第70話 どきどき修学旅行②
「はぁ……」
今日は、修学旅行当日。私は小さく溜息を吐いた。
現在、バスで目的地へと向かっている。
「どうしたの柚葉ちゃん? 溜息なんか吐いて」
隣の席に座る薫子が心配そうにしている。
「え、いや大丈夫。長距離バスがちょっと怖いなって」
「そっか、柚葉ちゃんバスで事故に遭ってるもんね。怖くても仕方ないよ。出来ることあったら言ってね」
「う、うん」
薫子の気遣いに小さくお礼を言う。その気持ちはとても嬉しい。ただ、私の溜息の理由は、実は違う。
長距離バスが怖いのは本当なのだが、それよりも私を悩ませているのは、隣に居る薫子である。
この修学旅行の班決めがあった次の日から、竹野さんと二人で、薫子と坂間さんが話せるように何度も機会を作ったりした。
しかし、関係は全く改善していない。というか、坂間さんから薫子に対する印象も悪くなっている気すらする。
薫子が坂間さんを嫌っている理由を改善しないと、どうしようもない気もするのだが、本人に直接聞いてみて得られた情報は、坂間さんが
薫子は、柚葉が
「はぁ……」
これからの数日間のことを考えると、自然とまた溜息を吐いてしまった。
目的地に到着し、バスから降りる。
到着したのは、青少年自然センターという施設だ。周囲は木々が生い茂っている。
今回の修学旅行は二泊三日。この施設に二日間泊まり、最終日の早朝にメインの目的地である隣県の
この施設の体育館へと一度移動し、ここの利用の仕方やルールなんかの説明を施設の人からしてもらう。
その後、施設内の案内をしてもらったり、荷物を寝泊まりする部屋へと運んだりして、午前中が終わった。
食堂でクラスごとに時間をずらして昼食を済ませる。
午後になり、今度は学校の先生から、この後の日程の説明。色々と話を聞いて、ようやく最初のイベントになった。
「班ごとにまとまって行動してくださいね。一人で動いちゃ駄目ですよ。何かあったら、すぐに引き返して先生に報告をするように」
先生が注意事項を述べている。修学旅行最初のイベントは、オリエンテーリングである。
この施設の周りに設置されたチェックポイントを回るというもの。メンバーは実習の班分けと同じで、私を含めた女子四人と当麻達男子三人と一緒の七人班。男子の方は、当麻の他に雄大や健太といった悠輝の頃は友人だった面々だ。
「それじゃあ、行くよー。私たちは、赤いやつね」
班のリーダーである竹野さんがメンバーに聞こえるようにやや声を張って言う。赤というのは、私たちが探すチェックポイントのこと。
木かなにかに固定してあるらしいそれは、全員同じにならないように、色で何パターンか分けてあるらしい。私たちは赤いのを探せば良いというわけだ。
赤の1から5までの番号があり、貰ったマップを頼りに探して、そこに書いてある文字を確認してくるのだ。
目標を探しながら、七人で森の中を歩く。一応、歩く場所は舗装されているのだが、普段とは違う場所に少しドキドキする。
「ひゃっ!」
突然目の前をよぎった何かに、私は思わず変な声を出してしまった。
「ただの虫じゃんか。高木驚きすぎだろ」
「そんなに驚いてないし……」
雄大の言葉に、私は顔を真っ赤にして否定する。
さきほどから、虫の羽音のような音が聞こえたり、目の前を通り過ぎたり、私はビクビクとしていた。
正直、男の頃から虫は苦手なのだが、この体になってから、より駄目になった気がする。
坂間さんも虫が苦手なのか、さっきから竹野さんに引っ付いている。竹野さんと薫子は、私や坂間さんほど苦手ではなさそうだ。
「っ!?」
耳元に聞こえた羽音に驚いて、キョロキョロと辺りを見回す。思わず隣の薫子に引っ付いてしまった。
「高木めっちゃびびってんじゃん」
「びびってない!」
また雄大にからかわれて、即座に言い返す。しかし、薫子からは離れられない。
「っ……」
自分の状態を考えて凄く恥ずかしくなる。中身は男なのに、女の子にしがみついて虫を怖がっている。しかも、さっきから変な悲鳴まで上げてる。自分で自分が情けなくて仕方がない。
「からかうなって。女子は虫とか苦手なの多いだろ」
当麻が雄大をたしなめながらフォローしてくれるが、私としては余計に心のダメージが増える。
「柚葉ちゃん、気にしなくて良いよ。私も虫は苦手だし一緒だよ」
薫子の気遣いも、今は心を抉るだけである。
うぅっ……格好悪い……。
いくら何でもびびりすぎだと自分でも思うのだが、体の拒否反応が凄く、とても耐えられない。
薫子と一緒に歩いていると、視界の端を少し大きめな虫が通った。
「きゃっ……うぅっ……」
また、小さく悲鳴を上げてしまい、ますます心が重くなる。
結局、私は薫子に引っ付いたままで、チェックポイント探しは男子達が頑張ってくれた。
「うぅっ……」
施設に戻り、少しの休憩。その後、夕食を食べた私は自分たちの部屋のベッドに座りこんでいた。
オリエンテーリングの間、虫にびびりまくり、終始薫子に引っ付く始末。女の子なら可愛げもあるだろうが、男がこれでは格好悪いにもほどがある。
今は
いや、そもそもちゃんと男の子のままなのだろうか。すっかり自分のことを私というのにも慣れたし、お兄ちゃんにも仕草が完全に柚葉になっていると、前に言われたし。そして、今日はあんなに女々しいところを周囲に見せてしまったし。
「えっ……あれ……?」
考えていて、だんだん自信がなくなってきた。いつの間にか心まで女の子に――
「ま、まさか……」
そんなまさか。十年以上男をやってきたのに、二年足らずでそこまで影響があるわけ……。
「まさかって何が?」
「!?」
近くで声がして、驚いて顔を向ける。気づかずに声に出していたらしい。
見ると、有華が自分の鞄をごそごそとしながらこっちに視線だけ寄越していた。
「あ、有華戻ってたの?」
夕食後、他の子がレクリエーションルームに行ったりする中、一人で戻ってきたので誰もいなかったはずだが。
「今戻ってきたとこ。薫子が探してたよ」
「あっうん、ごめん」
昼間のことがショック過ぎて頭が一杯一杯で薫子を置いて来てしまっていた。
「じゃあ、薫子探してくる」
「待ってた方が良いんじゃない? 時間的にそろそろ戻ってくると思うし」
「時間?」
「そろそろ、うちのクラスの入浴時間でしょ」
そう言って、有華が鞄からタオルや着替えといった、入浴に必要なものを取り出していくのが見えた。
「あーっ……」
時計を確認すると、あと十五分ほどでお風呂の時間だ。確かに薫子も、そろそろ戻ってきて準備をするだろう。
「柚葉も支度したら?」
「う、うん……」
返事をしながら、自分の鞄を手元に引き寄せて、必要なものを取り出す。
す、すっかり忘れてたぁぁ!
