第五章
――七月二十四日 午前一時
部屋の明かりを消し、暗い天井をじっと眺めていた。
あの言葉――『妹と同じ制服を着た誰かが夜間に出歩いている』という情報。それについて皐月に。妹に聞くことが出来なかった。
一言、皐月の口から事実を聞けばそれでその件に関しては解決。それは分かっているのだが――。
部屋の中には時計の秒針を刻む音だけが響き渡る。時計を確認すると二時を回っていた。
時間も時間だ。流石にもう外を出歩くこともないだろう。僕はそう判断し、眠りに着こうと瞼を閉じるのだが、その瞬間一階で何かが開くような音がする。まさか玄関? 僕は半信半疑でカーテンの隙間から玄関の方を確認する。
すると、そこに道路を足早に駆けていく後姿があった。
だが、その後ろ姿からでは誰なのか分からない。ただ、少なくともあの話だけは確かに事実であった
何故なら、その後ろ姿は僕の見慣れている制服――妹と同じ中学の制服だったからだ。
僕は念の為に確認しておこうと考え、立ち上がると妹の部屋へと向かう。
隣の部屋だ。大きな物音が立てばすぐに気付く筈なだけにあり得ないと思いたいのだが……。
結論から言うと、部屋の鍵はかかっていた。普段は鍵をかける事が少ないだけに珍しい事ではあるのだが、皐月も年頃の女性。何一つおかしいことはない。窓から出るにしても、ここは二階。皐月の運動能力なら無理ではないだろうがそれは考え過ぎだろう。
だとすれば、問題となるのは先ほどの後姿は何者なのかという事だ。
誘っている可能性も捨てきれない。嘘の情報を与え、僕を誘き寄せ様としている、と。
しかし、そうなると問題は何故か。理由なのだが、心当たりはない。
魔女先輩曰く、事件の犯人は怪異ではない。人間という事だった。
だが、警察は鬼について調べている。矛盾が存在しないのなら、鬼という存在の捉え方という事になる。
どちらに転ぶにしろ、関わらなければ何も掴めない。もしかしたら、あの事件の続きの可能性もあるのだ。
僕は謎の人物を追う為に玄関で靴を履き替えるのだが、そこで違和感を覚えた。
靴箱に妹のお気に入りの下駄がないのだ。わざわざ、部屋に下駄を持ってあがるとは考え辛い。ただ、同時に下駄を履いて制服を着るという不格好な姿をするとも考えられない。
僕は色々な事を確かめる為に外へと出ると静まり返った夜の闇の中を走り出すのだった。
田舎町の深夜。当然の如く、人通りはない。そんな夜道を制服を着た少女らしき影が走っている。
距離を保ち、着かず離れず。先を行く少女らしき影は辺りを気にする様子はない。
もしも、最近巷を賑わせる事件の犯人ならばこの警戒のなさはおかしい気がする。いや、逆か? 誘いこまれている?
そんな不安が僕の頭に過るのだが、それでもその少女らしき影を追いかけるしかなかった。
「それにしても、どこに向かっているのやら。このままいけば村外れだぞ」
民家が減って行き、山のすそ野が見えてくる。遺棄事件が騒がれているのは町中。方角は全くの逆だ。
考えられる可能性は二点――。制服を着た少女の噂が事件と無関係。もしくは本当に誘い込まれているのか。
どちらであったところで厄介な事には変わりない。特に前者であるならば、二つの要因が同時に進行している事になるからだ。
ただ、後者であったとしてもここに魔女先輩がいない為、身を守る術はない。やはり、ここは引くべきか。
そう思い前を向くと少女は曲がり角を――後を追っていたことを気付かれたのか?
僕は慎重に曲がり角からその先の様子を確認すると、そこには少女の姿はない。それどころか、人の気配すら感じない。
不審に思い、僕は曲がった先にあった山の裾野へと向かうのだがそこには黒い匣があるだけだ。
いや、おかしい。どうしてそこに黒い匣が存在する事に違和感を覚えない。
自分の頭の中でそれがさもそこにある事が当然という認識が存在している。だが、こんなものがここにあった事を僕は知らない。
頭痛が酷い。まるで何かを拒んでいるかのようだ。僕は痛みを堪えながらソレが何なのかを知る為に手を伸ばす。
「ダメです! ソレに触ったら!!」
後ろから声がする。その声に咄嗟に僕は手を引いた。
その時、見てしまった。その黒い匣から禍々しい何かが漏れ出し、僕の手を引き込もうとしていたのを――。
もしも、ソレに触れてしまっていたらどうなっていたのか。想像したくもない。
ただ、一つだけ確信できたのはこれが人間の手によるモノであったとしても、こちら側である事には変わりないという事だ。
僕はそんなことを考えながら声のした方へと振り向くとそこには――フードを深くかぶった人が一人、電灯に照らされていた。
明らかに怪しい。匣に触れるのを止めてくれたのは事実だが、真夏の夜に深くフードを被り顔を隠すのは不自然だ。
僕は立ち上がるとジッとそのフードを被った人間を見詰める。互いに距離は取ったまま動かない。
「その言い方。――これが何かを知っているような口ぶりですね」
先程触れようとしていた時にはそれらに気付けなかった。
意識を逸らされてようやく気付けたのだ。助けて貰った事には感謝しているが、信用できるはずがない。
なぜなら、コレが何かを知っているという事は――。
「し、知りません。わ、私はただ……」
明らかに嘘だとわかる慌てふためきように僕は考えを巡らせる。
この匣が何かを知っている。いや、正しく言うのならこの匣について何かを知っているだ。
明らかにこれは人を誘い込み、引き摺り込もうとしていた。そして、僕はソレに近い物を既に知っている。
怨念と呼べばいいのだろうか。人の恨み辛みの集約された淀みそのものだ。
だが、アレは儀式の結果としてあったものでありこんな場所にあるような物ではなかった筈だ。
明らかに何かがおかしい。誰かが何らかの目的でここに配置したとしか考えられない。
問題はそうなってくると魔女先輩の発言が矛盾している事が引っ掛かる。
確かに魔女先輩は今回の一件に怪異は関与していないと言った。
だが、あの匣はどう考えてもあちら側の道具だ。ただの人間に作れるものだとは思えない。
ちりん。どこからか鈴の鳴る音が聞こえてくる。
それはゆっくりと近付いてくる事に気付いた時にはフードを被った人間に腕を掴まれていた。
「こっち。急がないとアイツがここに来る!」
あいつとは誰なのか分からないが、この焦り具合から考えるに相当な存在なのだろう。
引かれるがままに走り出し、角を曲がろうとした瞬間に背後から気配を感じ取る。
背筋が凍る恐ろしさだ。それにもかかわらず、僕は振り返ってしまった。そして、見てしまった。
そこにいたのは般若の面を被った着物姿の女。だが、人間では到底考えられないものがそこにはあった。
角。その頭には確かに普通の人間にはないそれが存在していた。
「鬼……。この目で見た以上、鬼は確かにいた事は認める他ないが」
逃げ切った先で息を整えながら僕はそう呟く。
理由は簡単だ。あれが本物の鬼だとしておかしな点がある。いや、おかしな点というよりそれはどちらかと言えば――。
「与えられた情報の方が間違いだった?」
妹と同じ学校の制服という単語を出せば、僕が釣れると踏んだだとするならば一応の筋は通る。
そして、実際に鬼が出てきた以上は僕としては引くわけにはいかない。
この町が好きだからとかそういう理屈ではない。もっと単純な理由だ。
怪異が関わる以上、前回の続きでないとは言い切れない。それが例え、誘い込まれたとしても。
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