常雨の街
彼我差日夜
常雨の街
電車から降りたった瞬間に私は憂鬱さを感じた。
雨が降っていた。
この駅は地上数メートル程の高架上にあり、駅名が記されている看板の上に申し訳程度に屋根があるだけなので、降りた瞬間に私は新しい服を濡らすことになった。
憂鬱だ。
とりあえず、傘をさす。さっき電車に乗る前に買ったものだ。やや水色がかった安っぽいビニール傘。そこに水滴が貼りつく。
微風が吹いているせいで足元に雨が入ってくる。今日は裸足にサンダルにしてきて良かった、濡れてもあまり不快にはならない。
小さく溜息を吐いてから、改札階へ降りる。同時に傘も閉じる。
私がここに来たのはこの町に引っ越してくることになったからだ。事前に新しい家を見に来たときも雨が降っていた。まあ、この町はそうなってるからしょうがないんだけども、やっぱり雨というのは気怠い気持ちにさせてくるからあんまり好きじゃない。
改札の方を見ると、向こう側に男の人が一人立っていた。知り合いだ。前にこの町に来たときにちょっとだけお世話になった人。
しかし、どうやらまだこちらには気付いていない様子。
「わざわざ出迎えに来てくれたの?」
少し近寄って話しかけた。
彼はこちらに振り向くなり目を丸くした。
「驚いた。本当に今日来るなんて思ってなかったよ」
そういえば、彼には今日ここに来ることは伝えてなかったはず。なら何故、駅で待っていてくれたのか。
「うーん、と。夢で今日君が来るのを見たんだよ。……夢では晴れてたんだけどね」
彼は肩をすくめて、雨雲で本来の青さを覆い隠してしまってる空を見上げた。
それにしても、夢で晴れてたなんてそんなことあるわけないのに。
「よく、そんなことで行動が起こせるね……。私だったら夢は夢で済ませちゃうけど」
「僕だって普段はそうさ。なんとなく正夢になったらいいな、と思って、ちょっとここで待ってみたってだけ」
「……どれくらい待ってたの?」
私がそう尋ねると、彼は右手首につけている臙脂色のバンドの時計を見てから、
「ざっと、小一時間かな」
と答えた。
……呆れた。恋人同士の待ち合わせでも私だったらそんなに待てない。前に少し関わっただけの知り合い程度の、しかも実際に来るかどうか分からない相手のために使うような時間じゃない。
「あ、いかにも呆れてますみたいな顔してる。いいじゃないか、実際こうして会えたんだから」
「まあ、別に責めたりするつもりはないけどね。ただ、そんな無駄な時間の使い方してるとあっという間におじいさんになってても知らないよ、時間は有限なんだから」
「む、失礼な、僕はまだ19だぞ。まだ当分おじいさんにはならないよ」
うーん。ただの比喩のつもりなんだったんだけど、ちょっと現実的な話をされてしまった。そして、まさかの年下だった。
彼が思いついたように私に尋ねてきた。
「あ、そういえば、君って何歳なの?」
ああ、なんというデリカシーのない質問。若いからこそ口に出せるのかしら。
「……あまり女性に年齢のことを訊くものじゃないと思うよ」
とりあえず、そう答えておく。こうしておけば、大抵の場合、それ以上深く聞かれることはない、はず。
すると、彼は眉を寄せながら、首を傾げた。
「んー、まだそんなの気にするような歳には見えないんだけどなあ。どう見ても僕より年上って感じには見えないよ?」
ぐう、しぶとい。そしてそれはさすがにない。
私は彼から目を逸らしながら、
「まあ、うん。2桁以上は離れてないかな」
と答えた。
「ふーん。ま、いいか」
なんだか誤魔化された感じ、などと呟きながら彼は傘をさして歩き始める。
「ちょっと、どこへ行くの?」
「君の新しい家に連れて行ってもらおうかなと思ったんだけど、ダメ?」
