何処か知らない場所の始まり

第2話

双子の姉妹が似てないと言われても、小学校の低学年くらいまでは気にならなかった。それが高学年になり同じ組の子に、改めて言われるようになって、それはおかしい事なのかな?と疑問に思うようになり、なるべく美音みおとと同じ格好をするようにした。

だけど格好だけ変えても、生来の見た目や性格が似るわけじゃない。

明るくて甘え上手な妹。引っ込み思案で遠慮がちな姉。もともとおとなしめの私がどう頑張っても美音みおとのようになれる訳がない。むしろ今まで以上に言われるようになり、中学に上がってからは逆に、美音みおととは正反対の物を選ぶようになっていた。

美音がピンクが好きだと言えば、自分はブルー。美音がお肉がいいと言えば、自分はお魚。美音が遊園地がいいと言えば、自分は美術館。

甘えべたな私の意見が通ったのは、五回に一回がいいところ。結局は美音に押し切られて自分から譲ってしまうからなのだが。

だがそれもあの時からもっと酷くなった。自分だけが血が繋がっていないかもしれない。家族じゃないかもしれない。その事が美言みことに自分を表に出すことを躊躇ためらわせる。

疎外感、罪悪感、妬み。それは一層美音に向く。

こんな事思いたくないのに、考えたくないのに、気付くと一人でイジけて自己嫌悪におちいる。


美言みことちゃんってさー、美音ちゃんとちがって暗いよねー」

「あんまり話ししないしねー」


「美言ちゃんて、美音ちゃんみたいに皆と遊ばないの?」

「運動苦手なの?」


「美言先輩って、美音先輩ほど友達いないよね」

「静かすぎて、面白くないんじゃない?」


別に騒ぐのが苦手なだけで、暗いつもりはないし、積極的に身体を動かす事が好きじゃないだけで、運動神経は悪くない方だと思う。人に合せるのが苦手なだけで、友達がいないわけじゃない。

どうしてありのままの自分でいようとするのに、違うと言われるんだろう。

美音と一緒じゃなきゃ変なのかな?でも一緒だとそれはそれで違うと言われる。じゃあ私はどういう人間?どういうのが好き?そして、―――――――どこの誰?

「‥‥‥‥‥‥わたしは、誰?」

つぶやき目を開けると、外は明るく窓から気持ちの良い風が流れていた。眠っていた?自分の部屋じゃない、知らない部屋だった。

身体を起こそうとするとあちこちが痛い。筋肉痛のように身体が怠い。軋む手足を我慢しながら動き、自分が横たわっていたベッドから起きると、外から物を叩く音や人の掛け声が聞こえる。窓まで歩いて行き外を覗いた。

外は半壊した建物を修理している人や、瓦礫を片付けている人、その周りを駆け回る人など、色々な人が作業をしていた。

「ここは‥‥‥。確か私、怪獣に襲われそうになって‥‥」

そうだ。ここに連れてこられたんだった。エルザリーグとシンに。

この国に連れてこられて、お城に来て‥‥で、あれ?その後の記憶がない。どうしたんだろう。何でこの部屋で寝ていたのかな?

