泡沫に舞う調

千里亭希遊

第1話

 時刻に関係なく街は喧騒で溢れていた。通りは忙しそうな人々でいっぱいで、時折、店先の売り物を蹴飛ばされたおばちゃんやおじちゃんが、その張本人に罵声を浴びせたりする。

 広い通りではあるが、馬車などがよく行き交う。そのため歩道が作られた。人々はもちろん馬車に撥ねられたくはないので、この歩道を歩く。だが――これが、狭い。

 中には、売り物を蹴飛ばしたにも拘わらず「おばちゃんが場所取りすぎなんじゃい!」と逆ギレする者もいて、そのたびに双方の連れ合いがなだめたりはやしたてたりということが起きた。大概が文句の応酬で終わるとはいえ、取っ組み合いとなってもそうそう負けないおばちゃんたちの腕っ節は侮りがたい。ならず者も決して少なくはないこの世の中で、伊達に商売をやっているわけではないのである。

 大体は商品を蹴った張本人が負けを認めて謝るかうまくかわして人込みの中に逃げ込むかで決着がつく。万が一店のおばちゃんやおじちゃんが根負けした場合、稀に商品を一点、相手に譲るなどという事態も起きた。口は悪く「うるさいねぇ、もういいよ! うちが悪いってんだろう!? 好きなもん何か一つ持ってきな! ったく!」などと言いながらも、歩道に侵出しているという自覚はあるため、良心が痛むのだろう。

 そんなにぎやかな往来が、


 とある夕暮れ、


 とある瞬間、


 何と――――


 シン、と静まり返って皆が皆足を止め、何かを求めて耳を澄ませたのである。


 少しも聞き漏らしたくない、もっとよく聞きたい……自然にそんな欲求をくすぐられる、涼やかな音色が、辺りを満たす――

 その演奏技術と歌唱能力は紛れもなく実力で一流。魅了の術など使われていないことは確実だった。一体誰の? 音色の主を求めて、気付けば人々は目で探していた。幸いにして偶然近くにいた者たちはその容姿を見て更に釘付けになる。

 そこにいたのは、二人の女性――いや、少女と言った方が正しいだろう。長いストレートの金髪に、片や若木の芽のような柔らかな緑色の瞳、片や夏の晴れた空を思わせる明るい空色の瞳。そんな二人が纏うのはきらきらした衣装……そして、整った顔にはうっすらとどぎつくない化粧。一人は楽器に合わせて滑らかにゆったりと舞いながら、よく通る幻想的な声で主旋律を歌う。もう一人は弦楽器をその繊細な指先で愛でるように奏でながら、時には透き通った美しい声で対旋律を歌う。

 一般によく知られる、遠い昔の騎士と姫の悲恋物語。天敵に攻め込まれた国王が、姫と、彼自身お気に入りだった有能なその騎士とが恋に落ちているとも知らず、同盟締結のため異国の王子にその姫を嫁がせるという、とても切ないお話。

 物語はまず、ふとしたことからお互いに恋に落ちた姫と騎士が、身分違いの恋に悩み焦がれるところから始まる。そしてお互いに気持ちを伝えることのできないまま引き裂かれることとなる二人。そして異国へ嫁いだ後も王子へは心開かない姫に、悲嘆に暮れる王子の心情。騎士の、もう手の届かない姫への消えない想い。姫の生まれたこの祖国を守りたいと願い戦場に散る騎士の一途さ。

 けれど言ってしまえばもう語り古されたような、ありふれたお伽話だった。しかし彼女たちによって美しい詩へと書き換えられ、美しいメロディーにのせられて、より美しい新鮮な物語へと生まれ変わっている。

 これからの展開としては、結局同盟のおかげで姫と騎士の祖国は守られるのである。しかし騎士を失ったことを知った姫はその命を絶とうとする。しかしそこへ騎士の魂である光が飛来して、生きると約束してくれと願い、また飛び去る。それによって姫は思い留まり、生き長らえる。王子は姫が自分に振り向いてくれるまで優しく見守ると決め、その優しさに姫は次第に心を開き、最終的には幸せになるが、騎士のことは忘れない……そんな、物語となるはずだった。

