第15話 夏と秋の狭間で
翌日、水曜日の朝。
晴れていて、風が少しある。
九月も終わりが近いとはいえ、まだ夏の空気である。それでも、時おり木立ちを揺らしてゆく風には、秋という季節を感じさせる、気泡のような透明さがあった。
「やぁ」
遥が玄関の引き戸を開けると、外から待ち構えていたような声がかかった。
遥と、明らかに同系のものとわかる制服を着用している。手に持っているのは、古びた布で何重にも梱包された
遥もそうだが、見鬼たちは自分の「鬼殺しの
「あれ?君の家からだと、ここは学校とは反対方向だろ?」
眠気の覚めやらぬ声で、遥が言った。
「ちょっと遥に話があってさ」
根強い残暑の光の中、
そこに、ひたすら甘い、浮き立つような声が聞こえてきた。開け放したままの、玄関の奥からだ。
「遥ちゃん、お弁当、ちゃんと一番下にした?カバンの中で、横になったらダメなんだよ?」
甘い声の、語尾はわずかに伸びていた。
軽く頬を引きつらせた由良と、玄関から
三人の間に、何とも言えない気まずい空気が流れる。
誰も、何も喋ろうとしないまま、沈黙が1分近く続いた。結が、あくまでも
「ゆ、由良くんは、何でこんな時間、こんな所にいるのかな~?」
作り笑いが、かなり苦しい。見ていて、気の毒になるほどである。
「ちゃんと、まっすぐ学校へ向かわないとダメだぞ?」
と、さらに微笑む。だが、まったく成功していない。本人は、優しくニッコリと笑ったつもりである。
「うわぁ」
由良は一言小さく洩らすと、「行こうぜ」と、遥の手を引っ張った。
「ちょっと待ちなさいよ!遥ちゃんは、いつも私と一緒に学校行ってるんだから!」
「お前といると、その遥ちゃんはダメになる。いろいろな意味で」
由良は、遥を引く手に力を込めながら、悪い虫でも追い払うように言った。
「お、おい、お前の話ってのは、ここじゃダメなのか?」
「ダメだね。『部外者』には、聞かせられない話だしな」
断固とした口調である。
「この~」
「待ちなさいってば!」
張り上げられた声に、遥と由良が振り返った。遥のほうは驚いているが、由良のほうは、ただ、
結は、学校指定の竹刀袋に収まったままの竹刀────その切っ先部分を、由良へと向けていた。上気した頬に、うっすらと赤味がさしている。
「手を離しなさいよ!」
恫喝するには、不似合いなほど高い声。だが、激情に眉は吊り上がっている。
それを見て、由良が面白そうに唇の両端を吊り上げた。
「やる気?」
二人は、意外に冗談とは思えない視線を闘わせ合っている。
「ちょ、ちょっと待てって、何考えてんだ、二人とも!」
あわてて割って入った遥に、「だって遥ちゃん」「でも遥」と、二人は見事に名前の部分だけをハモらせた。
「とにかく、話があるなら後で聞くよ。それじゃダメなのか?」
由良に向かって、なだめるように遥が言う。その後ろで、わざと結が由良に見えるよう、勝ち誇ったように舌を出した。
「昨日、
え?と、結の顔に険しさが差す。
「遥も、興味はあると思ったんだけどな」
無邪気な脅迫者。そんな顔で、由良は言った。
────な、何て言い方をする奴なんだ!第一、事実と違う
遥は青ざめながら由良を睨んだが、由良は遥と目も合わせない。
「何?どういうこと?」
と詰め寄る結に、遥は、心の中の叫びを声には出来ずに、口ごもった。間髪を入れずに、由良がしたり顔で割って入る。
「コイツってば、昨日さぁ…」
「わかったよ、わかったから!」
これ以上、余計な事を喋られてはたまらない。だが、結は遥が、
「ちょっと、遥ちゃんってば!」
「ごめん、今日は由良と行くことにするから、結ちゃんは先に行っててくれる?」
いかにも済まなそうに言われてしまうと、結としては、まるで立場が無い。
「そ、そう、そうなんだ……」
