とおあまりひとつめの話 満月だけの図書館

 気が付くと、望月は図書館の床に仰向けで倒れていた。

 辺りは暗く、人気はない。窓から微かに光が入ってきていた。

 望月は上半身を起こす、目の前に黒い本が転がっていた。手には、ライターの冷たい感触がある。

 それら全てが、起こった出来事を夢ではないと証明していた。

 辺りを見渡して、スケッチブックを探す。望月のほぼ真後ろにそれはあった。

 涙で歪んだ視界の中、スケッチブックが少しずつ消えていっている。本による消失は、やがて望月にも及ぶことだろう。

「朔さん」

 望月は手にしたライターをじっと見つめた。

 本を燃やせば、帽子屋は死んでしまう。

「どうしよう」

 泣きながら望月はライターを見つめる。

 走馬灯のように、色々な事を思い出した。

 皆でお茶したこと、帽子屋に迷惑をかけてもいいと言われたこと、汽車で交わした最後の言葉。

 それら全てを望月は忘れたくない。怖い思いもしたけれど、今だって帽子屋も朔も望月の大切な人なのだから。

 霜月 朔は、誰よりも忘れられることを嫌っていた。望月を帽子屋が外に出したのもその為だ。

 彼の為を考えるのならば、すぐにでも燃やすべきなのだろう。

 けれど、

「できないよ」

 望月は呟く。例え帽子屋が望んだって、望月に帽子屋を殺すことなどできるはずがなかった。

 不意に、視界の隅に白い物が見えた。それは小さな紙だった。

 そこには豆粒のような小さく、端正な文字で何かが綴られている。

 その紙もスケッチブック同様、少しだけ消えていた。つまり、紙は本の世界から来たのだ。

 望月は慌ててそれを拾い上げ、文面に目を通す。

 そこには、こう綴られていた。

『望月へ

 迷っているようだから、このメモを残しておくわ。

 この本は、これまで帽子屋のような犠牲者は数えきれないほど生んできた。

 その大半は、出ることも死ぬこともできない地獄の中を生き、そして狂っていった。

 このままでは、本はさらなる犠牲を生むことでしょう。

 それを終わらせることができるのは、貴方しかいないの。

 貴方は本の世界を殺すことで、皆を救うことになる。

 だから、迷わずやりなさい。全ての罪は、私と帽子屋が背負っていくから。

 ヤマネ』

 読み終えて、望月はメモを丁寧に畳み、スカートのポケットにしまう。

 そして深く深呼吸をして、ゴシゴシと服の袖で涙を拭い、ライターを握りしめた。

 犠牲になった人々、これから犠牲になろうとしている人々、そして帽子屋。

 その全てを救うには、きっとこれしか答えはないのだろう。

 やらなければ、彼らは永遠に地獄の中にいることになる。

 望月は自分の弱さで、そんな結末を彼らに与えるのは嫌だった。

 しゃっくりをあげながら、望月はゆっくりとライターの火を本に着けた。

 火は瞬く間に本を包み込む。本は勢いよく燃え上がり、やがてその痕跡一つ残さずに消え去った。

 望月は、その光景をしっかりと見届ける。その最期を脳裏に焼き付ける為に。

「さようなら。朔さん、ヤマネさん」

 震える声でそう言うと、望月はその場で涙が枯れるまで泣き続けた。


『世界に魔王が生まれました。

 魔王には心がありませんでした。だから平気で他者を虐げます。

 魔王は自分が楽をして暮らすために、魔物を生み出し、人々から金銀財宝を巻き上げます。

 時には無理難題を押し付け、自らの望みを叶えました。

 苦しむ者の声など、冷え切った魔王の心には届きません。

 あらゆる者が魔王と倒そうとしましたが、不死身である魔王は誰にも倒せませんでした。

 しかし遂に、魔王にも終わりがやってきます。

 勇者が現れたのです。

 唯一魔王を倒す力を持った男は、多くの魔法と誰にも負けない剣術を備えていました。

 魔王には勝ち目がありませんでした。

 勇者は魔王に問います。何故、このような事をするのかと。

 不思議そうに、魔王は首を傾げます。そして、遊んで楽をして暮らしたいからだ、と正 直に答えます。

 それを聞いて、勇者は怒りました。彼が見てきた全てを。死んでいった人々の事を。

 そして、問うのです。魔王がそれを何も思わないのかと。

 魔王は意味が解りません。どんな言葉も魔王には届かないのですから。

 無いものにどうやって届くことができましょうか。

 魔王に心がないことを知ると、勇者は決意しました。

 一気に魔王との間合いを詰め、手を握ります。

 すると不思議な事に、魔王に勇者の心が流れ込んできました。

 溢れこんでくる心に、魔王は意味も分からず涙しました。

 そして勇者は言うのです。一緒に助け合って、支え合って生きていこうと。

 魔王は首を横に振ります。それは、無理なのだと。

 だって、魔王にとって心は毒でしかないのですから。

 そう。勇者が魔王を倒せるというのは、勇者が魔王の毒である心を伝える力があったからなのです。

 勇者は涙しました。

 そんな勇者に魔王は優しく微笑みます。

 君の幸せを祈ってる。

 魔王はそう言い残して、ゆっくりと消えていきました。

 それから勇者は、魔王の最期の願いを叶える事にしました。

 退屈な程平和になった世界で、勇者はありふれた幸せを手に入れたのでした。

 おしまい。


 帽子屋より青柳 望月へ

 君が前を進めることを祈って、これを送る。


 望月より帽子屋さんへ

 心配しないでください。私は大丈夫です。

 今まで沢山の絵本と思い出をありがとう。全部大切にします。

 追伸:

 近況報告。友達ができました。』

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黒い本の歪な童話達 秋華 @akika

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