それをさも当たり前のことのように言う彼に私は頭を押さえた。
この人は本当に……。
「まだ引っ越してきたばっかりで散らかってるから駄目」
そうは言ったものの、散らかる程の荷物はこちらには持ってきてはない。家具類はこっちで揃えるつもりだったし。
単純に、年下とはいえ男の子を自宅に招待してしまうことに抵抗があっただけ。
しかし、よくよく考えると彼相手にこの断り方は失敗だったかもしれない。
「あ、そうなんだ。だったら手伝うよ」
ほら。やっぱり、そう来ると思った。一度ああ言ってしまった以上、こちらとしてもそれを断るわけにもいかない。
私は溜息を吐く。
「分かった。別についてきてもいいけど、あんまり長居はしないでね」
「うん、まあ、そうだね。長時間電車乗ってきてくたびれてるだろうし」
それが分かってるなら、そもそも自宅にまで連いて来ないでほしいんだけど……。
それにしても、長居しないでね、なんて来てもらう側が言っていい言葉じゃない気がするけど、私ってやはり心が狭いのだろうか。
そんなことを悶々と考えながら、彼のさす黒い傘を追いかける私であった。
ここは、そう呼ばれている。
私が生まれるより前にこの町で行われた化学実験が原因でかれこれ30年近く雨が振り続けているらしい。
最初の10年のうちはあらゆる機関が対策を練って様々な処置が行われたけど、結果は大して変わらなかったという。そして、10年、20年と経つうちに誰もが諦めてしまった。
昔よりも人口は減った。それはそうだ。こんな年がら年中雨が降っているような陰気な町、余程の物好きでなければ住み続けるはずがない。かつては2万人近くいたこの町はここ30年で3分の1以下になってしまった。
もちろん、私だって、好きでこの町に引っ越してきたというわけじゃない。一人暮らしをするにあたって父の知り合いの不動産屋にただ同然の値段で1LDKでしかも駅近なんていい条件を持ってこられたりしなければ、こんな町には引っ越してなんてこなかったと思う。
今、私の前を歩いている彼もそんなような事情があってこの町にいるのだろうか。
「……いや、この人の場合はただの物好きだろうな」
「ん、何か言った?」
小さく呟いた私に彼は振り返った。
聞き返されてもわざわざ答えるようなことでもないし、なんでもないと首を振るのも不自然だと思ったので、私は別の話題をふることにした。
「いや別に。相変わらず黒いなーと思っただけ」
黒い、というのは彼の服装のこと。髪が黒いのはまあいいとして、黒縁のメガネ、薄手の黒い7分袖のセーター、黒いジーンズに靴までも黒、さしている傘まで黒いので、彼の姿は町の中に浮かぶ一点の黒い染みというような印象を受けさせられる。前に会ったときもそうだった。
「……全体の中で、黒くないのは肌と腕時計くらいかしら?」
「あはは。特別黒いのが好きってわけじゃないんだけど、洋服屋に行くと何故か黒い服を買ってしまうんだよ」
「なんでよ、少しは違う色のも買ってみればいいのに」
何故かという、まるで他人事のような言い方に少しイラッときてそう言い返した。
彼は一瞬呆気にとられたような表情をする。
「じゃあ、次に服を買うときは君についてきてもらおうかな。また黒い服を買わないように見ててくれる?」
クスッと笑いながら、そう言ってきた彼は私の横に並んできた。
「……事前に日程とかを決めてから前日までに誘ってくれるなら、行こうかな」
彼の笑顔から視線を逸らしながら、そう言った。また今日みたいにいきなり押し掛けられるのも御免だし。
「はは、そうだね。気をつけるよ」
そう言いながら、彼は右手を首の方へやった。何かの癖なのだろうか?
