赫い華

高山 昶

赫い華

深い、深い森の奥に、その池は存在する。

池の周りにはたくさんの赤い色をした花が咲いている。その花の名は、曼珠沙華まんじゅしゃげ

何故だか、赤かった…


7月の暮れ。せみの鳴き声が遠く向こうまで響く。

雲一つ無い快晴の今日、縁側に置いてある椅子に腰掛け、庭に咲いている曼珠沙華まんじゅしゃげを眺める。

和名−彼岸花ひがんばな

私の知る限りでは白と赤色が存在する。妻が何故か曼珠沙華が好きなので庭に植えたのだ。定年退職してからまだ一年目の夏。ヒリヒリと皮膚が焼かれる痛みを感じる暑さ、何匹もの蝉の鳴き声、そしてこの青空を見ていると思い出す。

「そう言えば、こんな日だったな……」

そよ風が吹き、風鈴が鳴る。私は目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をし、背もたれに寄りかかる。そのまま深く、深く、おちていく。


小学校最後の夏休み。今年も祖母のいる田舎に来ている。ここは山々に囲まれた場所で緑は多いけれど、とても暑い。大自然も考えものだ。母親と祖母は、来年僕が中学に上がる話で盛り上がっている。

…正直うるさい。まだ夏なのに、もうそんな先の話をしているのかと思う。僕は近所に住むイトコの家に行った。同い年のイトコとは仲が良いと思う。

「ごめんください」

戸を開け、玄関から声をかける。奥の方から声がする。

「はーい」

出てきたのは伯母おばさんだ。イトコはどうしたのか?と尋ねる。

「伯母さん、よっちゃんは?」

洋一よういちね…成績悪かったから、先に宿題終わらすように言ったのよ。部屋にいるわよ?」

「お邪魔します」

『なんだ…せっかく遊びに来たのにつまんないや』

僕はそう思った。イトコの部屋の前まで行き、ノックして声をかける。

「よっちゃん、僕だけど?入るよ?」

有無を言わさず入る。

「ん?…しゅうちゃん!」

「よっちゃん、寝てちゃダメでしょ。また伯母さんに怒られるよ?」

「いや、だってさ?祟られの森の噂が気になって気になって仕方がなかったというか…」

「どんな言い訳だよ。てか噂?…なんの?」

洋一の言う噂とやらが少しだけ気になった。話によるとこうだ。最近、山のふもとにある森に幽霊がでるらしい。なんでもその場所は、江戸時代に武士が切腹したり、平民などが自害する場所として有名らしく、たまに武士の亡霊が彷徨っているらしい。そんな事もあり、この集落では〝たたられの森〟と呼ばれている。その場所で最近、若く美しい女が度々目撃されているらしい。しかもその女は目撃された事に気付くと、スゥッと目の前で消えるらしい。にわかに信じがたい話だ。

「幽霊って、よっちゃん…」

僕は呆れた。自慢ではないが、成績優秀な方だ。そして科学的根拠…つまり、この目で見たり、何かででしか信じない主義である。

「何だよ、お前信じねーの?」

「だってさ、幽霊だよ?僕、見たことないし。それに綺麗な若い女だよ?ここはどー見ても30歳以上の女しか居ないんだけど」

「俺も無いけど…。うーん…確かに」

「でしょ?おじさんたちの妄想なんじゃないの?」

「ある意味こえーけど、キモいけど、幽霊もこえーけど、でももし本当なら見てみたい気もするんだなコレが!」

「ふーん……」

「なんだよ、綺麗な女だぞ!ぜってー胸は、程よいDカップだな!!」

「はあ…そこはCでしょ?」

よっちゃんの言ってる事が嘘だとは思わない。けどしょうもない噂だと感じた僕は、目を覚まさせる目的で言った。だけど本当は…僕自身、会ってみたかったのかもしれない。

「じゃあ行ってみる?」

「行ってみるって、どこに?」

「幽霊の出る森」

お前本気か?と言わんばかりの顔なのに何故かニヤケ顏のよっちゃん。正直、幽霊が怖くてその顔なのか、もしかしてお前も年上派なのか、のどちらともとれる顏だから反応に困る。

