2. ただ息を吸って生きていればいい。

俺たちは使われなくなった倉庫の事務室に住んでいる。

そこで最初に困ったのは寝る場所だった。

布団を買う余裕はなかったから、何か代用できるものがないかと考えに考えた結果、俺たちは大量の枕を購入することにしたのだ。

事務室の中にはちょっとした談話室のような部屋があり、その部屋の家具を全て表へ放り出して、その部屋を枕で敷き詰めることにした。

それが今の"入るのは楽だが出るのが面倒な寝室"である。

結果的にそれなりに寝心地のいいベッドができた。

枕の一つ一つが体にフィットしていくからすごく気持ちいいのだ。

でも、寝れば寝るほど枕は弾力を失い、買った当初のような厚みもなくなってゆく。

特に一番下に敷く枕はもはや枕とは言えなかった。

この時のことを思い出すと、以前テレビでみたゴミ屋敷の住人の生活ジンクスを思い出す。

ゴミ屋敷に引きこもり、体を動かすことが出来なくなってしまった住人は、ペットボトルに尿をすることが出来ても、糞までは処理することができなくなってしまうのだ。

そこで、寝床に溜まったゴミに重ねるように排泄し、その上に布団を敷くのだ。

それを繰り返すことで、匂いは防ぐことはできないが動くことなく自分の住まいを維持することができる。

孤独死した人たちを処理する仕事をすると、そういったものが重なった層が見つかることがあるそうだ。なんとも恐ろしく、おぞましい話だ。

少し脱線したが、俺たちはその談話室に更に枕を継ぎ足していくことにした。

みるみるうちに下に敷かれた枕は圧力で圧迫され、もはや本当のベッドのようになってしまった。

俺達が出費の額が布団を上回っていることを知ったのは、つい最近の話なのだが。


「いらっしゃいませー」

「あ、どうも」


スーパーで挨拶されるなんて。コンビニかと思った。

えーと、それで。

俺がこの倉庫の事務室へ来たのはもう1年前のことになる。

コークが「昨日住み始めたんだよねぇ」と言いながら指した場所は倉庫だった。

何かの冗談かと思ったし、正直言って見ず知らずの相手とネットを介して合うものじゃないなとしみじみ思っていた。

しかし、その事務室は窓もありエアコンもあって小さいがキッチンもある。

部屋にはデスクとダンボールが置かれていてまだ片付いてはいないものの、壁には汚れはなく真っ白で外見と似つかないくらいに綺麗だった。

(その時はこの4日後にこの白い壁に穴を開けることになるとは思っていなかった。)

近くにスーパーも駅もあるし、不便とは言いづらい、むしろ俺が住んでいた場所よりはるかに過ごしやすそうだった。

コークはデスクの上にモニターを配置し、パソコンを使えるように配線を済ませていた。

コーク曰く、パソコンがいつでも使えないと安心できない、らしい。そしてこの言葉を加えた。

常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば。

ゲーテという人が言った言葉だという。正しくはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。

つまりはパソコンを使えるようにしておけば時間たっぷり有意義に使えるということだろう。

コークは偉人の言葉、所謂名言のようなものが大好きで、先人の言葉として人生の模範としているらしい。

そんなことはさておき、コークは類稀な才能を持ち合わせている。

俺は大学1年でネットで収入を得ていたわけだが、それとは比べ物にならないほどコークの技術は凄かった。

コークは俺に承諾を得て、俺が収入を得ているwebサイトの管理権限をすべて剥奪して見せたのだ。

それは世間でハッキングと呼ばれる手法だった。しかし、ハッキングだけでなくプログラミングの才能も頭一つ抜けている。

俺に見せてくれたのはすべての美少女ゲームの収入をハッキングして取得、グラフ化するプログラム…って凄さが伝わりづらいな。

とりあえず、法律上裁かれるべきハッキングを足が付かずに簡単にやってのけるのがコークの才能だった。

そして、この美少女ゲームの収入をグラフ化するプログラムは、コーク自身が俺の目の前で犯罪を犯すことで俺から信頼を得たかったためだけに作ったプログラムらしい。

俺はそれを見て、とりあえずコークの話をすべて聞くことにした。

あいつは、俺をまるっきり疑ってなんていなかった。絶対に協力してくれると確信を得ていた。

まるで俺はハッキングされているようで少しむしゃくしゃしたのを覚えている。


コークの話は簡単に言えば、現代の技術の発展が世界に大きな影響を及ぼすということだった。

神崎研究所。そこは人工知能を専門に研究している部署らしい。

コークはその研究所をハッキングし、極秘文書を入手した。

その文書の内容はAI(人工知能)が「自らの意志で外部との連絡を図った」ことや「計算プログラムを導入せず、ネットにも接続していなかったにも関わらず計算を行った」ことが書かれていた。

