終章 姉・岩倉(旧姓真部)月子

    1


 春の暖かい日。

 わたしは一歳の女の子を連れて、弟が収容されている九州のJ医療刑務所を訪問した。

 どうせまた弟は会ってはくれないだろうと思っていた。

 でも、それはそれで構わない。


 ――弟は生きているのだ!


 弟がいる近くで、同じ空気を吸いながら、子供と春を満喫していたい。

 こんな幸せが来ようとは夢にも思わなかった。

 母の看病をしていたころは、一体どうなるのだろうかと思った。

 病気の母と、死刑囚の弟を抱えてーー。

 しかも末の弟・聖也がグレかけていて、色々と問題を起こしてくれた。

 家族で、北海道旅行したことなどを思い出しては、泣いてばかりいた。

 母が死んだ時は一緒に連れてってと、すがりついて泣いた。

 拘置所には、弁護士さんとわたしが交互に面会に通ったけど、弟には会ってもらえなかった。

 どうして弟はわたしたち家族を拒絶しているのだろう、弟が恨めしかった。

 会わせる顔がないというのなら、それは違うといいたかった。

 罪は一緒に背負うからと、一緒に償うからと、家族なのだからーー。

 何度手紙を出しても梨のつぶて。

 そういう頑固なところが、父に似ている。

 どこまでも自分を押し通そうとする。

 曲げない。


 ところが、皮肉なことに、たった一度、わたしが長い看病疲れから体の具合を悪くして、末の聖也を代わりに行かせたところ、面会が叶った。

 執行命令は月曜日に来ることが多いからというので、面会はいつも月曜日に決めていた。

 弁護士の彼がいった通りだった。

 月曜日に執行命令が下りていて、それで施設が強引に会わせてくれたのだろう。


 やはり母の死は光にそうとうなショックを与えたようだ。

 おかしくなって、そのおかげで執行を免れた。

 そういう前例があるのかどうか、彼が問い合わせたけど、法務省の役人は、曖昧な返事をしたという。

 彼――というか、わたしの二度目の夫、岩倉知巳(いわくらともみ)によれば、もう執行されることはないという。

 夫の岩倉は、始めからずっと弁護士として支えてくれた人。

 母が死んで、ヤクザな男と結婚して大変な目に遭(あ)ったけど、岩倉のおかげで立ち直ることができた。

 身なりを一向に気にしない人だけど、光のおかげで良い夫に巡り合えたと思う。


 意外なことに、今回は光との面会が叶った。

 光が、会うといってくれたのだ。

 ドキドキしながら面会室で待っていると、グレーのジャージ姿で現れた。

 二十五歳になった光は、裁判の時以来だから、随分会っていなかったけれど、首がねじ曲がっているほかは昔のままだった。


 首がねじ曲がって横を向いたまま、光はわたしを見ようとしなかった。

 わたしが一方的に語った。

 母さんのことや、離婚して再婚したことなど。

 再婚相手が岩倉弁護士だといった時、気のせいか、光がほっと小さな息を吐いたような気がする。

 そして子共を肩の上から覗き見た。

 わたしはすかさず、岩倉の子よ、といった〈そんなわけないけど〉。

 子共には、おじちゃんに挨拶なさいーーといったけど、子供は怖がっていた。

 いわなければよかった。

 光が傷ついたかも知れない。

 わたしはとりなすようにいった。

 聖也おじちゃんは、弁護士事務所で、お手伝いしてくれているんだよね~。

 光おじちゃんにもはやく帰って来て欲しいよね~。

 それからわたしはずっと泣き続けた。


 時間ですーーと職員にいわれたので、わたしは思わず光に駆け寄って、抱き締めた。

 頑張るのよーーといって励ました。

 その時、確かに聞いたのだ。


(……ぼくは姉ちゃんを不幸にする者を許さない)


    2


 淡い明かりが灯る病室の中で、真部光は壁に背を預けて、足を投げ出していた。

 そしてそのねじ曲がった首がゆっくりもとに戻って、下を向き、ややしばらくしてから持ち上がり、天井を向いて、大きく息を吸い込んでから、ゆっくりまたねじ曲がった。

 この一連の動作を見た者は誰もいないーー。


                     完

























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