第3話


商国しょうこくグランザートは、ここ近年頭角とうかくを現してきた歴史の若い国である。頭に付く名の通り、各国との交易を主力とし、あらゆるところに商人を派遣することで、情報伝達にもけた中立国だった。

城内の広い応接間のソファに、三人の男が向かい合って座っている。一方は白髪が混じった長めの髪を後ろへなでつけ、凄然せいぜんと座ったロマンス・グレーの男だった。一方は癖のある金髪を後ろへ一括ひとくくりし、商人風の衣装を着た肌の浅黒い男と、それに付き従う背の小さな、人の良さそうな男だった。

「この間グリアデス皇国の襲撃を受けたとか、今日街などを拝見させていただいて、被害が少ないと安心しておりました。私共もグリアデス皇国がカウレルム国へ進撃しているものと思っていたもので、エスタリアが再度襲撃を受けたと知らされて、心配で駆けつけてしまいました」

「ご心配痛み入る。幸い攻めてきた敵軍の数が少数だった為、何とか敵を退けられました」

「それは良かった。一年前の悲劇の傷跡が治まらぬ今、またもエスタリア騎士国が攻め込まれたとあれば、近隣諸国に動揺が広がってしまう。それに新たなる竜を得たのにそれを失いでもしたら、貴国にはくつがえせない打撃となるでしょう」

「‥‥‥‥‥‥」

金髪の男は淀みない口調でスラスラと言葉を口にする。そのそつの無い内容が反って胡散臭い。

「シンフェイン王子が竜と契約なさったそうで」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

はやり胡散臭い。

「騎士たちの士気が上がっていますね、やはり竜はエスタリアにいてこそ意味を成す。この間の襲撃でも力をふるったとか」

「‥‥さすがグランザート、情報が早い。襲撃があったその日に報告を受けていなければ、このような速さでエスタリアへは来られまい」

「いえ、たまたま近くまで来ていただけです」

「それはカウレルム国ですか?」

「ええ、まあ。カウレルムもグリアデスと交戦中で、いろいろと必要な物もあるでしょうしね。大分兵糧ひょうろう疲弊ひへいしている様子でしたし、助けられればとお話していたところでした」

「‥‥抜け目がないな」

まあ、そうでもないとグランザートの名を使って商売は出来ないだろう。あの国が扱っているのは商品だけでは無いのだから。

「で、シンフェイン王子は竜と契約なさったんですよね?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥」

当たりさわりのない挨拶から始まり、少しの情報を入り混ぜた世間話。商人の常套手段じょうとうしゅだんだ。本来ならこの後も、のらりくらりと話しを長引かせ、うまい具合に話が盛り上がって来た時に、本題を出してくるのだが、この目の前にいる男は、やはり通常と違った。

金髪で緑の目、浅黒い肌がさぞ女性にもてるだろう、洗練された身のこなしの男、商国グランザートの王子、ファーデン・イル・グランザート。

シンフェイン王子が竜との契約に成功したと知れれば、いずれどこかの国から誰かにしろうかがいに来ると思っていたが、こんなに早くしかも、商国グランザートから王子が自ら来るとは思ってもいなかった。早急すぎる問い詰めに、先方の狙いが見えない。

「聖なる騎士国に竜が戻った。それはエスタリアだけでなく近隣諸国へも良い知らせです。今やグリアデス皇国におびやかされていない国はない。エスタリアが再び立つというなら、私たちは協力しましょう」

「―――それは<竜の鉄槌てっつい>が条件なのだろう?ファーデン」

相手の言葉と態度の裏を読み合う緊張感の中に、シンとレキウス、それから少し遅れてイニアスが入ってきた。

「これはシンフェイン王子、ご機嫌麗しく。この度は竜との無事のご契約、誠にお喜び申し上げる」

「堅苦しいのは苦手だ、それに今さらその態度は気持ち悪い。いつも通りで頼む」

シンは右手で鬱陶うっとうしさを払うように振ると、一人掛けのソファへと腰かけた。イニアスはストラーダの隣へと座り、レキウスは後ろに立つ。

エスタリアの第二王子には、巧みな商人の話術はあまり通じないと見える。それはそれで有効な時もあるのだが、駆け引きが必要な場面では、些か心配だ。

「おや、局外きょくがいの騎士。エスタリアにいるって事は、勘当が解けたのかい?」

「いやまだだよ。オレは傭兵としてここにいる」

「ふーん、何にせよ収まるべき処に収まったってわけだ」

やり手の商人の雰囲気を前面に出していたグランザートの王子は、ストラーダと話していた時とはガラっと雰囲気を変え、かしこまって座っていたのを、体を崩しゆっくりと足を組んでみせた。普段この若者は、こういった態度なのだろう。

「オレがいない所で協力の申し出をするってのは、どういうつもりだ?」

「別にストラーダ殿に決めてもらおうなんて思ってないさ。ただこの御仁がどの位この国に影響力があるのか、確かめただけ。かるーくね」

「挨拶代わりに相手を試すな。嫌われるぞ」

堅くなった部屋の雰囲気を和らげるために言った言葉をたしなめられ、ファーデンは肩を竦めて見せた。

「そんな怒るなよ、嘘を言ってるわけじゃないんだから。協力の意志はグランザートにはあるよ、ただし条件があるがね」

「条件ね‥‥」

相変わらずダレた雰囲気を崩さないまま、話しの内容は重くなっていく。

「一年前にラルフェイン王子が、契約竜グランツァと一緒にグリアデス皇国軍に放った<竜の鉄槌てっつい>、あの凄まじさを今だ近隣諸国は覚えている。あれだけの数の竜擬りゅうもどきを一瞬にしてほふった力、あの力がこちら側にあるとすれば、グリアデスに対する対策を何かしら立てられる」

「あのっ、<竜の鉄槌てっつい>は」

「ん?君は?」

異議をとなえるようにファーデンの話しに割って入ったイニアスは、異国の王子の流し目に合い、少したじろいだが負けじと続ける。

「エスタリアで事務官をしております、イニアス・グラキエースと申します」

「イニアスは趣味で伝説や伝承を調べてるんだ。今は主に竜の事を調べてもらっている」

シンの紹介を受けて改めて姿勢を正したイニアスは、この部屋の視線を受けつつ、緊張しながら質問にかまえる。

「で、あの力<竜の鉄槌>が?」

「はい。当時ラルフェイン王子が<竜の鉄槌>をご存じだったのかは分かりませんが、あの力は契約した竜には1、2度しか放てないという事です」

「1、2度?ずいぶん曖昧だな」

ファーデンの言葉に言った本人であるイニアスも頷き、それに同意しながら話しを続けた。

「三百年前の文献によると、その当時王と契約した一頭の地の竜が、わが身のフォルティアを放ち、その後その身を大気に溶け込ませ消えたそうです。その時の被害は山一つが消し飛んだとか」

「‥‥山一つ」

「その他に小規模ではありますが、街を一つ消したとか、敵軍を一瞬で消し去ったとか。その代の竜は2回<竜の鉄槌>を放ったと記録があります」

「という事はだ。一回は大丈夫ってわけだ」

単純に考えるとそうだ。被害の規模は計り知れないが。

「回数でいえばそうです。ですが代償もあります」

「竜が犠牲になるという事か?」

「それもそうですが、契約竜が消えたときは、一緒に契約者も消えてしまうそうです」

「それは<竜の鉄槌>を放つと、シンとエルザリーグが消えるという事か?」

後ろに控えるように話しを聞いていたレキウスが、考えが漏れてしまったように呟いた。

同じように話しを黙って聞いていたストラーダが、確固たる声で断言する。

「なりません。我が国にはエスタール家の者が、もうシンフェイン様しかおられないのです。一か八かの大砲のような力の代償に、我が国の血統を失うことはできません」

声を荒げたわけではないが、言葉にストラーダの怒りを感じる。差し詰め氷の刃のような鋭さだ。

先方が代償の事は知らなかったとはいえ、ファーデンの申し出は、いざグリアデス皇国と相対した時に、エスタリアが竜を連れ立って矢面やおもてに立てという物だった。

その申し出の返答次第では商国グランザートが交渉役となり、近隣諸国に同盟もしくは援軍を要請する橋渡しをし、物資などのルートも確保するという。

申し出はシン達エスタリアにとって都合が良かった。良かったが代償が大きい。結果として下手をすると王家が一つ消えかねないのだ。

だがシンは突然国を攻め込まれ、父と母とそして兄を奪われ、多くの臣下と民をも失った。そんな憎んでも憎み切れない相手と戦える力が手に入る。正直喉から手が出るほど欲しい申し出だ。