制服のボレロは誰かが脱がしてくれていたみたいで、ベッドの横に置いてある椅子に掛けてある。その他はそのままだ。

「あ!私のカバン!」

よく思い出してみる。確か怪獣に襲われる前までは持っていた。ということは、あの教会に置いてきてしまったんだ。

カバンが手元にない事が凄く心許ない。知らない土地に連れてこられて、元の世界と自分を繋ぐ物はカバンしかない気がした。あれには今や大切な物がいっぱい入ってるのに。

「‥‥‥取に行かなきゃ」

そう決心すると、脱がされていた靴とボレロを着て扉へと向かい、ドアノブを回す。鍵はかかっていない。

こそこそする必要はないとは思うのだが、開いた扉からそっと顔を出して人がいないのを確認すると、外に出れそうな方向へ急いだ。

ここはお城の中だろうか。石の柱に壁、それに絨毯が敷いてある。初めて見る建物にキョロキョロしながら歩いていると、外に出れそうなエントランスに出た。扉は開いている。

外に出て自分がいた建物を仰ぎ見ると、それは礼拝堂に隣接している建物だった。

その建物の後ろには、向かって右の棟を崩された、白壁の大きなお城がそびえ建っていた。

「うわぁ、凄い。こんな建物、ナマで初めて見たかも」

でも大分壊れている。そういえばシンが壊されてしまったと言っていた。辺りをよく見ると、城壁に穴が空いていたり、建物が倒されたりしている。

壊された・・・・という事は壊した人がいるわけで、ソレにこんなにされたって事だ。

その壊れた城壁を直している人たちの横をすり抜け、取りあえず連れてこられた教会に行こうと、城から街へと続く道を下り、街並みへ入ろうとした。

「ちょっと!ちょっと、そこの人!」

街の中も所々壊されていて、威勢の良さそうな男の人達が、騒ぎながら建物を修復している。それを眺めていて気が付かなかった。

「もう!声かけてるんだから、ちょっと待ってよっ」

一際うるさく叫んでいる人がいるな、と思っていたら、相手は自分だった。

肩を掴まれビックリして振り返ると、両手を膝について荒い息をついている男の子が、苦しそうに肩を上下させて話しかけてきた。

「部屋を見に行ったらいないんだもん。まさか一人で街まで下りてるなんて思わなくって、城内を探しちゃったよ」

「えっと‥‥?」

「オレ、タフト。騎士の見習いをやってるんだけど」

「うん。そのタフト君が‥‥私に何?」

「何?じゃないよ。君が起きたら食事させるように言われてるんだ。さぁ、帰ろう?」

どうやら私を探しに来たみたいだった。この子が面倒を見てくれたのかな?だとしたらお礼を言わなくちゃ。

「あの、君が私が眠っている間、見ていてくれたの?」

「え?ち、ちがうよっ!女の人が眠っている部屋に入るなんて事しないよ!君が眠っている間はバネットさんが見ていてくれたはずだよ」

「バネットさん?」

「うん、女官長のバネットさん」

よかった。年下だとしても男の子に、眠っている間面倒を見てもらったなんて恥ずかしすぎる。すると深く考えないようにしていた、服を脱がしてくれたのも、そのバネットさんだろう。そう信じよう。

「取りあえず帰ろうよ。オレ、君が起きたことを知らせたから、多分食事の用意がされていると思う。ずっと寝てたもん、何か食べた方がいいよ」

「私、どの位寝てたの?」

「丸二日かな?だいぶ疲れてたんだね。さぁ、いきなり無理すると良くないよ?戻ろう」

来た道を戻るように促されるが、私は教会にカバンを取りに行きたいのだ。困ってしまってその場から足を動かせないでいる。その事を言ってみようか。

相手を伺いながら、しどろもどろに話してみる。

「あの私、取りに行きたい物があって‥‥」

「取りに行きたい物?」

「そう、私の持っていたカバンなんだけど、多分教会の中に置いてきちゃったのかも」

「カバン?なにそれ」

カバンが分からない?ここにはカバンが無いのだろうか。他に何か言い様があるか、相手の様子を探ながら話しを続ける。

「荷物なんだけど、この位の抱えられる程の物で、中に私の私物が入っているの」

「ああ、手提げ袋の事?教会に置いてきちゃったの?その教会って西かな、東かな。どちら共ここからだとちょっと時間がかかるよ?」

私物の荷物を昨日の混乱で置いて来てしまったのが通じたようだ。それに有無を言わさず連れ戻されるんじゃないみたい。少年は美言の話しに頭を悩ませてくれている。絶対手元に戻したいので、必死にお願いしてみる。

「でも大事な物なの」

「うーん‥‥、じゃあこうしよう。後でオレが探してきてあげる。まずは君を連れ帰らないと、オレ上官に何言われるか。それで今は納得して?」

美言の様子から必死さが伝わったのか、少年は代わりにカバンを取りに行ってくれると申し出てくれた。今は上官からの命令が優先なのか、まずは私を連れ戻すのが先らしい。自分が戻らないせいで叱られるとあっては、それを嫌とは言えない。タフトが後で探してきてくれるというし、自分で行っても場所が分からなそうだ。本当は自分で取りに行きたいが、そう言われては仕方がない。