「きゃぁっ!」

 じゃあーん……

 悲鳴と、落ちた楽器の立てる不協和音。演奏が突然中断する。

「姉さん!!」

 舞を舞っていた方の少女が驚きの声を上げた。

「嬢ちゃんたち、誰の許可を得てここで歌ってんだ……?」

 姉と呼ばれた、空色の瞳の少女の腕をねじ上げて、人の悪そうな笑みを浮かべた巨きな男が言う。その男の背後にも数人の人相の悪い男たちがいた。

「この町で商売しようってんなら俺たちの許可がねえとなぁ……?」

「何言ってんだい! お前なんかの許可なんてもらって商売してる所なんか……!」

 群衆の中からそんな反論の声を上げた勇気あるおばちゃんがいたが、一睨みされてすくみあがり、そのまま黙り込んでしまった。

「とにかく、ちょっとこっちに……」

 ある男が、妹の方に手を伸ばそうとした時だった。

 バキィッ!!!

 すさまじい音がして、その男は軽く二、三メートル程吹き飛んだ。

 いつの間にか、少女の手には長く撓る一振りの鞭。

 一同が何が何なのかを理解するより早く。

 ビシィッ! ビシビシッ! バキッ!!!

 それぞれに一発以上ずつ、次々と矢継ぎ早に飛んでくる容赦ない攻撃。音からして、すさまじく痛そうである。

 そしてリーダー格風の、姉を捕らえている男が呆けている間に。

「…………雷よドンナァ、遊べ」

 バチバチバチバチッ!

「いぅあああ!?」

 雷系の術に曝され、あっけなく手を離し、驚いて尻尾を巻いて逃げ出した。

「に、逃げろッ!」

 それを見て、子分格の者たちもあっさりと逃げ出す。

「ね、姉さん……」

「大丈夫。威力は最弱に抑えたわ」

 何か文句でもありそうな様子で呼びかけてきた妹に、姉は飄々とそう言った。

「そうじゃなくて、何で掴まれた瞬間にやらなかったのよ?」

 自分の方も手厳しく応戦してやったのだ。対処の仕方について非難する気は毛頭ない。

「……びっくりしたんだもの」

「そ、そう……」

 姉の返答に拍子抜け、そしてその時はっと我に返った。周りが静まり返っている。これはまずいのでは……。

 恐る恐る周りに目をやると、想像通り皆ぽかんとしていた。

「……あ、いえ、あの……こ、これは……」

 慌てて弁明しようとする妹。

 ごろつきをあっさりとしばき倒す吟遊詩人など、イメージダウンになるかもしれない……!

 しかし。

「……あんたら強いねぇ……」

 第一声はおばちゃんの感心の声だった。

「すごいよ、お嬢ちゃんたち!あいつらの暴力にはみんな耐えかねててねぇ……」

 続いて上がる賞賛の声、声、声……。

「よっ! よくやった!」

「みんなちょっと奴らのバカ力には敵わなくてねぇ……」

「いいぞ姉ちゃんたち! サービスで脱いでくれたら、またいいんだけどなぁ!」

 終いには下品な意見まで飛んできて、

「んなコトしないわよッ!」

 思わず妹が真っ赤になってそのおっさんに向けて砂を投げつけたた。


「あ~あ。とんだコトになっちゃったわ……」

 その日の夜。宿をとって夕食もとった後。ゆっくりと温泉につかりながら妹が言う。

「……何のコト?」

 姉がけろりと聞き返してきたので、妹は肩すかしを食らった。

「ちょっと姉さん、少しは事態を真剣に受け止めてよね!」

「別に気にすることはないと思うわ……いつものコトだもの」

「いつもなんて言わないでぇ」

「……リリア」

「ん?」

 頭を抱えた妹だったが、急に改まったようにその名を呼んできた姉に、その意図が読めずに不思議な表情を返した。

「あなたが思っているほどには、町の人たちの印象は悪いものじゃないと思うわよ」

「そりゃ悪いものじゃないみたいだったけど、やっぱ吟遊詩人って職の人間に対しては、楚々とした可憐で儚いイメージがあるものだと思うのよーっ。そしてわたしたちはそれをさっきぶち壊してきたってわけよっ」