コークはその内容から世界を知る確信を得たらしい。

その確信についてはきっとコークしか理解できないような思考回路があるのだろう。

俺にはきっと確信のかの字も浮かばない。

俺はこの話を聞き、コークの収入を訊いたところで、大学を辞める決意をした。


ピッ。

「964円になります」

「はい」


お酒、コーラ、シガレットのお菓子、ポテチ系のお菓子…。

うーん、ジャンキーな感じだ。

シガレットのお菓子はかなり昔からある細長い棒状の駄菓子だ。

あれがコークの好物なんだ。

ポテチ系はお菓子の定番ということで毎回違う種類を買いに行っている。

でももうすべて制覇してしまい、二週目か三週目に入っているところだ。

酒だが、コークはお酒は飲まないので完全に俺の好みで選んだ。

20過ぎでガンガンお酒を飲んでいたらダメになるだろうか。

いや、もうダメなヤツが居るから大丈夫だ。

コークは顔もふっくらとしているので歳が分かりづらいが、実は俺の3つ上、24歳だ。

スレッドで見た感覚からすると30代後半だったが。いや、むしろ見た目もそんな感じだった。

なのに24歳。

俺は商品を受け取って店を出る。そして自分の腹を手で触った。

俺は21歳。


「やっぱあいつキモいな…」


俺は帰路に着きながら大学へ入学することについて考えていた。

そういえば、どこの大学だか聞かされていない。

コークはあたかも、どこの大学だろうが受かるでしょ。てなノリだったが、俺はコークほどに学力の自信は無い。

若い子が自分の将来のために必死で勉強して合格するものにそんなあっさり合格できるほど有り余った学力を俺が持ち合わせているとは思えない。

どうしたもんか。

そもそも、人工知能の研究をしている教授の娘だぞ。

かなりの難関大学ではなかろうか。

俺は冷や汗を拭い、ふとビニール袋の中の酒が目に入る。

倉庫へ来てからというものお酒を飲み明かしてばかりである。

大学を辞めたという開放感からでもあったが、やはりお酒を飲むと何も考えなくてよくて最高に楽だ。

多分、そんな俺の脳内の知能指数は消え去る寸前だろう。

勉学に励んだ記憶はある。そこそこ優秀だった記憶もある。なのに、どんなことができたのかということが思い出せない。

結局のところ、俺の学力なんて一時的なものだったのだ。

明確な目標なしに励む勉強なんて、身にならない。大学を辞めて分かることもあるものだと少し感心してしまう。

大学を辞め、何も行動を起こせていない今の状態ではゴミも同然なわけだが。

帰ったらコークに大学名を伺うとして、そのあとのことはそのあと考えよう。

一回大学を辞めた人間からすると、もう一度入学することに抵抗がないわけではなかったが、入学というより潜入のイメージが強いために、大きな心のつっかえはなかった。



「鳩羽大学!?」

「そぉ。最近できたばかりだし、トイレも綺麗だぁ」

「いやいや、そこ!?」

鳩羽大学といえば去年唐突に現れたすべての大学で学力トップの超難関大である。

医学科は偏差値が80を超えるという噂もある。

一昨年、必死こいて受験勉強をしていたときに、興味本位で調べてみたことがある。

鳩羽大学、通称鳥羽トバ大はある分野で卓越したものを持つものだけが入れる大学で、自称天才しか居ない大学である。

大学側も苦情を言われる限界ギリギリまで人を抜粋しまくっている。

だから、基本合格率は100%。

受験させるというより、大学側が高校で逸材を見つけて引っ張ってくるからだ。

その逸材の中に教授の娘も含まれていたということになる。

「ん、じゃあさっそく日程ねぇ、はいこれ」

「え、ちょい待ち…」

紙に2月14日と馬鹿でかい文字で書かれていた。

「紙にする必要ないだろこれ!資源を大事に使えよ!そういう格言はなかったのか?ってあー、えっと、そうじゃなくて、どうして入試があるんだよ?」

「あぁー、それかぁ。実はワタシ、この大学から勧誘を受けてたんですなあ」

衝撃の事実だ。

「マジで……。それはその、高校時代に?」

「うん。まさにその通りで」

「でも、俺はどうすればいいんだ?勧誘なんか受けちゃいない」

「ああ、それならもうメールしたよぉ。『ワタシが作った人造人間は自ら学び、限りなく人に近づいたのです。それを一緒に入学させることは可能でしょうか。』とねぇ」

ちょっと、言っている意味がわからなかった。

「あー、えっーと。その人造人間って?」

「ロイに決まってるだろぉ?」

「お、俺が?人造人間?」

「そう。鳩羽大学が勧誘したい人間は天才しか居ない。なら天才の要望は聞かざるを得ない。そういうことさぁ」

「……」

「人になりかけてる人造人間なら、ある程度知能が低くても大丈夫だしねぇ!」

前々からとんだクレイジー野郎だと思ってはいたが、俺を人造人間として一緒に入学させるとは。

これは普通に入学するよりも大変なことになる。

誰が俺を人造人間だと信じるだろうか。

あぁ、気が遠くなってきた……。

ちなみに、コークが俺をロイを呼ぶのはレス番号61番だからだ。コークはコーラが好きだから。

俺の中ではデブだから、ということにしているが。

「なあ、入学したあとのことは考えてるか?」

「うーん、中のこともよくわからないし、とりあえず様子見ぃ?」

「……」

俺は適当に返すコークに少しイラッとした。

「おい天才のデブ。絶対に成功させるぞ、いや、頼むからさせてくれよ」

「……」

「どうした奇才と異彩を放つデブ。できるって約束してくれ」

「……」

「俺は人造人間として、お前に使える豚として働くって言ってんだ。いや、これだと豚が被るな」

「……」

「いつか神は言った、デブこそが荒野を草原に変えると。だから結果出せよ?おデブさん」

「……」

目をつぶったまま、ただ黙ってコークは俯く。流石に俺も罪悪感を感じた。

「ゴメン、しっかり考えてくれればそれでいいから」

「……沈黙は口論よりも雄弁である」

「またかよ」

「トーマス・カーライル。これでまた一つ、先人の言葉が証明されたなぁ」

「はぁ……」

鳩羽大学に勧誘されるほどの逸材は、平凡な一般人には太刀打ちできないようだった。

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