最終話 命の限り

 ――綾神家のリビングで、うたた寝をしていた天示が目を覚ます。

 

 気怠い頭を動かし、壁時計を確認すると、時刻は15:30を回った所だった。

 どうやら昼食の後片付けを終えた後、そのまま眠り込んでしまったらしい。

 天示がまだ重い頭で、ソファーに横になったまま2、3瞬きをした時――


「奥乃さん……? 起きましたか?」


 こちらを伺うような、灯朱の声が耳に届いた。

 のっそりと身を起こした天示が、大きく伸びをしたのち、座りなおす。

「ん……ごめん。居眠りしてた……」

 少し頭を振って、自分の枕元に腰掛けていた灯朱の方を向く。

 

 〈刻印〉の呪縛から解放された少女は、もう以前のような季節はずれの厚着はしておらず、フリルの付いた薄桃色のキャミソールに、白のキュロットスカートという、年相応にシンプルな夏服姿であった。


「あ、いえ、気にしないで下さい。この一週間は皆ばたばたしてましたし、きっと疲れが溜まってたんですよ」

 そう言って微笑む灯朱だったが、すぐにその表情に影が落ちる。

「……なのに、奥乃さんには色々な事をお任せしちゃって……」

 色々な事、と言うのは料理や掃除などの家事の事だろう。

 

 あの夜の一件。

 ルキフェルとの戦いから今日で一週間が経つが、今までの生活の中で、いくつか判った事がある。

 その一つが、『綾神家の娘さんは料理が致命的に苦手』と言う事だった。

 初めてここのキッチンを見た時、その手入れぶりから、てっきり料理が得意な姉妹なのだと思っていたのだが、実際はその真逆だった。

 元々料理が好きだったのは亡くなったお父さんで、やたら調味料が豊富だったり、掃除が行き届いていたのも、そんなお父さんを想い、出来る限り生前の頃の姿のままになるよう管理している、との事だった。

 一度だけ、紅巴が夕飯を作ってくれようとした事があったのだが、調理中に料理本を広げながら、

「え? 弱火で10分って事は、強火だったら2分位で良いって事じゃないの?」

 等と真顔で口走った事を、天示はきっと忘れないだろう。

 

 閑話休題。


「ううん、気にしないで。料理も掃除も、俺が好きでやらせて貰ってる事だからさ」

 そう言って、笑う。

 無論、全て嘘偽りのない気持ちである。

 しかし、気掛かりな事もあった。それは火凪の事だ。

 

 あの夜の一件から、火凪が天示の前に顔を出す事はほとんど無かった。

 故に、天示の料理を口にした事は一度も無く、その事だけが天示の胸にずっと引っ掛かっていた。

 やはり、自分がここに居る事を良く思ってないのではと、不安に感じていたのだ。

 

 そんな天示の想いを知ってか知らずか、灯朱が意を決したように、真剣な面持ちで口を開く。

「……奥乃さん、もし良ければ、わたしに料理を教えて貰えませんか?」

 それは突然の申し出だった。

 天示としては断る理由はなく、むしろ喜ばしい話であるのだが、なにぶん急な話だったので、少々面食らってしまった。

「俺で良ければ構わないけれど、どうして?」

「わたしは今まで、お姉ちゃん達に助けて貰ってばかりでした。……いえ、『今でも』……です」

 ひと呼吸おき、言葉を継ぐ。

「でも、奥乃さんに〈刻印〉を治して貰って、少しでも今の自分を変えたいって思ったんです。これまでいっぱい助けてくれた家族に、今度はわたしが何かをしてあげたい……って」

 そこまで言った灯朱が、急に気恥かしそうに目を伏せた。

「えと、その、お、奥乃さん……にも、お礼とか、お手伝いとか、したい……です、ので」

 頬を染めながらはにかむ灯朱の真っ直ぐな想いが、天示の胸を強く打った。

 

 だがそれは感動などと言う暖かい気持ちでは無く。

 例えるならば、残痕のような鈍い痛みであった。


 悟られぬように言葉を返す。

「うん、分かったよ。ならば、ワシが持つ全てを、そなたに伝授して進ぜよう」

 うぉっほん、と芝居風に語ると、灯朱が嬉しそうに微笑んでくれた。

 そんな時――

 

「……キューン」


 不意に、灯朱の膝元から小さな動物の鳴き声が聞こえた。

 灯朱がそちらに目を向け、声を掛ける。

「もうお腹が空いちゃったの?」

 言いながら、テーブルに準備していた子犬用ミルクの哺乳瓶を手に取り、膝元で丸まっている子犬の口に充てがった。もうすっかり手馴れたものである。

 余程空腹だったのか、音を立てながらミルクを飲む子犬を、灯朱が優しい目で見守っている。

 穏やかな光景に、天示の表情が自然と和らいだ。

「まだ一週間だけど、大分犬らしくなってきたね」

「ペロ子によく似て、本当に食いしん坊で……。『成長が早いね』って、獣医さんも驚いてました」

 

