#5 観衆Aは観てしまった
彼が童話の世界の王子様としたら、彼のいる世界の外側から彼の高貴な姿を見つめる私は、きっと観衆の一人に過ぎない。
群がる群衆に混じって、眩しい王子様がたくさんの侍従を従えて街の大通りを跨ぐ姿を遠い景色のように思い眺める。所詮、野次馬だと、自分でも評価している。
身分の違いすぎる彼のことなんてきっと生涯関わることがなくて、わかるはずのないことだと思っていた。
あの憧れと注目を集める彼の姿こそが、彼の全てだと思っていた。
「てめぇ、調子乗ってんじゃねーぞっ」
校内清掃を告げる本鈴が鳴って、私の担当場所である校舎裏の裏庭まで来た時にたまたま見てしまった一部始終。
秋が少しずつ深まる頃になり、地上の緑も茶色に覆われて日の短さも微かに感じる頃、長袖のカーディガンもしっかり着込んで竹箒を手に裏庭に向かったところ、そこには数人の男子生徒たちがすでにそこを占領していたようで、私が裏庭に出る校舎の影から出ようとしたところ、先程の怒鳴り声が響き渡った。
明らかな不機嫌を含んだその声に驚いて、咄嗟に身体を校舎の影に潜ませ、何事だろうかと慎重に向こう側の様子を窺ってみる。
「大体なぁ、気に入らねーんだよ。先輩に向かってそういう目つき。何様だよ」
心臓が恐縮しながらも、目の前の人に対する怒りに彼らは気を取られていてこちらには全く見向きもしていないようで、安堵した。でも、そうしている場合じゃなくて、3人の上級生の相手に睨まれている彼に気づいて思わず声が漏れそうになる。
どうやら上級生に絡まれてしまったらしく、経緯まではわからないけれど、相手も心底鬱憤が溜まっているようで、今にも拳があがりそうな緊迫感が立ち込めていた。
「王子だかなんだか知らねえけどよ、うざいんだよ。女子にキャーキャー言われて王子様気取りか? 随分いい身分だなっ」
彼の胸倉を相手が掴みかかり、唾を投げつける至近処理から文句を告げる。嫌気が差しそうになるこの状況の中でも、しかし彼は微かにも表情を変えず無反応を突き返す。まるで表情筋が死んだように彼は動じない。
彼らもそれは面白くないのか、何かの拍子に理性が飛んでしまい、同時に彼を校舎の壁に叩きつける。
身体を白い校舎の壁に打ちつける彼の隙を見て、一斉に彼らが掴みかかろうとする。
あまりにも卑怯だ。
彼らの間にあった事情を知るわけではないけれど、大勢に掴まれて逃げ場のない彼のその後を想像すると――、止められずにはいられなかった。秋の暦の風が、この背中を押すように撫でて、また背筋の冷んやりとした感覚を与える。
「だッ――……」
そこまで足を踏み出そうとして、反射的に止まる。鉛のように重い足がその場に固まって動かなくなる。
驚きと困惑の隙間から聞こえる、男子生徒の呻き、生身の何かに打ちつける衝撃、地面に倒れ伏せる身体……。
打ちつけられ下を向く彼の顔に拳を構え殴りかかろうとした上級生たちに、彼はその拳たちに殴られる一歩手前、自身の掌を顔の前にまで持ち上げその拳を受け止める。顔の左端で受け止められたそれに相手が反応している間に彼がすかさず懐に蹴りを入れ、腹部に染み渡る痛みに堪える身体が隙を見せたのを逃さず、
へと鋭い手刀を加える。低い呻き声を残し、一気に身体の力が抜けた身体が地面に伏せる。
仲間の一人がやられたのを視認したところに、先程の手刀を拳に変えてもう一人の腹に打ち込む。彼のもとへ迫っていた勢いが腹部のダメージを相乗して、その場に崩れ落ちる。しかし、相手の胸倉を掴んでそれを赦さない彼は、それらの光景を目の当たりにした最後の一人にそれを投げつけ、呆気なく共に地面に倒れ込んだ年上の上級生へとこんな言葉を告げたのだった。
「ああ、先輩。すみませんが、このゴミどこかに捨てといてください」
大根役者よりも聞くに堪えない白々しい声で、彼が先輩にそんな風に頼み込んだ。
