第14話
ズズッと少し音を立て、熱い液体を口に含んだ。濃い苦みと強めの酸味が口内に広がり、一気に眠気を吹き飛ばしてくれる。仕事中にしか飲まない、いつもの不味い珈琲だった。
まぁ、今が仕事中なのかどうか、それすらよくわからない状況ではあったが。
いずれにしろ、ここ数日はこの珈琲にすらありつけず働きづめだったし、一息つくには丁度良い嗜好品だろう。
あそこでしんどい一日に幕が下りた、と思ったのが間違いだった。
結果的には、タウン側の軍は議員の働きかけによって止める事に成功し、エルフラン側も、ソルの一声で停止。とりあえずの軍事衝突は避けられた。
だがそれで終わりではなかった。
あの日から、何でも屋なんて気楽にやっていた俺の日々は、終わりを告げたのだ。
まずタウンからの連絡が来て、医療ボットの受け渡しやら何やら。ルー一人では運べないうえに、持ち出すIDとしてガイルのものを使ったので、あいつまで戻って来た。
レートルによると、ガイルの起こした問題はただのボヤ騒ぎで、タウンに戻る事自体は難しくないという事だ。
だが、何故か本人たっての希望でこっちに残っている。あそこまで震えていたくせに、今更何を言っているんだとも思うが、何度追い払っても無駄だった。仕方がないので買いだしや洗濯などの雑務をやらせている。
タウン出のくせに根性だけはルーに通じるものがあった。
ルーはルーで、はじめは苦戦していた脚装備にも慣れ、今では通信、隠密、機動の全てを駆使して、俺の手足となり素晴らしい働きを見せていた。
本人は顔を合わせるたびに不平不満を言ってはいたが、なんだかんだと必要な部分を押さえて仕事をこなすあたり、師匠としては感慨深いものがあった。まぁ目の下にクマが出来ていたが、それはお互い様だろう。
それもこれもソルのせいだ。文句があるなら勝負しろというのだから性質が悪い。
交渉の結果、タウンからの装備の引き出しやら何やらはうまくいったが、条件の一つとして誘拐していたヒーフ君を引き渡す事となった。そこまでは良い。
問題は、その代わりとしてエルフランに言われた内容だ。
名目としては、今後の協力関係のためにも内部に根を張った人身売買の仕組みを解体し、武器やら何やらの配置と、戦争に備えての戦闘教義の開発その他を、タウン側の知識を持った彼女に見て欲しいというものだった。
内部に巣くう人身売買組織の解体は俺の役目。そして後者はシェリーの役目、だったが。
彼女はまだ目覚めていない。
当然、そうなると後者も俺が見ることとなった。
ソルにしてやられたというべきか。ほとんど、抜けたルイスの代わりをやらされているのと状況は変わらない。
解体ひとつにしたって、誰がどう繋がっているのか。休みなくあちこちに働きかけ、時には現地に行って脅し、交渉し、武力行使し、成果を上げて次へと移る。しかも相手が複数のグループなので、エルフランに参入予定だったミゼットたちすら動員してフル稼働していた。
そして後者の役割も骨だった。
俺は戦争をした事がない。習ってもいないし、見たこともない。となると当然、必要な知識も一から習得しなければならず、レートルと交渉してようやく手に入れた初歩的な教本を習得し、タウン側からの装備リストとにらめっこしつつ、案を出してはソルに却下されるという不毛な日々が続いている。
今は前者の役割のうち今日中をあてる予定だった案件が簡単に片付いたため、束の間の休息を得てはいる。
だがここで時間を浪費すれば、今度は逆に、予定より案件が長引いた場合にしわ寄せがくる。なるべく、明日の事やら、溜まっている後者の作業を進めておきたいところだ。
俺はカップを傾け、焦げたような苦みを味わう。
視線の先には、シェリーがいた。
横たわり、人形のように動かないのは、あの時と同じだった。
違うのは、飛び散っていた赤い要素がなくなり、真っ白で光に透けるような、そんな印象に戻った事。それと、軽い吐息をたてながら、胸が上下している事。
場所はエルフランの庇護下、本部の脇にある小部屋だ。命が狙われている以上、警備なしのところに置くわけにもいかず、動き回らなければならない仕事を振って来たソルに、その責任をとってもらったというわけだ。彼からしても、シェリーに死なれては困るのだろう。