 ――天示は記憶を遡らせる。


 ルキフェルを滅ぼした後、灯朱とペロ子を抱いた天示が向かったのは、知り合いが院長を務める動物病院だった。

 ペロ子の亡骸に触れた瞬間、そのお腹に子供が宿っている事。そして、その子がまだ生きている事を感知した天示は、せめてこの子だけでも助けようと思ったのだ。

 子犬を取り上げてくれた獣医の話では、お腹の子犬が生きていたのは奇跡としか言い様がなかったらしい。

 その奇跡が、フィクスの〈生命の炎〉の余波による物なのか、ペロ子の母親としての最期の頑張りによる物だったのかは分からない。

 でも、どんな奇跡でも、例え偶然であったしても。

 確かに。

 確実に、この子犬は母からの生を受け、生まれたのだ。

 

 子犬を初めて抱いた時、灯朱は言った。


「わたしが、この子を育てます。わたしがペロ子にしてあげられなかった事、ペロ子がこの子にしてあげられなかった事。……その全部を、してあげたいんです」 

 

 決意を込めた力強い瞳で、大切な親友へと誓った。

 後から判った事だが、ペロ子を一時的に預かっていた用務員曰く、ペロ子と言う犬は、近々保健所に送られる予定だったらしい。

 なんでも、引き取ってくれる筈だった知人が、急遽別の犬を買う事になっただとかで、引き取り手が居なくなってしまったから、との話だった。

 当然、その話が灯朱の耳に入れば、ペロ子は綾神家で引き取る事になったであろう。

 しかし、今となっては報われない話でしかない。

 そんな事情のせいか、用務員はペロ子に対する情も関心も薄く、『亡骸も、子犬の事も好きにしてくれ』との事だった。

 こうして、動物病院の好意でペロ子を弔った後、子犬は晴れて綾神家へとやって来て、今に至るのであった。 

 

 ひとしきりミルクを飲んだ子犬が、哺乳瓶から口を離し、静かな寝息を立て始める。

 呼吸に合わせてゆっくりと動くお腹を見つめながら、灯朱が呟いた。

「この子の名前、『コマ』にしました。……狛犬から頂いたんです。御加護があるようにって」

「コマか。うん、良い名前だと思うよ。……宜しくな、コマ」

 そう言って、コマを覗き込もうと天示が顔を寄せた時、不意に灯朱の全身が硬直した。

 気づいた天示が問いかける。

「? 灯朱ちゃん、どうしたの? ……まだ体調悪い?」

 心配そうに伺う天示に対し、灯朱は赤面しながら辿たどしく言葉を返す。

「あっ……い、いえその。だ、大丈夫、です」

「そう? ならいいんだけど……。もう消えたと言っても、〈刻印〉の事も気になるし、何かあったらいつでも言ってね」 

「は、はい! あの、体はもう全然元気なんです。奥乃さんにはどれほど感謝しても足りない位で……。本当に、ありがとうございます」 

 そう言って、屈託ない笑顔を向ける灯朱に、天示は作り笑いで応える。 

 

 〈刻印〉の件に関して、もう何度お礼を言われただろうか。

 灯朱だけでは無く、紅巴にも何度も感謝の言葉を掛けて貰った。

 だがその一言一言が、天示の胸に小さな刺となって刺さっている事を、姉妹はまだ知らなかった。

 

 天示は再び記憶を呼び起こす。

 あれは確か、コマが綾神家に引き取られた日の夜の事だった。



【side:奥乃天示】


「毎度毎度思うんだが! この世界はリスポンポイントの設定は出来ないのかねぇっ!!」

 薄暗い階段を全力で駆け上がりながら毒づく。

 この心層世界に来る時は必ず同じ所からスタートする。

 我が世界ながら、実に不便極まりない。

 まぁ、アナムライザーの力を得た今となっては、走る事自体は全く苦ではないんだけど、時間の無駄感が半端ない。

 あれ? そう言えば俺、空飛べるのに何で律儀に階段使ってるんだろう……。

 では無駄に目立ちたくないからそれでいいけれど、ここでは誰の目も気に留める必要ないじゃないか。

 いっちょ思い切って天辺までブチ抜いてみようかと考え始めた頃、視線の先に目的の屋上扉が見えてきた。

 ブチ抜けなかった事を少しだけ残念に思いながら、その扉を開け放つ。


 満天の夜空と、巨大な月が見下ろす世界。

 月光を浴びながら、白緑色の花弁を満開に咲かせた、桜の大樹。

 その悠々と伸ばされた枝の一本に腰掛けながら、先日と同じように、眼下に立つ俺を楽しげな顔で見下ろしている少女、ニュクス。

 