向こうの言う通り自分が竜を駆って戦場に出て、それでグリアデスに勝つチャンスが出来るなら、その申し出を受けるだろう。

だけどもう今の自分の身体は自分だけの物じゃなかった。

国を治めていた父はいない。本来国を継ぐべき兄もいない。自分が戦場に出ていた時に国を守ってくれていた人達が、今はもういないのだから。

だから何時までも、気ままに過ごしていた第二王子のままではいられない。

「それに<竜の鉄槌>を放ったからと言って、必ずしもグリアデス皇国が滅びるとは限りません。グリアデスは狡猾こうかつです。もし<竜の鉄槌>を放つことができると知ったら、自国軍にダメージが無いように動くでしょう。それに前もって秘密裏に竜の命か契約者の命を狙ってくるかもしれません」

イニアスの発言に冷静にストラーダが反応する。

「イニアス、君の発言は王子が<竜の鉄槌>を放つのを前提に話しているが、私は断固としてその案には乗ることができない」

「い、いえ。過程の話しです。僕だってシンを、シンフェイン王子を犠牲にするだなんて、到底許せません」

イニアスの呟くような言葉から部屋が沈黙する。話しが行き詰まってしまった。皆おのおの考え込んでしまい、誰一人とも言葉を発しない中、レキウスが胸の内を絞り出すかのように呟いた。

「‥‥ラルフはあの時、身をていして国を守ったんだな‥‥‥」

言葉を口に出していた事を分かっていたのだろうか。そう口にして、レキウスは部屋から出て行ってしまった。

そんなレキウスの背中を見送っていたファーデンは、彼に対して嘆息したのか息を一つ吐き、ファーデンは崩していた居住まいをただし、部屋にいる人間の気をこちらへ向けさせる。

「まあ国規模の話しだ、ここで直ぐ決断する話しじゃあない。俺としてはこういう意向があるという事を、馴染みのあるお前たちに、前もって知らせに来たってわけだ。実はそれは建前たてまえで、竜を見てみたかったってのが、俺個人の目的なんだがな」

最後はおちゃらけて、部屋の雰囲気を軽くさせるように言った。シンもそれに素直に乗り、ファーデンの言わんとする意味を答えた。

「何日か滞在するのか?」

「そうだな、そんなに時間は取れないが2、3日頼む。もちろん竜を見せてくれるんだろう?」

「いいけど何かお前だと、プライベートの中に企みを感じるんだけどな」

長年の付き合いと、先程のやり取りで疑わずにはいれない。

「人聞きの悪い。俺は純粋にお前たちに会えるのを楽しみにしていたんだが」

「わかった、わかった。連れは何人いる?後でストラーダに教えておけよ」

シンは先ほどまでの重い空気を意識的に払うと、城に滞在する知人の為に女官を呼んで支持を出す。

イニアスは調べものがあると早々に逃げる様に出て行き、ストラーダは思う所はたくさんあるが、ファーデンとシンに退室する旨を告げると、不機嫌なオーラをまとったまま行ってしまった。

そして一度滞在先の商館へ荷物を取りに行くと言ったファーデンを送り出し、シンは部屋に一人残ると、先ほどの話しを思い出す。そして兄を思った。

エスタリア騎士国の第一王子、ラルフェイン・シェリオス・エイダ・エスタール。

清廉潔白せいれんけっぱくで家族思いの六つ離れた兄。シンと彼はとても仲が良かった。

普通ならねたんだり憎しみ合う事が王族の兄弟では多い中、シンは何でもできる兄を尊敬し慕っていた。グランツァと契約した時も、さすがは兄だとも思った。

そんな兄が皇太子となる<立太子の儀>の前日、不可侵の協約を結んだはずのグリアデス皇国が軍隊を率いて攻めてきたのだ。

父は騎士達を率いて敵の軍隊を迎え撃ち、帰らぬ人となった。

母は逃げる民を誘導している最中に敵兵に見つかり殺された。

そして兄はシンと残った騎士達と共に、国に入り込んだ敵軍を相手にしていて、父が抑えきれなかった敵本軍が押し寄せると、契約竜のグランツァと一緒に<竜の鉄槌>で敵本軍を蹴散けちらし姿を消した。

父と母のように遺体が見つからなかった兄は、行方不明になっただけでどこかで生きていると信じていた。だが一年経ちイニアスの推測を聞き、最近やっと兄の死も受け入れられるようになり、<盟約の儀>を受けたのだ。

自分は父のように国をまとめられるのだろうか。

兄のように皆に認められるのだろうか。

唯一の王家の生き残りの自分は、資質は関係なく、いずれこの国を背負っていかなければならないのだ。不安は尽きない。だがその前にやらなきゃならない事がある。

大切な人を亡くし麻痺し、止まっていた時間が動くように、周りが騒ぎ始めた。

これからどのように状況が変わるのか予想もできないのが怖いが、それを見ぬふりをして心を常に強くあるようにと思い、暗い過去を押し込めるように顔を上げる。そして恐怖を振り払うように、勢い良く部屋を後にするのだった。




シン達がグランザートの客人と話しをしている時、美言みことは服の山の前に立たされていた。

ここはエスタリア騎士国の騎士団団長を務めている、インタリオ・ティグリウスの館の一室だ。

どんどんメイド達が他の部屋から服を持ってくる。それをお城の女官長をしているというバネットが物色し、り分けていた。

「妻と嫁に行った娘のドレスが、ごまんとあってな。衣装室に眠らせていたのを女官長に知られて、娘さんに見せてくれと頼まれたのだよ」

この騒動はバネットさんが原因か。服をり分けていたバネットが何枚かドレスを手にして、美言みことへ近づいてきた。

「ミコト、私は常々つねづね思っていたのですが、その衣装」

「あ、はい」

「年頃の娘が足を出すなんて、ってのほかなのですよ。それにいつまでも着替えがなく同じ衣装というのも、よくありません。幸いインタリオ様にご相談したところ、快くドレスをお譲り頂けると仰っていただきましたので、よい機会ですからお着替えなさい」

やっぱり制服姿は変だったんだ。今まで誰も何も言わなかったから、特に気にしてなかったのだが。でもレキウスさんが言っていた噂では“変わった格好の女の子”って言ってなかったっけ。下着は替えが無いので毎回洗っていたが、他にないので気になっていた。

でも出来ればこの制服は脱ぎたくなかった。カバンと同じく身から放してしまうと、元の世界とのつながりが無くなってしまうような気がして嫌だったのだ。

躊躇ためらって差し出されたドレスを受け取らずにいると、バネットが美言の背後に回ってドレスを背中に合せながら話しを続ける。

「貴方は竜のお世話の為に、城へ出入りを許された人です。それも使用人でも出入りが許されない、断崖の離宮までの出入りができる人です。貴方のこの衣装が悪いと言っているわけではありませんが、エスタリアの城をうろつく人物を変わった格好にさせておくわけにはいかないのです」