「ありがと、助かるよ。もうインタリオ様怖くってさぁ」

よほどその人が怖いのかタフトは胸を撫で下ろし、美言みことを促しながら、来た道を戻って行った。

「ねぇ、タフト君。聞いていい?」

「ん?何?」

「お城と街、なんでこんなに壊れてるの?」

「え?!」

物凄くビックリされてしまった。聞いちゃいけない事を聞いたのだろうか。

「あ、ごめん。気を悪くしたのなら、答えなくていいよ」

「いや、ちがうちがう。君知らないの?」

「何を?」

「‥一年前エスタリアは、グリアデス皇国にいきなり攻め込まれたんだ」

「グリアデス皇国‥‥」

「それまでエスタリア騎士国とグリアデス皇国は友好を約束していたのに、皇国はラルフェイン様の立太子の儀の時、その約束を違え攻めて来たんだ」

その時の事を思い出しているのか、壊れた城壁を見つめながら、険しい顔つきで話してくれる。

「その時の爪痕だよ」

「‥‥そうだったんだ。何か無神経なこと聞いちゃったね」

「ううん。むしろ君がこの事を知らないのがビックリした。見たことない格好だし、遠くから来たんでしょ?じゃあ知らなくても仕方ないかもね」

遠く。‥‥あながち間違いじゃない。それに私はこの世界のどこにいる人よりも、この世界に対して知っている事はない。

「この話しは有名だよ。エスタリアは大地の盟約を守る騎士の国だからね。歴史も古いし竜もいる。それもあって他国からは神聖視されているんだ。そんな聖国に攻め込んで来た戦の話だもん。その時はあり得ないって、近隣諸国は大騒ぎだったって話しだよ」

だんだん来るときに出てきた城壁が見えてきた。その城壁の門の前に黒いコートを着た人物が、仁王立ちして美言達を待っている。

「シンフェイン様!」

彼はしかめっ面をして何だか怒っている。私が何かしたのか?いや、眠っていただけだよね。不機嫌なオーラを漂わせているシンに、つい言い訳を考えてしまう。

「あ、あのね。起きたらカバンが無くて、それで取りに行こうと思って」

「ようやく起きたか。待ってたんだぞ」

「私二日も寝てたらしくて。な、何か用があった?」

「おおありだっ!あいつを何とかしてくれ!」

「あいつ?」

「エルザリーグだ!」

怒っているのは私に対してじゃなかったようだ。でもエルザリーグ?あの子が何かしたんだろうか。話しが見えなくて首を傾げていると、脇にいたタフトが話しに割って入った。

「待ってください、シンフェイン様。この人にはインタリオ様が食事を用意しているんです。オレ連れて行かないと、どやされます」

「食事?まだだったのか」

「でも私お腹すいてないから、いい」

「良くないだろ、何日食べてないんだ?オレとしては直ぐに来てほしいが、軽く腹に何か入れておいた方がいいな。分かった、オレも一緒に行く」

どうしても美言に来てほしいのか、美言が食事をするのを待っていてくれると言う。何があったのか気になるが、まずはタフトの目的を達成させてあげるために、美言が寝かされていた建物へと向かっていった。




美言みことの帰りを待ち構えていたシンを連れて、抜け出してきた館へ戻り、タフトが手配してくれた食事をいただく。今は朝食の時間をだいぶ過ぎてしまったようで、食べるのは美言みことだけだ。

用意された食事は、暖かいミルクにパンを浸した、ほんのりと甘い優しい味の物だった。空っぽになった胃に染み渡る。口にして、ほっ‥と息をつく。

「どう?おいし?」

十人は腰かけれそうなテーブルに三人だけで座り、右斜め前に座ったタフトが心配そうに覗き込んできた。

「うん、何かほっとする」

「よかった。オレはシチューの方がいいって言ったんだけど、バネットさんが女の子だから、起き抜けは甘い方がいいって言うんだ」

「そうだね、私起きたばかりはあまり食べれなくて、チョコレートで済ますことも多いんだ」

「ちょこ、れーいと?」

「え?」

あ、この国にはチョコレートは無い?どう説明しよう。

「あ、のね。私の居た所の食べ物で、甘いお菓子なんだ」

「へぇー、そうなんだ。朝から甘いものなんて、意外に裕福?」

どうやら誤魔化せたみたい。別の世界から来たことは内緒にしておいた方がいいのかな?これからの身の振りに迷って、タフトとは逆の左斜め前に座っているシンに目を向けると、こっちの話しは全く聞いてなかったのか、不機嫌そうに組んだ足をブラつかせていた。

何があったんだろう。私が起きるのを待っていたってのは、私に関係することなのかな?できれば不機嫌な人物には極力触れたくないのだが、当人が自分をご使命なのだ。これから何を要求されるのか不安だ。

「食べたか?」

「あ、はい。ご馳走様でした」

「もういいの?あんまり食べてないじゃん」

「もう十分。いつも私これくらいだよ?」

おかわりを持ってきそうな勢いだったので、身振りも踏まえて遠慮した。すると少なめにミルク粥が入っていた皿を覗き込み、こちらを疑うように見る。

「えー、少なすぎる。これじゃあオレだと、前菜だよ」

「タフト君の食べる量は多そうだね」

自分より三つほど年の下の男の子だ。成長期で食べても食べても足りないのだろう。そんな年頃の子と比べるのが間違っている。

「よし、食べたなら行くぞ」

美言とタフトのやり取りはまったく気にしていなかったのか、待ってましたと言わんばかりに、こちらが席を立つ前にシンは扉へと向かった。

イライラしているみたいで、足取りが荒い。見失わないように小走りで後を追う。

「あの、どこへ行くの?」

「城の奥」

「そ、そんな所に入ってもいいの?」

「大丈夫だ。それよりも優先される事がある」

「それって、エルザリーグの事?」

黒い竜の名前を出すと、シンが忌々しげに顔をゆがめる。言葉に出すのも腹立だしいのか、黙ってしまった。ずんずんと先に行ってしまうシンに、時折走りながら付いて行く。その途中に回廊を通り、大きな階段を上り、どんどん奥へと進んで行く。

