第14話 季武と、アキオちゃんと、見鬼たちの憂鬱

昭夫あきおちゃんに会った?」

 報告を受けた季武すえたけは、驚きの声を上げた。相変わらず、その声に緊迫感はゼロだ。

 ここは卜部うらべ家の、奥まった一室のうちの、どれかである。「リーダー」である季武が戦わないため、「定例行事」を終えた遥たち四人は、その首尾を、逐一ちくいち、季武に報告しに来なければならない。

「……アキオちゃんっていうんだ、あの性格悪いの」

  皐月が、つい先程までの事を思い起こして、一言一句、いまいまし気に口にした。

「アキオちゃんでも何でもいいけどさ、いつまで幼馴染み感覚でいるつもりだよ」

 うんざりとした顔つきの由良は、その感情を、皐月以上に声に込めながら言った。

「昔は『アキオちゃん』『スエちゃん』と、お互い愛称で呼び合っていた仲だったんですけどねぇ」

 メガネの位置を直しつつ、そのくせ両目は閉じながら、季武は言った。

「向こうは、とっくの昔に、そうは思っていないわよ!」

  あいつ、今度会ったら絶対ボッコボコにしてやるから!と、ものすごい剣幕で皐月が意気込む。それに同調するように、由良が、身を乗り出して口をはさんだ。

「今度と言わず、明日にでもこちらから仕掛けてみるってのは?」

 その瞳は、不敵な輝きで溢れている。鬼を退治てきた一族の末裔、という誇りと自負が、必要以上に圭角けいかくとなって、由良自身を支配している。そんな危うい狷介けんかいさが、確かにこの少年にはあるようだった。

「どうして君は、そう過激な方へと、話を持っていこうとするかなぁ」

  両手を肩の高さまで上げて、手のひらを上にして首を振る。「やれやれ」のポーズだ。

「甘すぎるんだよ、季武はさ」

 由良はポツリと口にしながら、不満そうに外方そっぽを向いた。まだあどけなさを強く残す少年の顔が、舌打ちでもしかねないほどに歪んでいる。

「あの────」

  しばらく口をつぐんでいた遥が、遠慮がちに口を開いた。

「鬼の子孫って言っても、今では、ほとんど人間────に近いんですよね?」

「うん、まぁ、そうだね。人との間に子供を設けるということは、つまるところ鬼の『身体からだ』も、人間と同じでなくてはならないわけだし……」

  由良の家でもそうらしいが、卜部うらべ家でも「鬼」という存在に関する研究、調査には抜かりが無いらしく、季武の口調には、よどみというものが全く無い。

「例えば、人間の遺伝子とチンパンジーの遺伝子は、98%同じです。ですが、たったの2%違うというだけで、この二つの霊長類の間に、子供は決して生まれないのです」

 子孫を残す、ということは、それほどデリケートなものなのだと季武は言う。

「つまり、鬼────というか、異世界の存在が人との間に子孫を残せる、ということは、取りも直さず、鬼は人の体を乗っ取る際、故意に対象者の『構造』を変えていないか、あるいは変えられない、もしくは、変えない方が都合が良いのだと考えられるわけです。だから鬼と人との間に生まれる子供は、まず100%人間、ということになりますね」

 違いがあるとしたら、西洋人と東洋人くらいの差しか無いんじゃないかなぁ、と、季武は締めくくった。

  つまり巴一族かれらは、自分たちと同様、普通に人間だということになる。それなら、二つに別れて仲間割れなんてしてる場合じゃない。現実に、源鈴子という人間の少女を、何だかよくわからない異形のものたちが奪いに来ているのだ。