 数秒見つめあった後、ニュクスが先に口を開いた。

『わざわざお礼を言いに来るなんてねー、お姉ちゃんは嬉しいよ。ふふ、感心感心』

 満足そうに腕を組み、うんうんと頷くニュクス。

 すぐさまひらりと枝から舞い降りようとして、


「いや、説教に来た。こっち来て正座しろ正座」


 俺の言葉を聞いた瞬間、身を翻し、慌てて別の枝にしがみつく。

『ふちょっ! なっ……何でよぉ! 「ああ、助かったぜ、ニュクスちゃんのおかげだ。ありがとな!」って言いに来たんじゃないの!?』

 清々しい程に白々しい奴。俺が知らないとでも思っているのか。

 枝にぶら下がりながらギャーギャー文句を言うニュクスに、無表情で手招きする。

 はよ来い。

 そして正座をしなさい。

『な、何だよぉ……目がこえぇよぉ……』

 俺の要求を頑なに拒み、涙目で首を横に振るニュクスだが、俺も譲る気はない。

 

 しばらくの間、膠着状態が続いたが、無言の圧力に屈したニュクスはしぶしぶ枝からに降り立つと、腕を組む俺の目の前で仁王立ちし、直ぐ様ちょこんと正座した。

 まぁ、いかにも不満そうに頬を膨らませている訳だが。

 では早速本題に入ろう。

「ニュクスちゃん、俺に隠し事してたよね?」

『うぐっ……さ、さぁー。何の事っスかねぇ……』

 そう言いながら、思い切り目を泳がすニュクス。

 本当に嘘を隠し通せない奴である。……ったく。


「灯朱ちゃんの〈刻印〉が、知ってたんだろ?』


 俺の話にぐむっと言葉を詰まらせたニュクスだったが、すぐに取り繕った。

『……知ってたけど、教えてもどの道〈オーク〉を発動させて、〈暴奪〉を使うしかなかったんだし、いいじゃん』

 唇を尖らせながら俺を見上げるニュクス。確かにそうなんだけどさ。

 溜め息を付きながら、俺は自分のこめかみを掻く。

「良くはないだろ。取り敢えずもう隠し事はナシな? 守れるなら正座解除していいか――」

『わかった守る!』

 言い終える前にすっくと立ち上がる。俺は少しだけ身を屈め、ニュクスの膝とワンピースに付いた汚れを手で払ってやりながら、覚悟を決めて聞いた。


「じゃあ聞くけど。やっぱり俺、死んじゃうのかな?」


『うん、死ぬねー』

 極めて軽いノリで言ってくれやがった。

 灯朱ちゃんの刻印を〈暴奪〉した時に腹は括ったつもりだったけど、面と向かって宣告されると……うん、少しキツいな。

「……例えばさ、こう、ある日不思議な力で治っちゃったりとか」

『そんな都合の良い事ある訳ないじゃん。〈オーク〉の特性は肉体と筋力の操作による超回復タフネスであって、じゃないんだから』 

「……って事は〈フェネクス〉でも無理?」

『〈生命の炎〉でも無理だね。あれは自身と対象の生命力の交換に過ぎないし』

 ……そっか。

 

 灯朱ちゃんや紅巴さんは、刻印が完治したと思ってるけれど、実際は俺が〈暴奪〉で刻印をしただけだ。

 〈暴奪〉で出来るのは、奪い、自分の物にする事だけ。

 克服出来る病ならまだしも、〈刻印〉のような強い呪いの類は、アナムライザーの能力だろうと、自力で消滅させる事は出来ない。

 謂わば、アナムライザーを創った連中が俺に植えつけた〈感覚操作の式〉と同じなのである。

 

 考え込む俺の顔を、ニュクスが下から覗き込む。

『天示が死んじゃう事、あの姉妹に言うの?』

「言える訳無いだろ……あんなに喜んでるのに。俺が代わりに〈刻印〉を受けただけだって知ったら、きっと……」

 あの姉妹の事だ。気に病んでしまうかもしれない。

 自分の事なら我慢出来る。けれど、人が傷ついたり、悲しい顔をしたりするのは、正直耐え難い。

「なぁ……俺の体、どの位持つと思う?」

『それは分からないなぁ。今日明日死ぬって事はないと思うけど』

 言いながら、ニュクスは顎に手を当て、思案する仕草をする。お助けキャラパワー全開で、知恵を絞ってくれるとありがたいのだけれど。

『でも多分、最終的にはトアカちゃんと同じ道を辿る事になるよ。ただ、天示の体内にある〈刻印〉は、〈オーク〉の膨大な生命力を凄い勢いで蝕んでるから、その成長速度は比較にならない位に早いだろうね』

「ふむ」

『アナムライザーになった天示の力は、今は凄く大きいけど、刻印の成長に反比例して、その力はどんどん失われていく。で、その内満足に体を動かす事も出来なくなって、最終的には――』


