神様の死角に作った楽園 後編
しばらく経つと、ある種の厄介事でしかなかった彫刻に、ホコロビは楽しみを見い出すことが出来るようになっていた。
彼はその切っ掛けでもあるヒビキに感謝し、何時しか彼女にかけがえの無いパートナーとしての信頼を寄せるようになっていた。
そんな矢先、ヒビキが彼の前に姿を現さなくなってしまう。
「人と深く関わりたくない」彼女がそう言っていたのを思い返し、ホコロビは距離を取られているのではないかと不安を感じ始める。
多忙なのだろうか? まさか危険な目に遭ってはいないだろうか?
押しかけるのは無粋かもしれないし、そもそも彼女が何処に住んでいるのか知りもしない。
待ってさえいればまた会いに来てくれるだろうか……。
表面的には平静を装っていたけれど、やせ我慢の心の声があたいの耳には煩い位に届いていた。
これまで欠かさず顔を出してくれていたのだから、数日くらい来れなくなる用事が出来ることだってあるだろう。
ホコロビは、彼女が再び会いに来てくれる時を大人しく待つことにした。
――しかし、七日経っても彼女は現れなかった。
十日経っても音沙汰は無いままだ。
此処での作業はもうすぐ終わるというのに、その日も彼女は姿を見せなかった。
ホコロビはついに耐えかねて、作業を中断するとヒビキの居場所を捜し始めた。
数日後、ヒビキの捜索は行き詰まってしまっていた。
作業場でしか会うことのなかった彼女の所在が彼にはまったく見当がつかないからだ。
とりあえず石像がある場所を何度も行き来したり、彼女との会話に出てきた場所へと足を運んだり、人に尋ねて回ってみたりもしたけれど 、ヒビキは人と関わらないように振る舞っていたので有力な情報を得られることはなかった。
どうやら打つ手が無くなった。
それでも諦める様子の無いホコロビに、あたいはヒビキの居場所を教えてやる為、人間の振りをして近づくことにしたんだ。
「すみません。あなたってば、彫刻家のホコロビさんですよね?」
「そうですが、何か?」
「人を捜して随分と帆走されているとの噂を聞きました。あた、私、ヒビキさんの住まいを存じているものですから、教えて差し上げようかと思いまして」
「感謝します! どなたかは存じませんが、ぜひ、彼女の居場所を教えてください!」
渡りに船、そんな気持ちに違いない。あたいがヒビキの家を教えてやると、ホコロビは律儀に何度も礼を言って、すぐさま彼女の家に向かって駆けていった。
たどり着いてみれば、そこは初めて二人が出会った場所のすぐ近くだ。
あの時に彫っていた石像はすでに撤去されてしまっていたけれど、見覚えのある広場を横切ってきた。
縁が切れたのならそれでも構わない、せめて無事を確認できさえすれば。
そう言い聞かせて扉を叩く、反応は無い。留守か?
