神様の死角に作った楽園 中編
それからヒビキは石像を彫るホコロビの前に頻繁に姿を見せるようになった。
女が馴れ馴れしいってのもあるけど、ホコロビも律儀に応対するもんだから、すぐに打ち解けて親しい感じになってきた。
ほとんどの時間彼は黙々と作業をしていたし、彼女はただそれを眺めていただけ、それでもお互いに相手のことを話し相手として重宝しているみたいだった。
そんなある日。
信じてもらえるはずがないと濁してきた石像を彫る理由、それをホコロビはヒビキに打ち明けてみることにしたんだ。
「……奇妙な話でした、それまで自分なんかよりもずっと存在感のあった兄のことを、誰一人として覚えていないのですから」
謎の病による兄の死、それが彫刻を始めたきっかけだった。
「そんなまさか、肉体が残らないだけならまだしも、人の記憶からも完全に消滅してしまうなんて……」
彼女の表情が強張る。
仕方がない、とても信じられるような話じゃ ――。
「なんて恐ろしい病気なの!」
――って、信じるのかよっ!?
それに対するホコロビの反応は、
「そんな病、あるはずがないでしょう!」
って、お前が否定するのかよっ!?
「え、認識間違ってた?」
「いいえ。相手にされる訳があるまいと半ば諦めていた話を、いとも簡単に納得されてしまい、あまりの驚きに思わず否定してしまいました」
……まあ、とにかく
この町には確かにそういう現象があって、それをホコロビだけが知っている。
今まで幾人にも相談してみたけれど、「そんな病は無いし、そんな人物もいなかった」そう言って誰も彼を信じようとはしなかった。
行き着くところは決まって、「ならば何故、君はその病で死んだ者のことを忘れてしまわないのか?」そこに明確な根拠が無い。
つまり妄想だと一蹴されてお終い。
一人があると言い張ったところで、残りの全てがないと言う。
それは彼の記憶違いとしか判断のし様がない。
「狂言だとは思わないのですか?」
「ええと、そんな嘘をつく為だけに、毎日寝食の間も惜しんで、こんな大掛かりな前振りをしているってこと? そんなリスキーな……」
それで嫁に逃げられたり、社会的地位を危ぶめていては割に合わない。
「風評どうり、自分は頭のイカレた男なのかもしれません」
「もしもこれが大掛かりなドッキリの準備だって言うなら、それはむしろ尊敬に値するし、空気を読んで私一人くらいは騙されてあげないと逆に申し訳ないな、くらいの気持ちにはなるよ。けど、ホコロビがその仏頂面の下にそれほどの遊び心を隠しているとは、到底思えないのよね」
「不甲斐ない限りです」
いやいや、何で期待に添えなくて申し訳ないみたいなリアクションなんだよ、目的が摩り替わってんだろ。
「本物っ!」
ヒビキはホコロビの反応を受けると、吹き出して一頻り腹を抱えて笑っていた。
「どんなに嘘臭いことだって、ホコロビが言うならそれを信じるよ。私は他の誰の言葉より、自分の人を見る目を信頼しているから」
ヒビキはホコロビの話を熱心に聞いて、理解する努力を怠らずにいてくれる。
それは元々天涯孤独の身で拠り所の無い、彼の心を救ってくれていた。
「でも、何でホコロビだけが忘れないでいられるんだろう?」
「おそらくは……」
事情を説明する為に、ホコロビは上着の肩口をはだけて見せようする。
「凝視!」
しかしヒビキが目を見開いたので、気まずげに衣服を正した。
「……やめてください」
「すまなんだ!」
彼の肩には彫刻と同じ獣を模した大きな刺青が刻まれていた。
その獣は、年寄りも覚えていないような昔話に出てくる神の使い。
神話の時代に天界から悪魔たちを追い立てたという、圧倒的な力を持った神獣の姿だ。
ホコロビの年老いた養父は神官職に就いており神話に精く、死を間際に、まだ幼い二人の養子のどちらかにこの刺青を施すと言いだした。