「そうと決まれば、昼メシ食べたらいこーぜ!」

「うん、わかった。…ちなみにその答え間違ってる」

「マジか!ありがとう。やっぱしゅうちゃんスゲー!!」

よっちゃんのその言葉が照れくさくも嬉しかったのか、僕は不覚にも、誰にも見せた事がなかったニヤケ顏をよっちゃんに見せてしまった。

部屋全体に、ほっこりとした空気が広がる感じがした。


1時過ぎ、僕らは噂の森に行こうとした。けれどよっちゃんは、玄関でサンダルを履こうとした時に、伯母さんに止められる。

「洋一?どこへ行くのかしら…?」

「げっ!…母ちゃん」

柊祐しゅうすけ君、ごめんね…。この子の宿題、あともう少しで終わるはずだから、もうちょっとの間、遊ぶのを待っててね。柊祐君は宿題終わったの?」

「受験組が多いからって、先生が少なくしてくれたから、こっち来る前に終わった」

「あらそうなの!さすが柊祐君ね。おばさん鼻が高いわ!」

「…どーせ俺はバカだよ」

「いいからさっさと終わらす!」

よっちゃんは伯母さんに部屋へ連れてかれ、ほぼ監禁状態で勉強させられてる。うちとは大違いだ。うちは共働きだから、そんな事は言われない。父さんは今、海外出張らしい。だから一緒に来ていない。まぁ僕自身、割と真面目にやっているからかもだけど。

『つまんないなぁ…どうしよう?』

僕は悩んだ。帰ってもやる事ないし、ここに居ても邪魔なだけ。そして結論が出た。

『…噂の森に行ってみよう。明るいうちに帰れば大丈夫だ』

よっちゃんの家から噂の森までは、そう遠くはない。僕は暇つぶしに噂の森へ向かった。


森へ向かって歩いてる僕。結構歩いている気がする。近いと思っていたけどそれは錯覚で、蜃気楼により近いと感じていたらしい。眼鏡をかけているから、余計そう感じるのかもしれない。暑いせいか、遠近感が鈍る。

歩いて、歩いて、歩く…。体力のない僕にはしんどい道程みちのりだ。歩き疲れたので、森の一歩手前にあった丁度いい高さの切り株に座る。

「ふぅ…」

喉が渇いた。服が汗で濡れていて気持ち悪い。ふと空を見上げる。たまに吹く風が気持ちいい。何だか今、清々しい気分だ。東京は便利だけどうるさい。学校も…友達はいるけど、だから何?ってカンジだ。楽しいとか思った事がないし、むしろ窮屈なくらいだ。塾や習い事だってそうだ。別にやりたい訳じゃない。でも教養の必要性は理解してるつもりだ。だからそれなりにやっとく。僕は自分を人形のようだと思って日々を過ごしている。そして親が人形師。

僕はいつも、何か変化を求めている。毎日がつまらない。ただ何となく時間が過ぎ、いつの間にか今日が終わって眠りにつく。目に映る全てが空虚な世界で、食事も…人間的な欲を満たす為の作業に過ぎない。

イトコのよっちゃんの話を聞いていると、学校が楽しいんだなと思う。よっちゃんは、僕と違って周りの人を惹きつける何かを持っている。僕には無い何かを持っている。羨ましい…。

よっちゃんは東京をいいなと言うが、僕にはこの場所が羨ましく思う。ここに住んでたら僕もきっと、学校や、他にも色々な事が楽しいと感じられただろうか?…そんな風に思う。

「休憩終了ー」

切り株から立ち上がり、いよいよ森の中へと入っていく。


とうとう深い森の中に入った。外はまだ明るいはずなのに、こんなにも暗い。からすの鳴き声と翼の羽ばたく音が不気味にこだまする。

…道に迷いそうだ。こんな所、来るんじゃなかった。興味本位でこの場所を訪れた今の僕にとっては後の祭りである。整備された山しか登った事がない。コレをジャングルと言うのだろうか?自分と同じ背丈程の草をかき分け、更に奥へと進む。まるで誰かに呼ばれているかのように足が進む。何処どこへ向かおうとしているのか全く分からない。どんどん奥へ奥へと進んでいく。


太陽の光が降り注ぐ場所が見えてくる。なんだろう?キラキラと何かに光が反射して眩しい。

そこには、大きな池があった。池の周りにはたくさんの白い花があり、緑と白と太陽の光で幻想的な空間になっている。降り注ぐ様は、さながら天使が下りてくる時に描かれる、あのフワーッとした光の差し方だ。