すると進む先の建物が削られたように崩され、部屋がなくなっている場所に着いた。その崩されて外が見える壁を覗くと、庭のような広場の先に、断崖絶壁の岩山を背にした祭儀場があった。

深い崖が祭儀場の下まで続いているようだ。落ちたらひとたまりもない。

「こっちだ」

崖の深さに驚いていると、祭儀場の脇にある建物にシンが呼んだ。こんな所に建物?地震大国の日本出身の美言は、つい建物の耐震を気にしてしまう。

離れだろうか。それに向かう彼に走って付いて行くと、先に建物に入ったシンがため息を付いた。

「イニアス、どうだ?」

「あー、シンか。僕じゃどう考えたって無理だよ、呼んでも崖向こうから来ない」

「まぁそうだろうな。オレにだって言う事を聞くような聞かないようなもんだし」

「その子が例の?」

「ああ、やたらとエルザリーグが懐いてたから、もしやと思って連れてきた」

その離宮の中には、どう見ても荒事には向いていなさそうな男の人が、崖側の大きな扉を開けた先にある庭に立って、崖向こうの岩壁を見ていた。

見ている先に、黒い鱗を輝かせた竜がいる。

「ミコト、ちょっとあいつを呼んでくれないか?」

「え?私が呼ぶの?」

「お前が気を失うように眠ってから、この部屋にあいつを連れてきたんだが、素直にこの離宮に入ってくれなくてな。何が嫌なんだかねて崖向こうからこっちに来ないんだ」

「‥‥ねて」

竜が拗ねる。まぁ犬猫も拗ねるのだから、竜だって拗ねることがあるんだろう。崖を挟んで向こうにいれば、こちらにいる人は何も手を出せない。いくらシンが呼んでも、無視してあそこから動かないらしい。それをまたもや忌々しげに顔をゆがめて教えてくれた。

「オレの声が聞こえているくせに、無視しやがって」

「まぁまぁ、怒らないで。取りあえずこのお嬢さんに呼んでもらおうよ」

「そうだな、頼む」

私なんかが呼んで答えてくれるのか分からないが、促されるまま扉の外へ出て、崖ぎりぎりに立ち、崖向こうにいるエルザリーグに向かって叫んだ。

「おーーーーーい、エルザリーーーグぅーーーっ!」

この岩壁の構造なのか、美言の声が木霊こだました。すると黒い竜はガバっと顔をあげこちらを見ると、キュイィッと一声鳴くや、大きな図体ずうたいを崖に躍らせ、こちらへと飛んできたのだった。

「何だろ、今までの苦労が‥‥」

「あんにゃろ~」

日に当たると鱗がキラキラして綺麗だな、と思っていたら、どんどんと大きな体がこっちへ近づいてくる。何か身の危険を感じてきた。まずい気がする。

「あっ、危ない!早くこっちへ下がって!」

「部屋へ入るんだミコト、突っ込んでくるぞ!」

言われるまま走ってシン達がいる所まで戻った。すると背中に強い風をあび、前へつんのめり転びそうになる。咄嗟とっさにシンが受け止めてくれた。

支えられたまま振り向くと、先ほどまで美言が立っていた所にエルザリーグがいる。あのままいたら押しつぶされるところだった。

「いやぁ~、見事に一発で飛んできたね。お嬢さん何者?」

「‥‥何だろ、このふつふつと込み上げてくる怒りは」

今までここにエルザリーグを呼ぶ為に、相当苦労したのだろうか。二人は身体が大きすぎて離宮内に入れないエルザリーグを、それぞれ独り言を言いながら眺めている。この部屋にあの子を入れるのだろうか。どう見ても体が大きすぎて入らない。

「さて、このでっかい体を何とかしないとね。やっぱり儀式の際に途中で邪魔が入ったせいだろうと思うんだけど」

「レキウスとも話しをしたんだが、オレが与えた名前を認めてないせいじゃないかって。儀式の最後に竜が認めないと契約が成立しないらしい」

シンとイニアスは先程の衝撃も、いま衝撃を加えられている建物も無かったのように話しを始めた。どうやら私は無事に役目を終えたらしい。まぁ、役目と言っても呼んだだけで、大したことはしてないのだが。

