竜は天に恋をする
宇野原トモエ
平穏な繭の壊れる時
第1話
何故か私は、私が生きているこの世界に、1人取り残されているような感じがする。
大空を見上げればどこまでも広い空で、あくせく動いている人達を見て、私はそう感じていた。
それを感じ始めたのは、何もあの事が関係している訳ではない。
心の問題。一言そう言ってしまえば簡単だけど、一度感じてしまった異物感は拭えないものだ。
「
「あ、はい。図書カードの残りは私がやっておくね」
「ありがとうございます。じゃ、また明日。失礼しまーす」
「ん。バイバイ」
高校生活も2年目に入り、去年と変わらず図書室の管理を任される図書委員の仕事を、
手慣れた動作でこなす。夕暮れの静かな図書室でする作業は案外好きだ。
「おねーちゃん、いる?」
「なになに
「えー、どれ?図書室にいんの?」
同学年の妹の
私と違って明るくて可愛くてみんなに人気がある、二卵性双生児の私とは似ても似つかない妹。
それもそうだ。だって本当は双子なんかじゃないし、血のつながった姉妹でもないんだもの。
その事実を知ったのは2年前の中学生の時。
お父さんに頼まれて住民票を市役所に取りに行ったのを間違えて、戸籍謄本を手にしたのが発端。
よくドラマとかにもあるけど、まさか自分の名前の欄に「養女」なんて書かれているとは思わなかった。何度も見直して、簡潔すぎて間違いようがない書面を、窓口の人にも聞いて確認した。
何も言わないが気の毒そうな雰囲気の窓口の人に、真実味を感じて混乱したのを覚えている。
家に帰ってもこんなこと両親には聞けなかった。もちろん
結局「養女」の件は誰にも聞けず言えず、私の中で大きなしこりとなって今も重く、あり続けている。
「どうかしたの?
「うん。今日は帰り遅くなるってお母さんに言っておいて。これからユッコ達とカラオケによってくから」
「こんにちはー、
「ううん、2年生。双子なんだ」
「えーっ!マジで?似てなくない?」
「だって一卵性じゃないもん、二卵性。姉の
「
「あ、ども。
「でしょ、良く言われる。それよかもう行かなきゃ、おねーちゃんお願いね。あ、ゴハンいらないから」
「じゃ、お姉さん。またねー」
またお母さんに携帯で電話しても出なかったのだろう。たまにだが家への伝言をこうやって伝えに来るが、初対面の人達の私たち姉妹の態度はいつも同じだ。
前は大して気にならなかったその事が、今は嫌に気にかかってしまう。周りは何も変わってないのに、自分だけが変わってしまったようで自己嫌悪のループだ。
手元にあった図書カードも片付けが終わり、図書館の利用者もいない。ちょっと早いけど戸締りをしてしまおうと、自分の荷物もまとめ始めた。
外に出ると夕暮れ時で、下校する生徒たちも1人2人いるだけ。暖かくなり始めたとはいえ、今だに日が暮れるのが早いみたい。
1年の時からお気に入りの帰宅路の、正門を通らない脇の通用門へ向かおうと、エントランスを出る。
その時、突風が吹いた。
一瞬の豪風に、耳に聞こえる音が一時消え去る。
唯一自分の好きなところの、色素の薄い腰まである髪が乱れた。
「ああ、もうくちゃくちゃ‥‥‥‥」
春一番にしては遅い突風だった。髪と一緒に制服をととのえて、いつもたどっている帰り道を行こうとしたのだが、何かが変だった。今まで先を行っていた生徒が一人もいない。部活に騒ぐ声も、車の音もしない。耳が痛いほどの静寂に覆われていた。
「え?なに?」
自分の口から発せられた音で静寂が破られたかのように、
「きゃあぁぁぁっ!」
こんな音は聞いたことがなかった。雷?何かが落ちた音?この日本で生活していて、こんな
なんか怖い。アレはだめだ。
持っていた通学カバンで自分を守るように胸に抱え込み、一歩ずつさがろうとした。
霧の中の塊は視界の端にとらえた動くものに反応したのか、ゆっくりとこちらを向く。