その神官は、この町は常に悪魔に狙われており、刺青にはそれを払う力があるのだと子供達に説いたのだけれど
そんなものが迷惑でならなかった血の繋がらない兄弟、ホコロビとその兄は、勝負に負けた方が罰ゲームよろしく養父の我侭を引き受けることにしたんだ。
結果がホコロビの肩にあるその刺青。
「もし養父が言い残した通り、この神獣が自分を護ってくれているのだとしたら、ゲームに勝った兄の方が命を落としたのは、なんとも皮肉な話ではないでしょうか」
「だからホコロビはその奇病を悪魔の呪いだと感じて、抑止力になると考えて神獣の像を彫っているのね?」
「妄想かもしれません。だとしても、いなくなった人間が誰の記憶にも残らないというのは、あまりにも悲しいですから」
「そうだね」
同意したヒビキの表情は、共感からかとても物悲しげだった。
実はここだけの話、ホコロビの想像はほとんど的を射ている。
ホコロビだけがそれを認識できているのは正にその刺青の御利益だ。
遥か昔、神と悪魔との間で勃発した戦争は神の勝利で幕を閉じ、悪魔を掃討する為の切り札として神が使わした獣は、圧倒的な力で悪魔達を捻じ伏せて天に帰った。
この土地に伝わる神話は其処で終わっているけれど、その出来事は御伽話ではなく事実だったから続きがあったりする。
戦争に負けた悪魔達がその後どうなったのか、天界を追い出され、この地上でやってかざるを得なくなった悪魔達。
彼らは神に隠れて食いブチを確保する必要があった。
神の目に付かないようこっそりと餌を確保する為に、この国の代表と取引きをしたんだ。内容はこんな感じ
「貴様らが我々に最低限の餌を永続的に提供するならば、我々は必要以上の人間を狩ることを止め、権力者には手を出さないコトを約束しよう。ただしこの条件を拒むならば、今この場で貴様ら権力者から根絶やしにする事となるだろう」
人間の王は悪魔の脅迫にあっさりと屈して、其処に住まう民衆を悪魔のエサとして差し出すことにした。
悪魔達は人間の肉体が砕けて無くなるまで生命力を喰らい、そして人間達が逃げ出してしまわないようにご丁寧に記憶を奪うという寸法。
それがもうかれこれ何世紀も続いている。
「つまり、神様のご加護がホコロビを護っているのね。そして理不尽な病の原因はこの土地に住む悪魔の呪いってことになるのかしら? その理屈だと、この国を離れたら病に侵されている人を助けることが出来るってことになるのかな?」
オメデタイ女、頭に脳みその変わりにスポンジでも詰まってんじゃねーの?
「しかしこの推論にはまったくと言っていいほど信憑性がありません。町を出るよりも、それを題材にファンタジー小説でも書いた方が良いと思える程に、現実味が欠如していますから」
この町の外を行き来しているのはほんの一部の権力者と商人だけで、その他は外の世界について何も知らない。
当ての無い旅をしようと思うほど裕福でもなかった。
「それって、その御伽噺に全力で振り回されてる人の言う台詞とは思えないんだけど」
「返す言葉もありません。それが祟って婚約者にも逃げられる始末です」
「……なるほどね」
ホコロビの後ろ向きな態度にヒビキは半ば呆れぎみだ。
婚約者に未練があるというよりは、幸せにしなければならなかった相手への責任を果たせなかった、そのことに対しての自責の念が強いんだ。
捨てられた立場の癖に、「幸せになってくれればいいが……」そんな風に心配をせずにはいられないらしい。
「自分のことばかりでは申し訳ない。よろしければ、ヒビキさんの御家族や親しい御友人について、話を聞かせては頂けませんか?」
「いないよ」
すっぱりと言い切る。
「こんな風に言ったら暗い女だなんて退かれるかもしれないけど、私ってできるだけ他人と関わり合いたくない人なの。少し前から恋人や家族とも縁を切ってきたし、今はどうしても一人でいたい気分なのよ」