 半分泣きたくなって妹――リリアはそう嘆いた。

「だからといってあのあと彼らが私たちの歌を、真剣に聞いてくれなかったという訳じゃないわ?」

「うん、そうだけど……」

「だったら、別にいいんじゃないかしら……ほら、もうそんなに落ち込んだりしないの」

「…………」

 姉にそう言って微笑まれて、リリアは顔の半分まで湯につかってしまう。

 少々すねたのと、こうやって励ましてくれる優しさに嬉しくなったのと。そんな色々が表情で姉に悟られてしまわないように。

「……ねえ、リリア」

「……何よ」

 顔を湯から出して、不自然ではないような動きをと努めてそっぽを向き、彼女は聞き返した。

「前々から思っていたのだけれど、あなたはいつから私を姉さんなんて呼ぶようになったのかしら」

「…………どうでもいいじゃない、そんなことー」

「双子じゃない。いくら後から出てきた方が姉とか兄だって言われているとは言っても年は一緒だわ」

 出てきた、なんて表現は何かイヤだわ……などと思いつつ、

「だからー、なんと」

 なく、と続けようとしたのだけれど。それは姉に遮られてしまった。

「昔はちゃんと『ローザ』って、名前で呼んでくれていたわ。きっと反抗期なのね。名前で呼ぶのが恥ずかしいのね」

 一人で納得している姉を見て。

 ローザの方がわたしより数倍しっかりしていると感じたから。

 そんなコトは一生明かすまいと思ったリリアだった。



 きぃ……

 扉のたてた小さな音に、一瞬驚く、いやむしろ怯える。

 けれど気付かれた様子はない。そのことに安堵して、一歩、二歩……音を立てずに足を運ぶ。

 連れも同じようにして入ってくる。

 全員入りきったところで、また慎重に扉を閉める。今度は音もない。

 そして、標的の姿を確認すると、合図と共に拘束させる。

「!」

「よぅ、お嬢ちゃん、夕方は随分と丁寧にもてなしてくれたよなぁ……?」

 囁くようにそう伝える。

 そう、こいつらは夕方二人にのされたあの連中だった。あのあと聞いた町の人たちの話によれば、町でも有名なならず者グループで、なかなか腕っ節も強く、警察ですら手を焼いていたのだという。彼らが溜まるようになってからは、商店や飲食店に限らず、リリアたち吟遊詩人の他にも大道芸人や行商の者などといった旅をしながら稼いでいる者たちに到るまで際限なく被害者が出ているそうである。店や商品を荒らされた者、暴行を受けた者、それはもう数えきれないそうだ。何でも、昔はリリアたちも通った冒険者養成所にも通ったことがあるとかないとか……。

 それはともかく、今は危機に違いなかった。

 実は二人は未だ駆け出しである。それゆえにまだ油断している部分があったのかもしれない。養成所では身の守り方を散々習い、睡眠中の敵襲にも対応できるような訓練も受けていたというのに。

「吟遊詩人ってのはよぅ……歌だけじゃなく、舞、演奏、詩の才能……それ以外に、外見も、美しくなけりゃ観衆は付いてこない……だから、その容姿も……色も売る。そうだよなぁ……?」

 はぁ!? そんなのほんの一部だけよ! わたしたちはそうじゃないわ!

 そう叫びたくても、口を押さえられてはただの呻き声にしかならなかった。

 どれだけ鍛錬したとはいえ、単純な力勝負で一人の女が数人の男に対して勝ち目があろうはずもなく。

(はねのけられない……!)

 冗談ではない。こんな奴らの思うとおりになってやるつもりなど微塵もない。

 涙目になってきたその時。

 バァン!

 炸裂音がしたと思うと数人の男たちが飛んできて、こちらを囲んでいた男たちに衝突した。

 拘束してきた人数が減ったコトに加えて連中に動揺が走ったこともあり、リリアは隙を突いて見事に男たちの腕から逃れ、床に直立する。

 隣のベッドの上ですっくと立ち、呪文を唱える体勢に入った姉の姿を視界の隅に捉えながら、彼女も同様のことをした。

「──竜巻よヴィント・ホーゼ!怒れ!」

「──嵐よシュトルム、駈けよ」

 二人の術が完成したのはほぼ同時。

 ゴガァアアアン!!!!!!