「……〈黒の天蓋〉を、今度は創り出してしまう事になるんだな」


 ニュクスが『そ』と、軽く答えた。

 リイヴァテインを受け取った際にニュクスが言った『』とは、この事だったのだ。

 そしてこの真意を、ニュクスは隠していた。

 まぁ、説明を受けていたとしても、やる事は変わらなかっただろうけれど。

 いずれにせよ、今重要なのは〈黒の天蓋〉の再創造の回避だ。

「うーん、それだけは防ぎたいな。どうにかしてタイムリミットまでに対策を考えないと」

 頭を捻って案を出そうとする。

 ところが、

『あ、〈刻印〉の克服法は無いけど、〈黒の天蓋〉を創らずに済む方法ならあるよ?』

 ニュクスの口から降って湧いたような話が飛び出た。が、同時に嫌な予感もする。

 この自称お助けキャラが如何にも助かりそうな事を言う時は、大体助からない事が多いんだよなぁ……。

「……言ってみ?」


『〈黒の天蓋〉創造の準備が終わる前に、天示が自分自身を殺しちゃえばいいのさ』


 ほらやっぱり、そんな事だろうと思った。

 まぁでも、一応最後まで聞いてみるか……。

「えーと、そうしたらどうなるんだ?」

『宿主を無くした〈刻印〉が、元の宿主であるトアカちゃんの体に戻っておしまい』

「ッ! おま――」

『そうならないたーめーに』

 食って掛かろうとした俺を手で制止し、ニュクスが言葉を続けた。


『天示が自分を殺す時は、あたしの前で死になさい』


「……え?」

『そうすれば、あたしが責任をもって、〈刻印〉をこの世界に未来永劫閉じ込めてあげる。天示は死んじゃうけど、その代わりにあの姉妹は〈刻印〉の呪縛から解放されて、幸せに暮らせる。……それで良いんでしょ?』

 思わず息を呑んだ。

 初めて、ニュクスにフィクスの影を見た気がする。

 言うとすぐに調子に乗るから、絶対に言わないけど。

「……そうだな。そうしてくれるなら安心だ。ありが――」

『で、あたしと天示と〈刻印〉で、仲良くここで川の字で寝る事になるのね。んぅー、〈刻印〉ちゃんのニックネーム、今から考えておこっかなぁー』

 顎に指を当てながら、楽しそうにくるくると廻りだす。

 こういう事を言わなければいいのに、と心底思う。

 でも、きっと言っちゃうから、こいつはなのだろうな、とも思う訳で。

 つい可笑しくなってしまった俺が失笑すると、ニュクスは不思議そうな目で首を傾げるのであった。


 咳払いをして気を取り直し、今後の対策会議(二人)を始める。

「手遅れになるタイミングとか、分かるか?」

『んぅー、仮の目安としては……髪の色が変わったら、かな?』

「俺の髪が白くなったら危険信号って事か」

 あ、そう言えば。

「なぁ、今の灯朱ちゃんは、本当に大丈夫かな?」

 刻印は全て俺が奪った筈だが、何故か髪の色だけは戻せなかったのだ。

 あの時は保留にしたけど、そこだけが、ずっと気がかりだった。

『トアカちゃんの〈刻印〉は全部、天示が奪ってるから心配いらないよ。それに、髪の色が戻らないのは、あの子の何らかの思い入れの影響だと思う』

「思い入れ……か」

 