インタリオの館のメイドに、選んだドレスの山から次のドレスをとるように指示を出す。肩幅、身幅、長けなどを合わせながら、次々とドレスを合わせていく。

「詳しい事情は聞いていませんが、故郷から離れてエスタリアまで来たとか。思い入れのある服なのでしょう?それを脱げと言っている私は、貴方に酷いことをしていると思います。ですが貴方を連れてきたシンフェイン様の為にも、ドレスに着替えて欲しいのです」

背中でドレスを当てていたバネットが美言の前に回り、両手を握って優しく話す。私の小さな意地みたいなものが、色々な人を困らせている。

制服を着続けていれば元の世界に帰れる訳じゃない。それは分かっていた。すぐにでも元の世界に帰れるのだと、制服を着ていればいつでも帰れるのだと、思い込もうとしていた。でもそれが他の人を困らすことになるのならば、考え方を変えなくては。

学校の図書室で本を読んで調べものをしていたように、帰る方法を自分で調べればいい。そう考え直し、自分の為に用意してくれた人達に、改めて礼を言う。

「ありがとうございます。私皆さんに心配をかけていたんですね‥‥」

「そうだぞ娘さん、ミコトと呼んでいいかな?君が騎士の宿舎の前を通るとき、出仕の予定がない奴までわざわざ外に出て、ミコトに声を掛けている奴もいるらしいからな」

「ええ?そうなんですか?!」

なにそれ?と目が点になる。この頃気さくに声をれるなぁ、と思っていたが、そんな事もあっただなんて。

「年頃の可愛い子が、なやましい姿で出仕の前に声を掛けてくれるって、今じゃ朝一の眼福がんぷくになっているらしい」

「な、悩ましいって‥‥。眼福って‥‥っ」

「ですからミコト、着替えましょうね」

「ハイっ!」

つい力いっぱい返事をしてしまった。まさか自分の制服姿が騎士達にそんな目で見られているとは思ってなかった。

確かにこの国の女性は皆ロングスカートだ。オーバーニーソックスを履いているとはいえ、制服のスカートの丈は膝より少し上のミニスカートと言えよう。

高校1年の時、校則のひざ下の丈でいたのを美音みおとうるさく言われて短くしたのが、ここで仇となった気がする。

「この緑の衣装はだいぶ腰が余りますね。胸元も広く開いて派手ですから、やめましょう。次を取ってくれる?」

「それは妻のドレスだ、覚えてるぞ。あいつは胸元があいているドレスを着て、首に宝石を飾るのが好きだったからなぁ」

「では、お嬢様のドレスから選んだ方が無難ですね。ではあちらのドレスを取ってください」

次々とバネットの手で大量のドレス達が仕分けられていく。その間インタリオは思い出を語る。その様子は懐かしそうにしているが、ふと寂しそうな顔をのぞかせていた。

そんな持ち主は放置状態で、テキパキと仕事をこなすバネット。

「あ、あの。私こんなドレス着たことないんです。できれば普通のがいいんですが‥‥」

「これはみんな普段着だぞ?晩餐用だともっと派手だな」

「そうなんですか‥‥」

「ミコトこちらを向いて。ああ、いいですね。濃紺の生地が貴方の髪を引き立ててくれます。胸元もそんなに開いていませんし、腰と胸を少し直せば大丈夫でしょう」

そのドレスは白いスクウェアの襟のシュミーズに、濃い青色の生地を胸上からスカートまで使った、シンプルだけど綺麗なドレスだった。

「これ、私一人で着れますか?」

「簡単ですから着れますよ。後このつけ袖を腕に通して使用します。せっかくですからお部屋をお借りして着替えてみましょう」

「え?もう着替えるんですか?」

「今着替えないで、いつ着替えるのです。インタリオ様、別のお部屋をお借りしてもよろしいでしょうか」

「なら儂が少し席をはずそう。衣装を運ぶよりもその方が早い」

「ご足労をお掛け致します。ではミコトこちらへ」

さすが女官長のバネットさん。口調は柔らかいが仕事はきっちりとこなす。気が付かないうちに押しの強さに負けていそうだ。

インタリオが部屋から出ていくと、あれよあれよと身に着けていた物、下着類もすべて脱がされ、日本のおじさんがスラックスの下にはく、ズボン下のような白い薄手の半ズボンを履かされる。これはドロワーズかな。シュミーズを着させられ付いていた編み上げの紐を引っ張られると、胸下から腰元が締まる。その上から濃紺のドレスを被せられた。スカートを整えられると、背中に付いていたリボンを結んでくれる。

「やはり胸が余りますね。リボンをきつめに結んでおきますが、後で私が手直ししますので、夜になったらその姿のまま私の部屋まで来てください」

胸が余ると連呼しないで下さい。地味に傷ついています。

一人で静かに落ち込んでいる美言には気付かず、バネットは素早く着つけていく。さすがだ女官長。

後は使い方が一番わからなかったつけ袖を、美言の腕に通し、肩の所で紐を結ぶ。よく見ると生地に細かく刺繍がしてあるのが分かる。つけ袖を市役所のおじさんがつけている腕カバーと一緒にしてごめんなさい。

「髪型は若い娘なので下げたままで大丈夫です。でも、そうね。なんか飾りがあるといいのだけれど‥‥」

心なしか楽しそうに私を着飾っていくバネットさんは、衣装の山から同系色のリボンを取り出してきた。

「貴方の髪はとても綺麗ね。私は癖があって、娘の頃後ろに流していても、まとまりがなくて困ったのよ。こうやって両サイドの髪を少しとって後ろへ結びます。‥‥これでいいでしょう」

そして用意してくれていた靴を履かせてくれた。今まで履いていたローファーでいいと思っていたのだが、お城の床で靴音が意外に響いて気になっていたのだ。足を通して見ると、靴音も静かな皮でできた踵のないブーティーみたいな靴だった。

「‥‥どうでしょうか」

「自分で確かめてごらんなさい。こちらに姿見があります」

うながされておずおずと鏡の前へと出る。すると思っていたよりも服に馴染んでいる自分がいた。もともと自分を積極的に着飾ったりしないので、このような格好は妙に気恥ずかしい。

「これなら問題ありません。ねぇインタリオ様」

いつの間に部屋に戻ってきたのだろう。あごに手を当てながら眼を細めて、インタリオが懐かしそうに言った。

「ああ、よく似合っている。元の持ち主の儂の娘より似合っている。あいつは顔が派手だからな。ミコトだと清楚さが際立きわだつ」

「その他に何着かミコトにドレスを与えてやりたいのですが」

「好きなだけ持っていきなさい。‥‥何か娘のドレスを着ていると、ミコトが儂の娘のような気になってくる。そうだ、いっそのこと儂とここで暮らさぬか?」

「ええ?!」

全くの思い付きを名案のように口にしたインタリオに、口にした本人以外は驚く。

「一年前の襲撃で妻に先立たれ、娘は嫁に行ってしまった。その娘も孫を連れてはそんなに里帰りしてくれはしないしな、年寄一人でこの館は広いのだよ」

「ちょっとそれは、いきなりなお話しで‥‥」

一人盛り上がっているインタリオに、バネットの鋭い突っ込みが入る。

「この館からだと断崖の離宮までは距離がありすぎます。毎朝通うとなると時間がかかって大変でしょう。お気持ちだけ頂いておきなさい、ミコト」

「そ、そうですね。気にかけて頂いて、ありがとうございます。インタリオ様」

「ん?うむ。そ、そうだな。いや残念だ」

もともと強く出る人には流されがちな美言は、この場にバネットがいて本当に良かったと思った。良かれと思い暴走するおじさんは、時に性質たちが悪くなる。二の次も告げずにバネットに切り捨てられて、少し可哀そうな気もしたが、我が身の為だ。そのまま放って置くことにする。

