-第46訓- 女子は追うほど逃げていく

 ブロロロロ……と低い重低音を響かせて、ハーレーダビットソン社製のバイクが決して広くはない古都の裏道をアスファルトを駆ける。

 そいつに跨るのは俺一人。興奮にも似た高揚感と、いけないことをしているような罪悪感が入り混じった複雑な感情を乗せながら。

 この高揚感はバイクに乗ると得られるそれで、この罪悪感は大型免許もないのに運転しているそれ……ということにしていした。

 なぜなら今の俺は、深く物事を考えることを拒否していたからだ――――。


「――バイク、貸してくれ」


 あの時あの広場でも俺は、何も考えず衝動的にそう言った。

 俺の言葉に花火を見上げていたウェスは「What was that?」っとこちらに耳を寄せてきた。


「バイク? 俺のモーターサイクル貸せって言ったのか?」


 ウェスは花火のせいで俺の言った言葉を聞き間違えたのかと思ったのか、そう聞き返してきた。

 それに俺はそれに黙って首肯。


「Huh? Get out of here! まだ全然花火終わってねーぞバカ」


 ウェスは何をほざいているんだと花開く夜空を指さして聞き返す。


「ああ、悪い。ちょっと行くわ。一人で。すぐ戻ってくっから」


 無茶苦茶なこと言ってる自覚はあるが、口から出てくる言葉には淀みがなかった。


「What da hell are you talking about? どこ行くんだよ? そもそもオマエ原付の免許しか持っt」


「頼む。すぐ戻ってくっから」


 ウェスの言葉を待たず、俺は懇願する。

 普段あまり見せない俺の姿にさすがの彼も動揺しているようだったが、何かを察したのか、それとも呆れたのか、諦めたのか、ふんとため息をつく。


「Duh……よくわかんねーけど、おまわりにだけは気をつけろよ」


 そう言ってウェスは俺にロサンゼルス・ラムズのキーホルダーの付いたバイクのキーを放ってきた。


「……さんきゅ。この借りは必ず返す」


 俺はそいつをキャッチし、礼を言う。

 ウェスは肩をすくめて「You bet~」と返してくると俺らの様子を見ていた航大がぽつりと呟く。


「なんか、シチのその感じ、久々に見たかも」


 幼馴染である彼には何か感じるものがあったのだろうか。


「何か楽しそう。よくわかんないけどね」


 そう言ってくくくと笑う。

 楽しそう、か。こーこちゃんにも言われたなそれ。

 

「よくわかんねーけど、さっさとイケよ! よくわかんねーけど」


「いってら~。よくわかんないけど、いってら~」


 二人は思いっきりイジってはくるが、事情については全く聞こうとはしなかった。

 俺がそういう詮索が嫌いだということをこいつらはよく知っているからだろう。


「悪いな。行ってくる」


 基本俺はこういう行き当たりばったりな行動や思考はしない。何かアクションを起こす時はそれなりに根拠や理由付けが伴う。

 けれど今は、深くモノを考えたくなかった。この行動の意味とか、目的とか、普段だったらとことん突き詰めていくんだろうが、今はしたくなかった。

 今それをしてしまうと、たぶん俺はこの行動を辞めてしまう。辞めてまたウェスと航大のいるもとへ戻ってしまう。「何をやっていたんだ俺は」と。

 仮に辞めなかったとしても、それはそれで俺のプライドとかアイデンティティとかそういう大事なものが瓦解してしまう気がして、怖い。

 だから、考えない。考えないことで、衝動のままに俺は動く。

 そういう時にバイクはいい。歩いているとついつい考え事をしてしまうが、バイクを走らせている時は何も考えずひたすら走れる。バイクで走ることでストレスを発散させるライダーは多いが、それはそういうことだからなのだろう。あと信号とか車とかに気を張っているから、そっちに脳みそを使って余計な事も考えなくて済むのかもしれない。

 あ、おまわりにも気を付けないとな。捕まったら最悪だ。花火大会の警備で出払っているだろうが、そこに向かおうとしてるのだから会場に近づけば近づくほど気を付けなければ。

 大通りを避けているため、何度も曲がって道を進むと、海が見えてきた。

 だが海岸線は酷い渋滞なのがここから見ても分かる。このバイクはデカいから原付のように車の横を潜り抜けることは難しい。なので俺は海岸線には出ず、再び路地を進む。

 しかしここでふとあることに気づき、道の途中でブレーキをかけた。


 そもそも俺は――――花火大会の会場の、どこに向かえばいいんだ?