その塊から目を離せないまま、震える足を後ろに引いた。その途端、カラスを何十羽も合わせたかのような鳴き声を発し、こちらをターゲットにとらえたのだ。
「ひっ!」
その塊は車程の大きさで、爬虫類の肌が木で覆われたような身体をしていた。
長い舌を左右に振り、コンクリートの地面に爪をめり込ませ、ゆっくりと近づいてくる。
「やっ、やだ!何なのっ?!」
張りつめた緊張が恐怖と共にゆるもうとしていた時、差し迫る獣の背後から別の黒い塊が飛び出してきたのだ。獣の首元に同じ大きさほどの黒い塊が喰らいついている。獣はもんどりを打ってそれを剥がそうとするが、剥がれない。霧が晴れてきて喰らいついているものが、はっきりと見えていた。
黒いツヤのある大きな鱗を全身にまとい、体躯は爬虫類よりも逞しい。さっきまで対峙していた禍々しいほどの獣よりも、綺麗で何かに圧倒される。喰らいつきながらも鋭い爪をもつ
「離れろっ!ヤツを放すんだ!」
目の前で繰り広げられている事に気を取られて、他に人がいるのに気が付かなかった。声の主を必死になって目で探す。
「離せっ!エルザリーグ!!」
その声にしぶしぶといった
こちらに気を持って行かれている獣の背後から、またも現実にあるのか疑いたくなる両刃の剣で切り付ける人物がいた。さっきこの黒い塊に声をかけていた人だろうか。獣は切り付けられた剣を背中で弾き返し、前と後ろにいる敵を一度に見渡せるように、横に体を引き前後を牽制していた。
「くそっ、硬いな。おい、エルザリーグ。ヤツの気をオレから逸らせ」
グオッ、と喉を鳴らすような音をたてて黒い塊は何か異を唱えているようだ。
「何やってんだっ!早くしろ!」
またもしぶしぶと気だるそうに喉を鳴らし、前に出ようとしてこちらを振り返った。
その黒い塊・エルザリーグは美言の顔をチラリと
その衝撃で獣は体制を崩すが踏みとどまり、体をエルザリーグに向ける。
奇声をあげて体を振り乱し、エルザリーグに突進しようとした。がその時、背後に回っていた剣を持つさっきの人が、獣の背中に飛び乗り剣を振り上げ、先ほどエルザリーグが喰らいついた首元へ思いっきり剣を突き刺したのだった。
切り付けたときには弾かれていた剣が、今度は
獣は今まで以上の奇声をあげ空を見上げると、そのままゆっくりと地面へ地響きをたてながら崩れ落ちていった。
五分なのか十五分なのか。もしくはもっと時間が経っていたのだろうか。
今、目の前で起きたことが理解できず
爬虫類は感情が顔に出ないと本で読んだが、そんなことはないみたい。だってこんなにも雄弁に目が語っているもの。綺麗な金色の目がウルウルとこちらをうかがっている。
何だか可愛そうになって、引けてしまった身体を戻し、話しかけてみる。
「えっと‥‥。ありがとう?」
?がついてしまったのは許してもらいたい。だっていまいち敵なのか味方なのか、助けられたのか巻き込まれたのかが、分からなかったんだもの。
それでも良かったのかエルザリーグはキュイィっ、と嬉しそうな声を上げながら、さっきよりも歩みを速めて
「えっウソ?こ、来ないでっ!」
後悔すでに遅しである。腰が抜けてしまって動けないのを幸いと、逃げ遅れた
だけど体を寄せてくる力が強いのか、かなり揺さぶられて目が回る。もうさっきまでの怖さは揺さぶられてどっかへ行ってしまったようだ。
いい加減揺さぶられすぎて気持ちが悪くなったところで、さっきの獣を倒した人が声をかけてきた。
「おい、すぐに戻るぞ」
それはエルザリーグにかけた声だった。
声をかけられた本人はそれに応えることもなく、
「いい加減にしろ。お前が
「おい、怪我はないか?」
またエルザリーグは答えもせずに、長い尻尾を美言にパタパタと軽く叩きつけていた。
「聞いているだろ。どこも何ともないのか?」
またも答えずに、美言を気にしている。
それにしてもこの子は
「おい女っ。なんか答えろ!」
「えっ?!私?」
「そうだ、他に誰がいる。あんな所にのこのこといやがるし、オレの言葉を無視するし」
「そんなこと言われても、私に話しかけているなんて思わないじゃないっ」
「はぁ?どう考えてもお前に話しかけてるだろう。‥‥‥‥で大丈夫なのか?」
自分基準で話をされてもわかりません。でも、気にしてくれたみたい。一応手足を見て怪我がないか確認してみるが、特に傷はないようだ。
「大丈夫‥みたいです」
「そうか、何よりだ。んじゃエルザリーグ、戻るぞ」
今までずっとこちらを無視して美言にすり寄っていたエルザリーグは、顔を上げたかと思うと美言の体を自分の体で巻き込むように囲ってきた。自分の背中に押し付けるように、体を近づけてくる。
「おいお前、何やってるんだ?」
あの人もエルザリーグが何をしたいのかが分からないみたいで、
「あ、もしかして。背中に乗れって言ってるの?」
「はぁ?!」
「だって背中を向けてくるんだもの。ねぇ、違う?」
今まで一生懸命に体を押し付けていたエルザリーグは美言に顔を向けてギャア、と嬉しそうに一声鳴いた。
「何言ってんだっ!背中に乗せるって、お前の契約者はオレだぞ?!だいいちこれからエスタリアに戻らなきゃいけないってのに、遊んでる暇なんかないだろっ!」
怒鳴られたエルザリーグは黒い巨体から不機嫌なオーラを垂れ流し、相手を睨んでいる。睨まれた相手も同様だ。
当人達は帰らなきゃいけないみたいだから、そろそろお
立って歩けることを確認して睨み合っていた2人を見ると、しぶしぶと背中にあの人を乗せたエルザリーグが不満そうにこちらを見ていた。
一応あの人も助けてくれたみたいだし、お礼を言わなくちゃ。
「あの。助けてくれて、ありがとうございました」
「ん?ああ、ついでだしな。関係の無い人間を巻き込んでしまって、オレこそ悪かった。戦禍からは遠い土地みたいだし、ここは。まぁ悪い夢だと思って忘れてくれ」
「戦禍?」
「忘れた方が良いと言っている。その方がこれから先もいつも通り平穏に暮らせる。――――じゃあな」
気になった言葉を聞こうとした美言を
「おい、コラっ!何やってんだ、行くぞ!」
「何なんだよ、お前はっ。早く帰らなきゃいけないのは分かってるだろっ!」
意を決したのか、じっと動かなかったエルザリーグは背中から鱗と同じ色の翼を出し一度はためかせると、おもむろに美言に近づき案外器用な
「え?」
すると突然舞い上がり、美言をつかんだまま空へと飛び上がっていったのだった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「コラぁっ!エルザリーグ!!そいつを放せ!!」
「いやぁぁっ!降ろしてぇぇぇっ!!」
叫びも全く耳に入らないのか、そのままグングンと空を駆け上がってゆく。彼が何を言っても美言が叫んでも、止まろうとしない。
「まずいだろ、これは。このままじゃ<
するとエルザリーグは、駆け上がっていた速度を若干ゆるめ、両手で包み込んでいた美言を背中の彼にそっと渡した。何とか背中に乗り上がった美言は、あまりにもな事で声も力も出ない。
それでも何とか体を起こし、自分の体で美言を支えてくれていた彼の方を見て、声を振り絞って言った。
「お願い‥‥、降ろして」
「‥‥‥残念だが無理だな」
「えっ?」
「すでにエルザリーグが<
訳の分からない事を当然のように美言へ語る。そんな彼の冷静さが反って腹が立った。
「どう言うこと?っていうか今すぐ降ろして!!」
「お前には悪いが、このまま一緒に来てもらう」
「来てもらうって
「黙っていろ、舌を噛むぞ。後、死にたくなかったらじっとしてるんだ。今お前が騒いだらオレもお前も空で
脅しとは思えない雰囲気と状況で黙るほかなかった。それ以前に体にかかる衝撃でしがみついているのがやっとで、騒ぐどころじゃない。
今美言にできることは、言われた通りに体をギュっと硬くして、ジッとしているしかなかった。
目を
「こんな所で気を失わないでくれよ。自分でしがみついてもらってないと、お前を
そんなこと言われても気を失うときは失う。そう開き直れたらどんなに楽か。
これ以上は無理と思ったとき、
「なに‥これ」
「門だ」
「もん‥‥て」
「エルザリーグが作った〈
「ちょっと待って。門て‥‥その向こうに行く気?嫌よっ。今すぐ私を帰してっ!」
「‥‥諦めろ。ここまで来たら、もう戻れない」
無情にも
「イヤっ、ぶつかる!」
と思った。ギュッと目を
次に下を見ると朝日に照らされた大地が広がっていた。
「これって‥‥。どういう事‥なの?」
自分がいた大地とは全然景色が違う。高層ビルとコンクリートと車の走る道路だったはずの地上が、緑が広がる大地に川、そして
「くそっ!今が夜明けならアレから二時間以上は経っているのか。下へ降りるぞ!」
彼の叫びにエルザリーグはグワッと一鳴きして、煙の立つ街へ向けて一直線に下り始めた。今度は降下の際の浮遊感が酷く気持ちが悪い。もう少しで地上というところで、エルザリーグに指示を出している彼が思い出したかのような声を上げた。
「このままこいつを連れて行くわけにはいかないな。おい、エルザリーグ。そこの手前の教会に降りろ」
一番煙が上がっている処に行くかと思われたが、方向を少し変え、煙の上がる街中よりも少し離れた建物の前に着地した。
やっと地面に降りてくれた。場所はどうであれ動かない地面はありがたい。先にエルザリーグの背中から降りた彼に続き、地に足を付けようと身体を乗り出すが、予想以上に手足に力が入らなかった。バランスを崩し滑り落ちそうになる美言に、彼は
「立てるか?」
「‥‥大丈夫だと思う」
「あの教会の中に入って待っていろ。どの位かかるか分からないが、事が収まったら迎えにきてやる」
連れ去られてからの空への上昇と、今いる場所への急降下で身体はガクガクだ。もう言い返す気力もなかった。ただ一回
「取りあえず祭儀場へ向かうぞ。わかるな?」
話しかけながら背中へと飛び乗る。エルザリーグはまたもグワッと返事をし、彼と一緒にこちらを
おいて行かれた美言は、その様子をただ呆然と椅子に座ったまま、見ているだけだった。
「街の皆は逃げたか?また攻め込まれた時のために、訓練はさせておいたが」
街の建物の間を
ともかく人が集まる気配のする方へ向きを変えると、それは煙がたくさん上がっている城内の方だった。
「あの場に残ったイニアス達が心配だ。高度を上げるぞ」
すぐさま城の後ろにそびえ立つ、岩壁にある祭儀場へと急ぐ。
あっちの
「シンっ!無事だったのかい!!」
名前を呼ばれその場に飛び降りた。呼び止めたのは女と認めるには逞しい体躯をした、傭兵のデルボネだった。
「デルボネ!他の皆は?状況はどうなった?!」
「ああ、良かったよ。あんたに何かあったらと気が気じゃなくってさ」
心底ほっとしたのか、胸を撫でながら脱力したように彼女は肩を落とす。
「それよりイニアス達はどうなった?!」
「何とか踏ん張ってるよ。祭儀場に入り込んだ
「レキウスが来てるのか、ありがたい」
アイツが来てくれているのなら何よりも心強い。少しだけホッとするシンに、感嘆の混じる声でデルボネが聞いて来た。
「それよりコレが地の竜かい?」
「ああ、エルザリーグだ」
二人が話している間、四方八方へ鼻をめぐらせ匂いを嗅いでいたエルザリーグは、恐れることもなく自分を覗き込んできた大きな女へも、鼻を向け匂いを嗅いだ。
「うわっ、でかいね」
「伝承では馬屋ぐらいの大きさの筈なんだが‥‥」
「でもあんた一人くらいは乗せれるみたいだから、いいんじゃないかい?」
本気で心配しているシンとは裏腹に、デルボネは呑気に喜んでいる。
「そうなんだが、それを安易に良しと言えるもんでもなくてな」
「ふーん」
そんなやり取りの向こうで、デルボネが第二城門と言っていてた方向から、さらに
