その3 ー 沙華

どのくらい泣き続けていたのかわからないけど、次に顔をあげたときには窓の外はすっかり暗くなっていた。


本当は今日は出かけるつもりで細かく予定を立てていたのに、その全てを果たすことができなかったという後悔が今さらのようにこみ上げてきた。


蝶羽とは訃報を聞く前からほとんど連絡はとっていなかった。


もともと身近にいる友人とも頻繁に連絡をとりたいとは思わないので蝶羽だけがそうだというわけではなかったけど、それでも不思議と蝶羽だけは時間の隙間が気持ちの隙間になるという感じはしなかった。


言葉にしようと思ったことはなかったけど、なんとなく連絡を取り合わなくてもいつかどこかでふと会えるんじゃないかというようなそんな予感もしていた。


だけどもそんな予感は単なる自分だけの思い込みで、また一緒に会える機会はこれで完全に絶たれてしまったんだなということを実感する。


そう思った瞬間、またさっき十分泣いたはずの涙が溢れてきた。



それほど長くない蝶羽との思い出を必死に記憶の片隅から引っ張り出してはなんとか形にしようとしていたところ、で不意にキッチンに投げっぱなしにしてきた携帯が鳴っている音に気づいた。


最初は泣き続けてうつろになった頭が感じた夢のようなものかとも思ったが、しばらく待っても音が鳴り止む気配はなくゆっくりと立ち上がって端末のそばにいってみるとやはり着信があったことがわかった。


「もしかしたら蝶羽の家族の人からかな…」


そう思いつつ着信画面を見ると、そこにははっきりと「飛屋蝶羽」という名前が浮かんでいた。


「蝶羽?!」


思わず飛びつくようにして通話のボタンを押すと、その瞬間ちょうど向こうからの着信が切れてしまった。


着信履歴を見直しても間違いなくそこにあるのは「蝶羽」の名前で、おかしいとは思いつつもそれがどういう意味なのかということを理解するのにかなり長い時間がかかってしまった。


家族がまだ解約していない蝶羽の携帯を使ったというのが一番ありそうな線だったけど、その前に訃報を伝えた番号は全く違うものだった。


次に考えついたのが、先ほどの訃報は実は誰かがやったたちの悪いイタズラで、それを取り消すために蝶羽本人が電話をかけてきたという線だ。


だけども訃報を伝えた母親らしい人の声はとても演技とは思えなかったし、そもそも私が蝶羽と知り合いであったことを知っている人は身近にいないはずだった。


そして何よりその推理を妨げたのは、もしこの着信をイタズラだと思うことで希望を感じることが、事実を再び突きつけられたときにより大きなショックになるかもしれないぬか喜びになる可能性だ。


確かめたい気持ちはありつつもそれを確認するには心の準備ができていなすぎて、結局携帯を握ったまましばらくずっと立ち尽くしていた。



またしばらく時間が経ってすっかり真っ暗闇になった部屋にしんしんと冷たい空気が流れ込んできた頃。


ようやく再び着信を知らせる振動があった。


着信画面を見てその内容がさっき見たものと全く同じであることを確認してから、私は井を決して通話のボタンを押した。


「もしもし?」


蝶羽?と続けず少し待っていると、着信を取られたことをやや驚いた様子で少し遅れて女性の声が聞こえてきた。


「あの、赤峰さんのお電話でしょうか?」

「はい。あなたは?」


またおかしな間があった。


数十秒してから軽く咳払いをしてから電話の相手は自己紹介をしてくれた。


「急にお電話をしてすみません。私、蝶羽さんの生前の知り合いの黄国という者です」

「黄国さん?ですか」

「はい。実は蝶羽さんから伝言を預かっていまして。それでお伝えしたいことがあるのですが」


おかしな話であるとは思ったけれども、根っから疑おうという気持ちにはならなかった。


「どういった伝言でしょうか?」

「それが、お電話ではちょっと伝えにくい内容なもので。一度どちらかでお会いすることはできませんか」


気づくとさっきまで泣いていた涙は引いていて、今急にかかってきたこの不思議な電話の意図を必死に推理しようと頭を働かせていた。


「お会いする前に一つお聞きしたいんですが」

「はい、どうぞ」

「どうしてあなたが、蝶羽の携帯番号を使っているんでしょうか」


そうですね、とその人は少し笑ったようだった。


「実は生前に名義の変更をさせてもらっていたんです。そのあたりもちょっと事情があるんですけれども。お会いをした時に詳しく説明します」


どうしても会って話がしたいらしいという気持ちを感じ、私は唇を噛んだ。

どう答える?


「まさか今日これから会うというわけではないですよね」

「もちろんです!まだショックをお受けになっているでしょうし。落ち着いてからでかまいません」


落ち着く。

一体いつになったら気持ちが落ち着くと思っているんだろうと思ったが、噛みつきたいとは思わなかった。


確かに今はそんな気力はない。


「わかりました。それじゃ、いずれどこかで」

「またご連絡します。とりあえず3日後はどうでしょうか」


曖昧な返事をしたところで丁寧な挨拶をして電話は切れた。


あとにはまた暗闇と静かに忍び寄ってくる冷たさだけが残った。

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天翔けるバタフライ @sagannosaga

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