! またバカにしてるでしょ!」


「いや。してないよ」


 自分の中のパズルのピースが揃ったと感じると妙に冷静になれた。大丈夫。もう目は覚めた。

 その返事に由比さんは「えっ……そ、そう?」とちょっと戸惑っているようだったが、俺はさらに言葉を続けた。


「ああ。もし時間あるんだったらさ、メシ買って食わね? 俺まだ食ってないんだ」


 ×××


「七里くん、お友達は? 穴場で一緒に花火見てたんだよね?」


 屋台の並ぶ海岸線の通り、帰路に向かう人、屋台に並ぶ人、余韻を嗜む人。いろんな人が交錯する中を二人で並んで歩く。

 先ほどはなぜか神でも降りてきたかのようにすごくスマートに由比さんを誘ってしまったが、由比さんのその言葉を聞いた瞬間、急に汗が出てきた。もう当初のおかしな状態になるほどではなかったが。

 そうだ。これ訊かれたらどうすんだって思ってたんだ。あ、でもさっきいい言い訳案思いついたんだよな。ええと何だっけ? 何て言えばいいじゃんて思ったんだっけ……? あー何だっけ。やべ、てんぱって思い出せねぇ。


「お、俺も屋台のメシ食べたくなってその……買い出し的な……」


 何だこの言い訳。絶対こんなんじゃなかった。下手くそすぎんだろ。やばいさっさと話を変えよう。


「そういや由比さんも家族と来てるんだよね? 悪い。大丈夫なん?」


 咄嗟に出た言葉だったが確かにそうだ。由比さんは由比さんで家族のもとに帰らないといけないんじゃないのか?


「うん平気! ずっと姪っ子のお世話してて全然屋台回れなかったから今からでも楽しんできなってお姉ちゃんが言ってくれたの! だから丁度よかった~、しかもお姉ちゃんの旦那さんにお小遣いも貰っちゃった! 奢るよん?」


 由比さんは得意げな顔をしておそらく財布が入っているであろう巾着をこれ見よがしに見せつけてくる。


「はん。女に奢られるほど落ちぶれちゃおらん」


 それに対し俺は腕を組んで見下すようにそれを言い放った。何か前も誰かにこんなセリフ言ったな。女に施しを受けそうになるとついこうなってしまうのはミソジニストの性……あ、でも何かいつもの調子が出てきた。いい感じだ。


「うわぁ、七里くんって感じだぁ」


 由比さんもそう思ったのか、変な顔をしてそんなことを言う。この子も俺のこういう部分知ってるしな。

 そして「そうそう!」と思い出したように言葉を続ける。


「七里くん、海で大活躍だったらしいね!」


 海? あー、仲直り会とかいうあれか。ってか前も電話で言ってたよそれ。


「活躍したかどうかは知ら……いやしたな活躍。むしろ活躍しかしてないな、うん。あの名案を思い付いて実行した俺はもっと称えられるべきよ」


「うわぁ、七里くんって感じだぁ」


 天丼かな? つかこれも俺っぽいの? 由比さんは俺にどういうイメージ持ってるんだ。前に自信満々に見えるとか言われたこともあった気がするけどそれかな。


「言っとくけど、女子の間じゃ七里くん超話題になってたからね? 知らないでしょ?」


 話題? 話題って何だ。俺なんて女子の間じゃクソみそに言われてんだろどうせ。怖いとか性格悪いとかじじい語キモいとか目が細いとか。


「みんな慌ててる中で落ち着いて対応してて頼りになったって! 応急処置もテキパキやっててかっこよかったって! 十分称えられてるよ!」


「あ、海での話?」


 え、そうなん? マジで? そこまでは知らなかった。やべーなこりゃマジで稲村の時代終わって俺の時代来てんな……。


「そうだよ! もう優花なんてすんごい七里くんのことうちに話してくるんだよー。それはもうべた褒めよべた褒め! あの優花がだよ? すごくない? 夏大の日に七里くんが泣かせた子とは思えないよ! それ聞いててうちも嬉しくなっちゃってさー」


 優花って楽寺さんか。そうなんだ。確かにあの一日で楽寺さんとの関係はだいぶ変わったかもな。それまではずっと嫌なやつとしか思われてなかっただろうし、俺もただのヒステリック金髪お団子女としか思ってなかったし。


「あとコシゴエも『七里って、けっこーいい男ね』って言ってたし、莉奈ちゃんも『惚れ直したー』って言ってたよ! きっしーも第一印象が『しっかりしてる人だよね』だって!」