後で美言の部屋にドレスを届けてくれることになり、その後はそれぞれの着付けの仕方をバネットから教わった。

明日からこれらを身に着けて人前に出るかと思うと、恥ずかしかったが、制服を着ていた時の騎士達の目を考えると、それも我慢できそうだ。

異国の衣装を身に着けてると、一層違う土地にいると感じさせられる。

今までこの世界に連れてこられ、途方もなく感じられた孤独感が、バネットやインタリオ達の心遣いを知って、少し和らいできた。そんな彼等に心配を掛けないように、今自分にできる事をしようと、下向きの気持ちを上へ向ける。

「いいですかミコト。先ほどの話しですが、貴女は年若い娘なのです。騎士の方たちは無体なことをすることはないと思いますが、どこでどのような目にうか分かりません。ですので、重々とそれをわきまえて行動してください」

「はい」

どうやら寝泊りしている部屋が、バネットさんと同じ館だったって事も、若い男共から美言を守るための対策だったらしい。

本来なら女官達は城内の使用人棟で生活しているようだが、一年前の戦でその棟を崩されてしまい、女官達は他の空いている部屋へちりじりとなって暮らしているそうだ。その一つが礼拝堂のそばにある館なのだ。

自分の知らない所でいろんな人が気にかけてくれている。それが元の世界で、周りの人から無関心に扱われていた美言の心を温かくさせた。

妹の影なのではなく、自分自身を見てくれている。それがとても新鮮で、くすぐったかった。

厳しい言葉使いだが自分を思ってさとしてくれるバネットに、自分と一緒に暮らそうと言ってくれるインタリオに好感を持ち、改めて二人に心からお礼を言ったのだった。




いつもなら街の宿屋で仲間の傭兵達と過ごすのだが、商国しょうこくグランザートの王子、ファーデンが城へ来たことにより、以前からの知り合いという事で、レキウスは城に一泊することになった。

ファーデンとの酒の飲みすぎによる寝不足の頭を押さえながら、自然と足が断崖の離宮へと向かってしまっていた。

イニアスが応接間で話した内容が頭から離れない。

<竜の鉄槌てっつい>の事、ラルフの事。

三ヵ月前に母国であるエスタリアに戻ったとはいえ、一年前の戦の詳しい話しは聞かされていなかった。ただラルフェインは戦の後で行方不明になり、生死不明としか。だが詳しい話しでは、それはラルフェインが自分の身を犠牲にして、消えてしまったのだという。

一方的に対抗心を燃やしていた相手の彼が、レキウスが憧れてやまない竜の力によって、消えてしまったのだ。

幼少の頃よりレキウスは同じ年のラルフェイン王子の学友として、城へ上がっていた。

傍系のはずれだが、レキウスにもエスタールの血が混じっている、いわゆる貴族で王族の末席だった。

二人は親友といってもいい関係で、ラルフェインは優しく間違ったことを嫌い、王子のお手本のような人だった。そんな彼を慕い尊敬していたのだが、王家の血筋に執着を持つ母に、日々ラルフェインと比べられ、無意識に彼とは真逆を選ぶようになった。そして体が大きくなるにつれて剣の道に進むようになった。

幸い体を動かすことは苦にならなかったし、母国を愛していたので、騎士になるのに疑問を持たなかったのだが、幼少の頃から母に植え付けられた劣等感のせいだろうか。ラルフェインが完璧に物事を成すたびに、それを喜ぶ自分の裏で嫉妬してしまう自分がいた。そしてその嫉妬心をさらに母が煽った。

そんな裏の自分が抑えきれなくなったのは、ラルフェインがグランツァと契約して直ぐの時だった。

騎士になり国を支えるというこころざしも、竜と契約し“竜騎士”となったラルフェインに、さらに上へ行かれてしまった気がしたのだ。

そうなると血筋だけで全て自分の上をいくラルフェインに、醜い感情が抑えられなくなってきたのだ。

そんな自分が怖くなり嫌気がさし、国を出ることを決心した。このままラルフェインの傍にいると、そのうち自分の醜い感情で彼を傷つけてしまいそうだったのだ。

誰にも告げずにエスタリアを出た。

剣の腕に自信があったから、傭兵まがいの事をしながら各地を放浪した。

だが所々どうしてもつちかってきた騎士としての身のこなしは抜けないのか、傭兵の仕事をしていてるうちに仲間内なかまうちからは“局外きょくがいの騎士”と呼ばれ、そのうち名が通るまでとなった。

そんな暮らしをしていた時に、商売の取引に来ていたファーデンに雇われ、彼と知り合ったのだ。

のちに彼が王子だと分かったのだが、彼の持つ商人の気質なのか、傭兵達とも気にせず話しをしてくれて、その後もよく仕事に使ってくれた。今では顔見知りよりも親しい仲だ。

そんな彼が王族として現れた。

今度はレキウスが憧れた竜の力を欲して。

国へ戻れば、今まで封印していた自分の醜い感情を、揺さぶられるかもしれないのは分かっていた。会いたかった、そして会いたくなかった親友と対面してどうなるか、複雑な心境で祖国に帰って来たのに。

その感情をぶつける相手もいない今、真相を聞かされてより一層心がぐちゃぐちゃになっている。

昨晩は酒に逃げて失敗し、この有様だ。

鬱屈した気分を変えようと歩き回っていると、無意識に断崖の離宮へと進んでいた。

離宮の広場に着くと、見慣れない青いドレスを着た女性が、崖を向きながらこちらに背を向けて立っている。衣装を見るに女官ではないようだが珍しい。いぶかしんで入口から覗いていた。

「ここが断崖の離宮か。話しには聞いていたが凄いところにあるな」

「なっ?ファーデン!」

「おはよう。お互い深酒が過ぎたようだな」

昨日の対面とは打って変わって、かったるそうな彼がいた。せっかくの美丈夫が崩れている。

「お前ここまで入っていいって、シンに言われたのか?」

「いんや、言われてないよ。言われてないが、止めにも入らないから、いいのだろう」

お互い酒臭いのだろう。顔を合わせず並んで立ったまま、離宮の方を見ていた。

「あんな所に女がいるな。まだ若いがアレは将来いい女になるぞ」

「またそれか。後ろを向いている女でそこまで分かるのか?」

「俺を誰だと思っている」

「‥‥そうだったな、“百人切りのファーデンさま”だった」

蔑みを込めて言ったのだが、まったく気にしてない。そのまま2人して青いドレスの女性を眺めていると、空から黒い影が降りてきて、レキウスとファーデンの方へ飛んできた。

「うわあっ!なんだなんだ?!襲って来たぞ?!」

驚いているファーデンの視線の先に目をやると、さげた高度を上げ、上空で旋回している黒い竜がいた。さっきのは明らかに2人を脅しに来ている飛び方だった。何故竜に脅されるのか。

レキウスは風に煽られた髪を戻して前を見ると、青いドレスの女性が風に舞う髪を片手で押さえながら、空を眺めている。

その光景は竜に煽られて舞う風を受けて草花が散り、その女性の傍にゆっくりと降りてくる竜と共に、神秘的な空間を作り出していた。

かなりの時間呆けて眺めていたが、その女性を見つめていると、何か引っかかるものがあった。見覚えがあるような気がする。

「お、やっぱり思った通りじゃないか。まだ原石だがそこが初々しい」

「あ、レキウスさん」

「‥‥ミコト‥か?」

その女性はこの国の衣装をまとった、竜の世話係をしている女の子だった。

「おはようございます。きゃあっ!」

断崖の離宮の入口に突っ立っていたレキウスとファーデンに気づき、近寄ってこようとした美言は、傍らに着地した大きな姿のままの黒い竜にドレスの裾を踏まれていたせいで、前に出れなくその場でつんのめりそうになっていた。