 完全に勢いのまま来てしまったので、そんな当たり前のことに気づいていなかった。

 確か砂浜で見てるって言ってたな。けど砂浜つっても広いからな……端から端まで何キロだよ。人も多いだろうし……わかんね、電話して聞こ。

 そう思ってスマホを取り出そうとしたが、手が止まった。


 ……何て、連絡すんだよ。


 とてもじゃないが、今の俺の行動を彼女に伝えるなんてことはできなかった。

 ツレとの遊びをブッチして、由比さんのもとに向かっているなんて、言えたもんじゃない。その理由を訊かれたら、答えられない。

 ……いいや、とりあえず海行こ。

 そう思い、再びバイクを走らせる。

 ここからだと花火自体は見えないが、風を切って夜のアスファルトを駆けていると花火がパンパンと弾ける音だけが聞こえる。

 ここまで来ると、あちらこちらに浴衣を着た女性たちや友達連れの学生連中などが散見されるようになってくる。

 それらを横目に俺はひたすらバイクを進め、海近くのコンビニにバイクを駐輪した。

 メットを脱いでミラーにかけると少し遠くに見える海岸線の人だかりを目の当たりにした。


 こん中から探すのか……。


 この間の祭とそう変わらない人の混み具合。しかもこのコンビニ付近はまだマシな方で、奥のメインどころはもっと混んでいる。そして歩行者天国にもなっていないため道も狭い。

 その現実を目の前にすると、ついにこう思ってしまった――――「何やってんだ俺は」と。

 しかしもうここまで来てしまえば引き返せない。無謀だとわかりつつも足を進めた。

 花火が上がっているからか、立ち止まっている人がちらほらといて、俺はそれ人らを横目にとにかく会場のメインを目指す。

 海岸線をしばらく進むと軒を連ねた屋台が見えてきた。そのあたりになると一気に人が増える。

 焼きそば屋、じゃがバタ屋、チョコバナナ屋……どう考えても高すぎる価格設定のお店に文句ひとつ言わ……くの人が買い込んで、笑顔でそれらを食して花火を鑑賞している。この中にそんな無粋なことを気にしている人間は俺しかいないだろう。

 皆、祭に、いや花火大会に当てられているからだ。

 いや、当てられているといえば俺もそうか。でなければ一人でこんなことなどしていない。

 しばらくそのまま俺は辺りに目を配りつつ屋台の通りを進んだ。彼女は花火より屋台が好きだと、そんなことを言っていたからもしかしたらいるかもしれないと思っていたからだ。


「…………」


 しかし、現実そんなに甘くはない。

 何千人、下手すりゃ何万人といる人間の中で、連絡も取らずにたった一人の女の子を見つけ出すなど、正気の沙汰ではないのかもしれない。しかも、彼女は背が低い。尚のこと見つけるのに困難を極めるだろう。

 それでも、俺は歩き続けた。せめてこの屋台の連なりがなくなるところまでは歩こうと決め、ひたすらに歩いた。さっき見た写真の浴衣姿と結った髪を思い出しながら。

 浴衣の人は思ったより少ない。とりあえず浴衣の女子をしらみつぶしに確認していく。

 あれは……違う。これは……違う。近くにいる若い女性一人ひとり観察して通りを進む俺はさぞかし怪しい男に見えるだろう。

 こんな恥ずかしいこと普段の俺なら絶対にしない。それでもしている理由はバイクに乗っている時同様、考えない。とんかく彼女を見つけることだけに集中した。もう何人の女性を確認したかもわからなくなるくらいに。

 そうやって進んでいるとあんな長いと思っていた屋台の通りはそこまで長くなかった。いや、長くなかったというより長く感じなかっただけだ。

 俺は通りを抜けきってしまったその場に立ち尽くした。つまり、俺は彼女を見つけられなかった。

 買い食いしている人たちが俺の背中を避けて俺の前へ歩いていく。


「……ダメか」


 俺は諦めを孕んだため息を漏らし、夏の夜空を仰ぐ。


「……あーあ、なーにやってだ俺は。恥ずかしいやつめ」


 ついに声に出てしまった。変な笑いまで出てしまった。

 こうなることなど薄々分か見えただろうなのに。

 知らない間に締めの大きな一発の花火は打ち終わっていたらしく、今は屋台の喧騒だけが耳に入ってくる。

 スマホで連絡すれば済んだ話だが、それを俺はできない。だって俺がツレをぶっちしてまで由比さんに会いに来た理由を聞かれたら……待てよ、そんなの適当なウソで誤魔化せば良くないか?