彼の手首に巻かれた、臙脂色の時計がまたしても目に入った。
「そういえば、右手に腕時計巻いてるけど、左利きなの?」
「え? ああ、よく気づいたね。うん、僕は確かに左利きだよ」
「よく気づくも何も、全身黒い中でそんな派手な色のやつしてたらそりゃ目がいくよ」
「ま、そうだよね」
苦笑しながら彼はそう言う。
「……もしかして、誰かからの貰い物?」
彼のファッションセンスから考えるとまず自分から購入しそうなデザインじゃなかったので、そう尋ねた。
「うん。まあ、そんなとこかな」
彼は腕時計に関して細かいことは言わずにそう誤魔化した。もしかしたら、あまり良くない思い出の品なのかもしれない。
ここは話題を変えておくかな。と、思ったら、今日から私が暮らすことになっているアパートが見えてきた。
「あ。あそこが私のアパート、ってまだあんまり実感ないけど」
「へえ、あそこがそうか。意外と駅近なんだね」
それには確かにこの前、下見に来た時も驚いた。駅から歩いて10分もかからないというのは、私からしたらかなり嬉しいことだったのだ。
すぐにアパートの下まで着いた。
「あ、私の部屋2階だから」
そう言って私は階段を昇ろうと足をかけた。のだけど、
「あ、待って」
と、彼に制止された。
私はいかにも不愉快そうな表情を浮かべながら振り返った。
「なに。自分の部屋なんだから私から上がったっていいでしょ」
「いや、その格好で先に階段を昇るのはどうなのかな、と思って」
彼にそう言われて、自分の姿を見る。今日は白の膝丈までのワンピースに薄い桃色のカーディガンを着てきていた。なるほど、そういうことか。
とは言っても、スカートの中は見えても困らないように気をつけてはあるし、そもそもこの丈なら下から覗き込みでもしない限り中は見えないと思うんだけど。
まあ、思春期の男子なりの気遣いとして受け取っておこうかな。
「なら、先にどうぞ」
階段の1段目から足を降ろして、脇に避ける。
「うん。失礼します」
そう言って階段を昇っていく彼の背中を眺める。
この歳ぐらいの男の子特有のしっかりとしたからだつきをしているのだけど、細身だからむさ苦しいという印象はあまり抱かない。
……19歳、そう言ってたっけ。もしかして学生さんだったりするのだろうか。
「ん? どうしたの?」
自分が2階についても階段の前で突っ立っている私に気づいて彼が振り向いて首を傾げた。
「なんでもない。それよりいつまで傘さしてるの?」
私がいる位置だとまだ雨が降ってくるが、2階まで昇ってしまえば、屋根の下だ。傘をさす必要はないはずだけど。
「え、ああ、そうだったね」
やっぱり気づいてなかったみたいだ。彼はその場で傘を閉じた。それを見て私も階段を駆け昇る。段が濡れているので足を滑らせたりしないかと思ったけど、特にそういうことはなく昇り終わった。
「よく
「まあ、そうだね」
とは言ってもそんなに目を丸くして言うほどのことじゃない気がする。
「私の部屋、この廊下の一番奥のところだから」
そう言って廊下を歩いていく。彼も後ろからついてくる。
部屋の前に到着。
「ここだよ」
鍵はあらかじめ送られてきた書類の中に入ってたので、もう持ってきていた。書類が届いたときは家の鍵なのにそんな管理で大丈夫なのかと不安になったのをチラッと思い出した。
鍵を回して解錠。ドアノブを回して開扉。そして入室。
そのまま廊下を歩いて奥のリビングまで行く。先に送っておいた荷物があちこちに置かれていたので、前に来たときより狭いような感じがする。
カーテンを開けた。窓の向こうは生憎相変わらずのどんより雨模様なので開放感はまるでない。
なんとなく空気が重くなったように感じてため息をついていると、後ろから彼が来た。
「お、お邪魔しまーす……。おお、結構広いんだね」
それは認める。認めるけど、なんだか重苦しいのはこの天気のせいだと願いたい。
彼が荷物に気づいた。
「ん? 荷物ってそれだけ? 女の子ってもっと持ち物多いのかと思ってたよ」
「必要最低限の物以外は実家においてきたの。大きめの家具類はこっちで揃えるつもりだし」
「こんな広い部屋借りてて更に新しい家具買う余裕があるなんて……君って結構お金持ち?」
「部屋の方は知り合いの不動産屋に頼ったから安く済んだんだよ。あんまりお金持ちではないから、たからないでよね」
「あのね、僕がそういうことするような男に見える?」
「…………」
思い切りそう見えるんだよな、これが。こういう真面目そうな男の子に限って案外ヒモ生活をしていたりするものだ。
「うわ、僕全然信用されてないな。まあ、いいや。荷物片付けるの手伝うよ。あ、触ってほしくないような物があったら言ってくれる?」