「っもう!エル。わざと踏んでるわね?まだこのドレスに慣れてないんだから、やめて頂戴!」

踏まれたドレスの裾を取り返そうと、一生懸命竜の足を外させようとしているようだが、当のエルザリーグは聞こえてないふりでもしているのか、一向に足をどけない。

いち早く呆けた状態から抜け出たファーデンが、美言とエルザリーグに近づくが、今までの竜の態度を思い出し、レキウスは急いで止めに出た。

「コラ、お前。いきなり近づくな!」

すると美言のドレスの裾を踏んでいたはずのエルザリーグが、体を反転させたかと思うと、長いしっぽをファーデンへ向けて振り回したのだ。

「うわあっ!いきなり何するんだ、びっくりするだろう」

「エルザリーグ!ダメでしょう?!」

また聞こえないふりをしている。

竜はあさっての方向に顔を向けながら、不機嫌そうに尻尾を地面へドシンドシンと叩き付けていた。

「ご、ごめんなさい。大丈夫でしたか?どこも怪我はないですか?」

エルザリーグが尻尾を振り回した際に、踏まれていたドレスが外れたのか、美言は尻尾で脅されたファーデンへ急いで近づいて来た。

「ベツに、ぶつからナイようニヤッタもん」

「だから良いってわけじゃないでしょう?本当にごめんなさい。私が気を付けなくちゃいけないのに‥‥」

美言がファーデンへ謝った事でさらに機嫌が悪くなったのか、エルザリーグは叩き付ける尻尾の音を派手にした。

「ここまで露骨ろこつに人を嫌う事はなかったんですけど、どうしたのかなぁ」

レキウスは、それは美言をイヤらしい目で見ていたからだ、とは言えなかった。そのイヤらしい目をして竜にはたかれそうになっていた当の本人は、まったくこたえていない様子で、竜と会話をしている少女に詰め寄った。

「君は竜が怖くないのか?それに話しをしている。俺とも話しをしてくれるのか?凄いなぁ、こんなにデカいなんて、話しには聞いていたが、見たのは初めてだっ!」

昨日の悠然綽綽ゆうぜんしゃくしゃくとした態度の時には思いもよらない、少年のようなキラキラした目をして、興奮して早口でまくし立てる。もっぱら少女より、その背後にいるエルザリーグへの興味でいっぱいのようだ。

「あの‥‥」

「ごめん、ミコト。エルザリーグがミコトに近づく人間にうるさいって知っていたのに、初対面のヤツを近づけた。よりによってコイツを」

「よりによってって何だ。俺を難有なんあり人物のように言うな」

「難有り人物だろ実際。来賓とはいえ、そいつが一番危険に脅かされるところへ、簡単に近づけてしまった。‥‥俺の失態だ」

「‥‥‥なんだ?そこはかとなく失礼な気がするが」

商国の王子が無事であることにホッとするが、好奇心だけで容易く近づいたファーデンに多少腹が立つ。コイツに何かあったら外交問題になりかねないのだから、自分でも気を付けて欲しいものだ。

戸惑ったまま二人のやり取りを眺めていた美言へ向き直る。

「それにしてもその格好、どうしたんだい?」

昨日まで着ていた一風変わった服と違って、エスタリアのドレスを纏った彼女は凄く素敵だった。この子はこんな子だっただろうか。

「えっと、可笑しくないですか?」

「いや、良く似合ってるよ。どこのお嬢さんかと思った」

本当に何処の令嬢かと思うほどだ。

「インタリオ様が奥さんと娘さんのドレスを譲って下さったんです。着方とかはバネットさんに教えてもらいました」

「そうだったんだ。インタリオ様の亡くなられた細君さいくんと娘さんは、ことドレスの流行に煩かったらしいからな。二人の浪費に嘆いておられたのを覚えているよ」

「インタリオ・ティグリウス殿?ティグリウス夫人だったら、良くウチを贔屓ひいきにしてくれていたなぁ」

美言と話しをしていて放置されているのが不満だったのか、ファーデンはこちらが紹介する前に話しに割って入って来た。

「そうだ紹介が遅くなったが、コイツ。いやこの方は、ここより南方の商国グランザートの王子、ファーデン・イル・グランザート様だ」

「ファーデン・イル・グランザートと申します。竜の娘よ」

王子と聞いて驚いているらしく、王子仕様のファーデンの挨拶に、可愛くドレスの裾をにぎにぎして、美言は戸惑っている。

「お‥王子様ですか」

「ファーデンと呼んで下さい」

「は、はい‥‥」

美言は頭を下げる珍しい挨拶を返しながら、ファーデンの挨拶を受ける。そんな三人を面白くなさそうに遠くから眺めていたのだろう、エルザリーグは痺れを切らし、巨体を揺らしながら近づいて来た。

「ミコ~、もうイイでショ。いこうヨ~」

「大きな体で人の傍に近づいちゃダメって言ったでしょ?小さくなってこっちにおいで」

「え~~」

美言は一向に帰ってこないし、一人でいるのも嫌だったのか、しぶしぶと体を人の大きさまで縮めて、こちらへ近づいて来た。

「レキウスはシってる。コイツはシらない」

「おお!身体の大きさが小さくなった!」

一度会って認識した人は忘れないようだ。レキウスには大分慣れたが、ファーデンはさすがに警戒している。ファーデンは恐れず身体の大きさを変えたエルザリーグに興奮しているが、それには触れないで目線だけ向けている。意外に繊細な性格をしているのか?

「やあエルザリーグ、調子はどうだい?」

「チョウし?」

「身体は元気かい?」

「ウン、げんき。それがチョウし?」

「今色んな言葉に興味があるみたいなんです。言葉に何でも反応してるみたいで」

「へぇ、この間よりも話せるようになってきてるじゃないか」

初めて会った時とは雲泥の差だ。試に話しかけてみたが、見事に返って来た。

「コイツはダれ?シンのシりあい?」

エルザリーグに話しを振られて、ファーデンは自分から名乗りを上げた。

「初めまして地の竜」

「ボク、チノリュウなんてナマえじゃナいよ。“エル”だよ」

「そうか、エルと言うのか。私はファーデンだ、よろしくな」

会話が成立しているようで噛み合ってない。まぁ竜とファーデンだからこんなもんかと放置する。

「自分を“エル”と呼ばせているのかい?」

「苦肉の策なんです‥。どうしても自分をエルザリーグと言えなくて、シンと一緒に頑張ったんですが、結局“エル”に落ち着きました。もうちょっと上手に話せるようになったら、再挑戦します」

どうやらエルザリーグを人並みに話せるようにする為に頑張っているようで、敢えて言葉の助けを出さないようにしているらしい。この様子だとまともに話せるのも、そう遠くなさそうだ。

初めはファーデンを警戒していたエルザリーグだったが、拙い話し方にも嫌がらず相手をしてくれるファーデンに興味をもったのか、二人で話しをしている。

すると離宮の入口に、ファーデンに付いてきた、背の小さな男があるじを呼びに来た。

「ファーデン様、もうご出立のお時間です。お昼過ぎには先方様の所に着きませんと、お取引に支障をきたします」

「んあぁ、もうそんな時刻か。とても有意義な時間だったのに」

「お願いします、ファーデン様」

「わかったわかった、行くよ。名残惜しいが近いうちにまた会おう」

とても残念そうに美言とエルザリーグに向き合うと、優雅に異国風の挨拶をし、後ろ髪をひかれるように振り向きながら、呼びに来た男の方へ歩いて行く。

「俺が城外まで送ろう。じゃあミコトにエルザリーグ、騒がしくしてすまなかった。今度はあのような難有りは、いきなり近づけないように極力気を付けるから」

「おい、レキウス!なんか失礼だぞ」

「じゃまた」

聞こえてないと思っていたが、聞こえていたようだ。ファーデンはそんな言葉もじゃれ合いと分かっているから特に怒らず、送ると言っているレキウスを置いて、どんどんと先に行ってしまう。