「いけない。あんたが無事なのが嬉しくって、ついくっちゃべっちまった。あいつ等に怒られちまうよ」
穏和な雰囲気を振り払い、デルボネは厳しい顔をした。それにシンも辺りを見渡しながら、状況を聞く。
「敵の数は?」
「それが思ってたよりも多くないみたいだ。
「他の敵兵は第二城門に集中しているのか?」
デルボネの言葉にシンも疑問を感じながら、話しの続きを待つ。
「ああ、ヤツ等引く気もないみたいだ。
敵の意図が読めないが、今はこの危機を脱するのが先決だ。目の前の問題をまずは片付ける必要がある。
「わかった」
「わかったって、あんたコレと一緒にいくのかい?」
簡単に答えて見せたシンに、デルボネが呆けて目を瞬かせる。
「もちろん。オレが行かなくてどうする」
「止めはしないが、兵はまとめる大将がいなかったら、ただの
「ああ、分かってるよ」
その手の忠告は昔から耳たこだ。分かってはいるが、それを聞いていられるような状況では無かった。キョロキョロと周りを眺めて背中を向けていたエルザリーグのお尻を叩き、こちらを向かせるとその背中へと飛び乗る。いつも少し見上げているデルボネを見下ろし、お互いに一つ頷くとエルザリーグを羽ばたたかせ、シンは第二城門へと向かった。
「やっぱり同じ
シンの指示を聞くや否や、飛んで来た速さよりも速く、味方を振り飛ばしていた
「どこへ行っていた、シン。遅いぞ」
「悪いレキウス。来てくれて助かった」
「儀式は成功したんだな」
「ああ、何とかな。それより、戦況はどうなった?」
橙色の珍しい髪色をした男は、何時もの美丈夫ぶりを埃と疲労に陰らせながら、シンの登場に軽く笑みを見せた。だが周りへの警戒は解かず、視線は常に周囲へと向けられている。
「敵主力はここだ。他に別動隊がいても困るから、インタリオ殿が騎士団を分けて、城側と街をあたってくれている」
「一番割に合わないところを、傭兵たちに任せてしまっているな」
「いや、俺が言い出したんだ。突然攻め込まれて作戦もなにもない状態なら、
お互い背中を合わせ、周りを気にしながら話していたが、敵の歩兵がこちらに気付き、剣を振り上げ迫ってきた。それをレキウスが大剣で受け、その隙にシンが脇腹を払い切る。
「話しは後だ。
「それとエルザリーグが傷つけたところも有効だ」
シンの返答にレキウスの声が少し弾む。
「エルザリーグ?竜の名前か」
「さっきエルザリーグと一緒にあいつとやりあったんだ。来たぞっ!」
一体の
「エルザリーグ!奴の顔を上へ
「シン!俺が腕をやる」
シンがエルザリーグに出した指示の意図を察したのか、レキウスは首元をエルザリーグに
エルザリーグは
「最後の一体だったようだな、敵兵も引いていく。竜の力に恐れをなしたみたいだ。もういいっ!深追いはするな!」
レキウスが戦っていた味方へ声をかけると、傭兵達は倒れている敵兵の死体を確認しはじめた。上等そうな身なりの兵士以外は
「レキウスだめだ、ろくなお
一人の傭兵が足で敵の死体を転がしながら、次々と確認して叫んできた。
「デルボネから聞いた。敵の数少なかったんだって?」
「奇襲だと思えば少数も考えられるが、攻め方が雑だ。
今までの敵の動きを思い出し、レキウスは自分でも考えながらぽつぽつと呟く。彼が話す敵の動きに、シンも首を捻った。
「他の狙い」
「そう、例えば<盟約の儀>」
「エルザリーグか」
「エスタリア騎士国王家に受け継がれる地の竜」
先程すさまじい力を見せたエルザリーグに、二人は視線を移す。顔についた
「‥‥‥何だ?飛んで行ってしまったぞ?」
エルザリーグが飛んで行ってしまった方向を呆然と見つめた二人の所へ走ってくる騎士がいた。
「申し上げますっ!東の保護区に
「まだ一体いたのか!東の保護区は避難が済んでいる所だな?そんな場所に何で‥‥」
その騎士にはレキウスが対応した。だが走って来た騎士の言葉にシンが焦る。
