第三章
「お邪魔しま……あれ、来客中でしたか」
白鷺古書店の扉を開けると中には四ノ宮と談笑している若い女性がいた。
人見知りな四ノ宮だけにこの光景は珍しい。店が店だけに変わった客が多いのだが――例に漏れずその客も変わっていた。
室内にも関わらず深く帽子をかぶっており、クーラーが効いているわけでもない店内で袖の長いワンピースを纏っている。
少し変わった風貌の女性。こちらに気付いたのか、視線が合うと帽子を更に深くかぶってしまう。
顔を見られたくないのだろうか? 随分と警戒されている様子に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「あ、先輩。いらっしゃいませ。今日はどうされました?」
「いや、一年で委員会に参加したいっていう人がいるって聞いてね。四ノ宮さんの事かと思って」
どうやら当たりだったらしい。何やら恥ずかし気に四ノ宮は俯いてしまう。
「夏休みが明けるまで秘密にしているつもりだったんですけど……ばれちゃいましたか」
気付かないフリをするべきだったのだろうか。少しばかり気まずい空気に包まれてしまう。
僕としてはただお礼を言いたかった事とあまり旧郷土研究部に深入りしてほしくないという矛盾した気持ちを整理したかった。もしも、このまま魔女先輩と行動を共にすればきっとそこに行きついてしまうだろう。
志津先輩に関しては仕方ないが、四ノ宮は違う。だからこそ、巻き込まないように細心の注意を払うつもりだ。
「まぁ、夏期休暇が終われば委員会になってガラリと空気が変わってしまいますからね。それが良い事なのか、悪い事なのかは判断しかねますが。これまでみたいにはいられないのでしょうけど」
委員会になるという事はそれだけ責任が付いて回る。志津先輩の顔を潰さない為にもこれまでと同じ在り方ではいられない。
何より、これから先も魔女先輩との関係を続けるのなら尚の事である。フィールドワークも増えそうだ。
そんな未来の様子を想像し、僕は深くため息を吐いた。想像するだけで頭が重い。四ノ宮さんや他の人を巻き込まない為にも対策を考える必要がある。
だが、そんな光景も悪くない。そう思ってしまう自分がいる事に僕は苦笑いを浮かべていた。
「でも、それが当たり前なのでしょうけどね。時間とは変化する物ですから」
「先輩らしい答えです。あ、そうだ。先輩にお願いがあったんです。
春日――それはこちらに警戒心を剥き出しにしている女性の事だろう。
調べもの。そう一括りにされてしまっても力になれることとなれない事がある。
白鷺婆と違って、ここにある蔵書を全て把握しているわけでもない。なんでも知っているわけでもない。
何と答えていいものか。僕はバツが悪そうに頭をかいていると、それまで黙っていた春日さんが口を開く。
「……時間とは変化するものだというなら、変わらない事は、間違いですか」
どういう事情があるのか、憤りの混じったその言葉に、僕は小さく首を振ってそれを否定する。
「間違いではありませんよ。変わらないという事はその場にとどまり続けなければなりませんから」
ただ、何も変わらないなんてことはあり得ない。周りは変わっていくのだ。否応なく。それはただ、取り残されたに他ならない。
何より、僕はその言葉の重みを知っている。いや、理解していなければならないのだ。変わらないという事の。いや、変われないという事の残酷さを。
僕はいまだ病院のベッドで眠る彼女の事を思い出すとどこかやるせない気持ちがこみ上げてくる。
そんな僕の言葉に春日さんからの警戒心が和らぐと右腕を左手で抑えながら小さな声で何かを呟いた。
それが何だったのか、僕にも四ノ宮にも聞き取れない。何故なら、突然携帯着信音が鳴り響いたからだ。
春日さんもそれは予想外だったらしく、着信相手の名前を確認すると唇を噛んだのが分かった。
「ごめんなさい……。用事が入っていたのを忘れてたわ」
「は、はい。またのご来店をお待ちしております」
それだけ四ノ宮に告げると春日さんは足早に店内を後にする。余程な用事だったのだろう。
しかし、何だったんだ? 彼女の調べモノ。結局、聞けずじまいだっただけにこれで良かったのかとも思えてしまう。
まぁ、赤の他人だ。巡り合わせがあれば、その時でいい。そう考えていつも通り、適当に本棚を見て回ろうとしたのだが、通路に一枚の紙が落ちている事に気付いた。
何かのメモだろうか。そこに書かれていたのは暗号のように意味不明な文字の羅列だった。
――七月二十三日 午後一時
白鷺古書店で四ノ宮と会話し、学校に訪れたのは正午を回っていた。
何故かパトカーが止まっており、警察官があわただしく動いている。
どうやら、校庭の一角に黄色いテープが張られている。だが、旧校舎に向かう為に通る道ではない。