美言は嵐のように現れては去っていく異国の王子に、始終驚かせられながらも、意外に気が合いそうなエルザリーグとファーデンに面白みを感じながら、去って行く二人に手を振って見送った。

結局あの飄々ひょうひょうとしたレキウスの知人は、自分のしたい事をして城を去って行った。そんなファーデンを城外へ見送った後、あんなに重かった気持ちが、いつの間に軽くなっていることに気付く。

自分の気持ちを軽くさせたのが、結局何だったのか分からないまま、軽くなった心と一緒に、酒も抜けてスッキリとした体をグッとのばして、一つ深呼吸をした。

凝り固まりそうになった気持ちをいったんよそへ置き、スッキリとして空腹を感じたレキウスは、まずはメシだと軽くなった足取りを城下の飯屋へと向けたのだった。




夕食を終え、自分にあてがわれた部屋へ戻った美言みことは、このところ習慣となっている、カバンの中をただのぞくという事をしていた。

小さなチェスト付テーブルの上に置いておいた学生カバンを取り、ベッドに腰掛けてカバンのチャックを開ける。

別に中に何があるわけでもない。

何となく手帳を取り出し中を見た。これからあるであろう学校行事が書かれたスケジュールと、中間考査のお知らせのプリントや、美音みおとと一緒に撮ったプリクラ等が挟まっている。

別の世界の国のドレスを着て、試験のプリントをながめていることに、自分でも少し可笑おかしい気持ちになる。

試験は受けれないだろうな、と漠然とした確信を感じ、苦笑混じりのため息が一つ出てしまった。ここに来て試験の事を考えるなんて、そんな自分に笑ってしまう。

プリントを大事に手帳に挟み、次はカバンから携帯電話を取り出した。

この世界に来て二日目、残りの電池が少なくなりあわてて電源を落とした。落とす前までいろんな方向へ携帯を向けて、電波が届かないかとやってみたが、もちろんダメだった。

また電源を入れて試してみたいけど、残りの電池の残量を考えると、電源のボタンを入れるのを躊躇ためらわれる。

そんな事をしながら、お気に入りの青いトンボ玉の携帯ストラップを触りながら物思いにふけていると、窓の外にある立派なバルコニーの方で物音が聞こえた。

この部屋は、並んで同じ階にある他の部屋と、バルコニーで繋がった作りになっているので、隣の部屋の女官さんかバネットかと思い、窓に近づいて外を覗いて見た。

暗くて外が見にくい。ガラスに顔を寄せてよく見ようとした。

「何だろ。‥‥?見えないなぁ。わあっ!」

外をよく見ようと近づけていた顔の前に、シンが現れたのだ。大きな声を上げて驚く美言に、ジェスチャーで静かにするように伝えると、鍵を開けろと指示してきた。

「ちょっと、こんな所でなにやってるの?」

「少し静かにしてくれ、バネットに気付かれると厄介なんだ」

二つ部屋をへだてた先にバネットが寝泊りしている部屋がある。確かにこんな夜に、女の子の部屋にシンがいたと知れると大変だ。すぐに口をつぐみ、小声で話しかけた。

「それでどうしたの?」

「‥‥いや、特に用って訳じゃないんだが。ここ数日お前の様子を見れなかったと思って」

どうやらこの少年は美言の事を心配して、様子を見に来てくれたようだ。ちょっと照れくさそうに、横を向いてブツブツ言っている。

「それにそのドレス、バネットだろ?」

「うん、そうなの。いつまでも制服姿の私を見かねて、インタリオ様からドレスを何枚か譲っていただけるようにしてくれたの」

「そうだったのか。本当はオレがいろいろ用意してやらなきゃいけないんだろうが、他に忙しすぎてお座なりにしたからな。後からバネットに叱られたよ」

「忙しいんでしょ?王子様は」

シンの身分を知らされていなかった恨みを込めて、ちょっと皮肉っぽく言ったのだが、どうやら通じなかったみたいだ。本当に忙しいのか、肩を落としながら愚痴を言っている。

「ああ、身体がいくつあっても足りない。根本的に人材が少ないんだ。一年前の戦で主要な臣下をずいぶん亡くして、その穴を埋めるのに残った奴らで、毎日てんてこ舞いさ」

「一年前の事、タフト君から聞いた。‥‥その、なんて言っていいか」

「別に気を遣わなくていいさ、もう一年前の事だからな。それに悲しむ暇なんてないくらい忙しいから、改めて言われると逆に戸惑う」

「そっか」

平気だ、と本人は言っているがそんな事はないと思う。家族を亡くして、知り合いもいっぱい亡くしたんだもの。でもその事を他人が悲しんでむやみに掘り返すのは、返って相手に悪い。そう思い、それ以上は言わないことにした。いつまでも窓際で話しているのも変なので、バルコニーに出ようと誘った。

「落ち着いたら聞きたいことが、いっぱいあったんだ」

「そうだろうな」

「分かっていたの?」

これもちょっと恨みを込めて言う。今回は通じたのか、分かっていたと当然のように返事をして来た。

「まぁな。だって、どうしようもないとしても、嫌がるお前を無理やり連れてきただろ?オレが向こうのかいにいた時間は短いが、全く違う界だって事は分かる。逆の立場だったら、もうちょっとオレに、色々問い詰めても可笑しくはないと思っていたんだが」

「私も混乱してて、どうしたらいいか分からなかったから。それになりふりかまわずさわぐって事が、何かできなくて。‥‥本当はいろいろ聞きたかったのよ?」

バルコニーの手すりにつかまって外を眺めていた美言は、後ろですまなそうにしている少年へ、つとめて明るく言った。うらつらみも言いたかったが、ここ数日この国の現状を知り、彼を自分の事でそんなに責められなくなってしまったのだ。

「私いつも遅いの」

「ん?何が?」

急に話しを変えてきた美言に、拍子抜けしたシンは反射的に聞き返していた。

ひどい事や悲しい事や腹の立つ事をされても、その場ですぐ怒りが出てこなくて、少しって一人になると、腹が立っておこり出すの。それでいつも損をするの」

「何とも呑気だな」

シンは笑いはしないが少し呆れた返事をした。だがその態度は美言の予想通りだ。自分でもそう思うのだから。

「私は呑気なつもりはないわ、それなりに考えてるのよ?何で相手がそんな事言うんだろうとか、したんだろうって。で、気付いた時には相手はもうその事を気にしていないのよ」

「呑気だろう。何か言われたらその場で反論しないと、言われ損だぞ?オレだったらすぐ言い返すけどな。後でもっと言ってやればよかったと思う事もある」

そうできるのだったら苦労しない。できたらもっと違う自分だっただろう。そう言ってやりたいが、伝えたいのはそれじゃない。

「だから本当はシンに怒っていたんだけど、もう今はそんなに怒ってないの」

「そうなのか?‥‥いや、でもそんなに・・・・は怒ってるんだよな。まあ当然だ」

美言にそう言われ、シンは拍子抜けしたのか戸惑っているようだった。

「私の国はもう何十年も戦争なんてなくて、家族がいきなりいなくなるなんてことも滅多になくて、皆平和で。でもここはそうじゃない。側にいるはずの家族が次の日にはいないかもしれない。その日生きてるって事が幸せな場所なんだって、そう思った」

「‥‥‥‥‥」

「今の私の状態は、別の世界に来てしまったけど、今すぐ命がおびやかされるものじゃないし、家族が危険なわけじゃない。この国に私よりもっと大変な人達がたくさんいるって分かって、そんな人たちを差し置いて騒ぐんじゃなくて、これからどうするかだと考えるようにしたの」

