第四章

「どうぞ。粗茶ですが」

 まるで室内を観察するように視線を動かす刑事さんにお茶を出すと向かいのソファーに腰を下ろす。

 これまで二度、刑事さんと話をしているのだが今回はどうも様子がおかしい。事情聴取という訳では本当になさそうだ。

 視線の動かし方を見るに誰か他に人間がいないか警戒しているのだろうか?

「室内がどうかしましたか? 今日は僕以外には誰もいませんよ」

「そうか。それにしても、慣れているんだな。来客に」

「たまに四ノ宮さんや――他にも人が来ていましたからね」

 刑事の言葉に僕は一瞬だけ、言葉を止めた。理由は簡単だ。

 名前を出したところで伝わらない。そのことを完全に忘却していたからだ。

 僕が言葉を止めた事を不審に思ったのか、出されたお茶を一口含むとこう呟いた。

「他にも……ね。まぁ、それに関してはいいか。本題の方は別だからな」

 本題は別。そうは言われたところで、その本題に心当たりはない。

 出入りがあるのは志津先輩、四ノ宮さん、皐月、魔女先輩くらいだ。だが、その四名への用件ではなさそうだ。

 もしも、そうであるならばここに僕しかいないと分かった時点で立ち去る筈だ。

 そうなれば、必然的に考えられるのは――。

「ここの資料室に用でもあるんですか?」

「まぁ、そうなんだが……。管理者はいつ頃帰ってくるんだ?」

「目の前にいるじゃないですか。僕が一応その管理者という事になるんでしょうかね」

 何を言っているんだお前というような顔をされても事実そうなのだから仕方がない。

 恐らく、この学校でここの管理が出来る人間は現状は僕以外にいないだろう。実質、一人で仕切っていたのだ。

 今後は委員会に変更されるので何名か追加要員が増えるだろうが……。

 知る限り、教師でここを仕切れる人間がいるとは思えないだけに、だ。

 早くても半年、下手をすると卒業まで僕が管理することになる可能性がある。

「だが……。仕方ないか。一つ聞くが、お前は校門で俺がした角の生やした女性の話をどう思った?」

 まるで、僕を試すかのような質問。だが、答えにくい。非常に答え辛い。

 即答で断言というのもおかしいが、そもそも鬼なんて存在をいると思いますと言っただけで世間的には変人だ。

 実際、魔女先輩のような存在もいる訳で鬼という怪異もいるにはいるのだろうが……どう答えるべきか。

「質問の意図が理解出来ないので――それは歴史的な背景の話を踏まえて? それとも、怪異としての鬼を踏まえてですか?」

 苦し紛れの返答だ。ここでもしも後者といわれても返答に困る事には変わらない。

「そこまでなぜ悩む。ただ率直な感想を聞きたいだけなんだが」

「いえ、どちらにしても大差はないんですけどね。道筋の問題です」

 僕はそう告げると魔女先輩の作り出した本の山から一冊の本を取り出し、話を続けた。

「前者なら町の図書館にでもいけば資料はいくらでもあります。だからこそ、その本を紹介してしまえば話は終わりだ。後者であるとするならば、僕が説明することになるのですが」

 刑事さんに僕はそう告げると本に書かれた能面の写真を見せた。

「平安時代、狂気に駆られた人間を鬼とした歴史背景もある。ならばこそ、十分に人も鬼足り得ると僕は考えます」

 僕はそこで一旦、言葉を区切るとお茶を口に含み相手の顔をじっと見つめた。

「だから、鬼がいるかどうかという質問に関して言えば、僕はいると考えます。そして、『何かを見間違えたのではないか』という考えに対してはそれもまた鬼であると答えましょう」

「随分と言葉遊びが好きなんだな。周り諄くて理解に苦しむぞ」

「怪異を語る上で重要なのはその点ですから。幽霊見たり枯れ尾花。枝に影が被った可能性があったとしても、それを見て鬼と判断したのならば鬼はそこにいた。鬼の語源はかげと書いておぬですから」

 怪異とはすなわち、理解出来ぬものでなければならない。それが現象として証明された時点で怪異とは呼べなくなる。そう魔女先輩と会う前の僕ならば考えていたのだろう。それが怪異というものに関わる共通認識だ。

