【終 章】悪魔でも恋に生きる ❦
六月になった。
❦
やけに暑い日だ。まだ昼前なのに、もうすぐ夏だぞとがなり立てるような初夏の陽射しが降り注ぐ。
休日なので、駅前は混雑していた。
通り過ぎる人々の顔を眺めていると、もしかしたらこの中にも――と考えてしまう。あれだけ異質な体験をしたのだ、無理もないことだと思う。
そわそわしながら、アタシは自分の格好がおかしくないかもう一度確かめる。出かける前に結子さんにも見てもらったから変じゃないと思うけれど、私服を選ぶのにあんなに悩んだのは久しぶりだった。
――サラがいなくなった。
エオニアさんとも、連絡がつかない。
あのあと意識を取り戻した時、アタシは病院のベッドの上だった。
駈けつけてくれた結子さんにとても心配をかけてしまい申し訳なかったのだけれど、事情を聞かれても答えようがなかった。
大した怪我もなかったアタシは、直ちに日常へと戻ることを余儀なくされた。
入院しているヤウのお見舞いに行くと、彼女はとても喜んでくれた。話し相手になったり、脱がし相手にされかけたり、とにかくヤウは元気そうだった。怪我の異常な回復速度は、やはり彼女もチルドレンだということを如実に物語っていて、もう退院しちゃえばいいのにと思った。
マイ先輩も無事学校に戻ってきたし、この街に潜んでいた脅威はとりあえず去った。あの蛇男に殺された人達や、シルヴァヌスに殺されたチルドレンたちは、もう帰ってこないけれど……。
あのあとシルヴァヌスがどうなったのか、アタシは知らない。
一度現王園の屋敷に行ってみたところ、母屋にも離れにも誰もいない様子だった。というか、母屋はあちこちが破壊されて酷いありさまで、もしかしてこれは悪魔化したアタシがやったのだろうかと一時唖然としたが、記憶にないので考えるのをやめた。
サラがいない日々は、なんとも現実感のない毎日だった。
教室。
いつも一つだけ空いている席。
どんな子が座っていたか、クラスメートたちも思い出せないようだった。春の終わりと共に、一か月以上欠席を続けているのだから当たり前か。出席した日数よりも欠席した日数のほうが多いのだから。
このまま本当にいなくなってしまうのだろうかと――無力感やら虚脱感やらに苛まれていた、そんな時。
サラから電話があった。
久々に聞いたサラの声は、あれだけのことがあったあとなのに、以前となんら変わらない静謐さを湛えていた。
アタシは、何の連絡もなしにいきなり姿を消したサラを怒った。そのあと、声を出さず、少しだけ泣いた。気づかれないように、悟られないように、涙を流した。
アタシたちは疲れるまで話をした。これまでのこと、この一か月のこと、そして、これからのことを。
サラは今、東京にいるらしい。
サラはまだ、戦っているのだ。
現王園の本邸で、お父さんの件も含めいろいろと騒ぎになっているそうだ。現王園が有している財力が並大抵でないことは察していたけれど、アタシなんかには想像しえない大きな力を行使して、シルヴァヌスやサラのお父さんが引き起こした事件を処理したという。
サラは、家の者に経緯を話したのだろう。
今から十六年ほど前。
アリサさんと夢魔エフィアルティスの出逢いに端を発した恋物語は、二人が亡くなったあと、娘であるサラを苦しめた。
サラは恨んでいるだろうか。
父を、エオニアさんを、自分の運命を。
でも、二人が恋をしていなかったら、アタシはサラと出逢うこともなかった。
アタシのお母さんは、どうだったのかな。
もしかして、アタシのお母さんも――悪魔と恋に堕ちたってことはないかな。
恋をして、愛し合って産んでくれたのなら、アタシは、ちょっとだけ嬉しい。
今度の休日、お墓参りに行くからそのつもりで、とサラは言った。
携帯電話を耳に当てながら、アタシは首を捻る。お盆にはまだ早いし、そもそも誰のお墓参りなのだろう。
けれど、また――サラと会える。
――おやすみなさい。
うん、おやすみ。
駅前で待ち合わせる約束をして、アタシは電話を切った。
その夜、幸せな夢を見た。
目を覚ますのがもったいないくらい、甘くて優しくて、眩い夢。
夢を見るなら、悪夢なんかじゃなくて、素敵な夢がいい。
それはきっと、悪魔だって同じなのだ。
人混みの中を、彼女が歩いてくる。
その後ろにもう一人の姿が見えて、アタシはほっとした。
アタシたちの現実は、ここからまた始まるのだ。
「――サラ! エオニアさん!」
アタシは一歩を踏み出す。
未来へ向かう、新しい一歩を。
〈了〉
【引用】
『さそり座の女』
歌:美川憲一
詞:斉藤律子
ゆめゆめ恋を怖れるなかれ 沙魚川 出海 @IzumiHazekawa
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