三、ピエールとクロエ

クレモンは、日曜日の夜十一時ごろ家に帰り、シャワーを浴びて、冷蔵庫の中のソーセージをおいしいを連呼してむさぼったかと思うと、親が心配するほど深い眠りに入り、火曜日の朝まで眠りこけた。


火曜日はクロワルッス大通りに市場が出る。食べ物と雑貨の、大きな市場だ。お母さんのサラが市場に行くと言うと、別に買い物に行きたくはないが、外に出たくなったので一緒に出た。サラが食べ物の市場の並びに入っていくと、いつも通りの景色が広がっていた。フランス人にしては珍しく無口で、自家製のヤギと牛のチーズだけを置いているおじさんがいる。サラは、


「こんにちは。今日はヤギにしようかしら。クレモン、どれがいい?」


このチーズ屋はカマンベールやコンテ、リヨン名物サンマルスランと言った有名なチーズは一切置いていない。ただヤギと牛の同じチーズを、発酵はっこう度合いの違いだけで商品にしている。


「お母さん、ボクがヤギを嫌いなの知ってるだろ。なんで聞くの?」


「そうねぇ。でもたまには食べた方が良いのよ。じゃ、この発酵の進んだ堅いのもらえるかしら?二つぐらい。」


「もう!よりによって臭いのキツイ方じゃないか!フレッシュな若い方がまだマシなのに!」


不愛想なおじさんはもくもくと黒いカビの着いたチーズを紙にくるんでサラに手渡した。のっそりした雰囲気のおじさんだが手際は良い。


「はい、どうぞ。三・二ユーロです。」


チーズを受け取ったサラはさらに市場を進んでいく。右に左に、良く知った顔が続く。


無農薬なのだろうが値段がはっきり表示されていなくて買ってみたら意外と高額を払わされる農家、ぼさぼさのヒゲがトレードマークだったのに突然ヒゲを剃って誰だか分からなくなってしまった若い農夫、最近の客は値段ばかり見て品質をみやがらねぇとぼやくおじさん、鶏の丸焼きを売っているアジア系の夫婦、しっかりした店主と頼りなさそうな雇われのデコボココンビの八百屋など、いつも通りのラインナップだ。


サラがそのデコボココンビの八百屋の前に立って、果物を選び始めた。今日はカリフラワーが一つ一ユーロのセールらしい。隣にいた女性が、そのカリフラワー一つを買いたいだけだと割り込んできた。


「どうぞ。それだけなんでしょ。」


サラが親切に譲ったが、その女性は特に感謝する風でもなく、さも当然という顔で八百屋のおじさんに、


「はい、一ユーロでしょ。」


とお金を渡した。おっちょこちょいの八百屋のおじさんは、割り込まれたサラに悪いと思ったのか、急いでカリフラワーを袋に入れようとして落っことしてしまった。


「何してんだ!」


「ちょっと!他のじゃなくて、そのカリフラワーが良かったのに!どうしてくれるの?」


おじさんが店主とお客の両方に怒られた。大人のおじさんが大声で怒鳴られることもだが、おじさんが落とした野菜を横において、別の同じような大きさのカリフラワーを一生懸命探している様子がクレモンには何とも物悲しく思われた。


「あっちの雑貨の方に行くね。」


食料品の市場で買い物を続けるサラにクレモンが声をかけた。横断歩道を渡って雑貨の市場へ向かおうとしたとき、幼なじみの女の子、クロエがお母さんとやってきた。


「あら、クレモン、おはよう。」


「おはようございます。」


「クレモン、おはよう。」


クロエも声をかけてきた。


「やぁ、クロエ、久しぶりだね。元気にしてた?」


「えぇ、私の方は。クレモンも?」


「うん、でも…。」


「ちょっと買い物に行ってくるわよ、クロエ。後で追いかけて来てね。あのいつものお肉屋に行くから。」


「はーい。で、でも、何?」


「いや、何でも。ちょっと不思議な体験をしたんだけど、別に大したことじゃないから。」


「気になるわね~。まぁでもいいわ。また気が向いたら話してよね。」


何気ない会話を交わしながらクロエの顔を見ていたら、ある少女の顔が重なってきた。


(誰だろう?思い出せないなぁ。)