 紅巴さん達のお母さんも、〈刻印〉の影響で同じ色の髪だったらしい。

 手放したくない、とまで思ってるかは分からないが、それだけ印象の強い、言うなれば灯朱ちゃんにとってとでも呼ぶべき物なのだろうか。

 まぁ、当人にしか分からない事なんだけど。


「……にしても、ニュクスは物知りだな。聞けば大体の事は知ってる」

 日頃飄々としてる癖に、案外適切なアドバイスをくれる。

 問題はアドバイスが出来る癖に、どうでもいい所ではぐらかしたり、無駄に隠したり、嘘を付いたりする困った奴でもあると言う事だが。

『ふふん、お姉ちゃんだからねー。昔、〈黒の天蓋〉関連の情報も一杯教えてあげたっしょ? もっと褒めちぎりまくっていいのよ?』

 両手を腰に当て、偉そうに鼻を鳴らす自称姉。お前はフィクスじゃないっつーの。

 少々不快に思いながらも、堂々過ぎる物言いに思わず苦笑してしまった。

『ところで、天示はこれからどうするの?』

 これから、か。

「うーん、当面はこのままかな。紅巴さんの仕事の手伝いとか、灯朱ちゃんの経過も気になる。俺の〈刻印〉も、もしかしたら治療法が見つかるかもしれないし」

 あ、それと。

「後、火凪さんが〈感覚操作の式〉の解除法を見つけてくれるかもしれないんだ」

 もし〈感覚操作の式〉が治ったら本当に助かるのだけれど。いつかまた、学校に通ってみたい。

『んぅー、あたしは無理だと思うね!』

「噛むぞお助けキャラ。……まぁ、他にも目標とか出来たし」

『ほほー、目標とな?』

「達成出来るか分からないけどな、ある意味〈感覚操作の式〉の解除より難しいと思うよ」

『あっはは! それ最初から無理なやつだー!』

 腹を抱え、指を差しながらケラケラと笑うニュクス。

 その態度にカチンと来るが、実は自分でも限りなく不可能に近いと思ってる事なので、特に反論はしない。

 あくまでも、もし叶うならば達成したいと言う、夢のような話に過ぎないのだ。


「……さて、そろそろ帰るかな」

 目的の話も済んだので別れを切り出すと、ニュクスは途端に不満げな顔を見せた。

『んぇー、もっと遊んできなってばよー』

「戻ってしなきゃいけない事がいっぱいあんの。気が向いたらまた来るから、良い子にしてろって」

 言いながら、少し乱暴に髪をわしわし撫でてやると、口を尖らせながらも、それ以上の文句は言わなかった。

 

 そして最後の別れ際、俺はニュクスに声を掛ける。

「なぁ、イセカイアネモドキ」

『また凄い名前が飛び出したね。次それで呼んだら大声で泣くからね』

 真顔の抗議を無視しながら、ポケットから一冊の本を取り出し、ニュクスへと放り投げた。

『ぉわっ……とっ!』

 緩やかな放物線を描くそれを目で追いながら、両手で抱き抱える様にキャッチする。受け取った本の表紙を見た瞬間、その目に驚きの色が浮かんだ。

『あ……これ……』

 コンパクト国語辞典。

 先日、あまりの気持ち悪さに俺が屋上から投げ捨てた物体Xだ。

 完全に存在を忘れていたのだが、この世界に訪れた際に、何故か唐突に思い出してしまったので、どうせ見つからないだろうと思いながらも、何となく下で捜索してしまった。

 そして残念な事に、わりとあっさり発見してしまったのだった。

 んで、見つけた以上は見なかった事にする訳にもいかなくて、ここまで持って来たのである。

「もう無くすんじゃねーぞ、分かったな?」

『お前が投げ捨てたんだぞ、分かってんのか?』

 多少の罪悪感から冗談めかして言ってみたが、当然の如くきっちり言い返される。

 くそぅ、探さなければ良かった。

 だが、相手がニュクスとは言え、この件に関しては悪いのは俺なので、ここは素直に謝るべきだろう。

「その……なんだ」

 多少バツも悪く、口篭らせながら謝罪する。

「それ、大事な物なんだろ? ……投げ捨てて悪かったよ。ごめん」

『いや全然? 暇で暇で死にそうな時にテキトーに書いた物だから、てか今コレ見るまで存在自体忘れてた。天示はマメだねぇ、乙女みたいだ。あはは』

 探さなければ良かった! ああ探さなければ良かったなー!!

 一気に頭に血が上った俺は、憎まれ口の一つでも叩いてさっさと帰ろうとした。

 その時、


『ねぇ天示』


 コンパクト国語辞典を胸に抱いたニュクスの声色が、優しげなものに変わる。

 そして――


『本、探してくれたんだよね。ありがとね』


 白緑の花弁が、俺の視界を掠めた。淡い桜の香りが鼻腔に触れる。


『――大好き、だよ』


 そう言いながら、本を両手で抱きしめ、心の底から嬉しそうに、まるで宝物を貰った子供のような眩いばかりの笑顔を向けてくるのだった。

 その様子にすっかり毒気を抜かれてしまった俺は、小さく舌打ちをしつつ、ひらひらと手を振りながら、この世界を後にした。


 本当にいつもいつも、こいつには調子を狂わされてばかりだ。

 これまでも、きっとこれからも。

 だけど、案外それも悪くないかもしれないと思う。

 まぁ、言ったら絶対調子に乗るから、ニュクスには黙っておこう。

 そんな事を考えながら、俺は目を覚ました。


【side end】



 コマの寝息に耳を傾けていた天示だったが、ふと何かを思い出した様子で時計を見ると、時刻は16時になろうかという所であった。

 その横顔を、灯朱が不思議そうに覗き込む。

「奥乃さん? どうかしましたか?」

「ん? あぁ、16時頃に帰るから、必ず家に居てくれって紅巴さんに言われてるんだよ。大事な話があるんだってさ」

「はぁ……。大事な話、ですか」

 灯朱は見当も付かないのか、頭を捻るばかりだ。

 特に話の内容も聞かされていないようだった。

 

 程なく、16時丁度のタイミングで玄関の開かれる音がリビングに届き、そのままの流れで紅巴がリビングに顔を出した。

「ただーいまーっと! おっ、居るね居るね~?」

 ソファーに腰掛けている天示の姿を見るなり、妙に楽しげに微笑む紅巴。

 その様相に少々驚き、目を瞬かせた天示が問うた。

「お帰りなさい紅巴さん、随分ご機嫌なんですね。何か良い事ありました?」

 だがその問いにすぐには答えず、ムフフと焦らすように笑いながら、紅巴は天示の斜め前のソファーへと腰掛けた。

「朗報だよ天示君。『良い話』と『やや良い話』があるけど、どっちから聞きたい?」

 未だかつて聞いた事もない二択に、天示が答えに窮する。

 思わず隣の灯朱と顔を見合わせてしまった。

 一方、紅巴は返事を今か今かと待ってるようで、うずうずしている。

 腑に落ちないながらも、天示は答えた。

「じゃ、じゃあ『良い話』からお願いします」 

「オッケー。……えっ、と」

 言いながら、紅巴は自分の鞄から大きめの封筒を取り出すと、天示の目の前のテーブルに置いた。

 そして、告げる。


「予てより申請していた高校編入の許可が下りましたー! 君は週明けから晴れて高校生です! おめでとう天示君!」


 パチパチパチ、と拍手する紅巴。話を聞いていた灯朱も小さく「わぁ」と歓喜の声を上げた。

 しかし、天示の反応は薄い。と言うか、無表情である。

 想定外の反応に、紅巴の拍手が止まる。

「……あれ? 学校行きたいんじゃなかったの?」

 その疑問に、天示は申し訳なさそうに応えた。

「……いえ、学校は凄く行きたいんですけど、この体質……〈感覚操作の式〉があるので、ちょっと困るといいますか……」

 学校は男女間の距離が近いばかりでなく、接点も多い。自分が我慢して済む話なら良いのだが、間接的に相手にも迷惑が掛かってしまう。

 紅巴の気持ちはありがたいし、それは天示自身も望んでいる事であるが、現実的に考えて不可能であろうと思った。

 しかし、

「あ、大丈夫大丈夫。〈感覚操作の式〉があっても通える学校だから、安心して?」

 手を振り、微笑む紅巴の思いがけない言葉に、天示の顔が一気に明るくなった。

「ほ、本当ですか!? だったら俺、凄く嬉しいです! ありがとうございます!」

「うんうん。あぁ良かった。その封筒に学校紹介のパンフレットが入ってるからね」

 少し興奮気味に封筒を手に取った天示が、中のパンフレットを掴んだ。

「俺、また学校に通える事、ずっと憧れてたんです。……あ、男子校とかですか?」

 聞きながら、天示は自分が知る限り、近場に男子校など無い事を思い出していた。

 そうして、封筒の中身のパンフレット取り出そうとした矢先、

「ううん、カナの学校」

 紅巴の言葉に天示が凍り付く。

 表情こそ喜びのままだが、まるで凍結してしまったかのように動きが停止した。

 ゆっくりと、思考を整理する。

 

 

 

 それは言うまでも無く、綾神火凪が通っている学校の事である。

 つまり、

(た、確か……火凪さんの……学校って……)

 冷房が掛かってる筈なのに、少年の頬を汗が伝う。

 震える指で、封筒からパンフレットを取り出す。

(じょ……)

 そして、記された学校名に目を通した。

(じょ……ッ!)




【私立・エスペラント学院】



「ッ女子高じゃないかーーーーーーッ!!」

 立ち上がり、憤りの咆哮を上げながら、半泣きで紅巴に詰め寄る。

 率直に、嫌がらせだと思った。

「酷いじゃないですかぁ! 女子高なんて俺が行ったらどんな悲劇的な結末を迎えるかっ! 迎えるかぁっ!」

「ちょ、ちょっと待っ! 落ち着いて天示君!」

 両手を突き出して慌てる紅巴と、その様子に狼狽える灯朱。

 そんな最中、灯朱の膝で丸くなっていたコマが可愛らしいクシャミをした時、リビングのドアの方から声がした。


「うるっさ……。何か先が思いやられるんですけど……」


 如何にも面倒臭そうな物言いに、涙目の天示が振り向くと、そこには私服の火凪が立っていた。

 白のポロシャツ風カットソーに、デニムのショートパンツ。制服姿のイメージとは異なるカジュアルな服装だったが、よく似合っていた。

 そんな火凪と目が合った瞬間、ついつい言葉に詰まってしまう。

 何せ、天示が火凪の声を聞いたのは一週間ぶりの事なのだ。

 ルキフェルの一件から今日に至るまで、時折姿を見る事は有れど、言葉を交わす機会等無かったのである。

 