私は心の中で叫び声を上げる。修学旅行前から、心配していたことなのにすっかり頭から抜けていた。
あと、十分ちょっとでおっお風呂……クラスの子と一緒に……。
心の準備をする時間もあったものではない。
「…………っ」
支度を進める手がぷるぷると震えてきた気がする。想像するだけで、頭がくらくらして目が回る。
い、いや落ち着け私。前に薫子達とお風呂に入ったことはあったし、あの頃よりは、確実に女子の体にも慣れたし……。
「って慣れたって何だよ! 慣れちゃ駄目だよぉ」
「えっ何、なんか言った?」
「あっいや、何でもないよ」
慌てて返事をして自分の口を塞ぐ。無意識に声を出してしまうなんて、迂闊にもほどがある。
そうだ落ち着くんだ私。今は、柚葉で女の子。駄目だけど、絶対駄目だけど、この体にも女の子にも慣れてきてる。だから、大丈夫。いや、全然大丈夫じゃないけど、クラスの子と一緒にお風呂だからって何も気にすることはないんだ。今、私は女の子。心も女の子。今だけ今だけ。本当に今だけ。今だけ大丈夫。
心の中で繰り返し大丈夫と念じ続ける。
「あっ柚葉ちゃん、探したんだよ!」
「うん、ごめん。大丈夫」
「?」
戻ってきた薫子の言葉にまで大丈夫と返事をしてしまう。薫子は一瞬、不思議そうにしていたが、すぐに自分の支度を始める。私の方は、今は取り繕う余裕もない。
香奈と愛里沙を待って、時間ギリギリに部屋を出る。
すぐに女子用の浴場の前にたどり着く。私は香奈たちに続いて一番後に浴場へと踏み入れた。
靴を脱いで脱衣所へと入る。うっすらと白い湯気のようなものが見える。ここまでもわっとした感じがする。ちょうど前のクラスと入れ替わりのタイミングのせいか人が多い。お風呂から上がってきて、体を拭いて服を身に着けている人、備え付けのドライヤーで髪を乾かしている人、逆に服を脱いでお風呂に向かう人。
その光景を見てしまうと、頭がくらっとした。裸を見てしまうどうこうより、もうその空気に酔ってしまいそうだ。
「ゆ、柚葉ちゃん大丈夫!?」
ふらふらとしている私に薫子が心配そうな声を掛けてくれる。
私は大丈夫と小さく返事をして、香奈達と一緒に衣服を脱ぎ始める。
大丈夫大丈夫。私は柚葉、女の子。大丈夫。
ぼーっとして、回らなくなってきた頭でそれだけを考えて、手を動かす。
脱ぎ終えると、必要なものを持ってお風呂へと向かう。香奈達に続いて浴室へと入る。
大丈夫、何も問題ない。大丈――
「――っ」
「ゆ、柚葉ちゃん!?」
倒れそうになった私を薫子が横から支えてくれる。
あれ、何か腕に柔らかいものが――
「本当に大丈夫? 熱があるとか……」
「っ!?!?!?!???」
か、薫子の柔らかいむむむ胸がっあたっあたっ……!
私は顔を真っ赤にしながら、慌てて薫子から離れる。
今までも、薫子にしがみつかれたことはあったが、成長著しいそれが直接触れるのは破壊力がやばい。何が破壊されるかというと、私の理性が。
「だっ大丈夫だよ! だだだ大丈夫!」
「本当に? 顔も赤いしさっきからフラフラしてるし……」
心配そうに私を見つめる薫子は、言いながら空けた距離を再び詰めてくる。
「本当に大丈夫だよ! ぜ、全然平気っ――」
私は後ずさろうとして、足を滑らせてしまった。
「柚葉ちゃん大丈夫!?」
「痛たっ……」
勢いよくついたお尻が痛む。
「大丈夫高木さん?」
背中側から声がして振り返る。坂間さんが驚いたような顔で私を見ていた。
「あっあああ……大丈……」
前と後ろに裸の女の子。私の思考はそこでショートした。
うっすらとした意識の中で、薫子と坂間さんの声が聞こえていた。
その時まで待ってる 水城玖乃 @Hisano
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