いいや、彼女はいるよ。
「失礼します、こちらにヒビキさんはご在宅でしょうか?」
広い家じゃない、声は行き渡ったろう。
……日を改めるか。
諦めて踵を返すと、扉を挟んだ向こう側で何かが擦れる音がしたような気がして、ホコロビは立ち止まった。
「ヒビキ?」
気のせいかとも思ったが、確認の為に声をかけてみる。
「…ホコロビ……私…駄目、みたい」
返事はあった、しかし扉の先にいるヒビキの声はとても弱々しい。
「そんな…ッ、まさか!?」
神獣像が魔を払う、彼はそれを信じて今まで彫刻を続けてきた。
ヒビキは特にその近くにいた人間だ、だから彼女こそ危険からもっとも遠い人物だと信じ込んでいた。
「開けてください! ここを、早く!」
ヒビキは病に掛からない、その考えは間違っていた。
彼女はホコロビと出会う前からすでに悪魔に憑かれていたのだから。
病に犯されていた彼女は、乾いて砕けて空気に溶けて消えるはずだった。
そうなる前にホコロビがこの付近で石像を彫り始め、彼女を捕食中だった悪魔はそれを中断して身を潜めた。
ホコロビが現れたことでヒビキの症状が治まった。
当事者だからこそ、人々が変人と噂するこの男を、悪魔が町を呪っているなんて与太話を、信じることができたんだ。
「ヒビキ! 開けてくださいっ!」
彼女の声が途絶えた。
ホコロビは血の気が引いていく感覚に襲われる。
今まさに手の届く距離で、彼女の命が失われようとしている。
一刻の猶予も無いというのに戸は施錠されており、蹴破ったりしたらその先のヒビキに怪我をさせるかもしれない。
回りこんで窓を見つけ、鍵を壊してそこから中へと侵入した。
室内にはヒビキが這って玄関に向かった跡があり、玄関には扉にもたれる様に倒れた彼女の姿があった。
慌てて駆け寄り、抱き起こす。
ホコロビに抱えられたヒビキは、表面がまるで陶器のように硬く無機質になってしまっていて、首から頬へ、手にも足にもヒビ割れが走っていた。
横にしようと思い立ち抱え上げると、折れた膝が音を立て大きくヒビ割れ、ホコロビを慌てさせた。
それに対してヒビキは、「……大丈夫、もう感覚がないの」と言った。
「ごめん……。あなたに、お別れを言わなきゃ」
すっかり乾燥して見る影も無くなったヒビキ。
でも瞳だけはまだ湿っていて、駆け付けたホコロビに対して安堵の涙が溢れて零れた。
「気をしっかり持ってくださいッ! 諦めないで!」
ああ、彼が叫ぶところを初めて見た
「俺を一人にしないでくれ……ッ!」
子供のような泣き顔で懇願する姿も。
「あなたは自力で皆の心を動かした強い人、私なんかがいなくても……もう、大丈夫よ。ああ……、なんだろ ぅ。貴方の肩の神獣のおかげなのかな……、触れているところがとても、暖か ぃ」
「馬鹿な、自分は強くなどないッ!」
寂しくて淋しくて仕方がなかったのだ。
今まで何だって解ってくれた彼女が何故こんなにも無理解で無慈悲なことを言うのか。
ホコロビは戸惑うばかり。
「……お願いがあるの。どうせ忘れられ て しまうなら、本当は ね……もう、このまま誰とも関わらずに、知られず に、死んでいこうと思った。深く関わりたくなんかないって思ってたの。だって……、哀しいもの。でも ね、あなたは違うから。 私を 忘れないでいられる から ずっと、ずっと、忘れない で ね ずっと ず と 」
ホコロビはヒビキを抱えて外へと飛び出した。
彼女の身体が欠損しないように細心の注意を払いながら、出来る限りの速度で、消えてなくなる前に医者に見せようと病院へと駆け込んだ。
「先生、どうか彼女を助けてください!!」
医者はヒビキを診察してはくれた。
けれど、その症例を初めて見たと思い込んでいる医者には、すでに何もかもが手遅れにしか見えない。
「まだ身体が残っている、砕け散ってはいない! 人に認識もされている! どうか諦めないでください!」
ホコロビがどんなに説明をしても、それは錯乱した男の世迷言にしか取られない。
まずは悪魔だの呪いだの、そんな話から信用させなくてはならないのかと思うと途方も無かった。
「この町に住む全ての人々にとって、この病は深刻なものなんだ! このまま放置していたら、いずれ国ごと滅びてしまいますよ!」
喰って掛かるホコロビに腹を立てた医者は
「ここでは治療できない、他を当たってくれ」と、ついには彼を追い立てた。
ホコロビは取り乱してしまった自分の態度を恥じた。
けれど医者の手に負えないという事実はどうしようもない。
落ち込んでいる時間は無い、何か手はないのか、何か……。
石像の前に連れて行けば回復するのではないか 、そんな不確かな希望に縋り、ホコロビはすでにもの言わなくなったヒビキに負担をかけぬようにして背負うと、街道を早足に歩いた。
この地域の石像は全て撤去されていて目的地へはかなり距離がある。
道中、昼から女性を担いで歩く男の姿は不審の眼で見られた。
少年たちには指さしで笑われたりもした。
何故だ、何故笑う! 何故そんな眼で見るんだ、見下すんだ!
