・神様の死角に作った楽園
神様の死角に作った楽園 前編
彫刻師ホコロビ。
彼が石像を彫り始めたのはもう何十年も昔の話。
ホコロビの故郷は辺境にあるわりには栄えた都市で、一見すれば平和な国。
けれどその町では自然死とは違う方法で命が失われ、序々に人口が減り、まるで夜逃げの後みたいに空き家や廃屋がそこかしこで見かけられた。
そんな不自然な環境でも人々の営みに変化は無く、何故死んで、それが誰だったのか、たった一人を除けばその事に思い至る者すらいない、そんなイカレた場所だった。
その中でホコロビといえば、方々に現れては石像を彫って放置していくことで有名な変わり者。
大らかな風情の人々は別段それを罪に問うて罰することはしなかったけれど、邪魔に違いは無いということで、それは呆気なく撤去され、造っては壊し造っては壊しのイタチゴッコが繰り返されていた。
それでもホコロビは懲りずにコツコツと、凶悪な姿をした恐ろしい獣の像を彫り続けていたんだ。
そんな彼も昼はごく普通の勤め人だったりする。真面目すぎて割りを食うことも多いけれど、礼儀正しく律儀で、すれ違う時は必ず自分から道を譲る、そんな人の良さと公平さで他人からもよく好かれてはいた。
彫刻の件についても初めは、「ホコロビさんが最近変わった趣味に没頭しているらしい」程度の認識で 、「彫刻家でも目指してるんですか?」という冷やかしに、「いいえ、まじない師です」と答えたことも冗談に取られていた。
順調な人生を歩んでいた彼には、将来を誓い合った婚約者もいたっけ。
器量が良くて、料理も美味くて、床上手。本当によく出来た女房で、お互いにいつかは結婚をする相手と決めていた。
けれど石像を彫り出したホコロビの評判は次第におかしくなっていったんだ。
それはそうだ、まるで何かに呪われでもしたんじゃないかっていう集中ぶりだったからね。
本気すぎて周囲は次第に退き始めていた。
婚約者は当然ホコロビに向かって作業を辞める様に説得するよね。
でも彼は「神獣の像を絶やしてはいけない」と言って、周囲から怪異の視線を向けられても、その手を止めることはなかったんだ。
だからついに彼女はヒステリーを起こした。
「そんな御伽話の神様を祭るなんて、いったいどうしてしまったの? あなたの彫刻はお金になる訳でもないし、すぐに撤去されてしまうし、皆にも笑われて恥ずかしいったらないの! あなたは真面目な人だからとても愛しているけれど、そんな無駄な石像造りに夢中になって、放っておかれる私の身にもなってちょうだい!!」
どんな我侭でも厭な顔一つせずに聞いてくれていた彼が、どうして頑なに石像を彫り続けているのかなんて彼女に理解できる筈も無いし、どうしたって堪えることができない。
「これは亡くなった兄の供養であり、残された俺の使命でもあるんだ」
「またその話……。何を言っているの? あなたに家族はいない筈じゃない」
激昂する彼女に対してホコロビは兄の話を持ち出すのだけど 、彼女は何度も顔を合わせている筈のホコロビの兄のことをすっかり忘れてしまっていて、まるで馬鹿にでもされていると感じていただろう。
二人の溝は深くなる一方だった。
この町でだけ発症する謎の奇病は、人間の生命力を奪い肉体を乾燥させ、最後には灰のように消滅させてしまうという恐ろしい症状を持っている。
何より不思議なのは、その病で死んでしまった人間の情報は全て、人々の記憶から失われてしまうということだ。
彼は再三に渡って彼女に理解を求めたけれど、その内容は彼女にとってあまりにも突拍子も無く 、彼が怪しい宗教に心酔してしまったと嘆き、いつしか狂人か何かを見るような眼で見るようになり、ついには彼の元を去って行ってしまったんだ。
ホコロビがどんなに丁寧に説明して聞かせても、彼女は事情を理解したいと思いもしなかった。
だからといって彼女が薄情な訳じゃない、彼女は普通の幸せが欲しかっただけなんだ。
愛する彼の子供を産んで育てて、不自由のない生活をする。
それ以上に大切なことなんてありえなかったし、それ以外のことはどうでも良かった。
ただ彼に普通に振舞っていて欲しかったんだ。たったそれだけの話。
自分の身勝手さで婚約者を傷つけてしまった。
ホコロビは後悔と失意で猛省し、孤独な毎日に考えを改めるべきと、一度は彫刻から手を引こうともしていた。
けれど結局いてもたっても居られなくなって、すぐに彫刻を再開することになったんだ。
――そして、あの女と出会った。
「また、彫り始めたんですね。もう辞めてしまったのかと思ってました」
