epilogue
風の聲を聴いた日
【side:???】
夏の日差しの下、わたしは息を切らして走っていた。
今日は小学校が休みだったけど、ずっとお母さんのお手伝いをしていたから、いつもより来るのが遅れてしまっていた。
さっきお店で買った花を胸に抱きながら、わたしはあの場所へと走る。
17時までには帰ってきなさいってお母さんに言われているんだ、急がないと。
目的の雑貨屋さんが見えた時、気が緩んだせいか、何かにつまづいてしまった。
「あっ――」
自分が転んでしまう事よりも、『花が潰れてしまう』と思ったわたしは、体を横にして庇おうとした。
ぎゅっと目を閉じたまま、花を抱き抱える。
けれど、いつまで待っても転んだ痛みは感じなかった。
不思議に思ったわたしが目を開くと、白い学生服を着た高校生くらいのお兄さんが、転びかけたわたしを受け留めてくれていた。
「あっぶなー、大丈夫? 怪我はないと思うけど、走ったら危ないよ?」
わたしは慌てて返事をする。
「ご、ごめんなさい。急いで届けなくちゃって……」
お兄さんは、漫画で見る様な綺麗な顔立ちをしていた。少し肌が黒くて、一瞬外国の王子様かと思った位。
「その花を届けたかったのか……。お友達に?」
不思議そうに言うお兄さんに、わたしが応える。
「あ、いえ、骨の人――」
そこまで言いかけて、『しまった』と思った。
わたしがこの話をしても、家族も友達も信じてくれなかった。
何度必死で説明しても、『夢を見た』とか『嘘つき』としか言われなかったのだ。
悲しい事を思い出してしまい、少し涙ぐんでしまう。
だけど、お兄さんは優しい顔で、
「……その場所って、この先の雑貨屋さんの前かな?」
「え、そ、そうです」
すごい、どうして分かったんだろう。
お兄さんはわたしを降ろすと、「俺もそこに用事があるんだよ」と言って、先に雑貨屋さんの方へと歩き出した。
わたしは慌ててその後を追いかけて走……ろうとして、早歩きでその後に続いた。
雑貨屋さんの入口の斜め前の植え込みに花を置き、屈んで手を合わせる。
隣でそれを見ていたお兄さんが、わたしと同じように屈み、声をかけてきた。
「君は、これをずっと続けてきたの?」
「えぇと……はい。毎日来てます。花はちゃんとお小遣いで買いました」
その辺で摘んだ花よりは、喜んでくれるかもしれないと思ったから。
でも、わたしのお小遣いで毎日だと、いつも80円の花しか買えなかった。
けれど『そういうのは気持ちが大事』って漫画でも言ってたし、骨の人も怒ったりはしないと思う。
……多分。
お兄さんは少しだけ寂しそうな顔を見せると、「あのさ」と言った。
「俺、奥乃天示って言うんだ。良かったら君の名前を聞いても良いかな?」
「あ……。
わたしの自己紹介を聞いたお兄さんが、話を続ける。
「夏純ちゃんか。……実は、骨の人はもうここには居ないんだよ」
「え……?」
死んじゃってる……と言う事かな。骨だったし、わたしもきっとそうなのだろうと思って、花を持ってきてたんだけど……。
「骨の人はね、俺の友達だったんだ」
「え……えぇっ!? 本当ですか?」
わたしの驚いた声に、お兄さんは頷いた。
「実はね、骨の人は少し前に、家族の所に行っちゃったんだよ。だからここにはもう居ないんだ」
「そう……なんですか」
そんな……。もう一度会って、ちゃんとお礼を言いたかったのに……。
『もう会えない』と言う事に、急に悲しくなったわたしは、ぽろぽろと涙を零してしまう。
「骨の人に、何か頼まれなかった?」
涙のせいで上手く言葉が出ないわたしは、口を抑えたままコクリと頭を下げた。
「なら、それを叶えて上げて欲しいんだ。あの人は、その事を何よりも喜んでくれる筈だから」
わたしは頭を下げて、それに応える。
お兄さんの言葉を噛み締めるように、何度も、何度も。
何度も――
どれだけそうしていたのだろう。ふと気がつくと、日が傾きかけていた。
お兄さんはにっこりと微笑みながら、わたしの目を見る。
「夏純ちゃん、花、本当にありがとう。これからは、時間もお小遣いも自分の為に使ってね」
「……はい」
本当は、まだ受け止められないけれど、わたしはお兄さんの言葉に応える。
でも、それでいいのかな。
その時、何かの影がわたしに被さっている事に気が付いた。
「女の子を泣かしている不審者が居るって聞いたんですけど、お前ですか?」
それは、女の人の声だった。
振り返るとそこには、白い学生服を着た、長い黒髪の綺麗なお姉さんが立っていた。けど、何故だろう。凄い怖い顔をしている。
そのお姉さんと目が合った瞬間、隣に居たお兄さんが裏返った声を出す。
「かっ……火凪? いや違う! 俺は何もしてな――」
「逃げた理由は後で聞くから。それよりも……」
そう言ったお姉さんは、急に優しそうな顔になると、わたしと目線を合わせる為に屈んでくれた。
「ごめんね。天示……このお兄さんに変な事されなかった?」
その問いかけに、わたしは首を横に振る。その様子に安心したのか、ほっと息を吐いたお姉さんは立ち上がり、お兄さんの手首をがしっと掴んだ。
「そう、良かった。私はこのお兄さんにちょーっと用事があるんだ」
顔は笑ってるのに、お姉さんが凄く怒っている事が伝わってくる。
「あ、あのさ火凪。俺、用事を思い出し――」
「却下。人を待たせてるって言ってあったのに、よくも逃げてくれたね。随分探しちゃったよ」
「……あの、怒ってる?」
「怒ってないと思う?」
お姉さんの迫力にお兄さんが短い悲鳴を上げると、手を引かれたまま、ズルズルと引きずられていってしまった。
お兄さんの姿が見えなくなるちょっと前、「夏純ちゃん、本当にありがとうー!」という、叫びだけが、わたしの耳に届いた。
そうしてわたしは、一人になった。
お兄さんは、もうここに来る必要はないと言っていた。
……だけど、本当にそれで良いのかな。
骨の人に助けて貰った時、わたしは恐怖のあまり、何も言えなかった。
迫ってくる黒い車の前に現れた、その大きな背中に、たった一言でいいからお礼を言いたかった。
お礼を、言うべきだった。
でも、わたしの口から出たものは――
後悔の気持ちで一杯になったわたしが、最後にもう一度と、花に手を合わせた。
――その時だった。
突然、小さなつむじ風が目の前に現れ、植え込みに添えられた花を巻き上げた。
そうして宙に待った花はわたしの目の前で止まると、ゆっくりと回り始める。
まるで、誰かが手に取っているかのように思えた。
やがて、男の人の優しい声が、わたしの耳に聞こえた。
『ありがとう』
それは、わたしの知っている声だった。
聞き間違える訳が無い……。あの人の……骨の人の声だ……!
早る気持ちを抑えながら、考えるより先に、必死で想いを口にする。
「あ、あの! 助けてくれてありがとうございました! わたし、お礼が言いたかったのに、あの時は言えなくて……!」
『大丈夫だよ。全部わかってる』
「それだけじゃなくて……! 助けてくれたのに、わたし、泣いちゃって……!」
『気にしないで。もう、気持ちは伝わったから』
「でも……! でも……っ!」
『最後に君と話せた、それだけで、ぼくは充分だ』
『だから、もう泣かないで』
『どうか、笑顔で――』
『
それは、助けて貰った時に、骨の人がわたしに言った言葉だった。
そのありふれた言葉に込められた想いを、今度はしっかりと受け止める。
そしてその言葉を最後に、わたしの目の前に浮いていた花は、風に溶けるように消え、男の人の声も、もう聞こえなくなってしまった。
それが、骨の人の最後の願いなのだと、すぐに分かった。
わたしは目元を拭い、空を見上げた。
「……はい、わかりました。本当に……ありがとう、ございました」
深々とお礼を言ったわたしは、そのまま振り返り、明日の為の家路につく。
もうこれまでのように、毎日ここに来る事はないだろう。
でも、わたしは忘れない。
見た目は少し怖いけど、とても心の優しい人に、命を助けて貰った事を。
その人が、言葉に込めた暖かい願いを、絶対に忘れない。
そしていつか、わたしも誰かに伝えたい。
還る場所がある事の幸せと、その大切さを。
ありがとうの、心からの想いと共に――
【side end】
翠灮のセヴン 灯真リウ @toumariu
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