第二章

 ――――七月二十三日 深夜二時


 草木も眠る丑三つ時。辺りは静まり返り、虫の音一つない静寂に包まれている。

 電灯は電球が切れたのか、灯りは消え去り闇がその空間を支配している。

 そんな闇夜の道を闇夜に溶け込むかのように真っ黒な着物に白い花が浮かび上がる着物をまとった女が歩いていた。

 目を金色に光らせ、背中にはその身長の倍ほどもある太刀を背負っている。そして、その肌は病的なまでに白い。

 そんな女は小さな空き地で足を止めた。買い手が付かずに放置され、荒れ果てた空き地だ。雑草が生い茂り、人の手が入らなくなってそれなりの年月が経っている。そんな場所に着物の袖に土が付くのも気にせず足を踏み入れる。

 その空き地で蹲ると土を掘り起こし始めた。穴、その視線の先にあるのは小さな匣。中身は――赤黒い肝。

 女はそれを確認すると懐から取り出した地図に筆で印をつけ、二枚の小さな紙に何かを書き記すとその匣へと封をするように貼り付ける。そして、ソレを埋め終わると溶けるように消えるのだった。


『ここが今朝、投棄された遺体の一部が発見された現場です。この町ではひと月程前にも連続行方不明事件が発生しており、住民は不安を抱いている模様です』

 朝のニュース。その報道されている現場は僕の住む町。

 当然、その事実にこの事件が前回の行方不明事件の続きであろうと推測してしまっても無理はないだろう。

 だが、実際に続きであると断定する証拠はない。一度、魔女先輩の話でも聞くべきなのだろうが何故だろう。最近は姿を見せようとしない。まるで、僕を避けているかのように……。

「相変わらず、現世は物騒よのぉ。兄君は巻き込まれてくれるなよ。夜な夜な枕もとに出られたらたまらんからな」

「自分から危険な事に首を突っ込むほど僕も馬鹿じゃないよ。探偵でもあるまいし」

「確かにそうであったな。ただ、努々忘れるでない。傷は男の勲章というが、命を落としてしまっては元も子もないのじゃからな」

 テレビから流れてくるニュースにどこか悲し気にそう呟くと電源を落とし、食事を続ける。

 皐月にしては珍しい。普段、ここまでニュースに反応することはないのだが。

 確かに、悲惨な事件に対して『人を呪わば穴二つというが呪う事に罪はあろうか』と、憤りらしい言葉を発する事がある程度だ。

 それでも、事件の内容そのものに興味を持つことは無いに等しい。

 ただ、僕にここまで忠告をする理由に関しては心当たりがある。

 明らかにひと月前の怪我だ。傷は消えたとはいえ、まだ根に持っていたとは。

「……肝に銘じておくよ。それにしても、ついこの間まで何も起きないのが唯一の取柄だったのにな」

 これも道祖神が消え去った影響なのだろうか。もしもそうなのだとしたら、この先に待ち受けるものは何なのか。想像しただけで背筋が凍りそうだ。しかも、それだけの代償で得られたものがアレだというのが余計に哀しい。

 ただ、身勝手な願いによって巻き込まれた人間はたまったものではないだろう。

「人の世は流れゆくもの。荒れる事もあろうて。それが世の常。平穏が続くという事はそれは即ち異常に変わりない」

 食事を終えた皐月は手慣れた手つきで急須に茶葉を入れ、お湯を注いでいく。

「平穏である事の有難味ありがたみすらも人は忘却してしまうであろう? 逆もまた然り。異常が日常になればそれはもはや異常ではなく平常じゃ」

 そこで言葉を止めると皐月は湯呑にお茶を注ぎ、窓から見える夏の青空。山間に見える入道雲を眺め始める。

 その先に何を言おうとしたのかは僕にはわからないが、少なくとも皐月の愁然とした顔は初めてだった。

 何が皐月をここまで落ち込ませているのかは分からない。兄としてそれに踏み込むべきか、話してくれるまで待つべきか。判断に困る。何故だろう。聞いてしまえば、何かが壊れてしまいそうに感じたからだ。

「じゃが、安心せい。すぐにあのつまりもせん平穏に戻るじゃろうに。終わらぬものはないのじゃからな」

 その通りだ。それが幸であろうと、不幸であろうといつか終わる。止まない雨がないように。

 それを信じて僕はあの選択をした。神籬夕を救って見せた。いつかきっと、どういう結果であろうとそれが正しくなると信じて。

「そうですね。なら、朝食の時間もそろそろ終わりにして出かける事にしますよ」

 僕は皐月にそう告げると食べ終わった食器を流し台へと運ぶ。そんな僕の態度に皐月はどこか不服そうに拗ねた表情を見せる。

「なんじゃ……。兄君は此方との時間はお気に召さんと見える。たまには一日、会話に花を咲かせてもよかろうに」

「そうはいわれてもね。夏期休暇中に粗方の処理を終わらせないと新学期から入る人に迷惑がかかるから」

 確かに先月の一件以降、色々と立て込んでしまい皐月を御座なりにしていたのは事実だ。皐月も皐月なりに僕との時間を作ろうとしているのにその善意を無碍むげにしてしまっている。無粋にも程がある。

 僕自身に非がある事が分かっているだけに皐月のその視線に苦笑いしか返せない。

 いつも通り、小言をつらつらと言われるのだろう。そう思っていたのだが、皐月は何も言わない。それどころか、小さくため息を吐くと僕から食器を奪うかのように流し台の横に立った。

「冗談に決まっておろう。そこまで気を負うでない。その優しさは兄君の良さでもあるが欠点じゃ。ただ、もう少しだけでいいのでな。こちら側を大切にしてほしい。そう思っておる事だけは分かってくれ」

「分かった。なるべく、無理をせずに皐月との時間も作るようにするよ」

 僕は降参と言わんばかりに両手を上げるとゆっくりと流し台を後にする。その時見えた皐月の横顔はその僕の回答に不服そうな顔をしていたようにも感じたのだが、すぐに笑みに埋もれてしまう。気のせいだったのだろうか?

「気いつけなはれ。最近は物騒じゃからな」

 その言葉に送り出され、僕は家を出るのだが何故だろう。すぐに学校へと向かう事が憚られた。理由は分からないが、何か嫌な感じがしたのだ。とてつもなく、嫌な感じが。

 かといって、家に戻るのも忍びない。夕先輩の病室へ行ってしまえばそれだけで一日が潰れてしまう。

「そうだな。四ノ宮さんにでもお礼を言っておくか」

 恐らく、一年の委員会希望者は彼女の事だろう。二年には心当たりはないが、彼女に対しては色々と世話になっている為、お礼の一言を言ったところで問題ないだろう。もしかしたら、これから先に色々と面倒ごとに巻き込んでしまうかもしれないのだ。

 夏真っ只中。澄み渡った空には大きな入道雲が山々の間から顔を覗かせている。山々は緑に色づき、野鳥の囀りが長閑さを醸し出している。本当にニュースになっている惨殺な事件が起こっているとは思えない。

 きっと、前とは違い警察がすぐに解決してくれる。僕はこの時はまだ自分が巻き込まれていくことを疑っていなかった。

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