「なら仮に、だ。見間違えではなかったと俺が言ったとするとどうする?」

「見間違いではない。その前提で話を進めるのなら、常識的に考えて鬼を語った愉快犯なのでは? 捜査のかく乱が狙いという線も十分に疑うべきだ。例えば、その証言者とか」

「だろうな。俺もそう思う。しかし、こんな場所に入り浸ってる奴が、常識だけを語っても面白くないよな」

「こんな場所。……酷い言い方をしますね。まるで僕が変人か何かのようじゃないですか?」

 自分でもそれなりに自覚はあるのだが、顔を突き合わせてそれを言われると少し来るものがある。

 そんな僕の言葉に刑事さんはバツの悪そうな顔をしてしまう。

「悪いな。言葉を選ぶべきだった。俺が聞きたいのはそういう話とは違うんだ」

 刑事さんはそう告げると真剣な眼差しで僕を見つめ、こう続けた。

「『もし、本当に鬼だとしたなら』と考えて、事件の内容に心当たりはあるか?」

「ないですね」

 これは本当である。この町そのものに鬼の伝承はない。故に知らない。

 そして、もしも鬼が関わっていたとしてもあの魔女先輩の態度。本当に鬼なのかも怪しい所だ。

「そうか。なら、もう一つの本題に入ろう。お前はこれを見てどう思う?」

 僕の答えに少しだけ落胆をするのだが、すぐに何かに納得すると一枚の写真を提示する。

 その写真に写っていたのは紙の燃えカス。気になるのは墨で何かが書かれていた事ぐらいだ。

「梵字ですかね?」

「文字の一部分でそんなものを判断できるものか。いや、まぁうちの監察医の話だとそういう事だったんだがな。今回の事件の近場でボヤ騒ぎが何件か起こっていて、その現場では必ずこの燃え残りが見つかっている。ただの紙切れがな」

 刑事はその写真を指差すとこう続けた。

「この燃えカス以外にボヤ現場にはスス一つ残っていない。だが、物が燃えたという事実だけは残っている。おかしな話だろう?」

 梵字、火事。確かに五行思想には火が存在し、火は呪術的に意味のある物であったとされているのは事実だ。

 だが、実際に呪術を用いる事が出来るのだろうか。現実的に考えればあり得ない。

 そう言いたいところなのだが、魔女先輩という存在を知っている僕はソレを否定出来ない。

 そういう類に対するモノが存在しても不可思議ではないからだ。

 つまり、普通の火事ではない何かであった可能性があるという事だ。

 その際に問題になるのが誰が何の為にという事になるのだが……。

「梵字については調べてみます。ただ、別の場所でその紙にライターで火を点け、ボヤ騒ぎがあった場所に放置。騒ぎを起こした可能性はないとは言い切れないのではないでしょうか?」

「その通りだ。本来ならば、それで片が付く。確かに俺はボヤ騒ぎがあったとは言ったが、実際それすらも怪しいところなんだよ。だが、実際に目撃者もいる上に監視カメラにも映ってる。その物が燃える現場がな」

 つまり、実際に物が燃えているという事実はあったが、それを指し示す証拠がないという事だろうか。

 だから、何だ。それを聞いて僕は何を言えばいいのか。理解に苦しむ。

「例えるならば、事件が起こったという事実はあるが肝心の遺体がない。とでも言えばいいのだろうか。警察としてもどう動いていいのか対処に困っていてな。それで、個人的にこの唯一残った証拠を調べてた訳だ」

 唯一、燃え残ったのがこの梵字。鬼の噂。解体された一部が発見されるという事件。

 どれをとっても接点は見当たらない。そもそも、パズルのピースが足りなすぎる。

 仮説を立てるにしても、どれもが警察の仕事なのだ。魔女先輩が興味を持たなかった事件に関わる意味があるとも思えない。

 何故、魔女先輩がこの事件に興味を持たなかったのかという点にだけは興味があるのだが……。

「そうですか。大体の事情は把握したのですが、今の僕では刑事さんの力にはなれそうにもありません」

 残されたお茶を飲み干すと、僕はジッと刑事さんの目を見つめてこう続けた。

「もしも、オカルトが関係すると仮定して考えるならば『穢れ』ではないでしょうか。『淀み』とも言い換えられますが――火はそれら浄化するという考えが昔からありますから」

 この町には現在、境界を司る道祖神がいない。その為、よからぬモノが溜まりやすくなっている。

 あくまでも可能性に過ぎないが、そう言ったモノが外から来訪しているという線もあり得る。それだけだ。

 そんな僕の助言に刑事さんは少し首を傾げ、何かを考え始める。何か引っかかる事でもあったのだろうか。

「なるほどな。まぁ、参考程度に覚えておこう」

 意味深な呟きに僕は訝しむが、それを表情に出さず席を立った。新しくお茶を淹れる為だ。

 だが、立ち上がった僕を刑事さんは手で制止する。どうやら、用件はもう終わりらしい。

「用は済んだからな。おかわりは結構だ。まぁ、何か分かったらここに連絡してくれ」

 それだけ言い残すと一枚の名刺と先程の写真を残して刑事さんは部屋を後にする。

 名刺には『さかきまこと』という名前と連絡先が書かれていた。

 刑事が立ち去った部屋には僕一人。今一度、刑事の話を整理する。

 この町で起こっている事件は連続遺体遺棄事件と放火。現状、この二つに関連性は見受けられない。

 それに加え、少し前の連続失踪事件のように何かしら超常的な何かが関わっているとは判断できない。

 手掛かりは梵字だが、犯人の悪戯の可能性も捨てきれない筈だ。つまるところ、僕が関わる理由はない。

 そう結論付けようとしたのだが、一点だけ妙に引っ掛かりを覚えた点があった。

「そもそも、どうして梵字なのか。お呪いとしてならば、西洋呪術などの方が一般的には有名な筈」

 梵字は悉曇文字という特殊な言語であり、普段から身近なものではない。何より、その文字自体に力があるとされる神聖な文字だ。

 もしも、梵字の意味を正しく理解している人間が放火を行っているとするならば些か不自然ではないだろうか。

 ただ、これはピースが足りない状況で多大な推論を盛り込み導き出した一つの可能性に過ぎない。

 何らかの儀式的な様式を模した放火という線も存在しているのだ。罰当たり甚だしいが。

「まぁ、この梵字がどの仏に対応しているかが分かればそれとなく分かりますかね」

 僕はそう呟くとこれ以上は刑事さんとの話について考える事を止め、その写真を手帳に挟んだ。

 時刻は三時を回っていた。ここに来る前に白鷺古書店に寄った事と刑事さんとの長話で時間を費やしてしまったらしい。

 何一つとして作業は進んでいないのだが、こればかりは仕方がない。事件の事もある。遅くなるとまた妹の小言が増えてしまいかねないだけに僕は本日の作業を行う事を諦めると部屋に鍵をかける。

 旧校舎には誰もいない。いつも通りの静まり返った空間。そう思ったのだが、どこからか視線らしきものを感じ取る。

 人の気配は感じないだけに不気味だ。まさか、そういう輩がこの場にいるのだろうか。

「やはり、まだ残っていたか。丁度良かった。刑事から話を聞かれたのだろう?」

 辺りを警戒していると廊下の端から声をかけられる。志津先輩だ。

 僕は志津先輩の気配を勘違いしたと結論付けると小さくため息を吐いた。

「まぁ、そうですが……。何か用ですか? 志津先輩――まさか、また活動の自粛ですか?」

 ついこの前の行方不明事件の際には一度、学校を休校にしている。

 今回は遺体遺棄事件。しかも、敷地内で発見されたとならば学校側も立ち入り規制をしてもおかしくはない。

 何分、今は夏休み。校舎を使うというのも部活動に勤しむ人間に限られる。学校側もそれを行い易い環境だ。

「君の想像通り、一つ目の連絡事項はそれだ。だが、もう一つは別件だ。いや、ある意味関係はあるのだがな」

 もったいぶる言い方に僕は首を傾げてしまう。

 関係があるが、別件。事件とは関係あるが、自粛とは違うという意味合いなのだろうか。

 今回の一件は僕としても興味が薄い。それだけに、志津先輩がもったいぶるその情報が重要とは思えなかった。

「それで何ですか? もう帰宅するつもりなのですが」

「呼び止めて申し訳なかった。ただ、一応は伝えておいた方が良いと思ってな。鬼の噂についてなのだがな」

 鬼の噂。榊刑事が僕に今朝話した件か。ただ、あの話に関しては魔女先輩も重要性はないと判断した。

 僕らが関わる要素はまるでない。そう判断していただけに僕は志津先輩にこう聞き返した。

「今回の一件は前の行方不明事件とは違う。警察に任せておけばいい筈です。ソレで解決しますよ」

「どうだろうな。いや、鬼の話は鬼の話なのだがな。最近、深夜に君の妹さんと同じ制服をきた人間が出歩いているのを目撃されているらしくてな。少し、心配になっただけなんだ。問題なければいいのだが」

 初耳だ。榊刑事はそのような話題を出してこなかった。それはつまり、僕の妹を怪しんでいるからなのだろうか?

「気を付けろよ。今回は前のように上手くいくとは限らんぞ」

 その言葉に僕は小さな違和感を覚える。だが、それがどうしてなのか判断するよりも先に、志津先輩は僕とすれ違うようにして部室の方へと歩いていく。

 部室に何か用でもあったのだろうか。一瞬、後を追いかけて手伝おうかとも考えたのだが、邪魔するのも悪いと考えると僕はそのまま旧校舎を出る。結局、今日も作業が殆んど進む事がなかった。その事実に溜息を吐きながら校門へと向かっているとそこで足が止まる。

 目の前にある現実に思わず唖然としてしまう。なぜなら、校門には志津先輩が立っていたのだ。先程、すれ違った筈の――。

 旧校舎の現在使用可能な出入り口は一つ。窓から出たのでもなければ先回りは不可能。

 だが、志津先輩が僕を驚かせる為にそんな真似をするとは思えない。そもそも、やる意味がない。

 唖然とする僕に志津先輩は話しかけてきた。いつも通りの口調で。

「夏期休暇というのに君も真面目だな。毎日、足を運んでいるのか?」

「えっ? はい、そうですけど……先程、会いましたよね?」

「いや、私は今来たところだ。生徒会の方の仕事でな」

 僕は念の為、先程も会った事を尋ねるが即座に否定される。

 不思議そうな顔だ。知らない場所で自分を見たといわれたのなら、仕方がないだろう。

 嘘を吐いているようには見えない。ならば、先程遭遇した神籬志津は一体、何なのか。

 いや、それ以上にここで考えるべき事は先ほどもたらされた情報はどういう意味だったのかという事だ。

 情報を僕に流す意味。妹を警戒させる事が目的なのだろうか?

 私立のお嬢様学校。近辺で通っている女学生は限られる。その情報が与えられた時点で妹に疑惑の目を向けずにはいられない。

 いや、そもそもおかしな点ならば存在していた。志津先輩の最後の言葉――なら、今旧校舎にいる志津先輩がおかしい。

「お仕事お疲れ様です。すいません。部室に忘れ物をした事を思い出したので戻りますね」

「そうか。私は生徒会室にいるから何かあれば相談してくれ。君には返しきれない借りがあるのだからな」

「そうですね。何か困った事があれば相談しますよ」

 僕は口ではそう告げるのだが、志津先輩を巻き込むつもりがないだけにその優しさは僕の胸を締め付ける。

 志津先輩に軽く会釈をすると急いで旧校舎に向かった。

 走りながら違和感の正体と本当に問題にするべきことについてまとめる。

 そもそも、何がおかしかったのか。それは簡単だ。

『今回は前のように上手く行くとは限らない』

 ここで前という単語が指し示すものは一つしかない『連続失踪事件』だ。

 そして、神籬志津は当事者でもある。ならば、あまりにも他人行儀過ぎる。

 それに前回の事が上手く行ったという言葉はもしも悪かったならどうなっていたのかを理解していなければ出てこない。

 アレを上手く行った。そう志津先輩が言うはずがないのだ。夕先輩――彼女の妹の件があるのだから。

 僕の知る志津先輩ならば、の話にはなるが。

 部室に辿り着くと焦るように室内を見回す。

 しかし、そこには当然のように何もいない。その上、帰りに閉めた戸締りもそのままだった。

 部室から出ようにも窓も空いていない。完全なる密室。当然のように誰もいない。あるのは意味ありげな物品ばかりだ。

 僕はその現実に少しだけ不気味さを覚えるが、それ以上に今回の一件に関わらなければならないと考えた。

 正体不明の何かからもたらされた妹の情報。刑事から与えられた梵字と連続遺体遺棄事件。

 これらに何か繋がりがあるとすれば、それを見過ごすわけにはいかないからだ。

 僕は覚悟を決めるともう一度、戸締りを確認し部室を後にするのだった。

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怪奇喰らいと怪奇譚 浅田湊 @asadaminato

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