 すさまじい音を立て、壁と共に男たちは宿屋の庭に落ちていった。

「……まったく、油断も隙も……」

 言い終える前に、不本意に涙が溢れてきた。泣くつもりなどないというのに、止まらない。

「うわ、も、もう……! べ、別に、全然怖かった訳じゃな、いんだから……ッ!」

 ゴシゴシと乱暴に拭う。けれどやはり止まらない。

「…………」

 姉が無言で背中をぽんぽんと叩いてきた。すると安心してますます零れる。

「うーっ、うーっ……」

「ハイハイ、もういいのよ。怖かった訳じゃないのよね。最初奴らに不覚を取ったコトが口惜しいだけなんだわ」

 姉の言葉に、コクコクと頷く。

「……リリア、今度からああいった奴らに絡まれた場合は完膚なきまでに叩きのめしてあげましょうね。でないと分からないようだから」

 さらりと恐ろしいコトを言う姉だったが、やはり妹もコクコクと頷いている。

 と、その時――――

「お、お客さぁあああああん……」

 扉の外で宿屋の主人の泣き声がした。扉を開けると。

 部屋の壁ごと吹き飛ばした時の音のせいだろう。既に夜中も過ぎようという頃であるにも拘わらず、気付けば廊下に人だかり。

 庭にも人だかりができていて、気の利いた人々が、気絶したままのごろつきたちを縛り上げているところだった。夜中にこのような状況で気絶していれば、それは賊と決まっているとでもいうように。

「大丈夫です。元に戻せないくらいなら最初からこのようなことはいたしません。安心なさってください」

 だばだばと大量の涙を流し、泣きついてきた宿屋の主人に、にっこりと微笑んでローザは言った。そしてリリアを促し、弦楽器を手にする。

 ほろほろと、特殊な旋律を紡ぐ……ただ演奏するだけではなく、音自体に規則性があり、それは魔術を構成する――音楽魔術だった。それは、一部の吟遊詩人が得意とする術――

 そしてそれに言霊を重ねるのは、妹のリリア。この彼女の歌う歌も、特殊な規則性をもった音楽魔術。寸分のズレも許されない、繊細な術。この世界の魔術を司る精霊たちも酔わせる幻想的なその声と、その音色。人々がそれに聞き惚れている間に────

「……あっ……!」

 それに気付いた者が思わず驚きの声を漏らした。

 無残に破壊されていたはずの宿屋の一室が、まるで時間をゆっくりと巻き戻していってでもいるかのように、見る見るうちに元の姿に戻っていく――

 時間を戻している訳ではない。

 この、彼女たちが行っている術は、彼女たちのイメージを元に、精霊の力を借りて修復作業を行っているものなのである。

 俗に〈緑の魔術師〉、〈蒼の魔術師〉などと呼ばれる、大工たちの建築術とは異なり、ゼロから建物を構築するのではなく、そこにある物質の増殖を促し、元の通りにまで成長させるという術だ。

 術が完成したその時。

 周囲から歓声が上がったのは言うまでもなかった。

 あれだけ泣いていた宿屋の主人までもが、一緒になって騒いでいた。

 東の空が、そろそろ白み始めていた。





 数年の時が過ぎ、双子の名も一部でそうとう売れてきた頃……。

「────取り戻したかったら、スハルザードまで来ればいい」

 そんな捨て台詞を吐いて、文字通り消えた。

 何が目的なのかなんてまったく分からない。

 大体、エルフ族なんてお伽話の世界の住人だと思っていたのに。

 しかも、お伽話ではいつも人間の味方だった。

 なのに、何故────!?

 不覚を取られたのは何度目だろう。旅の身となってもう数年。駆け出しの頃ならまだしも、最近ではそんなことはなかった。

 どうして完全に気配に気付けなかったのだろう。どんなに気配を殺しても、最近では捉えられるようになっていたのに。

 どうして自分よりもしっかりしていると思っていた姉さんの方が、捕らえられてしまったのだろう。自分はとっさにかわしたというのに……。

「行ってやろうじゃ、ないのッ……!」

 彼女は口惜しさと憤怒との入り混じったグチャグチャの感情を込めてそう誓った……。

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泡沫に舞う調 千里亭希遊 @syl8pb313

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