この一連の流れで腰が抜けたのか、辺りに枯れ落ちた木の葉の絨毯の上でにわかに身体を震わせるスキンヘッドの頭の彼は、少しして産まれたての子鹿のように4脚の支えで身体を起こし、気絶する仲間をそそくさと引き摺って反対方向へとこの場を去って行った。
その一連の出来事が終わりの静けさを纏うまで、私はそこからしばらく動けずにいた。さっきの上級生たちと一緒に、彼の一皮剥いた本性にこの心臓を素手で掴まれたかのように、ピクリともこの場から動くことができなかった。嵐のように一瞬のようで、終わった後は手のつけられない感情を残していく。
激しく打つ鼓動の中で、先程の光景がぐるぐると駆け巡って、全体を圧迫した。夏の日差しは日に日に和らいでいるはずなのに、カーディガンの下あるシャツがじめっとした感触を伴う。
…………私は、どこかで理想を描いていたんだ。
王子様は、どんなことがあってもみんなの憧れる王子様なんだって。幼い記憶の絵本の世界で、キラキラと優しい世界を見せてくれる王子様はちゃんといるんだって、あの窓際の片隅の空間で。
誰がどんなことを言ったって、信じてみたい。幼い頃に抱いた憧れ、裏切りたくはなくて、あの眼差しにどこか期待を寄せていた。きっとどこかにいるお姫様を想って、寂しさに思いを馳せているんだと――。
だけど、現実とあの世界は、やっぱり違う。
絵本に描かれるような王子様なんて、ここにはいない。ここにはあんなキラキラに溢れた世界なんてないから、所詮は幼心が描いた作り物で、王子様は夢と消える。
「……まだ、いたんだ」
彼の声に、どきりとした。
まさか、ここから見ていたことがバレてしまったのか、私の存在に感づいていたのか、様々な勘繰りが瞬時に過る。
今ここから出ていったら、どうなるだろう。彼らと、同じ目に遭うのかもしれない。
底知れないものが背筋を這う。
冷酷な血に
ただ、貴方の姿を眺めてこの胸にどこか憧れはあった。
2年生を迎えた春、教室に貴方の姿を見つけて、初めてこの世界がキラキラしたように見えたの。
けれど王子様は、私の中にいる王子様とは違うかもしれない。
あの日の桜は散ってしまったけれど、教室の窓際から迎えに行くお姫様の姿はまだ見つからないけれど――……。
本当に王子様はどこにもいない?
彼が、そう声をかけた先――その眼差しが茂みの奥を見ると、カサカサと気配がした。
「……おいで」
そう言って、彼は一点を見つめるまましゃがんだ。そう呼びかける声は安心感に包まれていて、私ではなく茂みの奥にいる何かへ言っているのだとようやく理解した。
隠れていたそのこも茂みから出てくると、彼のもとへ一直線に駆け寄って、気持ちよさそうに頭を撫でられている。
「平気? さっきの奴らに遊ばれてたけど、乱暴されてない?」
そのこの身体に触れながら、怪我がないことを確認して、彼は微笑みかけた。安堵を滲ませた表情に、彼の優しさがちらっと覗く。
「……そっか。怪我がないなら、いいんだけど。君もこんなところに迷い込んじゃダメだよ。ちゃんと外に出してやるから、飼い主のところに戻りな」
ちりんと鈴の首輪を鳴らして、仔猫を抱き上げる。
彼の腕の中でそのこが嬉しそうに鳴くけれど、彼から離れたくないようにその胸に顔をうずめる。
「ごめんな、先客がいるんだ。可愛い新入りを見たらいじめたくなる太った猫なんだ。怪我してほしくないから、帰るところがあるならそうしな」
いた――――……。
窓際の王子様――……。
桜を見下ろしていたあの瞳と、慈愛に満ちたあの日の姿がまだそこにはあった。
彼らがいなくなった裏庭の片隅で、清掃終了のチャイムが鳴った後もその場に膝から崩れたまま私は動かなかった。
青春と灰色のアリス わらびもち @pochi88
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