「東の保護区‥‥っ?!まずい!!」
シンは弾かれたようにエルザリーグが飛び去った方へと走り出した。あそこなら
嫌がる彼女を無理やり連れてきてしまったのは自分だ。まだ彼女が
一刻も早く駆けつけなければならない焦りが、自分を置き去りにしていったエルザリーグへの文句へと変わる。飛んで来た道のりを、今度は走らなきゃいけないのに腹が立ってきた。
「くそぉっ!どうせ行くなら乗せて行け、バカ竜~~~っ!!」
シンの後を走って付いてきていた者達は、それを聞いて皆同様に、何の事やらと首を
薄暗い教会内は窓から朝日を受け、
確か自分は夕方になって、図書委員の仕事を終えて、家に帰ろうとしていたのではなかったっけ?あれからそんなに時間が経ったわけではないだろうに、もう夜が明けるのかな。
いきなり訳の分からない場所へ連れてこられて、あの人にはここで待てと言われたが、それ以上に自分ではどうする気も起きない。怪獣に襲われそうになったり、
混乱しすぎた頭が考えることを鈍くさせる。そんなことをつらつらと思っていると、物音が外からした。何人かの人の話し声がする。それにビクついて、思わず身体を強張らせてしまった。
「こちらは異常ありません」
「よし、これより先はいないと思っていいな」
「ん?ちょっと来てくれ」
「どうした?――草が、踏み荒らされている?」
男の人のようだ。何か見回っているのだろうか、数名で教会の外に集まっている。そー‥と物音を立てないように椅子から立ち、奥の部屋へ隠れようとした。
その時だった。
奥の部屋の窓が外から突き破られ、壊れた壁から学校前でも襲ってきた獣と同じ生き物が、中に入ってきたのである。
「きゃあぁぁぁっ!!」
その獣は何かを探すように顔を巡らせ、長い舌をシュルシュルと口から出し、
「い‥‥、イや。‥もう、嫌っ」
自分が教会に入ってきた扉の方へ、ゆっくり後ずさりしながら、獣から離れようとした。すると異変を察知した先ほどの人達が、教会の中へと走り込んできた。
「こんな所に一体いたのか!ん?お、女?!」
「どうしました?!
「こいつは我々だけでは無理だ、救援を呼んで来い!」
「おい、そこのお前!避難命令が出ていただろう!!こんな所で何をやっている!」
前には獣、後ろには四人の鎧を付けた人。どう見ても人間の方が自分に害をなさなそうだが、見知らぬ土地の剣を腰に帯びた人たちである。今までの事もあって警戒してしまう。
無意識に獣と鎧を付けた人達からも逃げるように、壁側へと
「早く我々の後ろに来いっ!」
一人に話しかけられ、今まで向かい合っていた獣から、目を離してしまった。するとその瞬間、獣は
目を
「隊長!!」
「私はいいから、彼女を保護してやってくれ」
鎧を着けた人達の中で一番体格が良く貫禄のある一人が、他の者へ言い放つ。
「「はい!」」
「おい、俺達はヤツだ!」
返事をした二人は外へ飛び出していった
「さぁ、君。この中にいては危険だ。こちらへ」
美言を
先に外に出ていた二人と隊長は、獣と相対していた。その後ろを背中を押されながら走り抜けようとすると、三人とその場で睨み合っていた獣は、獲物が逃げるのを見つけたのか、奇声を上げ顔を向けた。
あくまでもターゲットは美言なのだ。獣は目の前に対峙した三人を、身体を振り乱し、体当たりをして払うと、また美言へと突進してきた。今度こそ襲われる、と覚悟した時だった。
美言が逃げようとした先から、何かが猛スピードで飛んできたのだった。それは黒い残像を残し、目の前でいきなり体躯を大きくして、美言に襲いかかろうとしていた獣を吹き飛ばした。
今のは助けてくれたのだろうか。それにしても大きな生き物だ。獣の前に立ちはだかり、美言達を庇ってくれている。あれ?こんなこと前にもなかったっけ?そんなに前じゃない。