局外きょくがいの騎士は物知りだね。さすがは元エスタリアの騎士だ」

「あいつは兄上とも仲が良かったからな、グランツァの事もよく知ってるし」

大きな体を何とかして中に入れようと頑張っているエルザリーグをそのままに、シンとイニアスは一向に動こうとしない。建物もきしんでいるし、美言はエルザリーグが可哀そうになってシンに話しかけた。

「ねぇ、何とかなるならしてあげて?身体が傷ついちゃうし、建物もこわれちゃう」

「あのくらいでヤツの体に傷は付かない。大丈夫だ」

「でも必至ひっしだし、何か可哀そう」

「いや、少し必至ひっしそうなヤツの姿をながめさせてくれ。何か胸の奥がスッとするんだ‥‥」

ちょっと遠い目で明後日の方向を眺めている。よほど怒っていたのかな。だけどいよいよ扉の蝶番ちょうつがいがおかしな音を立て始めると、イニアスがシンを呼んでエルザリーグに近づいて行った。

「えーっと、やり方は前にも教えたと思うけど、一応言うね。竜の額に右手を当てて、名前を言う。すると竜がこうべを下げるから、そうしたら承諾の意だから」

「この暴れているヤツの額に手を当てろと‥‥?オレに死ねと?」

「無理かな?」

「無理だろ」

「あのー、お嬢さん」

イニアスが美言へ振り返って、手招きをして呼ぶ。

「ちょっと手伝って欲しいんだけど、いいかな」

「はい、できることがあれば」

「エルザリーグに静かにするように言ってくれないかな」

また私が言っても、と思うが先程の経験上ダメともいえない。この場を何とかしたいのは美言も一緒なのでやってみる。

「エルザリーグ静かにして、ね?今シンが何とかしてくれるから」

癇癪かんしゃくを起こすように地団駄じたんだを踏むエルザリーグに、何回も美言が話しかけていると、分かってくれたのか静かにそこに座り、顔をシンに寄せてきた。

「さ、やっちゃおう。シン」

「わかった。“―――――盟約により名を捧げ名を与えん。我が言葉より、汝この時より名をエルザリーグとする”」

シンは顔を寄せている竜の額に右手を当て、そっと唱える。エルザリーグは閉じていた瞳を開いて、背後に立つ美言をじっと見つめてきた。綺麗な金色の瞳をこちらに向けると、納得したのかゆっくり目をつむり、シンへこうべを垂れたのだった。

その時シンとエルザリーグからフワリと風が起こり、不思議な声が辺りからきこえた。

「ああ、凄い。これが契約のうただね。まさか自分が聴けるなんて、感激だ」

これがうたうたというよりも音かな?風の音にも似ている。何だろう懐かしい気もする、そんな不思議な唄だった。他の人もそうなのだろうか。イニアスに聞いてみようと思っても、彼は一人えつに入ってこっちに気づいてくれない。だめだトリップしてる。すると唄は止んで竜が顔を上げた。

「どうだエルザリーグ、これで体の大きさを簡単に変えれるようになると思うんだが」

エルザリーグは体を見渡すと前に顔を向け、力むようにする。すると風船が縮むように、人と同じ大きさまで体のサイズを変えてみせた。

「成功だな」

「やっぱり契約が不十分だったんだ。これで体の大きさも自由に変えれるだろうし、言う事も聞くようになるんじゃないかな?」

小さくなったエルザリーグは、離宮にちょうどいい大きさになっていた。背の高さはシンの肩くらいで、一緒にいても邪魔にならなそう。そう考えていると、小さくなっても力が強そうな走りで美言に近寄り、目の前で止まる。

「やっと側に行けたってか?もうちょっと言う事を聞いておけば、こんなことにならずにすんだのに。これからはオレの言う事をよく聞けよ?」

やっと問題が解決したおかげでシンもほっとしたのか、苦笑交じりに小さくなった竜に言いつける。だがエルザリーグはそんな彼に振り向きもせずに、美言へ向いたっきりだ。

すると口をモゴモゴさせている。何がしたいんだろうと見つめていると。

「ミ‥。ミ‥‥コ、ミコ、ミコ!」

「え?」

「ミコ、スキッ!」

「はぁ~~~~~?!」

へぇ、エルザリーグってしゃべれるんだ、竜ってすごいんだな。と感心していると、シンが思いっきり叫んでいた。

「しゃべっただと?!こいつ話せるのか!おい、イニアス!!」

「え、ええ~~~?文献には話せるなんて、載ってなかったよ~~」

無邪気な竜以外、その場にいる人間は三者三様に驚いて、呆然と突っ立っているのだった。




シンの契約竜・エルザリーグが、片言なりとも話すことができるという事実は、周りを驚かせ、ちょっとした騒ぎになった。

あの後、自分が寝かされていた館へ戻ろうとした美言みことを、行かせまいと必死に「ヤダ」を繰り返すエルザリーグに根負けしたシンとイニアスは、今後の竜の世話を一時的に美言みことへと頼んできたのだ。