そりゃ恋人の一人もいれば、こんな頻繁に顔を出したりしないわな。
そして強がりを言ってはいるけど、こうやってホコロビに会いに来てる以上、本当は孤独が辛いに違いない。
「しかし、こう言っては失礼かもしれませんが、ヒビキさんほどの女性が人との係わり合いを避けるのは、勿体無いですね」
「それってどういう意味?」
「魅力的という意味です」
「あ、ありがとう……」
自覚がない訳でもないだろうに、この朴念仁が女性の外見を褒めたのが不意打ちにも似た感触だったのか、ヒビキは眼を見開いて驚いていた。
実際はそういうことを不用意に言っては、相手をその気にさせる困ったタイプだったりするんだけどね。
でもとりあえず、そんな気を回せるくらいにホコロビは立ち直っていた。
長らく使命感に突き動かされるだけの陰鬱とした灰色の毎日が、ヒビキとの出会いによって色彩を取り戻したような、そんな気分なんだろう。
それはヒビキの口から唐突に発せられた。
「キス、しようか」
落ち着いた物腰のホコロビも、これにはさすがに驚いた。
心の声を聞き取れるあたいから見たら、これは自然な流れなんだけどね。
「係わり合いを避けているのではなかったのですか?」
「その考え方はいま止めたの。ちゃんと未来を見据えて生きていこう、あなたのお陰でそう思えるようになったから」
これはどういう意味合いのものだろう?
親愛の証なのか、求愛の行為なのか、ホコロビは戸惑っていた。
どちらにせよそれは一歩踏み込んだ関係にならざるを得ないということだ。
「その行為は関係の進展を意味しませんか?」
困り顔で一見否定的な意見を口にするホコロビ。
しかしヒビキの心が傷つくことはなかった
二人は手を取り合い、その距離は自然と零に近かったから。
「まるで進展させるのが厭みたいだね」
「始まりには終わりがありますから」
得る喜びと失う辛さはどちらが重いだろう。無くすことが続いたホコロビは今もまだ生々しく膿んだ傷が痛んでいる。
それでも誰かに差し出された手を、無碍に扱うことのできる男ではないし
何より彼女が自分を必要としてくれたように
すでに自分にとって彼女が必要な存在になってしまっていることを、自身が一番に理解している。
「始めなくても終わりは来るよ」
もうこじ付けの理由なんかで感情を抑えられるはずがなかった。
二人はお互いの意思を尊重し、与え合うような長い長い口付けを交わした。
その時まではまだ、二人のことを大して危険視してはいなかった。
どうぞお好きにやってくれと思っていたんだ。
間もなくホコロビは勤め先を辞め、時間のほとんどを彫刻に割くようになった。
とはいえ収入を途絶えさせたまま、いつまでもそんな無益なことを続けられるはずがない。
あたいはそう軽く見ていたんだけど、将来の保障と引き換えにホコロビの石像はずっと力の篭った立派な物になり、ついにはそれが作品として人々に認識されるところまできた。
クオリティが伴ってきたおかげで街の人達も簡単には撤去できなくなっていたんだね。
努力は報われる、そんな希望めいたものを実感できた興奮に、ホコロビとヒビキは諸手を挙げて喜んだ。
でもね、それはマズい。
それがこの町の本当の支配者である悪魔たちにとって、面白いはずがないんだから。
とはいえ、一度こっぴどく叩きのめされている悪魔達にとって神獣はトラウマで、すっかりびびって、神獣の加護を受ける彼には手が出せないっていうのも事実。
もしかしたらホコロビの石像はこの町から悪魔達を追い出してしまうんじゃないか、そう思ってしまうくらい、彼にとって順調な経過を辿り始めていた。
でも、このまま邪魔な彫刻家を野放しにしておいていい訳がないんだ。
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