無理やり絞り出すかのような声と同様、体のほうも、小刻みに震えている。笑おう笑おうと努めているらしい表情が、遥には少し痛々しい。
「じゃあいいよ、勝手にすればっ!」
叫ぶように言い終えると、結は勢いよく制服のスカートをひるがえした。
肩を怒らせ、早足で進んでゆく
「お前なぁ」
「何も、あんなに怒ることは無いと思わないか?」
面白そうに笑う由良を、遥は諦めきった目つきで見返した。
渡辺家の本宅から学校までは、およそ20分の行程である。距離にして、約3キロ弱。
坂ノ上学院、通称「
遥はそこの高等部、由良は、そこの初等部である。
「で、話って?」
「昨日、ちょっかいかけてきた連中さ……」
「ああ、あの何たら一族」
遥は、声をかけてくる何人かに挨拶を返しながら、昨日見た、よく似た二つの顔を頭に思い浮かべた。
「奴らについて、遥自身は、どう思っている?」
「どう、とか言われてもなぁ……」
「どうだ?僕と組んで、学校帰りにでも奴らのところに乗り込んでみないか?」
「却下」
「……一刀両断だな」
「どうせ、そんなところだろうと思ったよ。だいたい、元は協力関係にあったんだろ?だったら、争うよりも共闘の道を探ったほうが賢明だ」
「まったく、遥は本当に見かけ通りだよな」
由良が、気抜けしたように鼻で
「……どういう意味だよ」
遥の表情が、不満気に歪んだ。
「甘いってこと」
「……」
「言われたの、初めてじゃないだろ?」
確かに、よく言われる言葉だった。取り繕ったところで、この少年には、すぐに看破されてしまいそうなので反論も出来ない。
「だいたい、元々は味方だとか何だとか、ぜんぶ季武が言った事じゃないか。直接、戦闘に参加しない奴の言う事なんか真に受けんなよ」
「実際は、違うっていうのか?」
「過去に協力関係にあったって言ってもさ、
「そうなのか?」
「碓井家の記録によると、昭和の初期ごろも敵対していたらしいから、ほんの80年くらい前も敵同士だったのさ」
昭和の初期頃といえば、日本が戦争を始めるか、始めないかぐらいの頃じゃないだろうか?それにしても、10歳そこそこと思える少年の口から、80年も昔のことを「ほんの」と称されてしまうと、遥はどうにも、気後れした気分になってしまう。由良の頭の中には、
「だからって、それをわざわざ、こちらから出向いていく理由にしなくたっていいだろ」
「それが甘いんだって。困るなぁ、そんなことでは」
由良は、ことさら
「もともと渡辺家は、碓井、坂田、卜部を含めた、四つの家を統括するリーダー格なんだからさ」
「それなら言わせてもらうけど、わざわざ
突然、遥は何かに思い至ったように、口をつぐんだ。
「どうした?考え直して、その気にでもなったのか?」
そう言いつつも、由良も何かに気が付いたように口を閉ざす。
二人が無言のまま顔を見合わせた、その時、創立以来150年を数えると言われる古めかしい鐘の音が、規則正しい音階を奏で始めた。朝の
「いいのか?鳴ってるぞ?」
「やばっ!」
二人が話し込んでいたのは、高等部の校舎の真ん前である。遥に、由良が付いてゆく形だったのだから当たり前だ。そのぶん遥には、まだ少しだけ時間的な余裕がある。だが由良の場合は、もう、走っても間に合うかどうかだ。
「おい、方向違うぞ!」
「こっちでいいんだ、近道さ!」
自分の身長の、倍は優にあろうかという柵を器用に乗り越えながら、得意気に由良が答えた。そのせいか、運悪く柵越えを
逃げる由良を見送りながら、遥も慌てて自分の
東の果てのマビノギオン @akizuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。東の果てのマビノギオンの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます