第55話 復活の聖女

 火刑の日から十日後。意識を取り戻していた俺は、再び大聖堂の中心に立っていた。だがその立場は、審問を受けた前回とは全く異なるものだった。


「ここに、ライネガルド王国辺境伯エリザベート・クラネッタを、主神の恩寵を受けし聖女であると認める」


 教皇イノセント一世聖下が祭壇から厳かに告げる。聖下も数日前に復調されたばかりであったが、左右の者の手を借りながらも式典を執り行われていた。俺は裁判に現れなかった聖下を僅かに警戒していたが、『耳』の調べでサジェッサ枢機卿から微弱な毒を盛られていたことが判明し、教皇庁全体と対立する最悪の事態は免れていた事に安堵した。


「そなたは、尊き信仰をもって神の家を清めてくれた。願いがあれば叶えよう」

「私に掛けられた疑いが晴れた事で十分です」

「働きに報いなければ、それこそ神の怒りを買おう。どうか願いを述べられよ」

「それでは……」


 教皇聖下と示し合わせていた流れで式典は進んでいく。そうして俺が述べた願いは、まず異端審問所の解体と、悪辣な行為を行っていた者の処罰。次に和睦の際に決められていた、傭兵達の財産の接収。そして、現在火刑台の近くでさらし者となっているサジェッサの遺体の埋葬であった。最後の願いに、聖下以外の参列者が驚きの表情を浮かべる。


「なぜ、かの者を弔おうとなさるのか。そなたを陥れた相手であろう」

「その通りです。聖下。なれど既に神の裁きを受けております。今はかの者の悲しき魂が、いつか天の門に迎え入れられる事を祈るのみです」

「よろしい。願いを聞き届けよう」


 教皇が頷くと、衛兵が大聖堂の外へと向かっていった。堂内には僅かなざわめきが起きたが、異を唱える者はいなかった。

 式典が終わり、俺が退出しようとしたところに赤髭の枢機卿が小走りに近づいてくる。審問において、サジェッサに同調していた者達の一人だ。


「聖女様! 我が不明をお許し下さい。私はサジェッサめの奸計に陥り、聖女様を異端であるかの如く扱ってしまいました。いかなる罰も受けましょう! 私にできる事であれば、どのような事でもいたします。どうかお赦しを……」


 周りに聞こえる様な大声で、赤髭は謝罪を繰り返す。すると他の審問に参加していた者達も集まり、同じように謝罪を始めた。それらの声には、あからさまな媚が含まれている。身体に纏わり付くようななまぐささに、俺は僅かに顔をしかめた。


「赦しましょう、ですが……」


 自分の口から、これほどまでに冷たい声が出るとは思わなかった。だが、あえてそのままに言葉を続ける。


「今後は、行いには慎重になる事を忠告いたします。私が赦したとしても、主の御心に沿わぬ行いをすれば『神の裁き』が下る事もありましょう」


 そう釘を刺すと、枢機卿達は顔を青ざめさせ、ぴたりと口を閉ざす。俺は彼等を顧みることなく、大聖堂を後にした。



「ここまでのお見送り、感謝いたします。聖騎士団長殿」

「辺境伯殿、いえ、聖女様。この度は大変なご迷惑をお掛けしました」


 レムリアから川を下り、外海へと通じる河口の港で俺は聖騎士団長ジュスト殿と別れの挨拶を交わしていた。

 迅速に聖騎士団を動かし、賊に扮した傭兵を打ち負かした団長殿は、僅か一週間で聖都に舞い戻っていた。その速さは驚嘆に値するものだったが、火刑の日に間に合わなかった事を悔いている様であった。


「気に病まれますな。私はこうして無事だったのです。それに、護衛を付けて下さらなければ、刑に処される前にどうなっていたか分かりません。貴殿のおかげで、私は尊厳を保つことが出来ました」


 裁判の結果が下されても、護衛の聖騎士達が絶えず俺の周囲を守ってくれたおかげで、刑の執行までなんの辱めも受ける事はなかった。


「お心遣い、ありがとうございます。聖女様」

「その聖女という呼び方は遠慮頂きたいものですが……」


 そんなに立派な人間ではないと苦笑すると、ジュスト殿は大きくかぶりを振った。


「他者の為に火中に身を投じる事すら厭わぬ貴女様以上に、相応しい方はおりません。だからこそ主もお救いになったのです」

「ならば、その名に恥じぬ行いを心がけるといたしましょう」


 俺はもう一度深くお辞儀をすると、エミリー、ベルナールら護衛の待つ大型船に乗り込んだ。



 ライネガルドに戻り、王家への報告と御礼を済ませた後、俺はクラネッタ公爵領へと向かった。そこには家族の他に、会わなければならない人がいた。


「やはりここにいたんだね。ドミニク」


 中庭の奥まった所に、その人物はいた。腰の曲がった老庭師は、庭の手入れを止めると、おもむろな動作でこちらを向く。土の匂いが、微かに立った。


「おけぇりなさいませ。姫様。ご無事でなによりです」

「ただいま……手紙を、読んだよ」


 挨拶を返し、本題に入る。それは異端宣告を受けた後、俺の元に届けられたある一通の手紙に関する話だった。

 差出人は、庭師ドミニク。東屋に移った俺の目の前に座る老人だ。そこには驚くべき事が書かれていた。


「貴方が、ドミニコ司教だとは思いもしなかった」


 敵対していた枢機卿サジェッサを調べ上げる際、彼の過去も俺達は調べていた。そこに、彼が若かりし頃、崇敬していた恩師が異端として放逐され客死した事。そしてその時期を境に、サジェッサの性格が様変わりしたとの情報があった。その恩師こそがドミニクだったのだ。


――サジェッサを自分に説得させて欲しい。


 ドミニクは手紙で自らの正体を明かし、そう申し出ていた。かつて彼がライネガルドへ放逐された後、彼を追いやった司教は念願の大司教となった。それでも自らの昇進を脅かしていたドミニコ司教への恐れは消えず、遂には汚れ仕事を請け負う者達を差し向けるまでになったという。


「その魔の手から守るために、先代のクラネッタ公爵が庇護したのだったね」


 俺の言葉にドミニクが頷く。俺が生まれる前に亡くなっていた先代は、ドミニコ司教の無実を知る一人であった。故に刺客の目をくらますため、ドミニコ司教は病で亡くなったとし、自らの領館深くに匿ったのだ。そこで司教はドミニクと名を変え、庭師としてクラネッタ公爵家に仕える事となった。

 異端として追放されたものがクラネッタ家に匿われたと知られれば、恩をあだで返す事となる。それを恐れたドミニクは、風の噂でサジェッサの変わりようを聞いて心を痛めながらも、数十年間沈黙を保ち続けていた。しかし俺が異端宣告を受け、身の危険に晒されたため、父上の許可を得てから手紙を送って来たのだった。


「あなたは、サジェッサが心底しんていには優しさを残していると信じていた。だが私はそれを信じ切ることが出来なかった……」


 後悔が胸を噛む。サジェッサは亡くなる前、ドミニコ司教の死を憤る声を上げたという。

 領主として、不確定な要素に人々の命運を委ねる訳にはいかない。そう考えドミニクの言を退けたが、理由を口にしても言い訳に過ぎないと俺はただ頭を下げた。ドミニクもまた、俺を批難する事はなく、レムリアでのサジェッサの埋葬の礼を口にした。

 その後、俺は彼と共に、中庭の目立たぬ所に建てられた名もなき墓標に花を供えた。



 本拠であるナンシスに戻った俺は、領館で一人の少女と向かい合っていた。


「……ルチア。君への刑が決まった」

「はい」


 執務室の床に跪いているのは、水色の髪をした修道女、ルチアだ。有罪を宣告されたにも関わらず、その銀の瞳は澄み切っている。覚悟を決めた者の眼差しであった。


「修道女ルチアよ。汝は異端審問所の間諜として、自身の身分を偽り領主へと接近した。これは、重罪に値する行いである。されど……」


 後に続く否定の言葉を聞き、粛然と刑の言い渡しを受け入れていたルチアの瞳が、僅かに見開かれる。


「汝は自らの危険を顧みず、領主への助言を行った。これは、量刑に反映すべき善行である。刑を言い渡す! 修道女ルチアよ。そなたにはこのナンシスの孤児院において、三年間の奉仕活動を命ず! なおその身柄は辺境領主エリザベートの管理下に置かれ、何人なんぴとたりとも私的に制裁を加えてはならない!」


 刑の内容を聞き、ルチアは呆然としていた。実質的な庇護宣言であった為だ。凜々しげな表情からぽかんと口を開ける顔に変わった少女におかしみを感じながら、しゃがみ込んで彼女の手を取った。


「今まで人を陥れた事を悔いているのならば、それ以上の人々を救うことだ。君にはそれが出来ると私は信じている」

「っ……謹んで、刑をお受けします」


 ルチアは、顔をくしゃりと泣き笑いの表情に変え、俺に深々と礼をした。その頬からは、温かな涙が止めどなく溢れていた。


 数日後、ナンシスの孤児院に清らかな歌声が再び響き始めた。

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TS公爵令嬢エリザの内政 橋立 読虫 @hashidate

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