「綺麗だ……」

僕は無意識に声に出していた。それ程に綺麗な場所で、絵画のようなんだ。

『この白い花、なんて言うんだろう?』

不意に声がする。

白曼珠沙華しろまんじゅしゃげ…綺麗でしょ?」

誰も居ないはずのその場所で、まるで誰かが僕の心を読んだみたいな気がした。

「…誰!?」

…振り向いたが誰も居ない。

『なんだ、気のせいか』

僕はそう思った。振り向いた身体を元に戻す。戻した先に、1人のお姉さんが立っていた。

「うわっ!!!」

さすがの僕も驚いた。僕1人なはずなのに、何故…僕の前に立っている?不思議以前の問題だ。年は、高校生か大学生くらいに見える。

「き……だ………!」

驚きとともに得体の知れない恐怖を感じた。全身が震えに満ちて、声が出ないどころか身体が硬直して動けない…。

『…まさか!金縛り……?』

僕の頭の中に一瞬それが過《よぎ》る。その後、歩き疲れた身体が筋肉を硬直させているのだと考えた僕。そして再び冷静さを取り戻す。

…自分の身体なのに、いうこと効かないのは困りものだ。僕は目の前にいる女を見る。

〝オカシイ……〟

そう、何か違和感を感じるんだ。けれどそれが分からない。僕は色々とその女に、声を震わせながらも質問する。

「あの……あなたは…?」

「…華。あなたは?」

「し…シュウ」

僕はとっさにニックネームを名乗った。何故だか、そうした方がいいと思ったからだ。

実際よっちゃんからはシュウって呼ばれているし、嘘ではないと思う。

その女は、名前の通りの花柄のワンピースを着ていて、決してテレビで見るような白い服ではなかった。

「僕、迷子?」

女が訪ねてくる。

「いや、違う」

違うのは間違いないが、かと言ってあなたに会いに来ましたとは言える訳がない。この場を無難にしのごうとした。

「この森…景色が綺麗だから……」

女が笑う。

「そう。なら、もっと凄いもの、見せてあげる」

そう言って、その女は僕の手を引く。…全く微動だにしない。僕が小学生だからだろうか?女なのに力が強いと感じた。

どんどん奥深い場所まで連れて行かれる。

『一体、何処まで行く気だ⁉︎』

…女への違和感に気付いた。よく見ると足が無い。段々息が出来なくなってきた。

…苦しい……!!

『い、イヤだ!まだ死にたくない!!』


「………い」

「……き……い」

「…起きろ!生きで帰って来れなくなっとよ⁉︎」

「……??」

僕は目を覚ました。全身びしょ濡れである。

「危なかったな〜。あと少しでお前さん、死んどる」

「…ゴホッ!」

僕は池の中へ入っていたらしい…。どおりでさっき息が出来なかったワケだ。

「ここら辺は昔から、呪われとる。今でも自殺する馬鹿がおるさ、子供が来る場所じゃねえ。ほれ、送ってやるさね」

薄い声で時々咳き込みながら、おじいさんが話す。あれは夢だったのだろうか……?

一体、何だったのだろうか?


帰り道の途中、あの池が見えた。

「……白くない…」

それはまるで、血を吸って成長したかの様な赤々とした色の曼珠沙華だった。

「おじいさん…あの花はどうして赤いの?」

「あそこら一帯は全部彼岸花だ……」


「…ただいま。今日のお昼はそうめんにしましょう?」

「……」

「…あなた?」

ご婦人は台所から居間を通り、縁側に置かれた椅子に寛ぐ愛する人のもとへ行く。

男性の手には真っ赤に色づいた曼珠沙華が一輪、握りしめられている。

庭にある木で鳴いている蝉が、徐々に鳴かなくなる。その蝉たちはボトッ、ボトッと地面に落ちた。

「あな……へ?………冷たい…。き、救急車!!!」


「曼珠沙華」別名〝彼岸花〟

お墓に供える花として有名であるが、もしかするとこの花は、死者が生者の魂を連れて行く為の切符みたいなものかもしれない…

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赫い華 高山 昶 @sat

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