クレモンが一瞬黙り込むと、クロエはそのキラキラした瞳でクレモンを見つめてきた。クレモンはクロエと仲が良いのだが、それを他の男子にねたまれることがある。


何しろその美しい瞳で見つめられると、まるでそこに引き込まれるように感じられるのだ。フランス人の男の子たちは高校生ぐらいになると褒め上手だが、まだ中学生だとさすがに照れがあるのか、女の子をあまりほめない。


「クロエ、今日の服は良く似合ってるよ。」


なんてことを言えたら、女の子とでもすぐに話が始まるのだろうが、なかなかそうはいかない。アレックスなどはクロエと親しくなりたいから気の利いたことを言おうとするのだが、口下手だからうまく伝わらず、クロエとの距離がなかなか縮まらない。


そのあたり、クレモンは幼なじみだからか、クロエに見つめられてもなんてことはない。


「クレモン、今日はちょっとヘンね。」


クロエは目を大きく見開き、口を一瞬への字にして、肩をクイッと上げた。


彼女は背がすらっと高く、足が長い。スカートがきらいでいつもジーンズをはいている。髪は背中まで長く、ややカールが掛かっている。目鼻立ちがくっきりしているから、余計に笑顔が明るく見える。


「じゃお母さんのところに行くわね。サリュ!」


天真爛漫てんしんらんまんな笑顔を残して、ファッションモデルのような身のこなしで青物市場の中へ消えていった。クレモンの反応がおかしくても、クロエは深刻に悩まない。さらっとしたところが男の子にも女の子にも好かれる理由だ。


クレモンは、クロエが去った後もしばらく考えて見たが、誰の顔と重なってきたのか分からない。でもあの、不思議な世界で出会ったような気がする。何とも幸せそうな顔つきが…。


しかし、思い出せないまま雑貨市の方へ歩き始めた。雑貨の市場は雑踏だ。週に一日しか出ないので、人も多い。別に何かが欲しいわけでもないが、携帯のケースやアクセサリーなんかも売ってて、見るものには困らない。特に生地は安いものが多いらしく、遠くから買いに来る人もいる。


そうこうしていると前から杖をついたヨボヨボのおじいさんが一人、歩いてきた。


「あ、ピエールじいちゃん!」


クレモンのお爺さんでもあり、ガストンおじさんのお父さんである、ピエールじいさんだ。


「・・・」


お爺さんだけに反応が薄い。が、クレモンだと分かったらしく、


「おー。おー。おー。クレモンか。おー。」


「じいちゃん、元気にしてるの?最近見なかったね。」


「おー。おー。おー。市場に出てくるのも久しぶりじゃからな。」


「ガストンおじさんは?」


「おー。さーなー。どこにいるかのぉ。うちか、市場か、どっちかじゃろうが。」


ピエール爺さんはすっかり白髪になってしまって近所のじいさん仲間と変わらない髪の色になったので今では目立つ要素はないが、それでも黒いコートに赤いスカーフと、九十を超えた爺さんにしてはおしゃれだ。昔から、ピエール爺さんはシャレ者で知られていて、カラフルなスカーフがトレードマークだった。生真面目で、教えられたことはきっちりするが、あまり融通の利かないタイプで、おしゃれには敏感なのに、最新の技術を取り入れて仕事をしたりするのは苦手だった。この地区の織物職人の間では人情派で知られていたそうで、仲間外れになった仲間を、一生懸命助け出して組合に戻してやったこともある。


「おー。おー。そうじゃ、クレモン、わしゃ、昨日お前さんの夢を見たんじゃ。お前さんがな、友だちとワシのうちに泊りに来てな。なんだか、お前さん達と大活躍した夢じゃったわ。若返ったような気分じゃったなぁ。何だか昔の力が蘇ったようじゃったよ。お前たちだけじゃないぞ。多くの仲間と一緒に、何だか分からんが、何かを成し遂げたような、満足感があったんじゃ。」