今までに考え、自分に言い聞かせるように思ったことを、シンへと話す。彼はそんな美言を黙って見つめていた。

「だからシン。私と元の世界に戻る方法を探して欲しい」

そう伝えてきた美言は、初めて会った美言とは少し感じが変わっていた。

あの頃の彼女は下を向き、何事にも少しさがり、自信なさげにしていた。だが今目の前にいる彼女は前よりも上を向き、前を見据えていた。

「はあ‥‥。私、人にこんな風に話すの初めて‥‥‥」

凄く力を使ったように、肩を落としている。その様がこの事を伝えるのが彼女にとって大変な事だったのだと教えてくれる。そしてシンが思っていた反応と違った物を向けられて、色んな意味で驚いていた。

「‥‥‥お前は強いな。一人知らない土地に来て、連れてきた奴を恨みもしないで、自分で何とかしようとしているんだから」

正直恨み辛みを言われる覚悟で来たのだ。なのに彼女は普通の態度でシンと話している。それを強いと感じた。

「そんなことないよ。元の世界にいたときは凄く嫌な子だったもの」

「そうなのか?」

「うん。‥‥お父さんとお母さんに嫌われないように、なるべくいい子でいようとして無理して、ご機嫌を取ったりして。それで自分から皆に気に入られるようにしてるくせに、望まない事となると人のせいにして。それに、誰とでも上手に出来る妹に、勝手に嫉妬して劣等感抱いて」

「‥‥‥それは普通なんじゃないか?」

「え?」

話しているだけで心が重くなる。あの地を離れて忘れていた気持ちが戻って来る。

なのにシンが軽く答えた言葉に、俯いてしまった顔が勢いよく持ち上がった。

「父と母に好かれようとするのは子供として当然だろ?他の人間に気に入られようというのも普通の感情だ。あと兄弟に劣等感を抱かない奴なんていないぞ?」

「で、でも。皆妹と私を比べて違うと言うしっ」

「そりゃそうだろ、違う人間なんだから。むしろ同じな方が変だろ?」

そうだけど。そうなんだけど、皆違うと言って許してくれない。

「周りの人間がそいつと比べてうるさく言うのなら言わせておけばいい。それでクサっていじけていたら、そこから何も変わらない。自分は自分だって胸を張っていればいい」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

何を言われているのか分からないとばかりに、美言は目大きくして、ポカンとシンを見つめていた。シンはちょっと偉そうなことを言ったかと、また照れくさくなり、横を向いて話しを続けた。

「‥‥と、知り合いがオレに言ってくれたんだ」

「シンもそんな事思っていたの?」

言いたい事を直ぐにいえるという彼が、自分と同じような事を考えていたなんて。

「オレの兄上がそれは凄い人でさ。何をやらせても完璧、優しくて思いやりがあって、でもそれも嫌みがなくてさ。弟としてかなうわけなくって。でも父上や母上は兄上を見習いなさいって煩くてさ。オレも言われるように頑張るんだけど、兄上みたくできないし、もうクサって少し荒れ掛けたんだよ。そしたら剣を教えてくれていた前の騎士団の団長がさ、そう言ってくれたんだ」

「前の団長さん?インタリオ様じゃなくて?」

「そう、前団長は一年前の戦で父上について戦場に行って、帰ってこなかった」

前団長の話しをする彼は楽しそうで、そして悲しそうだ。

「‥‥大切な人だったんだね」

「ああ、師匠だったからな。でもその言葉のおかげで、あの後も兄上とはいい関係を築けたと思うし、オレも救われた。だからミコトもそんなに思い悩むなよ」

「‥‥‥‥うん」

自分だけが苦しいと思っていた。

妹と比べられ、養子の件を知り、自分だけひどい目にっていると。

でもよく考えてみると自分が変わってしまっただけで、周りはなにも変わっていなかった。被害妄想で凝り固まっていたのは美言だったのだ。

それをこの世界にきて、シンに教えてもらって初めて気が付いた。心におりがたまっていたものが、スーっと流れていく感じだった。

「お互いいろいろあるんだね」

「そうだな」

心の内をお互いに話したせいか、前より打ち解けたようになった二人は、顔を見合わせて笑ってしまった。

「あ、笑ったな」

「え?」

「初めて笑った顔を見た」

「そ、そう?私そんな無愛想だったかな?」

心配してつい顔を両手で覆った。

「ああ。初めは泣きそうな顔してオレにしがみ付いて、エルの背に乗って怒鳴ってたしな」

「あ、あれは仕方ないじゃないっ。変な怪獣に襲われた後だし、それに攫われて空へ連れて行かれるし!」

「うわっ、バカ。大声出すな!」

つい大声で反論してしまい、他の部屋に聞こえてしまうのを忘れてしまっていた。すると部屋の入口のドアをノックする音が聞こえた。

「ミコト?いますか?」

「ほらみろ、バネットが来た。オレはもう行くからなっ!」

そう言い放つとバルコニーから側の大きな木に飛び移り、スルスルと木を降りて行ってしまった。するとまたノックの音がした。

この後のバネットに何て言い訳をすればいいのだろう。その事を思うと気が重くなるが、ここで引くようなバネットではないと覚悟し、ノックを叩き続けるバネットを迎え入れるために、ドアを開けに行くのだった。




美言みことの部屋へ行った次の日、シンは仕事道具を抱え断崖だんがいの離宮にいた。

今まで広間のテーブルが広いという事と、食事を取る時間も惜しかったという理由で、食事を取る広間で書類仕事をしていた。

今回のグリアデス皇国からの襲撃のせいで、街の保全や修繕、諸侯の納税の上乗せの件や他国への食糧物資等の要請等、他にもたくさんの問題が山積みとなって、うんざりしていた。

いい加減嫌になって、息抜きもかねてエルザリーグの所へ逃げてきたのだ。

どうやら今日は美言はいないようだ。最近の彼女はエルザリーグの話し相手をしがてら、エスタリアの文字を覚えようとしているようで、図書室に通っているらしい。昨日も話しをして知ったのだが、彼女なりにこの世界でやるべき事を見出し、前向きに動き出しているようだ。

彼女には悪い事をしたと思っている。

嫌がっていたのに平和な彼女のかいから、戦の絶えないこのかいに強引に連れてきてしまった。

言い訳を言わせてもらえば、あれはエルザリーグが彼女を捕まえて離さなかったのがいけないのだが。

正直面と向かって罵倒ばとうされると覚悟していたが、彼女はそうしなかった。怒っているとは言っていたが、それよりもする事があると、やるべき事があると言ったのだ。

シンは彼女の変わりように驚いていた。

初めて会った時はイジイジして暗い奴だと思ったが、エスタリアに来てエルザリーグの世話を任せたあたりから、下を向きがちだった姿勢が、いつの間にか顔を上げ、しっかりと言葉を出すようになっていたのだ。

何が彼女をそうしたのかは分からないが、この国に来た彼女は、来た頃より解放感にあふれているようだった。

それに彼女の姿に驚いた。

インタリオに貰ったと言っていたドレスだが、とてもよく似合っていたのだ。

本当は美言に見つかるだいぶ前にバルコニーにいたのだが、窓をたたいて気付いてもらおうと部屋をのぞいた時、ドレス姿の彼女が物憂ものうげにベッドに腰掛けている姿に目を奪われ、声を掛けれなかったのだ。

濃紺のうこんのドレスの生地が、彼女の象牙色の肌を際立たせ、腰までの淡い茶色の髪が顔の横を流れて、別人に思わせていた。部屋を間違えたかと思った。

だがその日の昼間、女官長のバネットに捕まり、美言の件で散々叱られたのだ。その時にドレスを用意したと言われていたのを思い出し、見覚えのあるカバンの中から物を取り出しながめているのを見て、彼女だと分かった。

