第32話
声は長の後方、太い樹の枝から聴こえた。聴こえたと認識した時には、声の主はそこに居た。
「叔父御、まずは話を聞いてやりましょう。よくよく言い聞かせれば考えを変えるやもしれぬし、それが分からぬほど蒙昧な輩には見えぬのです」
年の頃はサクヤと同じか下、快活そうな印象の少女。やはり快活な声音で長へ語りかける。
「…………他ならぬお前の申出ならば、聞き入れる他あるまい」
僅かな沈黙の後、彼はあっさりと少女の提案を承諾した。目配せ一つで鏃と殺気が引っ込む。提案どころではなく、所感に過ぎない発言で集団の動向を決めてしまえる……それだけで彼女が特別な地位にある事が分かる。
突然の事に固まるサクヤの目の前へ、樹の上から少女が舞い降りた。
「という訳じゃ娘よ。お主、名は何という?儂の名はククルカ!」
「え、えっと……サクヤ、です」
「よしよし、素直な者はやはり好ましい。和睦の証にほれ、もっと近う!」
無邪気な笑顔で自己紹介されては返さない訳にはいかない。いかないが、その勢いで半ば強引に握手を交わされ、挙句抱擁までされては流石に赤面するというものだ。
「安心せい、これでお主を射とうとする者はおらん。今矢を射れば儂まで巻き込むでの。じゃからのぅ……」
それは抱き合ったサクヤにしか聴こえないほどの小さな声。
「儂ら諸共炎に包むのは思いとどまってくれんか?大切な森じゃ」
反射的にその場から跳び退きそうになる身体を、ククルカと名乗る少女が抱きとめて離さない。
呪力を操るのは何もサクヤだけではない、それは分かっている。道具を用いれば呪力を可視化し、それが持つ特性を見極める事が出来るのも知っている。
だが、互いの息遣いまで感じられる距離に在るこの少女は、まだ術式にもなっていない状態の呪力を感知した。どころか、それが炎と化す事まで見抜いたのだ。
「そう驚くでない。儂の眼は少々異な物でな、お主の力量に問題がある訳ではないぞ。伸び代はあるがの」
「少々って……」
そんな者には未だ出会った事が無い。以前、炎が現れる直前の空気の揺らぎを見て取った者は居たが。
「何はともあれじゃ、我が集落はお主らを歓迎しよう!些細な行き違いから生じた諍いを腹に収めてくれる気があるならばじゃが」
しかしそれは後だ。願っても無い休戦の申し出を得る事が出来たのだから。
「あ、争うのはこちらも本意ではありません。受け入れて頂けるのならご厚意に甘えさせて下さい」
身を捩りながら答えると、強烈な拘束……もとい抱擁はあっさりと解かれた。
「うむうむ、やはり言の葉は良い。労せずして争いを止められる。誰か!そこな2人を抱えてやってくれ。サクヤは儂が伴おう」
「抱え……って、わっ!」
やっとの思いで取った距離を一瞬で詰められたかと思えば、流れるような動作で抱え上げられる。先程の抱擁といい、サクヤとそう変わらない体躯のどこにそんな力があるのか。
「地を駆けていては日が暮れてしまうでな、儂らの道を使わせてもらう。承諾は取らぬが、お主らも異論あるまい?」
「あぁ、そういう事っスね!運んでもらうのに文句なんて無いっスよ」
ククルカの意図をすぐさま理解したレホが、隣に降り立った青年へ右手を差し出し握手を求める。少し後ろでは同じようにキルトも運搬役の女性へ控えめに頭を下げていた。
「3日ほどお風呂がおあずけだったんで、臭ったら申し訳ないっス!それから、昨日背中を打っちゃったもので……腰の辺りを持ってもらえるとありがたいっス」
「あの、重かったら……ごめんなさい」
2人が運搬役の腕の中に収まったのを確認し、ククルカが樹上へ跳躍する。水溜りを跳び越えるかのような軽い動作からは想像も出来ないが、サクヤのずっと頭上にある枝まで垂直に。
と、ここでサクヤはある事に気が付いた。ククルカだけは下半身の構造が他の者と違う。枝をしっかりと掴む為に発達したのであろう鳥のようなそれではなく、サクヤ達と何ら変わり無い地上を行く者の脚なのだ。加えて、裸足にもかかわらず白く柔らかそうに見える。
「ククルカさん、余計なお世話かも知れませんが貴女の脚……」
「ただ"ククルカ"と呼ぶが良い。先も申したが儂は少々異質でのぅ。儂が枝を渡りたいと思うたのなら、木々は儂を離さぬよ。安心せい」
「はぁ……」
この世界にはまだまだサクヤの知らない顔がある。とにかく今は、他の者よりも軽やかに樹上を行くククルカに身体を預ける他は無い。
そう無理矢理納得する事にした。
ケイオスダイヴ 時雨晃一 @chaosedge
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