第44話 ようこそ。探偵事務所へ。

 階段を上る足音を聞き、我は椅子に座りなおした。

 曇りガラスに影が映り、扉がゆっくりと開く。


「よく来たな。ヒカル。歓迎するぞ」

「う、うん」


 ヒカルは顔を伏せて答えた。ヒカルが泣いた日以来、ヒカルは我と目を合わせようとしない。引きこもり生活を止めて今は普通に大学に通っているようだが、どうやら我を避けている節があり、距離感を感じる。

 気が強いヒカルとしても人に弱いところを見せるのは恥ずかしかったようだ。だが、時間が解決してくれるだろうと、我は楽観視している。


「かりの探偵事務所に来るのも久しぶりな気がするわ」

 

 ヒカルは周囲を見渡した。

 ここは、かりの探偵事務所。そして、我が座っているのは一番奥にある所長の椅子である。本来の主である野間洋平は死に、この事務所の所有者は空白になっている。


「ところでこのおばあちゃんは?」


 かりの探偵事務所には我の他にも先客がいた。七十~八十代のおばあちゃんがソファに座ってお茶をすすっている。ぺこりとヒカルは頭を下げる。


「ヒカルも前に会ったことがある。これで三度目になるな」


 と、説明するがヒカルは首を傾げる。それもそうだろう。前に会った時は容姿が大きく異なっている。


「失礼ですが、お名前を聞かせていただいてもよろしいですか?」


 すると老婆はその容姿には似合わない甲高い若々しい声で自己紹介を始める。


「大野浦羽鳥です。覚えてないかな?」

「ん? ええ?」


 羽鳥の名前は聞いたことがあるが、ヒカルの頭の中の人物像と一致しなかったようだ。

 ヒカルの中で羽鳥、とは洋平と親し気に会話していた金髪のド派手な服装をした女性のことだ。しかし、今目の前にいるのは質素な服装のどこにでもいそうな老婆。

 我も聞いたときは驚いた。羽鳥が洋平の情報屋として仕事をしていることを知っていたが、まさか、変装の名人でこのビルのオーナーだったとは。


「ちなみに最初に会ったのは我とヒカルが洋平を尾行した時、公園で洋平が会話していたおばあちゃんだ。あれも羽鳥が変装した人らしい」

「ええええええええ」


 ヒカルの混乱が落ち着くまでしばらく時間がかかった。

 落ち着いたヒカルもソファに座り、会話に参加する。


「洋平君が死んだことも知ってるわ。彼は死ぬ前に手紙を残していたのよ。行方不明になってもらうとビルのオーナーとして困るからね。後処理もしっかりしてるところは洋平君らしいわ」


 老婆の姿にも関わらず、声は若々しい。そのギャップにヒカルはまだ慣れていないようだ。


「というわけで、この事務所をレンタルしてる人はいなくなり、ここの書類や家具をすべて処分することになったのよ」

「え、そんな」


 ヒカルとしてはここは洋平との思い出が詰まった場所でもある。それがなくなるというのは耐えがたい物があるのだろう。ヒカルは思わず声を出す。

 羽鳥の言葉を我が繋ぐ


「だが、しかし、こんなボロいビルの借り手がそう簡単に見つかるわけがない」

「ぼろいビルで悪かったわね……」


「話の邪魔をするでない」我は羽鳥を視線で牽制する。「そこでヒカルには新たな借り手となり、この事務所の新しい所長になってもらいたい」


 これは羽鳥と我が話し合って決めたことであった。まだ六歳児の我に賃貸契約ができるわけない。しかし、ヒカルの年齢であれば問題はない。


「もちろん我も最大限のサポートをするし、羽鳥も最初の半年間は賃貸料金を取らないと言ってくれてる」


 元々ここの家賃を収入の当てにしているわけではない。羽鳥の本業はあくまで情報屋である。ビルのオーナーは娯楽のような物なのだそうだ。


「ヒカル。かりの探偵事務所を続けるつもりはないか?」


 「私は探偵の助手。しかも書類整理しかしたことがないのよ。そんな私が探偵なんて無理よ。それに探偵なんて何をしていいのかわからないわ」

「依頼人の依頼を達成する。それが探偵の仕事だ。それに我も探偵になるのだから、心配するな」


「……余計に心配になったんだけど」


 話が難航しそうだと思ったのか、羽鳥が助け舟を出す。


「大学を卒業するまでまだ四年もある。ヒカルちゃんが将来を決めるまでの準備期間を探偵として過ごすつもりはない?」

「……」


 ヒカルは悩むそぶりを見せる。突然のことに頭の整理がまだできていないようだ。


 これから言うことはヒカルに対して卑怯な手になるかもしれない。しかし、今言っておかなければならない気がした。


「我は今回の事件を通して、魔法使いの影を見た。しかも、我と同じ世界の魔法使いである可能性が高い」


 野間洋平の首飾り。つけている物の心の闇を広げ、悪魔を生み出す魔法の道具。あれは普通に発生する者ではない。人が悪意を持って作成したものだ。前世では敵国を陥れたり、疑心暗鬼にさせ、内部破壊工作の一環として使われたことが多い代物だ。