「えっと……こっちの洋服関連の物は私がやるから。あと、そこの段ボールに入ってるのも。それ以外はお願いしてもいい?」
「この段ボール?」
と言って、彼は足元の段ボール箱を指差した。
「そう、それ」
「……何が入ってるのか訊いても?」
また、デリカシーのない質問を……。
彼がジッと見ている段ボール箱を見て、顔をしかめそうになる。
一度小さく溜息をついて、できるだけ笑顔を意識して答えた。
「……結構答えづらいものが入ってるから訊かないでくれると助かるかな」
「笑顔が怖い……。わ、分かった。詳しいことは訊かないでおくよ」
そう言って私の方へその段ボール箱を持ってくる。やれやれ。
「じゃ、作業開始、ということで」
「うん、お願いね」
こうして、初対面と大して変わらない程度の関係の彼と引っ越しの荷物の片付けが始まった。
片付け自体は大して時間もかからず終わったのだけど、妙な時間から始めたせいで終わる頃には日が暮れてしまっていた。いや、空は見えないので少し分かりづらいけど。向こうから押しかけてきた形とはいえ、彼に遅くまで手伝わせてしまったことに多少の申し訳無さがあったので、夕飯を作ってあげることにした。
……決して、一人きりで夕飯を食べることを寂しく思ったわけではない。
夕飯を作ってあげる、とは言ったものの、私自身、料理の腕前は大したものじゃない上に、引っ越してきたばかりでろくに食材もない状態だ。しかし、彼のためにわざわざスーパーに出向くのは億劫だし、なんだか気に食わない。というか、そこまでしたら彼は帰ってしまいそうだ。
とりあえず、まだ冷蔵庫すらないキッチンに立つ。
「ありあわせの食材で用意するけど、構わないよね? あと、何か食べれないものとかあったりする?」
まあ、ありあわせの食材に文句つけられたり、食べれないものを聞いても、それに応えてあげられるような状態ではないんだけど、一応訊いてみる。
すると、彼から朗らかな返事が返ってくる。
「ああ、いや。全然お構いなく。用意してもらえられるだけで充分嬉しいし」
それは食事がただで食べれることについて嬉しいと言ってるのか、別の意味で嬉しいと言ってるのかどっちなのかな? まあ、そこはどうでもいいか。
「そういえば、料理するのにエプロンとかしないの?」
彼の素朴な疑問にまた溜息を吐きそうになって思いとどまる。人前であまり溜息を吐くものではない。
しかし、この男は本当に……。彼はもしかしてエプロン姿の私を見てみたかったりするのか……?
「……あなたの保護者の方は料理する度にいちいちエプロンをつけてたの?」
まあ、それでつけてたと言われても、用意してあるわけではないのだけど、なんとなく訊いてみる。
「んー、僕の親は気分によってつけたりつけてなかったりしてたけど、僕自身はいつもエプロンをつけて料理するよ」
驚きの発言であった。こいつ、料理するのか。
「……あなた、もしかして普段から料理とかしっかりするタイプなの?」
この黒ずくめの格好からはちょっと想像がつかないけど、彼が普段から料理するような人なんだったら、私程度の中途半端なものを出すのはむしろ失礼にあたるのでは……?
「まあ、これでも一応一人暮らしだからね。多少はするよ、そりゃ」
腕前は……あえて訊かないでおこう。どうでもいいことで凹みたくはない。
むしろ、彼に料理させようかと思ったくらいだけど、それでは本末転倒なので調理を開始する。
「あれ、エプロンしなくていいの?」
さすがに溜息を吐いてしまった。
なぜ、まるでそれが私のミスであるかのように指摘してくるのか。
「そもそも持ってないから」
「嘘だよ、さっき荷物の中に入ってたし」
「もしエプロンが入ってたなら私がやってた洋服類の方から出てくるに決まってるでしょ」
というか、エプロン自体持ってきた覚えが私にはない。
「いや、調理器具の方から出てきたけど」
「え?」
「ほら」
そう言って、彼はビニール包装されたエプロンを渡してきた。包装は未開封だし、私には見覚えのないものだ。
そういえば、調理器具の方の荷物を用意してくれていたのは母だったのを思い出した。わざわざ新しいのを入れてくれたのか。
「なるほど、その反応だと、自分で入れたってわけじゃなさそうだね」
「うん。多分、お母さんが入れてくれたんだと思う」
「……せっかくなんだし、着てみたら?」
「そんなに私のエプロン姿を見てみたいの?」
「ん? まあ、それもなくはないけど、そうした方がいいと思うんだ」
そうした方がいい、というのはどういうことだろうか。
まあ、いいか。せっかくだし、着てみようか。