 由比さんは全員の物真似をしながら説明してくれるが、全然似てねぇ。

 腰越さんはたぶんそれ筋肉のことだろ。あいつに一番体ベタベタ触られたもん。倉高さんは百パー嘘。岸さんは社交辞令。


「ほんっとに七里くん女子からの好感度爆上がり! いやー『七里くんを女好きにさせる作戦』がまさかこんな展開を迎えるなんて考えてもみなかったー」


 また言い間違えてる。相変わらず直らんの。女嫌いを直す、な。女好きじゃなk……、


「…………」


 未だに俺が女子からどんな高評価を受けているかを熱く語っている彼女の横顔に目を向けて、ふと思う。

 女好き……女好き、か。

 女嫌いを直す前に、ある意味俺は――――、


「七里くん、絶対前より女好きになってるよ!」


「……え?」


 心でも読まれているのかと一瞬錯覚したが違うな。それも電話で言われたやつ。

 あの時はなんて答えたっけな。えーっと……ああ、あの時は肯定派七里だったな。

 そう、あの時はそういう気分だったんだ。自分に嘘をついても由比さんに話を合わせたかったんだ。

 でも、今回はある意味嘘じゃない。ある意味、ではあるが。だから―――――、


「そう、かもの」


 俺は少し微笑んで、前より女好きになっていることを肯定した。

 目が細いからか、笑顔を作るのは割りと得意だ。が、今回は自然とこぼれた。

 それにうんうんと首肯する由比さんも嬉しそう。

 

「……とりあえずメシ買ってええかの?」


 俺の中でひと段落したところで、その場で立ち止まり由比さんの方を向いて店を親指で差す。


「はっ! ご、ごめんなさい、うちずっと喋ってばっかりで……」


 いや……ありがたい。俺は口下手だし、なんせそんな由比さんを見たかったのだから。


「どれがええ? 奢るぞ」

 

 その礼と言っては何だが、さすがに奢らせてもらう。


「ダメ! うちが奢るって先に言った! お金もあるもん」


 そう。確かに先に言われてはいる。しかし俺も引かない。


「ふっ、この俺がこの夏でいくら稼いだか知らんな? 聞いたら度肝抜くぜ」


 ならば額で勝負をかける。


「へー! バイト頑張ったんだね! でもダメ!」


 うーん、由比さんもこりゃ譲らんな。

 だが、ここで譲るは男が廃る。ならば解決方法は万に一つ。


「なら〝男気おとこぎ〟じゃの」


 少し普段と状況は違うが、適用できるだろう。


「……? オトコギ?」


 しかし由比さんは俺の言うことを理解できなかったようで首をかしげる。


「あれ? 知らん? 男気じゃんけん」


「え、わかんない。じゃんけんで決めるってこと?」


「そうだけど、そうじゃない」


「……?」


 そう。じゃんけんで決めるのはそうだが、心持ちやスタンスが異なる。

 〝男気じゃんけん〟とは――――「じゃんけんをして、勝者が相手に奢る」という男の、男による、男のための戦い。

 じゃんけんをして負けた人間が罰ゲーム的に飲食代や商品の代金を支払うのではなく、逆に勝った人間が全額奢ることで「男が漢を見せる」というもの。

 例え高額なものを奢る羽目になったとしても、勝者は勝ったことに喜ぶ姿勢を見せなければならず、勝って奢ることになったことを悔しがることは決して許されない。

 もしそんな腑抜けたことをしてしまったクソ野郎は世界中から「女々しい」と命が尽きるその日まで蔑まれ続け、国や地域、宗教によっては去勢させられるとも云われている。


「……って感じだ。稲村と江島と長谷とはよくやってるぞ。女子はやらんのか?」


 由比さんに男気じゃんけんがなんたるかを説明するとなぜかジトついた目で見られ、


「やらないし、それ絶対ウソじゃん。超盛ってるでしょ。さすがに騙されないようちだって」


 おかしいな。俺は代々そういうもんだと聞かされているのだが。


「とにかく、そういうもんなんじゃ。ただ今回は勝った方が悔しがることはなさそうじゃから世界から死ぬまで蔑まれることもないし、去勢される心配もないの」


「その前にうち女だからどっちもなさそうなんだけど……」


 た、確かし……。


「うん、でもわかった! やろう男気じゃんけん!」


 と何だかんだやる気にはなる由比さん。

 女が男気じゃんけんをするというのはいくらか矛盾があるようにも感じるが、〝漢〟に性別は関係ない。女が漢を見せたっていいし、そういう女はかっこいいとも思う。

 だが、ふっふっふっふっふ……初陣でこの俺と当たったのが運の尽き。「男の、男による、男のための戦い」において、この俺に女風情が勝とうなど十年早いわ……!

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