広場で作業をしているホコロビに、見知らぬ女が声をかけてきた。
いくつまでを若いと言っていいのかは疑問だけど、子供達から見てもお姉さんの域は出てないだろうね。
よく声の通る快活そうな姉ちゃんだ。
「申し訳ありません、すぐに作業を中断します」
ホコロビは苦情だと思い、慌てて作業の手を止めた。その様子を見て女が笑う。
「噂どおり、少し変わった方みたいですね」
「自分の行動が客観的に不可解だということは自覚しています。しかし、自分はいたって普通の人間だと思います」
いきなり変人扱いしてきた失礼な女に対しても、ホコロビは厭な顔一つせずに、相手の印象を頭から否定することを避けて 、「普通の人間です」と言い切ってしまわずに「思います」と答えた。
いや、単に凡庸だなんてしみったれた自負にすら、自信が持てなくなってしまっているだけなのかもしれない。
「そうかしら? もし私が苦情を言いに来たのだとしたら、そんな言葉で納得するはずがないのに、『中断します』だなんて言うのは、変わっている証拠じゃないかしら」
それはもう、変わった人というよりはただの迂闊者だ。
「なるほど、考えが到りませんでした、確かにおっしゃる通りです。しかし、中止する訳にもいかなければ、許可が下りるはずもないので、やむなく無断で作業をさせて頂いているしだいです」
目の前の女に対してホコロビがどう釈明したものか思案していると、彼女は糾弾してくるどころか、どうやら自分を観察している様子なのに気がついた。
彼を見つめる瞳は、まるで好奇心をくすぐられた子供みたいに爛々と輝いていて、その意図が掴めないホコロビは困惑するばかり。
「ええと……」「どうぞ」
「え?」
「続けてください」
「な、何をでしょうか?」
「彫刻を」
「……あ、ああ」「ヒビキです」
「は?」
「私の名前」
「名前……が?」「ヒビキです」
「……し、失礼しました。自分はホコロビと言います」
唐突だったのもあるけど、彼の反応が一々どん臭いのは、ヒビキと名乗った女が彫刻を続けろと言ったからだ。
この人は「ここで彫っても良い」と、そう言っているのか?
咎められることはあっても、まさか催促されることになるとは予想だにしていなかった。
ホコロビは促されるままに、ヒビキの前で作業を再開する。
「しばらく姿を見かけませんでしたけど、何か心境に変化があったんですか?」
ヒビキにその理由を問われ、ホコロビは正直に、しかし掻い摘んで答えた。
「昨日も、知り合いが亡くなったもので」
その返答を彼女はどのように捉えただろう。彼の行為を弔いの儀式か何かと認識しただろうか?
この町では謎の奇病により次々と人々が息絶えていく。
その事実を誰一人として認識することは叶わないはずだけど 、ホコロビだけは例外だ。
彼だけが消えていった人々のことを忘却することなく、死者たちを儚むことができる。
「素敵な像ですね」
女は唐突に褒めた。
「まさか、自分は職人ではないので技術は拙いものです。それにこの怪物の姿が人に好かれるとは、到底思えない」
「受けないと思っているのに、怪物をモチーフに選んだんですか?」
「はい、逃げられた女性にはゴミとまで言われてしまいました」
申し訳なさそうな表情、口元には自嘲を浮かべていた。
「よろしくないですね」
「はい、まったく」
「出会ったばかりの女性に向けて、前の恋人への未練を語るのは」
「は?」
「それはともかくとして」
何はともかくとして?
「……あの、話の要点が見えてこないのですが」
「ホコロビさんの彫っているこの石像、確かに技術的には未熟で完成度は低いのかもしれません。芸術的な価値は皆無でしょうし、見た目にも恐ろしく、通りかかった子供は泣き出し、大の大人でさえも夢にうなされてしまうほどに禍々しい姿は、いっそ嫌がらせとしか取れない代物で、皆が躍起になって破壊するのはもはや必然としか言いようがなく……」
「弁解の余地もありません」
「ちがっ!? ええと……その、何でもいいや! とにかく、とても素晴らしいです!!」
ヒビキは声高らかにホコロビの作品を罵ったかと思えば、身体全体で絶賛して見せた。
しかし途中の、何でもいいや! といった投げやりな一言はあまりにも印象的だ。
「何一つ褒められた気はしませんが、貴女の必死な姿には心が和みました」
それでもホコロビは嬉しかったに違いない。自分が彫り続けるこの採算の取れない像は、疎まれる一方で褒められたことなんて一度も無かったのだから。
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