一度窓の脇へ隠れ、動揺した気持ちを落ち着かせようとする。

よく考えればこんな時間に男の自分が女性の部屋を訪れるなんて、とんでもないことをしていると気づき、様子を聞くのは別の日にしようと帰ろうとしたのだ。そしてバルコニーの手すりに足を掛けようとした時に、思っていたよりも動揺していたのか、足を掛け損なってしまったのだ。

そしてそれに気付いた美言に見つかり、仕方がなく当初の目的を果たすことになった。

我ながら格好悪い。バルコニーで話しをしている最中も、本当は落ち着かなかった。

ここまで彼女と話したのは初めてだったし、その胸の内を聞いたのもその時が初めてだった。自分なりに一生懸命考えている彼女に対し、シンは必ず彼女を元の世界に帰さなければならないと、言葉にしないながらも誓ったのだった。

昨日の事が頭をよぎって、まったく仕事に手が付かない。

離宮の脇にある崖側の、草の茂った木陰で持って来た書類を広げていたのだが直ぐに放り、その場に寝転がった。

「オレに政務をしろってのが無理なんだよ」

一通り王族としての教育は受けていたが、国政の仕事は兄がやっていたし、自分は騎士として剣ばかり振るっていた。その時の付けが回って来たみたいだった。

目をつむりため息を付くと、自分の上を影が横切った。どこかへ行っていたエルザリーグが戻ってきたようだ。

最近のエルザリーグは着地と同時に体を縮めることを覚えたのか、小さなスペースでも難なく着地できるようになった。持ってきた書類が風で飛ばされないように押えながら、側に降り立つエルザリーグを待つ。

「シン、またサボり?イニアスがよびにクるんじゃナイ?」

「いいんだ。少しは息抜きさせてくれ」

「フーン」

まったく仕事をする気が無くなり、持ってきた書類を綺麗にまとめ脇へやる。寝転がった体勢を横へ向けて、片肘を付いてエルザリーグを見る。

「お前いつもどこへ行ってるんだ?」

「そらだヨ?」

「それは分かってるよ。空の何処なんだ?」

「どこって、ココのうえグルグルだヨ」

「グルグルってエスタリアの上を飛んでまわってるのか?」

「そー」

それの何が面白いのか分からなかったが、エルザリーグの興味をさそう何かがあるのだろう。契約した直ぐ後、背中に乗って空を飛んだが、その光景は目をみはるものだった。

「まぁいいが、あまり遠くは行くなよ?あまり帰ってこないってのは心配だからな」

「それはダイジョぶ。シンからあまりハナれると、きもちワルいから」

「気持ち悪い?」

「ウン。なんかウニュウニュしてきもちワルい」

「ウニュウニュ‥‥‥‥」

「ボクはシンによばれてキたからネ。シンからハナれると、ヘンなかんじになるんだヨ」

「そうなのか」

「そー」

大分言葉が上手くなったおかげで、前より何を言っているのか分かるようになってきた。契約の影響なのか、シンとエルザリーグはどこかしろ何かが繋がっているらしい。シンには感じられないが、エルザリーグからはシンが何処にいるのかも分かるのかもしれない。

「<盟約めいやくの儀>で竜と契約するのは、ここの王家の伝統みたいなもんだが。お前の方は契約についてはどうなってるんだ?」

「けいやく?んー‥‥‥」

難しい事を聞いてしまったか?早すぎたかと思ったが、エルザリーグなりに何か考えているようだ。少し待ってみる。

「“あお”がよばれてイっちゃったから」

「“あお”?」

「ウン。ボクよりさきにココにきたデしょ?蒼いウロコのリュウ」

「それって、まさか‥‥グランツァか?」

「なまえグランツァってイうの?」

「ああ、兄上が四年前に<盟約めいやくの儀>で契約した竜が、蒼い鱗の竜のグランツァだ」

「じゃあ、そのグランツァがココにさきにキっちゃって、ボクつまんなくて、そしたらシンのよぶこえがキこえたから、キたんだ」

呼ばれたから来る。確かに儀式で竜に呼びかけるが、それがまさか本当に竜へ届いているなんて、思ってもみなかった。今凄く大事なことを聞かされてるんじゃないだろうか。

「じゃあお前たち竜は何処にいるんだ?この世界の何処にもいないし、ミコトみたいに違う界にでもいるのか?」

「んーとネ、これはナイショなんだけど。ちょっとトオくにある界に、カクレザトがあってネ。そこにボクたちの一族がいるんだ」

「隠れ里‥‥」

「シンだからイウんだヨ?ほんとうはナイショなんだから。いったのワカったら“真紅しんく”にオコられるんだからっ」

自分で言ったくせに焦るな。言ってしまった後に気付いたのか、必至にシンへ内緒だと迫る。

「わかったわかった、誰にも言わないよ。それより“蒼”とか“真紅”ってお前たちの名前か?」

「ウン、そー」

「じゃあオレが付けた名前の前に、呼び名があるんじゃないか」

「ヨびナっていっても、ボクたちのからだの色だモン。それにけいやくのナマエはタマシイのヨびナになるから、ボクは“エル”だヨ」

「魂の呼び名か。それじゃあ、元の名前が体の色なら、お前はクロか?」

「よくわかったネ!シンすごい!」

「‥‥‥‥‥わからいでか」

しきりに感心しているエルザリーグを放置し、さっき言っていた事を思い出す。

竜には違う界に“隠れ里”があり、他にも仲間がいるらしい。それは一族でいて、<盟約の儀>で呼ばれるとこちらの界に来て、名を受け取るようだ。

そんな事は今まで分からなかった。文献でもこちら側の見解だけで、竜の事情は書かれてはいない。

それはそうだろう、今までどこを調べても話しをできる竜はエルザリーグだけなのだろうから。

これは少しずづでもエルザリーグからいろいろ聞いた方がいいかと考え、一緒に竜について調べているイニアスへ、後で相談しようと決める。

「あ、ホーラ。イニアスがきたヨ」

いずれ見つかるだろうとは思っていたが、意外に早かったみたいだ。側にエルザリーグがいるせいで、直ぐに居場所が知れてしまった。

「こんな所に書類持ち込んで。どうせ進んでないなら、堂々と休めばいいのに」

「やってるって姿勢を見せてないと、ストラーダが煩いんだ」

「いいじゃないか、仕事の大部分はストラーダ様が請け負ってくれているんだろ?君は必要な物に目を通してサインをすればいいんだから」

「簡単そうに言うが、量が半端ないだろう。最近じゃ剣だこ・・・じゃなくてペンだこ・・・・ができそうなんだぞ」

父の側近で生き残った数少ない家臣のストラーダは、主に財務を請け負っていた。だが皇国の襲撃後は財務だけでなく政務の方も手伝ってくれているのだ。

「それよりシン。商国しょうこくグランザートから正式な書簡がきているよ」

「やっぱりきたか」

「多分ファーデン王子が言っていた内容だろうね。どうする?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

予想はしていたが、いざ商国グランザートから協力の申し出が来ると、どうしたらいいか悩んでしまう。まだ書簡の中を確認したわけではないが、十中八九予想通りだろう。

「取りあえず広間に戻ろう。書簡を見てみないことには何とも言えないからな」

「そうだね」

考えなきゃならない事は山積みだ。ミコトを元の世界に帰す方法も調べなくてはいけない。

最近多くなってきた眉間のしわを押さえつつ、脇にやった書類を抱えると、呑気そうにこちらを眺めているエルザリーグを見る。

「シン、またネー」

そう声を掛けられて、脱力してしまう。重くなる足取りをイニアスの方へ向けて、山積みの問題を指で数えながら、逃げてきた広間へと戻って行った。



のちにその商国からの書簡は、美言を新たなる土地へいざない、大きな運命の本流へと向かわせる呼び水となるのだった。



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竜は天に恋をする 宇野原トモエ @muumuu_mhf

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