人の生死がかかっている、一刻を争うのに、なぜ進路を塞ぐ! 邪魔だ!
これまで俺が一度でもお前たちに悪意ある態度をとったことがあるとでもいうのか!!
どす黒い呪詛の念が、いや、絶望を抱えた深い哀しみを彼の心が叫んでいた。
唐突に、ホコロビがバランスを崩して転倒する。
人を避けずに進もうとした彼に腹を立てた通行人が、すれ違いざまに彼の足を払ったからだ。
何故、こんな時に限ってこんな目に遭わされなくてはならない……ッ!!
屈辱に破裂しそうな感情を押し殺して、立ち上がる。
人を背負い受身も取れず、打ち付けた額から血が滴っていた。
本人も深刻なダメージを受けているはずなのに、ホコロビは背中のヒビキを気遣って名を呼び、取り乱しながら彼女の体の無事を確認した。
それはもう無事なのか手遅れなのかも彼の目には判らない。
ただ、どんなに走り回ったとしても、助けることは叶わないという結論だけは揺るがなかった。
目的地に辿り着いた頃には陽が落ち始めていた。
彼女はすでに生物よりは物に近い姿で、死んでいる様にも彼女だけが時を止めてしまった様にも見えた。
それはまるで彼が彫っている石の置物みたいだ。
ホコロビは自らの彫った神獣像に満身創痍の身体を預けた。
疲弊しきった身体には、いつも身を晒しているはずの風すらも特別に沁みる。
ホコロビはただ呆然と立ち尽くすしかなかった、もう打つ手がないことに気が付いたからだ。
先ほどまで言葉を交わしていた、体温を感じていた彼女の、その無機質さが無性に悲しかった。
彼はもう思い出せない、なぜ自分が石像を彫り続けていたのか、その動機を完全に失ってしまったに違いない。
途方に暮れたホコロビは、すでにそれが聞こえないヒビキに向かって提案した。
「……この町を出よう」
この町を離れれば悪魔の呪いから逃れられる、彼女がそんなことを言っていたのを思い出したから。
「外の世界の医学はここよりもずっと発達しているかもしれない。そうしたらどこか落ち着ける場所を見つけて、少しずつ君の体が癒えるのを待とう。そこはこんな悪魔の住み着いた町なんかよりも空気も水も澄んでいて、きっとその身体を癒してくれる」
ホコロビはすぐに持ち出せない財産と引き換えに馬車を用立て、生まれ育った故郷を後にした。
果てしなく続く地平線を越えて、その先にある安住の地にたどり着けるよう、できる限りの準備をして。
――それは、あたいの計算通り。
神獣の像が配置された町では悪魔が人間を喰らうことができない。
かといって神獣に守られたホコロビには手が出せない。
だから、すでに感染していたヒビキの最後を見せて、ホコロビを悲しみの果てに石像を彫れなくしてやろうと 、人間の振りをして彼をヒビキの元まで導いたって訳。
結局、ホコロビの彫った石像にも人々はすぐに慣れ、飽き、悪魔の手が回った統治者の命令の元に完全に撤去された。
ホコロビの行動も煩わしいとはいえ、悪魔たちに対して大きな障害には成り得なかったとさ。
ホコロビはこの街を出て、ヒビキが救われることに賭けた。
だとしても、街を離れてヒビキが救われるか、ホコロビが広い広い不毛の地を抜けることができるか 。
例え抜けたとしてその先に安住の地があるのか、そんなことに興味はない。
再び悪魔の餌場は安泰になり、あたいたちは人間達を蹂躙するだけなのだから。
『神様の死角に作った楽園』END
短編集『ハクシャクノテンシ』 河童デルタ @ak610
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