それから美言のエスタリアでの生活は、初めに自分が寝かされていた館、城内の礼拝堂の居住区から、断崖の離宮への往復の日々へと変わっていった。

「おはようございます。お勤めご苦労様です」

朝食を終えた美言は礼拝堂を出て、通り道の途中にある騎士の宿舎の前で、出仕しゅっしの支度をしている騎士たちに挨拶をすると、二言三言話しかけられる。

結局美言が寝泊りする所は、初めに使っていた部屋に落ち着いた。城内に部屋を用意するとも言われたのだが、それは慎んで辞退した。

日本の一般人として今まで生活していたのだ。いきなりお城の中で暮らせと言われても無理。絶対緊張して居心地が悪いに決まっている。それに他人に世話を焼かれたり、食事を給仕してもらうなんて落ち着かないし、そんなの1、2回行った高級レストランでしか経験したことがないくらいだ。それがずっとだなんて、そのうちストレスで寝込む自信がある。

ここに連れてこられて数日、見知らぬ土地に見知らぬ人々、それに元の世界に帰れるのか分からない状況に、気持ちが塞いでいた。そんなただ衣食住を与えられただけの、身の置き場がなかった数日に比べて、身の回りのことを自分でやり、与えられた仕事をこなす毎日に、気持ちの張りも出てきた。そして心の奥底でくすぶっている不安感を、この国の事を知ることで抑え込み、それに没頭した。

「竜は人の言葉を話せるんだって?俺達の言ってること分かるのか?」

「ほとんど分かるみたいです。片言ですけど、ちゃんと話ができますよ」

「へぇー、伝承の初代契約竜は人の姿になることができたって言うけど、あの竜もいずれそうなるのかね」

「それは伝説だろう?いくらなんでも、あの姿から人間になるなんて、想像がつかないよ」

美言がエルザリーグの世話に通っていると知れると、通りがかりの人達が話しかけてくるようになった。自国にいる唯一の竜に、皆興味津々みたいだ。適当に話を切り上げると、最近通いなれてきた断崖の離宮への道へ足を運ぶ。

お世話と言っても、特にすることはない。イニアスに教えてもらったが、竜は大気に流れるフォルティアという物を糧に生きているらしく、食事をとることもない。体を大きくしたり、翼を出したり広げたりできるのは、竜がフォルティアの集合体だからだそうだ。

なら何をするのかというと、もっぱらエルザリーグの話し相手だった。

断崖の離宮に着き、中を覗く。どうやらいないようだ。とすると、崖向こうにいるのかな?それにしてもこの崖はいつみても凄い。お城の一番奥にこんな所があるなんて。

図書室で読んだ中世ヨーロッパの城の構図には、城内に崖、穴のたぐいはなかった気がする。ここは何か特別な場所なのかな?

崖に落ちないように気を付けながら、広場の先にある丸い祭儀場へ近寄ってみた。石造りの床で、円形に模様のようなものがあり、同じく石でできた五本の柱を周囲に巡らせてある。向こうから見ると離れ小島のように崖に浮いているように見えるが、下からそびえ立つ、太い柱のような岩の上に祭儀場があるのが分かる。柵はない。

「うわぁ、怖い」

なんとも神秘的な風景に近寄ってみたが、実際は結構怖い。慎重に下を覗いて見ていると、後ろからいきなり声を掛けられた。

「その下に落ちると、死体も見つからない。気を付けた方がいいよ」

「きゃあぁぁっ!」

「危ないっ!」

自分以外誰もいないと思い込んでいて、声を掛けられるなんて思ってみなかった。すごく驚いて体を跳ねさせると、後ろから誰かが腰をすくって、引っ張ってくれた。

「危なかった‥。そんなに驚くなんて、思ってもなかったよ」

「あ、ありがとうございます。‥‥レキウスさん?」

「俺が驚かせたせいかな?でも本当に危ないからね」

「はい。でも、レキウスさんが何故ここに?」

「ああ、最近噂になっている、茶色の長い髪の変わった格好の女の子が気になってね。竜の元へ通っているって話しを聞いて、見に来たんだ」

「変わった格好の女の子‥‥ですか。噂になってるんですか?」

「今のところ騎士たちの間だけだけどね。悪い噂じゃないから安心して」

「はあ‥‥」

この国に初めて来た時以来、何かと様子を見に来てくれていた人だった。仲間の傭兵達と街にいるみたいだけど、たまにお城の中で見かけることがある。イニアスさんの話だと、前にこの国で騎士をしていたらしい。