包装を開けて、エプロンを広げてみる。緑の地のところどころに白い花が咲いている、フリルなどの余計な装飾のない質素なデザインのものだ。実に母らしいチョイスだと思った。
「どう、似合ってる?」
彼にそう尋ねたら不思議そうな顔をされた。む、もしかしてあまり似合ってなかったのだろうか。
私が不満そうにそれを尋ねると、彼は慌てた様子で、
「い、いや、もちろん似合ってるとは思うんだけどさ。エプロン着て似合ってる?って訊く人って僕は初めて見たなあ、と思って。はは」
と答えた。
「エプロンだって着るものなんだから、似合うかどうか気にしたって別におかしくないでしょ?」
「そういうものかなあ……」
どうやら、彼はエプロンは調理器具の一つと思っているらしい。だから、料理するときには必ず着るものなのだなんて考えたりするんだな。
「さて、と。じゃ、料理を再開しようかな」
「何を作ってくれるんだい?」
「それは出来てからのお楽しみってことで。すぐ出来るから」
そう言って水を張った鍋に火をかける。炊飯器がないのでご飯を炊くことはできない。よって、作るとなれば当然麺類なのだ。麺類。私の得意料理の分野である。
とはいえ、食材そのものが限られているので、パスタを茹でたところで何の具もない。作るのはうどんだ。
けど、ただ単にうどんにおつゆをかけてもつまらないな……。どうしようか。
先に言ったとおり、大して時間をかけずに完成した。皿に盛ってリビングに運ぶ。
彼は私の小型の本棚から小説を取り出して読んでいた。ちなみにその小説、買ったばかりでまだ私は未読である。もうその程度では敢えて反応するまでもないけど、頼むからネタバレとかしないでくれよ……。
料理を運んできた私の方も見もせずに彼は口を開いた。
「君、割と変わった小説が多いね。なんというか、流行してそうなものがほとんどない」
「変わり者で悪かったね。私は読みたいものしか読まない派なの。ちなみにあなたが今読んでるその本、私まだ未読だから傷めたりしないでね」
「人の本にそんなことするわけないだろう」
「それならいいけど。……ほら、料理できたから食べてちょうだい」
言いながら、テーブルの上に料理を置く。
「へえ、うどんか。ちょうどこういうものが食べたかったんだよ」
「本当? なら良かったけど。あ、そうだ、ちょっと隠し味が入ってるんだけど食べて当ててみせてよ」
単にうどんではつまらなかったので、ちょっと変わったものをおつゆの方に入れてみたんだけど、彼に分かるだろうか。
手を合わせてから彼が一口食べる。
すると、すぐに手を打って言った。
「おお、これはオリーブオイルが入ってるね」
一瞬で言い当てられてしまった。これでは隠し味になってないじゃないか。
「そんなにはっきり分かる状態だった?」
「まあね。でもこれぐらいはっきりしてないと、多分入れても変わらなくなっちゃうから、僕はこれでいいと思うな」
そういうものなのだろうか。
私は首を傾げながらオリーブオイル入りうどんを食べた。
夕食が食べ終わったあと、彼は用事があったことを思い出して皿の片付けもそこそこにさっさと帰っていった。用事があるならば、皿なんか放置していけばいいのに妙なところで律儀な男だ。
「じゃあ、また今度」
そう言って彼は帰っていったけど、ろくに連絡手段もないのにどうやって次に会うつもりなのか。また正夢でも見るのだろうか。
「……馬鹿な人」
彼が帰ってしばらくしたあと、布団を敷いてその上に膝を抱えて座り、そう呟いた。
あんな人でも帰ってしまって、一人きりになると多少の寂しさも感じるものだ。
「やることもないし早く寝ちゃおう……」
パタンと膝を抱えた姿勢のまま横に倒れる。窓の方を見ると相変わらず雨が降っていた。さっきまでは憂鬱に感じていたけど、こうして落ち着いて横になってみると、この静かな雨音が妙に落ち着いたりする。
「…………」
眠る前の数分、脳の意識を眠気に預けていると今日一日のことがすべて夢みたいに感じてしまう。このまま寝て目覚めたら昨日に戻っていたりするような気がする。
「……明日の天気も雨かな」
小さく、そんな当たり前のことを呟いてみた。そして、意識の昏いところへ沈んでいった。
この町は今日も雨が降っている。それは当たり前のこと。昨日もきっと雨だった。そして明日もきっと雨。
常雨の街。そう呼ばれるこの町で私はこれから生きていく。
こんな雲の下でそんなことに密かにわくわくしてしまう、そんな変わり者の私の生活は始まったばかりだ。
We're always in rainy day town!
常雨の街 彼我差日夜 @kayoru_higasa
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