「我はその魔法使いを見つけたいと思っている。そのために探偵という職業が必要なのだ」


 もちろん、何もない状態でもできるが、探偵は職業柄、情報が入りやすい。それに探偵であった野間洋平と接触したのかもしれないのだから、同じ探偵である接点がある方がいいと思ったからだ。


「ヒカル。其方はどうする? この話から手を引き、魔法も知らない一般人として戻ると言うのなら我は協力する」

「今更戻れるの?」


「記憶の操作をすればいい。そうすれば順風満帆な大学生活を過ごせる。だがその場合、かりの探偵事務所であったことはほとんど思い出すことはできなくなるが」


 正直言ってヒカルが元の生活に戻りたい、というのであれば我は喜んで記憶を操作するつもりだった。ヒカルは所詮普通の少女に過ぎない。

 その身体は小さく、頼りない。

 そんな彼女に重荷を背負わすことなどできない。だから、我はこんな提案をした。

 ヒカルを探偵事務所に誘ったのは義理だ。事務所経営となればヒカルの負担が一気に増える。それを理由に断るきっかけを作ってあげたかった。

 しかし、ヒカルは断らなかった。それどころかどこかすがすがしい顔をしていた。

 

「やるわ。探偵事務所。やってあげようじゃない」

「いいのか?」


「やるって言ってるでしょ。ついでに洋平さんを陥れた魔法使いの顔でも拝んでな一発殴らせてもらうわ」

「それは構わないが……」


 本当に大丈夫なのか。危険なことに巻き込まれることは間違いない。誘っておいてなんだが、心配になってくる。

 すると我の顔に考えていることが出ていたのか。ヒカルはウインクする。


「貴方が守ってくれるんでしょ?」

「もちろんだ。母上の次の優先順位で守って見せよう」


「そこは嘘でもいいから一番、と言って欲しいところなんだけど……」


 一番は譲れない。母上の椅子は絶対だ。


「でも」と続ける。「これは洋平さんの跡を継ぎたいとかそんな気持ちじゃない。私が探偵をしたいからやるの。それだけよ。それに女子大生探偵、って響きがちょっとカッコよくない?」

「それでこそヒカルだ」


 ヒカルはいい笑顔を見せた。


「そうと決まればまずはポジション決めだな。我はこの一番偉そうな席を定位置にするぞ」


 我は一番奥の野間洋平がいつも座っていた椅子に座りなおす。ここからは事務所を一望することができる。


「それは別にいいけど、名前はどうする?」

「名前とは?」


「この探偵事務所の新しい名前よ。洋平さんがいなくなった以上、新しい名前を付ける必要があるわ」


 なるほど。そんなことは考えていなかったが、いい案だ。どうせだからカッコいい名前をつけたい。


「【chaos of detective】とかどうだ? 混沌の探偵だ。カッコいいだろ?」

「ださっ」


「……【シュヴァルツヴァルト】は?」

「却下。なぜ、ドイツ語? おまけに黒い森とか意味が分からない」


 語感が素晴らしいだろ。シュヴァルツヴァルト。カッコいいのに。必殺技とか出そうなのに。


「そういうヒカルはどうなのだ? これほど偉そうに言うのだから何かいい案があるのだろうな?」

「もちろんよ。【さくら探偵事務所】とかどう? 私が探偵事務所の所長なんだから、女性ということを前面に出しつつ、女性の依頼人も依頼しやすくなるわ」


「はっ」我は鼻で笑った。「春しか営業しない季節限定の隠れ宿みたいだな。浮気調査の依頼ばっかり来そうだ」


「……言ってくれるわね」

「そちらこそ」


 我とヒカルとの間に火花が散る。互いに譲れないものがあるのだ。

 事務所の名前で揉めていると今まで部外者として聞き役に徹していた羽鳥が声をあげる。


「お二人さん。白熱してるところ、悪いんだけどちょっといい?」


「何だ?」「何よ?」


「お客さんよ」


 羽鳥に言われてようやくドアの前に人が立っていることに気がついた。会話に集中していたので知らなかったが、ひょっとするとすでにノックしたのかもしれない。


「ヒカルよ。とりあえず、事務所の名前に関して争うのはやめておこう」

「そうね。初めての依頼人だもんね」


 野間洋平がいない。新米二人の探偵の初の門出である。事務所の名前で揉めている姿を依頼人に見せて、失望されるわけにはいかない。


「とりあえず仮の名前が必要というわけだが……」


 と、ここでこの探偵事務所の名前を思い出す。

 野間洋平はどういう意図でこの探偵事務所を名付けたのか。それは彼がいない以上わからない。探偵として犯罪を犯した探偵を断罪するための仮初めの探偵事務所のつもりだったのか。

 それともまた別の意図があったのか。

 

 だが今の状況にはぴったりだと言わざるを得ない。

 ヒカルのほうを見ると彼女も似たようなことを思っているようで笑みを浮かべていた。

 

「どうぞ」と、ヒカルが言い、依頼人が中に入ってくる。


 我とヒカルは同時に言った。




「「ようこそ。かりの探偵事務所へ」」




 こうして我は探偵になった。

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少年は探偵であり、王であった。 トトが暮れ @totogakure

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