  この異様な状況に、「本家ほんけ」の人間達は慣れきってしまっているように思える。

  遥は、視線をさりげなく鈴子へと向けてみた。

 鈴子は畳の目でも数えるように、伏し目がちの視線を、うつむくように下へと向けながら正座している。学校でも、よく見かける姿そのままである。

  彼女は自分自身の境遇を、どう思っているのだろうか。

  ふと、そんなことを考えてみた。

  考えてみれば、遥はまだ、一度も彼女とまともに会話を交わしたことはなかった。というか、鈴子が喋っているところ自体、あまり見かけない。

昭夫あきおちゃんは、大獄丸たいごくまるっていう強~い鬼を退治した英雄の家系ですから、彼の『見鬼』は、その先祖の血が色濃く出たものでしょう」

  ややせわしない口調で喋りながら、季武は、ここにきてチラチラと壁際の時計を気にしている。その動作は、あからさまにワザとらしい。

「ちょっと、さっきから、なにをそんなに時間気にしてんのよ」

  皆の心を代弁するように、皐月が不愉快そうに口を開いた。

「あれ?わかっちゃいました?」

  応じる笑顔も、またワザとらしい。明らかに、誰かが指摘してくるのを待っていた顔である。皐月と由良の目が細まって、ある種の「臨戦態勢」をとった。

「実は、これからちょっと、人と会う約束が……」

「約束~?」

  二人同時に、声が揃う。皐月と由良は、おそらく度重なる経験則から、季武の性格というものを知り尽くしているのだ。

「もちろん、仕事です。仕事の話をしに行くんです」

 また言い方が、この上もなくウソっぽい。誰が聞いても、ウソに聞こえる。

「ウソつけ」

 と、由良に直球で突っ込まれてしまった。

「どうせまた、加茂かも川ぞいの芸妓げいこのところへでも行くんだろ?」

  続けざまの少年の言葉に、季武が、やや早口で狼狽うろたえきった声を上げる。

「な、ちょ、ちょっと君、は、一体、何言ってんの?」

  少し逆ギレ気味なところが、かえって分かり易い。図星だったと、自分からバラしているようなものだ。

「別に誤魔化ごまかさなくたっていいわよ。『玉ネギちゃん』だか何だかよくは知らないけど、芸妓のに入れあげてんの、とっくに知ってるんだから」

 皐月が、冷ややかに言う。季武が、玉菊たまぎくです!タ・マ・ギ・クと、ムキになって訂正した。

「タマギクでもタマネギでも、どっちだっていいわ。それより私たち、まだ色々とアンタにきたいことあるのよね」

  声の様子は静かだが、皐月がかなりいら立ってきているのがわかる。本気で彼女を怒らせたら、どんなことになるか。坂田の血筋は剛力ごうりきなのだ。季武の表情が、みるみると強張ってゆく。

「わ、わかりました、では、こうしましょう。また後日────今日じゃない日に時間空けますから、それでいかが?」

「そう言って、本当に時間を空けたことが、今の今まであったかしら?」

  皐月が立ち上がり、由良もりげく季武の退路を断つ。廊下へと出る障子を由良に塞がれて、季武が泣きそうな声を出した。

「わ、わわわ、君たち、何を?ああ、約束の時間が……」

「今日こそはリーダーらしく、私たちの訊きたいことに、色々と答えてもらうわよ?」

  鈴子だけには、この雰囲気がただならぬ状況に思えるらしく、と持ち前の「おろおろ感」を強めていく。

  遥も一応、どうしていいのかよく分からないまま、とりあえず立ち上がった。

  その時────

「セバスティアーン、セバスティアーン!」

 突如、皐月の背後のふすまが、カラリと開いた。一瞬遅れて、由良の背後の障子しょうじも開く。

 由良の側の障子を開いたのは、黒の上下に蝶ネクタイといった、執事の正装に身を包んだ品のいい老人だった。その老人が、素早く由良を羽交い締めにする。

 皐月も、やはり由良と同様、自分の背後のふすまを開いて現れた人物に、いきなり押さえつけられていた。しがみ付くように皐月を押さえつけているのは、白いエプロンに、白い女中帽という、メイド服がよく似合っている女の子である。見た目は明らかに、皐月よりも幼く見える。ツインテールという、髪型のせいもあるかもしれない。振りほどこうと皐月を抱き押さえるのに必死で、半泣きである。

「申し訳御座いません、碓井様、坂田様、誠に、誠に申し訳御座いません!」

  叫ぶように、老執事が言う。もはやなのか、テンションが高い。

「よくやったセバスティアン、それにアユミ。絶対に放すなよ!」

  そう言い残して、浮かれながら慌ただしく部屋を出てゆく季武。日本家屋の旧家に、洋装の執事とメイドは、どこかミスマッチだった。すべては、季武あるじの趣味に違いない。

「ちょっと、何やってんの遥くん!」

「えっ?」

「追って!連れ戻すのよ!」

 皐月はアユミを引き剥がそうと、その両腕に力を込めた。肘でアユミの片方のっぺたが押し歪められ、お多福たふくのように変形する。

  「ひ~ん」と、実に哀れっぽい泣き声が響いた。半ベソをかきながら、アユミは皐月の脇腹へと手を伸ばす。そして間髪を容れずに、くすぐり攻撃を開始。おそらく、力で負けそうになったらそうしろと、あらかじめあるじである季武に言い含められていたのだ。

「え?あ、あっ!ちょっと!」

  どうやら、弱点だったらしい。大股開いて、皐月は実にあられもない格好で、のたうち回り始めた。

「追って!追いなさい!」

  皐月が、声を振り絞る。笑いながらだから正確には判らないが、多分、そういう主旨のことを言っているのは間違いない。

 だが、もう廊下には、とっくに季武の姿は無かった。ただ、遠ざかってゆく車の排気音だけが、遥の耳に微かに伝わってくるばかりである。

 思わず、感心してしまいそうになるほど見事な逃げっぷりだ。

 遥が「奥の間」へと戻ると、そこには泣きベソをかきながら、なおも皐月をくすぐり続けているメイドと、ひたすら由良に平謝りの老執事という、収拾のつかなそうな光景が広がっていた。

「……」

  ─────ひょっとして、普段から、いつもこんな調子なのか……?

 半ば茫然と立ち尽くす遥のことをからかうように、何処かで鹿威ししおどしの鳴く声が音高く響いた。

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