 そんな火凪が今、腕を組んだまま、値踏みする様に天示を見ている。

 蛇に睨まれた蛙よろしく、すっかり萎縮する天示に、火凪が話を切り出した。

「あんたをそこに編入させるのは、私が決めた事だから、拒否権は無いと思って」

「……え?」

「しばらくここで暮らすんだから、外では常に私が監視出来る所に置いておく。それが姉さんと私で決めた、あんたを私達の家で預かる条件」

 なるほどそういう事かと理解する。

 しかし、

「あの、火凪さん。申し訳ないんですけど、俺は――」 

「そこで『やや良い話』が来るんだよ、天示君」

 突如として会話に割って入ったのは紅巴だった。天示が何を言おうとしたのか、重々知っている様子である。

「カナ、頼んでいた、出来てるよね?」

 紅巴の問いに、火凪は無言でポケットから何かを取り出すと、天示に向かって放り投げた。

 天示が両手で受け取ったそれは、シンプルな装飾の銀色のブレスレットだった。

 要領を得ず、それを手元で遊ばせながら首をかしげる天示に、火凪が説明する。

「あんたに掛かってる〈感覚操作の式〉。今すぐ解呪は出来ないけど、それを付けてれば、多少緩和出来ると思う」

「え……えぇっ!?」

 目からウロコである。嘘か真か疑うより先に、天示は大急ぎで左手に装着した。 

 その様子を見ていた火凪が、腕を組んだまま紅巴を顎で促す。

「じゃ、触ってみ」

「え……わ、私!?」

「他に誰が居るのさ、〈感覚操作の式〉をどうにかしろって言ったのは姉さんなんだから、検証位やってよ」

 妹にせっつかれた紅巴が、悲壮な面持ちで生唾を飲み込む。

 ややあって覚悟を決めると、その手を天示へと伸ばした。

 そして、ぽふりと頭に手を置く。

「ど、どうですか? 紅巴さん……」

 数秒そのままの体制だった紅巴が、ぽつりと零す。

「あ、なんか気持ち悪くなってきた」

「……だけですか?」

「うん、……ごめん吐きそう」

「や、やったぁ! 火凪さん凄いですよこれ!!」

 女性に頭を触れられ、顔面蒼白で「気持ち悪い」と蔑まれて歓喜の声を上げる少年の絵面が出来上がった。

 絵的には芳しくないが、天示からしてみれば革命のような出来事である。

 状況を見守っていた火凪が、結論を出す。

「姉さんでその様子なら、一切耐性の無い普通の子に触られると、まだ殴られるかもね。ただ、もう女の子と目が合った位で〈感覚操作の式〉の影響が出る事はないんじゃないかな」

「お……おおぉ……すげぇ、すげぇよコレ……!」

 ブレスレットを付けた左手を掲げ、大興奮の天示を無視しながら、紅巴の向かい側のソファーへと歩く火凪。

「ま、学校生活を送る分には問題無いでしょ。……あー疲れた」

 言いながら、ぼすっとソファーに腰を下ろす。

 そんな火凪に、天示が遠慮深げに声を掛ける。

「……あの、火凪さん?」

 火凪は返事をしないが、ちらりと天示を一瞥した。

「もしかして、一週間これを作ってくれてたんですか?」

「……姉さんに頼まれたからやっただけ。……後、一応トアのお礼の分」

 仕方なくといった風に言うと、そのままぷいっとそっぽを向く火凪。

 

 思えばこの一週間、火凪は家に居るより、外出していた時の方が多かった。

 材料調達か情報収拾かは判らないが、これを作る為に奔走してくれたのであろう。

 そう思うと、この腕輪が掛け替えのない大切な物に思えた。


「ありがとうございます、火凪さん。俺、この腕輪は一生大事にします」

「当たり前でしょ。ちなみにそれ、壊したら二度と作らないから」

 目を合わさず、火凪は不機嫌そうに言った。しかし、天示の心はとても暖かい気持ちに満たされていた。

 この腕輪の件は勿論なのだが、何より、間接的とは言え火凪にと言って貰えた事が嬉しかった。

 例え目的が監視であろうと構わない。自身の存在を認めて貰うのは、少年にとって、何よりも幸せな事であった。

「カナはね、錬金術と魔具生成にも詳しいんだよ。凄いでしょ?」

 まるで我が事のように自慢げに言う紅巴。火凪が訝しげにそちらを向く。

「断っておくけど、そいつが人間に牙を剥く事があれば、私は全力で滅ぼすから」

 そこまで黙って話を聞いていた灯朱だったが、『滅ぼす』と聞いた瞬間、その顔が青ざめる。

 ふぅ、と溜め息を吐いた紅巴が目を細め、言葉を返した。

「……『もし仮にそうなったら』の話でしょ。私は、天示君が私達の大きな力になってくれるって信じてる。カナが考えているような事には、絶対にならないよ」

 灯朱もこくこくと頷く。 

 3姉妹のやり取りを見ていた天示が、口を挟んだ。

「あの、火凪さん。もしそうなったら、殺さない程度のボコボコでお願いします」 

 

 そう言った天示の表情は、何かを思い詰めているようであった。

 

 だが火凪はその想いには気づかず、怪訝な顔のまま、間髪入れずに言い返す。

「あんたに言われるまでもないっての。――さ、それじゃ行くよ」

 そう言って立ち上がる火凪を、天示は無言で見つめる。

「……何ぼーっとしてんの。行くって言ってるでしょ?」

「え? あの、ど、何処に」

「姉さんで腕輪の効果を検証したから、次は外で実地試験。そのついでに通学路の道案内と学校の説明。……先に外で待ってるから」

 そう残して、火凪はスタスタと歩いてゆき、リビングから出て行ってしまった。

 慌てた天示が、急いでその後に続こうとした時。

「天示君」

「奥乃さん」

 二人に呼び止められた。

 そして、


「「行ってらっしゃい」」


 笑顔と共に、送り出してくれた。

 天示は多少こそばゆくもあったが、

「……行って、きます」

 気恥かしそうにそう言って、火凪の後を追ってリビングを後にした。


 玄関を出ると、夕刻に差し掛かる西日の煌きに、少しだけ目眩がした。

 時間的な事もあり、暑さはそれ程でもなかったが、その眩しさから、ついいつもの様にフードを被る。

 すると、外で自分を待ってくれていた火凪が、憮然とした顔でツカツカと歩み寄って来た。

 やがて、お互いの呼吸さえ届きそうな位置で立ち止まると、天示が被っていたフードを剥ぎ取ってしまった。

 そして、呆れたように、

「あんた、趣旨分かってないでしょ?」

「すみません。……いつもの癖で……それと」

「それと?」

「正直に言うと……実はまだちょっと怖いです」

 俯き、青ざめながら言う天示の言葉に、盛大なため息をつく火凪。

 これがルキフェルを滅ぼした少年だと言うのだから、なんとも情けない話である。

 戦っていた時は微塵も感じなかったが、これこそが天示の素の姿であった。

 ふぅ、と息を吐いた火凪が、天示の手を取った。

「日が暮れるから、さっさと行くよ」

 そう言って、手を引いたままグイグイと歩き始める。突然の事に目を白黒させ、顔を紅潮させた天示は、高まる鼓動を抑えながら声を上げる。

「あ、あのっ! 火凪さん、俺、自分で歩けるんで――」

「その『火凪さん』って奴、気持ち悪いから止めて。……あと敬語も」

 ピシャリと遮られ、天示は口篭る。

 なおも手を引く火凪が、歩きながら話を続けた。

「私が見ている間は、誰にも何もさせない。周りの人間にも、あんたにも。……だから余計な事は考えないで、堂々と私に監視されてなさい」

 何も知らない人が聞いたら、とんでもない発言である。

 しかし、その言葉は天示の胸の奥底に、深く染み入った。

「火凪さ……えと、火凪ちゃん?」

「この場で滅ぼすぞ。……火凪で良い」

「あ、ごめん。ありがとう火凪、その、凄く嬉しい」

 天示の意外な言葉を聞い火凪は、一度だけ振り返り、ぽつりと、


「……変な奴」


 と、零した。

 

【side:奥乃天示】

 

 穏やかな日差しの下、火凪に手を引かれて歩く。

 

 俺が同世代の女の子に手を引かれて歩いているだなんて、少し前の自分からは考えられない出来事だ。

 『学校に行きたい』と言う願いも、こんなにあっさり叶うなんて思ってなかった。

 ……まぁ、女子高と言うのは想定外だったが。

 恐らく火凪の監視下でも、腕輪の効果があったとしても、上手く行かない事も多いだろう。それでも、やってみる価値は、きっとある。

 俺の手を引き、前を歩く火凪。その背中を見ながら想う。

 今の自分に希望をくれた火凪と、その姉妹の為に、俺の命を使ってみようと。

 願わくば、最期の瞬間には笑っていて欲しいものだけれど、それは些か高望みし過ぎだろうか。ニュクスに話したら爆笑するかもしれないな。

 やや自笑めいた笑みと共に、歩きながら空を見上げた。

 

 なぁ、姉ちゃん。

 俺、やっとやりたい事を見つけたんだ。

 全然大した目標じゃないし、その割に達成の糸口すら見えないけど、それでも、自分で決めた生き方なんだ。

 だからさ、精一杯頑張ってみる。

 それがどう転ぶかは判らないけど、それでも、最後まで駆け抜けてみる。

 

 その時、柔らかな、季節はずれの桜の香りを感じた。

 まるで、俺の事を励ましてるかのような優しさに、思わず言葉が漏れる。


「……ありがとな」

「? なんか言った?」

 こちらを一瞥した火凪が、怪訝そうな声を上げる。

「あ、ごめん。何でもない」

「ったく、何なのさっきから」

 ひたすらに不機嫌そうな火凪だったが、俺の心はとても満たされていた。

「ねぇ、火凪。……俺、頑張るよ」

「いきなり何の話? 意味が分からないんだけど」

 もっともである。

 だが俺はそんな火凪には答えず、夏の夕空を見上げたまま歩く。


 この命の先にはきっと、確かな笑顔があると信じて――  


【side end】

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