「それよりエルザリーグはいないのかい?」

「そうなんですよ、離宮にもいなくて。多分体を小さくして、崖向こうにいるんじゃないかと思うんですが」

「そう言えば契約が完了して、自由に体の大きさを変えれるようになったんだって?」

傭兵のレキウスにもエルザリーグの噂は届いているようだ。私の事もついでに噂になっているようだけど。悪い噂じゃないと言っても、なんだか心配だ。

「自分の意志で変えれるので、ちゃんと教えないと、いろんな所で大きくなっちゃうんです。どうやら私を背中に乗せたいらしくて。室内でやられると大変で‥‥」

「この前、城の部屋の一室、壊したんだって?」

「そうなんです。私を呼びに来たタフト君に対抗したみたいなんです」

「ミコトを連れて行かれるとでも思ったのかな。好かれたもんだね」

「契約者はシンなんですよね。だったらシンに懐いてもいいのに、どうして私にべったりなんだろ」

「ふむ」

その時の大騒ぎを思い出してしまった。タフト君は怯えるし、部屋は崩れそうになるし。駆け込んできたシンに怒られながら、エルザリーグは身体の大きさを戻して、部屋から引きずり出されていった。あれは大変だったな。

「あの、レキウスさんは知っています?」

「何かな?」

色んな話しに精通してそうなレキウスなら、私の素朴な疑問にも答えてくれるかもしれない。

「あの離宮はエルザリーグの為にあるんですか?外から見ると人用の建物だけど、中は竜がぶつからないように柱が少ない。それに崖に面して入りやすそうに、大きな扉がある」

「エルザリーグの為というか、歴代の契約竜の為の館と言った方がいいかな。離宮と祭儀場とこの崖を含めて、この場は竜の為にあるんだよ」

「ここ全てですか?」

「そう。畏れ多くも俺たちが立っている祭儀場は、竜召喚のために使われる、神聖な場所なんだ」

私も含め、今まで普通にこの場所に立ち入っている。神聖な場所と知らずに、祭儀場で立ち話なんかもしている。

「ええ?!だ、だめじゃないですか、そんな所に入っちゃ!早く出なくちゃ」

「あはは、大丈夫だよ。誰も見てないし」

そういう問題だろうか。何故誰も私にその事を教えてくれないんだろう。相手がレキウスさんだったから良かったものの、他の人だったら凄く怒られていたかもしれない。

良く考えてみると、一般人らしき人はこの辺りで見かけていない。見かけるのは女官さんや官職の人、騎士やもしくは煌びやかな格好をしている貴族風の人達だ。私やレキウスさんのような人は目にしない。

美言の内心の焦りを余所に、レキウスは世間話を続けている。

「それに竜に気に入られた子に、祭儀場に入るなってのが無理だよね。世話係なんだし」

「‥‥世話係って言っても、特にする事がないんですよ。あの子と話しをするくらいしか出来る事なくて」

「それでいいんじゃないかな?実際ミコトと話しをする事で、色々覚えてきてるんだろう?しつけをするようなもんじゃないのかな」

躾というよりも教育だろうか。片言で欲求に忠実なところが、幼稚園児と同じくらいだろう。差し詰め私は保母さんかベビーシッターなんだろうな。それを見越してシンは私に世話を頼んできたのだろうか。

「それにしても竜って一頭しかいないんですか?」

「今は一頭しかいないな。1年前まではこの国の第一王子が一頭契約していたよ」

「王子様ですか」

タフトの話しでは、戦に遭った時に、王子の立太子の儀があったって言っていた。まぁ、こんな立派なお城なんだもの。王子様がいても可笑しくは無いか。

「そう、竜は王族しか契約ができないからね。血統が関係しているらしい」

「へぇー、王族しか契約できないんですね‥‥‥?王族だけ?」

「王族だけ」

何かが引っかかる。それって。

「え?そうなるとシンって‥‥王族ですか?」

「何を今さら言ってるんだい?竜と契約できるんだから、そうに決まってるじゃないか。彼はこの国の第二王子、シンフェイン・アートルム・エイダ・エスタール第二王子だよ?」

「えええぇぇぇぇっ?!」

私は今知った事実に驚いた。そしてレキウスは私が知らなかったことに驚いていた。

良く考えればそうかもしれない。周りの人に様付けで呼ばれていたし、お城の中も自由に歩き回っている。

でも、言い訳をさせてもらえば、傭兵達は“シン”て呼びつけだったし、シン自体も王子様っぽい格好をしてなかった。態度も凄く気さくだし、それで王子様だと言われても、私には分からない。