コップを脇の机へと置き、俺は静かに目を閉じる。
時刻は昼前。
北部の山が近いせいか、原生の鳥の囀りが聞こえる。
目の前の規則正しい吐息と相まって、心地よい音色だ。
椅子に座っているはずの身体が、まるで揺れながら落ちていく、木の葉のような。
「……オン君?」
声が聞こえた気がした。
「シオン君? おーい」
いや、聞き覚えがある。この声は。
意識が浮かび上がる。
目をあけると、シェリーが横たわったまま、こちらを見ていた。
一瞬、まだ夢の中なのかと何度か目を瞬かせる。
シェリーはそれを見て、枕に置かれた頭を、不思議そうに少しだけ傾けた。
「寝ぼけているの?」
「……いや。ああ、なんだ。とんだ、寝坊助がいたからな」
「ひどい。君は、随分寝ていないみたいだけど、大丈夫?」
「あーまぁ、お前ほどは無理だが。それでも、多少は不眠不休でも動ける」
「あんまり無理しちゃダメだよ。君は人間なんだから」
「ならさっさと回復してくれ。こっちはお前の仕事もふられて大変なんだ」
「そうなの? ええっと、状況が全然わからないんだけど」
シェリーが身体を起こそうとし、その上半身が大きく揺れた。バランスを崩し、ベッドから落ちそうになる。俺は咄嗟に手を伸ばして身体を支えてやった。
「冗談だ。まだ寝てろ」
「いや、ごめん。おかしいな。すぐ動けると思ったのに」
「人間に毛が生えた程度なんだろ? 大人しくしてろ」
「あー、うん。ありがとう。ついでに、ベッドまで戻してくれると、その、助かる」
「無理するからだ。お前死ぬところだったんだぞ?」
と、急にシェリーは静かになった。
俺は手早く枕で背もたれを作り、そこへ彼女の身体を落ち着ける。流石に起きてすぐ動こうとしたのがまずかったか。俺はそう思い、シェリーの顔色をうかがった。
しかし、シェリーは予想外の事でも言われたかのように目をぱちくりさせているだけで、特に苦しそうといった様子はなかった。
「……そもそも、生きているのかな、私は」
シェリーがぽつりと呟く。俺は即座に答えていた。
「次言ったら殴る」
「えぇー。なんか、シオン君って。慣れてくると結構理不尽な事言うよね」
「お前が馬鹿な事を言うからだろ」
「うーん。でもなぁ……っていたひ!」
シェリーが眉根を寄せ、くだらない事を考えはじめたようなので。
頬を挟んでぐりぐりしてやった。流石に死にかけた奴を殴るわけにもいかない。
「何を悩んでやがる。お前が生きてないなら、何のためにあんな苦労して治療したんだ俺は。何を言われて育ってきたか知らねぇが、お前は貧困街のガキ以下か? くだらないことばかり気にしてんじゃねぇ。自分ってものはねぇのか」
ぐりぐりぐりぐり。
「ひたいひたい。じ、じぶんくらひありまふよ(訳:痛い痛い。じ、自分くらいありますよ)」
「それはおじい様とやらの遺志を継ぐことか? それのどこが自分なんだよ。だいたい、そのおじい様に言われたんだろ? そのお前が、自分で自分を機械だと思ってどうする。そんなんじゃ、おじい様の気持ちを踏みにじってるのは他でもないお前だろうが。まずはそこを改めてから物を言え」
俺はぐりぐりしながら、真正面からシェリーの目を見据える。
その瞳は、揺れ、泳いではいたが。
次第に澄んだ色でこちらを見返すようになっていった。
「良し。幸い、まだ数日はベッドの上だろう。その間にしっかり考えるんだな」
と言って、手を放したタイミングだった。
部屋のドアが開け放たれ、一人の少女が乱入してきた。赤い髪を後ろで結び、その結び目を動きに合わせて上下に揺らす、十四歳程度の小柄な少女だ。
少女は外套をたなびかせ、変わった脚装備で仁王立ちになって、こちらを指さしたまま、わなわなと震えていた。
「し、し、師匠が夜這いしてます!」
「は?」
いや確かに、俺の方から身を乗り出して、シェリーの顔を覗き込んではいる。
それも至近距離で目の揺らぎを見ていたので、はたから見たら、俺が何かしようとしているように見えたかもしれない。だが、いくらなんでもそれは飛躍しすぎだ。
「わ、私知ってるんですよ! レートルさんの資料で。シェリーさんも子供が作れるってことくらい! でもだからって意識が戻る前に無理矢理だなんて、師匠鬼畜過ぎます!」
俺はあいた口が塞がらない。