朝日を浴びて光る黒い鱗。長いしっぽ。大きさは‥ちょっとした小屋ほどに大きくなってしまっているけど、間違いない。校舎前で美言を助けてくれたエルザリーグだった。
吹き飛ばされた獣は、体を傷だらけにしてよろけながらも、こちらへと向かってこようとしていた。が、今や大きな壁となって獣の前に立ち塞がるエルザリーグは、先ほどよりスピードを落ち込ませ突っ込んできた獣を、鋭い爪を持つ前手で地面へ叩き付けると、簡単に物言わぬ
一緒にいた鎧の人は、怯えながらエルザリーグから距離を保つと、先ほど獣に吹き飛ばされた仲間に走り寄って、隊長達をささえ起こした。こちらの様子を
「‥‥また助けてくれたの?」
キュイィッ、と前と変わらない鳴き声で答えた。頭を下げながら、美言へ顔を近づけてくる。やっぱりそんなに怖くない。むしろこちらを伺っている鎧の人達よりも安心できる。
近づけてきた
「お、おい。それから離れなさい。危険すぎる」
鼻を撫でながら声の主を見ると、四人とも青ざめながら離れた所で手招きしていた。
美言の意識が自分から他にそれたのが気に入らなかったのか、エルザリーグは美言を自分の体で巻きつけるように、その巨体で囲ったのだった。
するとエルザリーグが飛んできた方向から、かなりの人数が駆けてきた。
「こ、これは‥‥‥」
「お前、エルザリーグか‥?」
走って来た人達はある程度近づいてくると足を止め、エルザリーグを仰ぎ見た。その仰ぎ見た黒い竜の後ろには、
黒い竜を追って来たシンは事が済んだ様子の現場を見渡した。同様にレキウスも同じようにしている。それにしてもさっきと大きさが違うが。ちょっと目を離した隙に体躯を変えたエルザリーグに驚き、一瞬目的を見失いそうになる。
「そうだ、あいつはどうなった?!」
レキウスと並んで唖然として黒い巨体を見ていたシンは、酷い有様の教会へと走り出した。中を覗くと彼女が持っていたカバンが床に放り出されていた。それ以外何もない。
焦り
彼女はどこへ行ったのだろうか。逃げたのか?
周りの茂みを走りながら覗き回ると、今までエルザリーグを眺めていたレキウスがシンの所まで走ってきた。
「どうした、探し物か?」
「ああ」
辺りに危険は無いか確認したレキウスは、何かを探すようにうろついているシンに気付いたようだ。
「俺も探そう。で、どんな物だ?」
「茶色い髪で」
「茶色い髪で?」
「変に足を露出した」
「足を露出した‥?」
「女だ」
「‥‥おんなぁ?!」
レキウスが声を上げたと同時に、エルザリーグを囲っていた人だかりがどよめいた。勇気のある者が近づいて
「
今まで茂みばかり探していたシンは、人だかりの中心である黒い竜に走って近づき、正面に立った。
「エルザリーグ、そこにいるんだろう?」
無視である。身体を丸くして座り込んでいる。
「いいから出せ」
「もしかしてシン。探し物はそこにいるのか?」
「いるようだ」
レキウスが近づいてくると、エルザリーグは丸くした身体をさらに丸める。
「あいつの無事を確認したいんだ。見せてくれ」
竜は目線だけをシンへ向けるが、動かない。
「何か思ったよりも反抗的だな。なぁ、もしかしてこの竜、まだ名前を認めていないのか?」
「そうみたいなんだ。いまいち言う事をきかない」
憮然と答えたシンへ、驚きと感心が混ざった声をレキウスが上げた。
「それで良く一緒に戦ったなぁ。怖いだろう」
「言葉は理解しているようだからな。見た目はこれでも、知性はそれなりにあるらしい」
辛抱強く待っているとエルザリーグの身体から声が聞こえてきた。何か訴えてるようだ。
「いい加減にしろ、エ・ル・ザ・リーグっ!!」
シンは意識して名前を呼ぶ。するとエルザリーグの腹の辺りから、か細い声で黒い竜の名前を呼ぶのが聞こえた。
「‥お願い外へ出して、エルザリーグ‥‥っ」
名前をその声で呼ばれた途端丸くした体をゆるめ、自分の腹の部分へ顔を近づけ、甘えるように鳴き声を上げる。大きな鼻を手で押し返しながら探していた彼女が、エルザリーグの身体から這い出てきた。