何があったかは分からないが、今すぐ知る必要のある事ではないだろう。そう考え、旧校舎にある部室に向かおうとするのだが、それを呼び止められてしまう。どこかで聞き覚えのある声だ。
「おい、そこの学生。ちょっといい……って、お前はあの時の」
そこにいたのはくたびれたコートを纏ったガタイの良い男が立っていた。手には警察手帳を持っている。なるほど。面識がある警察の人間となれば限られる。数か月前の一件で僕に事情聴取を行った刑事なのだろう。
顔まで記憶していないので確実とは言えないのだが……。
「随分と嫌そうな顔だな。まぁ、前回と同じようにただ話を聞くだけだ」
「別に話を聞かれることは嫌ではありませんよ。むしろ、警察に顔を覚えられている方が嫌なだけですから」
僕の言葉に刑事は頭を抱えると深くため息を吐いた。
「まぁ、あれだ。運が悪かったと思ってくれ」
「ついてなかった、ですか」
魔女先輩というよくわからない存在に憑かれてはいるのだが――。
考えてみれば、あの人と関わった事がキッカケなのかもしれない。
いや、違うか。あの人に関わらなくても刑事さんとは顔見知りになってそうだ。
「それで、今度は何があったんですか?」
しかし、今回は連続失踪事件のような話題はない。あるとすれば、遺体の一部が放棄されているのが見つかったというニュースだがあれは学校の近郊ではなかった筈。心当たりが全くない。
当然、その様子に刑事も気付いたのか手帳を開きながら、こう尋ねてきた。
「今朝、この学校の敷地内で新たに遺体の一部が発見された。それはニュースにもなっていた腕の持ち主と同一人物というところまで判明している」
妹からの忠告もあったあの事件だろうか。だが、何を聞かれたところで答えられるものはない。
「で、それが何か。流石に僕に聞かれても被害者なんて知りませんよ」
「あぁ、分かってる。俺が聞きたいのは被害者じゃない。お前、この辺りで不審な女を見なかったか?」
不審な女と言われてもいつもいるのは旧校舎だけに正門側をうろつくことはない。
それに、不審といわれても何が不振なのか教えてくれなければ心当たりも探せない。
僕がそう考えていると、刑事は耳を疑う話をし始めた。
「――あまり、信じたくはないが額から角を生やした女なんだ……」
「何言ってるんです。角を生やした女って何をどう見間違えたらそうなるんですか」
角といわれて頭に過るのは鬼だ。だが、現実に鬼なんているわけな――いや、そう言い切る事がそもそも早計か。魔女先輩みたいな存在が実在している以上、そういう類が存在しないと証明できない。そう、いないとは限らないのだ。
頭が痛い。そもそも、鬼は朝廷の敵に当て嵌めた言葉であった筈。本物の鬼がいたとして、それは一体何なのだ。
表面上は何もないように取り繕うが、内心では嫌な予感が過ぎっていた。
怪異が絡む以上、魔女先輩が関わらない筈がない。つまり、否応なく巻き込まれる訳だ。
この事件に。被害者だけにはなりたくない。
「そういう割に随分と考え込むんだな」
「いや、まぁ郷土研究部にはその手にまつわる逸品がありますから」
嘘は言っていない。実際にそういう物なのかは分からないが、鬼の茶碗や日本狼の頭蓋骨という意味不明な逸品があるのだ。
その類に関わる存在が出てきてもおかしくはない。そうであって欲しくはないのだが……。
「それではもういいですよね。僕もすることがあるので」
「あぁ、部活に勤しむのもいいがあまり遅くならないようにしろよ」
僕は刑事さんにそれだけ告げるといつも通り、旧校舎の元郷土研究部室へ向かう。
けれども、今日はいつもと違い一人のようだ。いや、人間は僕一人のようだ。
ソファーに寝転がり、本を読み漁っている魔女先輩を除けば。
「あら、おはよう。今日は遅かったのね」
「まぁ、寄り道した挙句に警察に
僕はそこまで言うと、その続きの言葉を投げかけるか一瞬だけ躊躇った。
今回の事件は明らかに人が死んでいる。つまり、それだけ危険を孕んでいるのだ。
もしも、それに怪異が絡んでいるかもしれないという情報を渡せば確実に魔女先輩は食いつく。
そうなってしまえば、自ずと逃げ場はない。
「――最近、角を生やした女性の目撃情報があったらしいですよ」
迷った末に僕は魔女先輩にそう告げていた。
理由は簡単だ。まず怪異は放置すれば何処までも際限なく広がっていく可能性がある。
僕らは一月前に関わった事件で、道祖神を神隠しに遭わせたその存在に結局辿り着けなかった。
この町には恐らく、ソレが今も徘徊し続けている。
僕らが何もせずとも、怪異が僕らを巻き込んでくる事だって在るのだ。
いや、巻き込まれるのが僕自身であればまだ良い。
僕は、僕と関係ない人間がどうなろうとも知った事じゃない。
だけど僕の妹の皐月や、後輩の四ノ宮。或いは志津先輩が再び巻き込まれる様な事があれば。