 例えば「ツレが途中で帰るとか言い出したから俺も一緒に帰ってそのついでにこっち寄ってみた」とか。うわ、そんなことも思いつかなかった。何やってんだよ俺。

 いや今からでも……と思いスマホを取り出すが、手が止まった。


「…………」


 花火はもう上がらず、周りを見渡せば帰路に向かう人たち。

 この土日明けは仕事の人も多いだろう。俺も来週から学校が始まる。

 花火はもう終わった。夏休みももうすぐ終わる。

 夏はもうお終い。俺の高二の夏はもう、これでお終いなのだ。

 

 ――もう、いいや。


 そっと、スマホをポケットにしまう

 俺は基本的に諦めが早い。諦めが悪いと傷が深くなるのを知っているからだ。そうやって負った傷は治りも遅い。下手すりゃ何年も引きずる。それを知っている。

 俺なんてこんもんだ。そう思えば大抵のことは諦めがつく。子供は諦めを覚えて大人になっていくのだから。

 俺は踵を返し、もと来た道を戻る。

 周りは駅やら駐車場やらに向かう人々で溢れる中、ポケットに手を入れ、うつむき気味にその中をとぼとぼと歩く。

 俺は何かに当てられると変な方向になびくのかもしれない。

 祭ではしたこともないナンパに走り、花火大会では女に会うために走った。

 そのどちらも、やらなければよかったと後悔した。

 今後もうこういうことがないよう、イベント事の前は気を引き締めないといけないな。

 バイクに乗っている時や彼女を必死で探している時とは違い、こうなるともう考えざるを得ない。


 ――どうして俺は、由比さんに会いに行ったのかを。


 明白だ。そんなことは一言で片付く。逆に言やこんな単純なことを今の今までによくもまぁ考えないように、気付かないようにできたもんだ。

 というか今思えばもっと前から――――この気持ちに、気付かないようにしていたような気がする。

 それがいつからなのか、俺にもわからない。今日からだと言えばそうかもしれないし、最初からだと言えばそうなのかもしれない。

 いや最初はないのかな。急に放課後に呼び止められて告白されて、めちゃくちゃな振り方して由比さんに謝罪しに行った。

 その後は七里更生プログラムを実施されて付きまとわれるようになり、雑誌のモデルの子の好み聞かれたり、ネットで調べた女嫌いの特徴が全然俺に当てはまってなかったり、女子に挨拶する時は声を二割増ししろとか言われたりした。あとは少女漫画読まされたっけか。

 ……よく覚えてるな俺。本当によく覚えている。それはつまり……そういうことだろう。覚えておきたいくらい大切な思い出になっていたのだろう。


 ――だが、それももう終わり。この気持ちも、もう終わりだ。


 諦めが早いということは、その全てを即座に過去にするということ。

 俺がこうも諦めが早いのはもともとそういう人間だからではない。後天的に、しかも意識的に身に着けたスキルなのだ。

 しかもこれはミソジニストであるこの俺があろうことか女という生物から学び、見習い、参考にし、実践している唯一のこと。

 女の切り替えは早い。恐ろしいほど早い。それによって傷ついた俺ではあるが、傷ついたからこそ学んだことがある。


 ――男は切り替えが遅いから、女に勝てない。


 男は女と関係を持つ時、このスキルを持っていないと絶対に女には勝てない。勝てないどころか、対等にすらなれない。首元に刃物を突き付けられた状態から戦わなくてはならないようのもの。

 中学の時の俺にはそれがなかった。だから負けた。大敗北だ。一瞬で大動脈をぶった切られた。

 屈辱だった。部活でも勉強でも麻雀でも喧嘩でも味わったことのない屈辱的大敗北。

 だから俺は諦める。それが最善策。勝たなくても、負けなければよい。負けなけなければ、戦ったことにすらならない。

 だからこれで、俺は由比さんとも……、

 俺は目を閉じ、心を落ち着ける。今から俺はいつもの俺に戻る。もう惑わされない。この数年間、そうして生きてきた。それが正解だと実感しながら生きてきた。俺が身に着けたこの諦めの、切り替えの早さをナメるなよ。ふふふふふ。

 この状況で笑みすらこみ上げる、それくらい俺はこのスキルを会得し切っているのだ。

 これで、俺は由比さんとも……何もなかったことにな――――。 

 

「七里くん……?」


 聞き違いだと思った。だってそんなわけないのだから。


「七里くん……!」


 聞き違いではなかった。二度目は俺を認識し、はっきりと声を上げていたから。

 おそるおそる視線を声のする方に向けるとそこには――――、


 小さくて、綺麗で、輝いて見える、浴衣姿の女の子がいた。

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