レートルの資料とは、シェリーの自室に隠されていた、彼女に関する情報資料である。それを元に治療方法を割り出していたので、一応俺も目は通していた。
アンデッカーは、簡単にいえば戦争時に量産したクローンというものらしい。そこにあれこれ、起動と同時に任務につけるよう、追加していったもの。よって基本的な部分は人と変わらない。資料によると、戦後民間に溶け込むことまで考えて設計されているんだとか何とか。
つまり、ルーが言っている事も可能だ。
「……ああ、そう言う事だったのですね。私が起き上がろうとしたら、まだ寝てろと、強引にベッドに押し倒して来て」
「や、やっぱりそうだったんですか!」
「いや、お前も何悪ノリしてるんだよ」
「抵抗しようとしたら、次言ったら殴るとまで」
「し、師匠!? 見損ないました!」
「お前ももう良いから、報告しろ」
「あ、はい。とりあえず屋敷との話はつけてきました。これであいつらは後ろ盾なしです」
「わかった。午後には踏み込むから準備しておけ」
「わかりました」
エルフランに根付いていた人身売買関係、要は関係を切るリストのうちの一組。面倒な事に屋敷側との繋がりもあったらしく、そちらの庇護下に逃げていた奴らだ。話をつけずに踏み込めば、屋敷との関係が悪化する。なので、下準備を俺がしたあと、ルーに直接交渉を任せていたのだ。
「ええっと。それで、何がどうなっているの?」
「あー、まぁとりあえず飯でも食いながら説明するよ。ルー行ってこい」
「えー、またですか」
「この間みたいに待てとか言うなよ?」
「やだな師匠、言いませんよ。盗聴しますから」
「するなよ。バッテリーの無駄だ」
「だって師匠、放っておいたらまたシェリーさんに襲いかかるかもしれないじゃないですか」
「ないな」
「本当ですか?」
「……当たり前だろ」
「なんですか、その間は」
「いいから行け。時間を無駄にするんじゃない」
「うぅ、わかりましたよ」
ルーは渋々と言った感じで出て行った。
「それで、どうなったの?」
「それよりまず、指を出せ。まったく、盛大なヘマをやらかしてくれたな」
「あー、そっか。約束だったものね。まさか果たせるとは、思っていなかったけれど。うん、はい。どうぞ」
シェリーは弱々しい動作で、手を上げる。
その手は少し震えていた。
恐怖、ではない。上げるのすらやっとなのだろう。
俺はレートルの時と同様、小指を選んだ。その指は細く、ちょっと力を入れたら折れそうなくらい、華奢で繊細に見える。だが、俺が力の限り握ったところで、決定的な破壊は出来ないのだろう。
俺はその指を、自分の小指で折った。
「……ええっと。シオン君、なにかなこれ」
「折ったぞ。折って絡めた」
「に、似合わない。凄く、似合わない」
「うるさいな。あー、いいか? 約束しろ。街に拘り、過去に縛られ、自分を機械だと言い張るシェリー・ワッソンは、瓦礫に埋もれて死んだ。あの時に、死んだ。今ここに居るのは新しいシェリーだ。昔に囚われず、かつての恩人が望んだように、自分を機械とは思わず、そういう扱いもしない。ここに居るのは人間として生きる、シェリーという一人の女だ。いいな?」
「随分、いきなりですね」
「あの時、シェリー・ワッソンは自分の命を選ばなかった」
俺はそこで口を閉じた。
静かに、シェリーの言葉を待つ。
シェリーは寂しそうな、困ったかのような顔をしていたが。
やがて観念したのか、目を閉じて一唸りしたあと、大きくため息をついた。
「……はぁ。もう、あなたも無茶を言いますねシオン」
「お互い様、だろ」
「ええ、本当に。本当、ありがとう」
「いいさ。約束してくれれば」
「せっかち」
半目で軽く睨まれた。
シェリーはすぐに表情を和らげ、呟くように、微笑みながら言葉を繋ぐ。
「うん、はい。約束します。……約束、する」
「ああ。違えたら、今度こそ本当に指を折るからな」
折った小指同士を絡め、俺とシェリーは、いつかの管理局でしたように、笑いあっていた。
あの時と違ったのは、彼女の目にうっすらと光る雫があったこと。
それと。
俺自身、
この女の笑顔が、割と好きになっているということだった。
ロスト 草詩 @sousinagi
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