「じいちゃんのうちなんか、しばらく泊りに行ってないよ。いつの話してんの、じいちゃん。」


「おー。おー。まだ終わりじゃないんじゃ。その夢には続きがあってな。何だか知らんが、ワシがお前の孫かひ孫になっとるんじゃ。ほら、あそこの、お前の幼なじみの、目のキレイな娘さんがおろうが、ほら、あのぉ…。」


「クロエのこと?」


「おー。おー。そうじゃ、クロエじゃ。その娘も出てきてな。何だかお前たちが夫婦のように思ったが、ワシにいろんなことを教えてくれるんじゃ。お前さんに教えてもらうなんて、不思議なこともあるもんじゃ、と思いながらのぉ、目が覚めたんじゃわ。人間にゃ、生まれ変わりなんてないのにの、お前さんはワシに、クロードの生まれ変わりだなんだの言っておったわ。わしゃ、フルビエール大聖堂のマリア様が好きでの、そこの神父さんの言うことはよう信じておる。その神父さんは生まれ変わりなんぞないって言っておった。だから夢の中でワシャお前に『そんなことあるもんか!』なんてみついたわい。『あの出来たばかりの黄金のマリアさまを見ろ!あれを見てたら生まれ変わりなんぞ信じられるかい!』ってな。」


クレモンは年寄りの突拍子とっぴょうしのない話に半ばあきれている。


「おー。おー。そうじゃ、フルビエールで思い出したわ。ほら、あの光の祭典があろうが。今じゃ本当に盛大にやっておろう、あれじゃ。あっちもこっちもきらきらと素晴らしいイリュミネーションの、な。だがの、お前さんと一緒に、初めての光の祭典のたいまつ行列に参加したんじゃよ。」


光の祭典は十二月八日のマリア様の無原罪むげんざい御宿みやどりの前後四日間に渡り、盛大に行われるリヨン最大のお祭りだ。今では五百万人と言われる人がこの祭りを見るためにリヨンを訪れるという。プロジェクションマッピングなども至るところで行われ、ありとあらゆるタイプの光の装飾がリヨンの夜を飾り立てる。その起源は一八五二年、丘の上にあるフルビエールの大聖堂に黄金のマリア像が据えられた日に由来する。その日が十二月八日で、今でも丘のふもとから大聖堂まで当時をしのんでたいまつの行列がマリア様への感謝の行進を行う。


「じいちゃん、もう行くよ。気を付けて帰ってよね。」


あまりに支離滅裂な話にクレモンもだんだん飽きてきた。ピエール爺さんに背を向けて、食料品の市場に戻ろうとしたとき、


「おー。おー。クレモンよ、クロワルッスのトラブールに入る時はよくよく気を付けてな。あそこにゃ、カニュの歴史がつまりにつまっとるでな。不思議なこともあるやもしれんで。心して入るんじゃぞ。一度生まれ変わりの世界を見たものは、なかなかそこから抜けられんでな…。」


その時クレモンはドキッとした。一晩寝ただけで、もう遠い昔の記憶のようになっていたが、クロエに似ていた女の子、クロードの黒っぽい髪、何か分からないが何かがつながっている。グリフとドレが話していたことも思い出した。ここでは生まれ変わりは信じていないが、そんなこともあるんじゃないか、と。そうだ、クロエの目はクロードの娘さんの目だ。クロードはピエール爺さんのように信仰熱心でおしゃれな人だった。


ハッとしてクレモンが後ろを振り向いたときには、ピエール爺さんは既に背中を見せて、ふらふらと雑貨の市場の雑踏の方に歩いていき、しばらくすると姿が見えなくなった。


ピエール爺さんの行く先を見つめていると、いつかまた何かが起こるんじゃないかと胸騒ぎがしてきた。

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クレモンとトラブール-フランス・リヨンの中世物語 ふじりじん @mflyon

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