プロローグ~その日、少女は運命に出会った

 ――読経の声が響く中、その少女は放心したように畳の一点をじっと見つめていた。


 質素な祭壇には、二つの遺影が置かれている。

 執り行われているのは少女の両親の葬儀であった。


 事故だった。

 仲良く道を歩いていた少女の両親に、居眠り運転のトラックが突っ込んできたのだ。即死だった。

 貧しいながらも幸せな家庭は、呆気なく壊れてしまった。


 少女には両親の他に身寄りはない。

 父親は天涯孤独の身であったし、母親の両親も既に他界している。

 少女は十一歳にして、文字通りのひとりぼっちになってしまったのだ。


「――っ」


 少女の口から声ならぬ声が漏れた。

 悲しみによって麻痺しかけた思考の中で、それでも「この先」の事に思いを馳せる。

 葬儀はアパートの他の住人達の助けもあって何とか執り行う事が出来た。

 だが、その先はどうだろう?

 僅かばかりの保険金や賠償金がおりたとしても、子供だけで生きていけるわけがない。

 施設に入れられるか、里親に預けられるか。役所だかどこだかから来た見知らぬ女性が、そんな事を言っていた。


 ――どちらにしろ、自分にはもう「家族」はいないのだ。

 そう実感すると、少女の目から自然と涙がこぼれ始めた。

 近所のおばさん達が何やら慰めの言葉をかけてくるが、少女の耳には届かない。


(もう……嫌だ! こんな現実……認めたくない!)


 声に出さず、少女が心の中で絶望の叫びを上げた――その時だった。


「――君が薫子かおるこかね?」


 不意に頭の上から声がした。聞き覚えのない男の人の声だった。

 その声に、少女――薫子が顔を上げる。


「……やはり、お母上の幼い頃によく似ている。薫子、私は七條しちじょう景虎かげとらと言う。君のお母上の古い友人だ」

「ゆう……じん?」

「ああ、正確には幼馴染というやつだが……君がほんの小さい頃に、一度だけ会った事もある」


 景虎と名乗ったその男は、薫子の母親より幾分か年上に見えた。恐らくは五十歳かその位だろう。

 口ひげを蓄え、高そうな和服に身を包んでいる。いかにも「どこぞの名士」といった風情である事が、子供の薫子にも感じられた。

 それに、薫子も景虎の名前には少しだけ覚えがあった。確か時折、母宛てに手紙を寄越していたはずだ。


「来るのが遅くなってしまいすまない。私も今朝、ようやく報せをもらったのだ……ご両親の事、真に残念に思う……」

「……いえ、両親も喜んでいると思います」


 景虎の言葉をどう捉えたのか、薫子は涙を拭うと覚え込んだ返礼の言葉を口にした。

 その光景のあまりの痛ましさに、景虎は思わず顔をしかめる。そして――。


「薫子、私の所に来ないか?」

「……はい?」


 突然の景虎の言葉に、薫子は一瞬だけ悲しみも何もかも忘れて、素っ頓狂な声を上げていた。

 彼の言葉は、そのくらい唐突に感じられたのだ。


「ああいや……言い方が悪かったな。私の養子にならんか? と聞いているのだ。身よりも他にないと聞く。ご両親を亡くしたばかりで考えもまとまらぬところだろうが……考えておいてくれないか?」


 景虎の表情は真剣だった。伊達や酔狂にも、自分を貶めようとしているようにも見えない。

 本気で自分を「養子」に迎えようとしてくれているらしい。

 だが、ただの幼馴染の娘に、そこまでする人間が本当にいるのだろうか?

 景虎を疑うわけではないが、にわかには信じられない事だ。


「あの……いくら母のご友人とは言え、さすがにご迷惑では……?」

「妻も承知済みだ。ここで君に手を差し伸べなかったら、逆に叱責されかねん勢いだよ。……それにも賛成してくれている」

「息子達……?」

「ああ、正確には息子とその婚約者なのだが――」


 景虎がそこまで言った所で、開け放たれていた玄関の方から何やらドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 「まだ来てくれていないご近所さんがいたかしら?」と薫子がそちらを見やると、そこには見知らぬ男女の姿があった。


 共に二十歳かそこらの若者だ。

 男の方はすらっと背が高く、端正な顔立ちをしている。

 女性の方は背がやけに低いが、神秘的な雰囲気をまとう美人であった。

 二人揃っていると、モデルか芸能人かといった風情だ。


 二人は薫子の姿を見付けると、何やら嬉しそうな表情を浮かべてずんずんと室内に入ってきた。


「やあ! 君が薫子だね! いやいや、予想していたよりも可愛い子じゃないか! 瑠璃子るりこもそう思うだろう?」

「ええ、ええ! まるでお人形さんみたい! 京介さん、こんな可愛い子が……嬉しくて舞い上がってしまうわ!」


 薫子に詰め寄ると、何やらきゃあきゃあと騒ぎ出した二人組――京介と瑠璃子に、薫子は思わず圧倒されてしまった。

 「なんだこのキラキラした人達は?」「なんで私の名前を知っているんだろう?」等と、混乱のあまりグルグルと思考が回りだしてしまう。


「ええい、止めんか! この痴れ者共!! 葬儀の場で騒ぐでないわ!」

『ひっ!? ご、ごめんさ~いお父様~!』


 二人の騒がしさに景虎の雷が落ちる。

 たまらず京介と瑠璃子は平身低頭して許しを乞うたが、息がぴったりすぎて声がハモっている様子がどこかユーモラスだ。

 「お父様」という事は、この二人は先程話のあった景虎の息子とその婚約者という事だろうか。

 落ち着きのある景虎とは正反対のキャラクターに見えるが。


「すまんな、薫子。こやつらが先程言った私の息子とその婚約者、京介と瑠璃子だ。二十歳にもなって落ち着きのない奴らだが……」

「――いえ、愉快なご家族なんですね」


 頭を下げる景虎に、しかし薫子は極めて穏やかな声で応じていた。

 不思議に思った景虎が顔をあげると、そこには薫子のほころぶような笑顔があった。


 ――両親が死んで以来、薫子が笑ったのはこの時が初めてであった。


 まだ悲しみは癒えない。それには短すぎる。

 すべてを失ってしまった。それらはもう戻っては来ない。


 だがそれでも、「捨てる神あれば拾う神あり」とでも言うように、自分のもとにこんな騒がしい人達が来てくれた。

 まだ彼らの事を信じていいのかよく分からないが……薫子は彼らの来訪にある種の「運命」を感じていた。

 両親を奪ったのも「運命」なら、彼らの存在もまた――。


 薫子が正式に景虎の家に引き取られる事になるのは、これより少し先の話だ。

 「運命」に弄ばれる薫子の数奇な人生は、まだまだ始まったばかりだった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そらにみつ 澤田慎梧 @sumigoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説