僕はきっと、自分が被害者になる以上に、激しく後悔するだろう。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。危険に飛び込まなければ、ソレには辿り着けない。
だからこそ、覚悟を決めて発言したのだが魔女先輩はそんな僕の覚悟とは裏腹に興味なさそうに一言、「そう」とだけ呟く。
あれだけ怪異を追い求めていた存在の発言とは思えないだけに言葉を失ってしまう。
僕の知っている魔女先輩なら「鬼、ね。面白いじゃない」とでも言いつつ調べ始めようとする筈なのだ。
それだけに僕は自分が夢でも見ているのではないかと頬を抓り確かめた。
「痛い。現実、なのか?」
「当然よ。はぁ……出来る事なら鬼なんて言うのには関わり合いになりたくないのよね」
相手がどのような存在か理解してなお、やる気がない様子。魔女先輩らしくない。
ここ最近は一人で辺りを駆け回り、怪異を喰らっていた様子。小物ばかりとぼやいていた記憶がある。
鬼といえば怪異の一種の筈。その上、名前のない存在と比べても大物といっておかしくない筈だ。
ならばなぜ、ここまでやる気がない様子なのか。いや、鬼という存在を毛嫌いしているのか分からない。
そんな僕の疑問に気付いたのか、ため息を吐くと魔女先輩は読んでいた本を閉じた。
「怪異とは何か。それを一から説明するのは面倒だから簡潔に言うと……そうね。鬼は怪異じゃない。それだけの話よ」
怪異を喰らう魔女先輩にとって怪異ではない鬼は喰えない。それだけの話。なのだが、どうにも納得が出来ない。
鬼は神としての側面を持つがそれを理由にするにしては――一か月前の事件で神が関わってくる可能性があったのだ。
だからこそ、怪異ではない鬼を喰う事が出来ないという魔女先輩の言葉を信じることが出来なかった。
「なら、鬼が怪異でないなら何なのか。教えて頂けませんか」
「人間よ」
すぐに返ってくると思っていなかった魔女先輩の返答に耳を疑った。
鬼が人間だというのなら、刑事さんが調べていた事件は人が起こした事件になる。
そうなれば、確かに魔女先輩がやる気がないという点にも納得はいく。
魔女先輩の事だけに何か裏があると思えてならないが――。そんな僕の考えを読んだのか、魔女先輩は窓の外を見つめるとこう呟いた。
「噂になりつつあったとしても、それが必ずしも怪異の所為ではないでしょう。まぁ、猟奇的な人間と怪異との間にどんな差があるのかって話にもなっちゃうのだけれどね。どちらにしても、普通からすれば理解し難い存在じゃない」
「確かにそう言われてしまえばそれで納得するしかありませんね」
怪異が起こしているのか、人間が起こしているのかはっきりとした確証はない。
不可思議な失踪事件でもなければ、超常的な何かが働いているような気配は全くない。
あるのは人間性の破綻した狂った事件だけだ。やはり、角を生やした女性の噂はガセなのだろうか?
些か、結論を出すのは早計だと思うのだが納得がいかない。やはり、何かを隠しているのではないだろうか。
ただ、これ以上聞いたところで納得する答えは期待できそうにないだけに僕は話題を変える事にした。
「なら、次は何について調べるんです? 学校の七不思議ですか、都市伝説ですか?」
「別にいいわ。今は気分じゃないの。お腹もとっても満腹だから」
魔女先輩はソファーから立ち上がるとふらふらと委員会室の外へと出て行ってしまう。
残された僕は散らかされた机の上の本に思わず頬をぴくぴくと釣り上げてしまう。この無駄に散らかされた本の山ぐらい自分で片付けてほしいのだが……これでは引き継ぎの為の作業が全く進まない。
そう思い、本を一冊取ったのだがどこにでもある触れた昔話の山だった。
「瀧夜叉姫……鬼といえば鬼だがこれってただの物語だよな」
魔女先輩がただの物語を読んでいたという事実に首を傾げながらも手早く本の山を片付ける為に走り回ろうとするのだが、その手が止まった。理由は簡単だ。委員会室の扉をご丁寧にノックする音が聞こえたからだ。
「すいません。ちょっと待っていただけますか」
ノックの感覚から言って志津先輩というのはあり得ない。ならば、一体誰なのだろう。
僕は首を傾げながらも魔女先輩の残した本の山を避けて来客が座れる場所を確保すると扉を開ける。
「どう……って、さっきの刑事さんですか」
「おま……ここにそういう方面に詳しい奴がいるっていうから来たんだが……」
確かにこの辺りでオカルトに精通していそうな場所は白鷺古書店か、この元郷土研究部くらいの物だろう。
僕は部屋に刑事さんを通すと一体、何の用件なのか推測しながらお茶の用意をする。
恐らく先程あった際に話を聞かれた事件に関してなのだろうが魔女先輩と怪異が絡んでいるのか怪しいと話をしたばかり。
一体、何を知りたくてここに来たのか。学生のお悩み相談レベルの事ではなさそうだ。
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