「‥‥どうしよう、私結構失礼なこと言ってなかったっけ。他の人の前でもタメ語で話しちゃったし。あ、でもイニアスさんはタメ語だったような‥」

「ためご?」

「でも仕方がないよね、私この国のこと知らないし。シンだって自分が王子様だって教えてくれなかったんだし。私の態度が間違ってるんだったら、注意してくれればいいんだ。うん、そうだよね」

「ミコト?ミコト」

私も幾分か乙女だったのだろうか。“王子様”発言に動揺して、いつもなら頭の中で考えて口に出さない言葉を、ダダ漏れにしてしまっていた。混乱してブツブツ一人で話し始めた美言に、心配したレキウスが止めにはいった。

「大丈夫だよ、ミコト。今のところミコトとエルザリーグの周りにいる人達は、そう言う事にうるさい人はいないから。それに王子だからって世継ぎじゃなかったから、奴はいろいろ自由にしててね。第二王子だと知っていてもかしこまって話しをしない人も何人かいるんだよ。俺も含めてね」

慰めてくれているようだが、内容を聞いていると結構酷い。

「そうなんですか?私大丈夫なんですか?」

「まぁ、ちゃんとした場とかだと問題があると思うが、オレやイニアスとかの前だったら大丈夫なんじゃないかな?あ、でもインタリオ殿やストラーダ殿の前では気を付けた方がいいかも」

やっぱり大丈夫じゃないんじゃない。どうしよう、今度会った時に謝っておこう。そう決心すると、上空からエルザリーグの鳴き声が聞こえた。崖向こうにいると思っていたのが、どこか一っ飛ひとっとびしてきたようで、大きくした身体を旋回させながら空から降りてきたのだ。

美言とレキウスは、こちらに向かって降りてくるエルザリーグに巻き込まれないように、祭儀場から移動し、離宮の前にあるちょっとした広場へ移った。案の定美言のいる所めがけて着地しようとしている。

何とか危なくない場所へ逃げつつも、エルザリーグが着地できる場所へ誘導すると、竜は着地と同時に体を人の大きさまで縮めて、美言へと走ってきた。

「ミコ!タダイマっ」

「お帰りなさい、エルザリーグ。でも何回も言ってるけど、体が大きいときは周りを気にして動かないとだめよ?着地するときも、下にいる私とかを潰しちゃうでしょ?」

「ワカッター」

なるほど、今思うと保母さんと一緒だ。根気よく教えていかないとダメなのかな?そんな二人の様子を見ていたレキウスが感心した様子で、声を掛けてくる。

「本当だ、会話が成立している。竜が話すなんてにわかには信じられなかったんだが、嘘じゃないんだな」

「オマエ、しっテル。レキウス。シンとイタ」

少しレキウス相手に警戒しているが、シンと一緒にいたのを覚えてたのだろうか、他の従者の人達が側に来た時よりも、態度が柔らかかった。

「凄いな、俺の事を覚えてるのか。やっぱり竜はそれなりに知性があるんだ」

「当たり前の事を知らないだけで、普通にあるみたいですよ。うまく話せないようですけど」

「じゃあ、話せなかった時も色んな事を考えてはいたが、ただ話せなかっただけだったのか?」

一生懸命に美言の手のひらに、甘えるようにエルザリーグが鼻先を押し付けてくるが、レキウスと話しをしておざなりになりつつある美言に焦れたのか、美言の気を攫っているレキウスへ噛みついてきた。

「オマえ、ミコにチカづくナ。アッチへいけ」

二人の間に割って入り、レキウスを遠ざけようとする。そんな事をされているのにレキウスは感心して、尚もエルザリーグを面白そうに眺めている。そんな事をしていたら、城の方から走ってレキウスを呼びに来る人がいた。イニアスだった。

「こんな所にいたのかい、レキウス。探したんだよっ!」

「ん?どうした」

商国しょうこくグランザートから使者が来たんだ。今ストラーダ様が対応してるんだけど、シンが面会の場にレキウスがいた方がいいって言うから、呼びに来たんだ」

「グランザートがエスタリアに?」

「取りあえず一緒に来てくれ」

穏やかだった空気が一変した。また聞いたことのない国の名前だった。

急いでこの場を後にする二人を見送りながら、この国が戦をしていたことを思い出す。不安になった美言はかたわらにいたエルザリーグの体に手を触れさせ、気持ちを落ち着けようとした。それに気づいたエルザリーグは、美言を自分の離宮に誘って引っ張って行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る