「女‥‥って、女の子?!」
「女?」
「女だ」
「女の子が出てきた!」
「何であんな所から?!」
「大丈夫か?怪我はないか?」
「またエルザリーグが助けてくれたの」
「悪かった。ここなら安全と高をくくっていた。エルザリーグが気付いて飛んでいかなければ、どうなっていたか」
「そうなの?ありがとう‥‥エルザリーグ」
またも名前を美言に呼んでもらって、黒い竜は上機嫌だ。長いしっぽをドスンドスンと地面に叩き付けて喜んでいる。
二人と一匹の様子を少し離れた所で窺っていたレキウスが、こちらへ近づいて来た。もう近寄っても良さそうだと判断したらしい。
「その子を紹介してくれないかな、シン。どこのお嬢さんだい?」
「‥‥レキウス、そこで止まれ。エルザリーグが‥」
機嫌よく身体を揺らしていた竜は、レキウスがまた近づいて来たせいで、美言を腹に抱え込もうとする。
「へぇ、ずいぶんこの竜に気に入られてるんだね。それにしても変わった格好だな」
「呑気に他人事だな、レキウス。おい、これじゃ何もできない。そこから出て来い」
半分ため息交じりにシンが美言へそう言うと、鼻でエルザリーグの腹に押し込められそうになっている彼女へと、右手を差し出してきた。押し戻す力に抗いきれなそうで正直助かった。素直に手を取ると、グイッと引っ張られて外へ出る。押し込められていた圧迫感から解放されて深呼吸を一つ付いてしまう。
美言は黒い身体に隠されて今まで気付かなかったが、自分達を結構な人数の人が取り囲んでいた。視線に圧倒されてつい下がってしまう。それを見こされてなのか、引っ張られた手を握られたまま、シンと一緒にいた橙色の髪をした男の人の前まで連れてこられた。もちろん後ろからエルザリーグもついてくる。
「歩けるようだな」
「お嬢さんご無事ですか?私は傭兵のレキウス・ウェスレアンと申します。貴女の名前を伺っても?」
「そう言えばそうだな、オレもお前の名前知らないや」
「どういう事だ?シンお前、このお嬢さんと知り合いじゃないのか?!」
「んー‥、知り合いったって、今日知り合ったんだし。お互い自己紹介もまだだ」
「‥‥‥知り合ったっていうか、攫われたんですけど‥‥」
いつもなら思っていても口には出さない不満を、小さな声ながらも出してしまった。幸い2人には聞こえてないみたい。
そんな美言とシンを呆れた様子でレキウスは見つめている。それを尻目に、シンは美言へ名乗った。
「オレはシンフェイン・アートルム。お前は?」
「
「ん?セノ・ミコ?珍しい響きだな、なんだって?もう一度頼む」
「美言。せ・の・お・み・こ・と」
「セノー・ミコト?」
「セ・ノ・オ・ミ・コ・ト・よ」
シンが何度も名前を言い直していると、レキウスは正しく発音するのを早々と諦め、話しに割り込んできた。
「ミコトだね?」
「はい。‥もうそれでいいです」
「ミコトミコトミコト‥‥‥」
負けず嫌いなのか、シンはせめて名前だけでも正確に発音しようと、ブツブツと何度も
「ともかく襲われたばかりのお嬢さんを、こんな所にずっと置いとく訳にはいかないな。戦闘の残務処理もあることだし、城へ行かないか?」
「そうだな、ミコトも疲れてるだろうし。城に部屋を用意してやるから、そこで少し休むといい」
なんか聞き捨てならないワードを耳にしたような気がする。
「お城?」
「だいぶ壊されてしまっているが、まだ城と呼べるだろうな」
少し寂しそうに振り向いて、背後にそびえ建つ、石造りの大きな建物を眺めてシンは言った。
「エスタリア騎士国へようこそ。ミコト」
――――どうやら私は、この人と黒い竜によって、日本から見知らぬ土地、エスタリア騎士国という地に、連れてこられてしまったようである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます