第一章
学校も無事に夏休みに突入したのだが、相変わらず僕は旧校舎に入り浸っていた。
理由は簡単だ。夏休み中にここの書類の山を少しでも片付ける為だ。だが、今日はいつもとは訳が違った。
なぜなら、ここに予定外の来客がいたからだ。
「常々兄君がお世話になっておる。葛城皐月じゃ。以後、よしなに」
葛城皐月。名前の通り僕、葛城百花の妹である。血のつながりを疑いたくなるほどに容姿が似ていないのだが……。
そんな皐月は手に持っていた扇で口元を隠すとジッと志津先輩を品定めするように見つめる。
明らかに失礼な行為であり僕は止めようとするのだが、それを志津先輩は片手で制すと何事もないように返答した。
「あぁ、神籬志津だ。だが、お世話になっているの寧ろこちらの方だ。彼には返しきれない恩がある」
――――恩。それは恐らく、ひと月前に起こった神隠し事件の事なのだろう。
結局、僕は何も救えていない時点で恩義に感じる必要性はないと思うのだが、当の本人がそう思っているのなら仕方がない。
名目上、委員会の長という形式だけの立場だからという理由でここにいるのだが、実際の所はそういう理由もあるのだろう。
僕としては人員が増えれば作業効率も上がる為、有り難いことこの上ないのだが生徒会の仕事に夕先輩の見舞い、委員会の手伝い。どうやって時間を作っているのかは謎だが、それは聞かない方が良いのかもしれない。
「で、皐月はどうしてここに?」
僕がそう尋ねると、何なのだろう。皐月と志津先輩の睨み合いが始まった。
いや、正しく言えば妹の皐月が勝手に志津先輩を敵視しているという方が正しいのかもしれない。
僕がその理由が何か考えようとした間に、志津先輩はすぐに理由を察したようだった。
「あの怪我は私が監督不行きだったのが原因だ。本当にすまなかった。謝る機会がなかったので、ずるずると先延ばしにしてしまっていたな」
「いや、あの怪我は別にそういうのでは――」
僕がそう言って割って入ろうとするのだが、苦笑いを浮かべながら志津先輩は言葉を被せ、僕の言葉を否定する。
「巻き込んだのは私だ。それに、君にすべてを任せてしまったのだからな」
「分かっておればよい。但し、今後もそのような事に兄君を巻き込んでみよ。許さんぞ」
皐月はそれだけ志津先輩に告げるとまるで興味を失ったかのように視線を志津先輩から委員会室へと移す。
何故、今日に限って夏休みだからという理由で僕の高校を妹の皐月が見学に来たのか謎だったのだが、目的は苦言もあったのか。
しかも、わざわざ目立つ中学の制服を着てという嫌がらせ。何より、夏期講習期間で人の出入りも多い。
元々がそれなりに皐月自身も有名である事も目立つ要因の一つなのだが……。嘘か真か定かではないが、噂によれば練習試合、公式試合全ての試合において一度の敗北も許した事がないらしい。しかも、その容姿は大和撫子と呼べるほど清楚な香りを漂わせている。
志津先輩とは別の意味で完璧超人の妹である。家庭内のパワーバランスは言わずもがな。
やはり、ひと月前の件は相当、頭に来ていたらしい。
「それにしても、随分と別嬪さんを兄君もひっかけたものじゃ。女子の取り合いに関しては水に流すとしてじゃ。――最近、帰りが遅いのはお主との夜遊びが原因かの?」
「安心してくれ。彼とはそういう関係ではないよ。ただ、新しく創設された委員会を軌道に乗せるのが予想以上に大変でね。すまないと思ってはいたが、長時間彼を拘束してしまっていたというだけだ。次からは気を付けよう」
「なんじゃ、面白くもない回答じゃな。しかし、まだ学生の身の上。あまり、闇夜を出歩くのは悪かろう?」
適当に書庫の本を漁りながら志津先輩にそう告げると何かを思い出したように皐月は腰まで延ばされた艶のある黒髪をなびかせ、こちらへと歩いてくる。
次はどうやら僕に対しての説教が始まるらしい。志津先輩の前でだ。
「安心せい。別に取って食ろうたりはせん。ただ、兄君が心配なだけじゃ。先日の行方不明事件が解決して日も浅い。此方の心配も分かるであろう? 何分、兄君はそういうモノを抱え込みやすいのじゃからな」
相変わらず、ずるい攻め方をする。皐月はいつも此方が否定できないように同意を求める言い方をするのだ。
分かったとしか返せない。自らが危ない事に首を突っ込んでしまっていた事を自覚しているだけに。
「まぁ、此方が兄君に言いたいのはそれだけじゃ。あまり、一人で背負うでない。それを分かっておるなら良いのだがな。あとは勝手にこの資料室を見学させて貰うとしようかのう?」
皐月は可愛らしく僕に微笑むと本棚の群れへと歩いていった。
兄妹なのか、皐月も古書が好きなのだ。
どうやら、本当の目的はこの委員会室に保管されている古書が目的だったらしい。
僕への忠告も志津先輩への接触もその行為のついでの要件でしかなかったのだろう。
ただ、皐月を本繋がりで頭に浮かんだ知り合いには会わせては不味いと確信した。
あの無口な彼女と他人を手玉に取る皐月では相性が最悪過ぎる。ただ、彼女の心労が溜まるだけだ。
そんな事を考えていると、志津先輩が皐月の消えた本棚の群れを眺めながら羨まし気に僕にこう呟いた。
「随分と兄思いな妹ではないか。大切にすると良い。後悔してからでは遅いからな」
「兄思いなんですかね? どちらかと言えば、手玉に取られている気もしますけどね」
一番身近だから分かるのか。皐月にこちらの考えを見透かされていると感じる事が多々ある。
その上、苦言は言えどもその行動を真っ向から止めるようなことはしない。最後には背中を押してくれる。
確かに出来た妹なのだろう。いや、出来過ぎたというべきか。
こうして、第三者からそのことを指摘されて初めて僕自身もそれが当たり前であると無自覚に信じ切っていた事に気付いた。
ひと月前の神隠しで何もかもを失った夕先輩。見えない境界線は当たり前のようにすぐそこに存在している。
現実と非現実。その境界線の先は言わずと知れた地獄だ。そう、地獄でしかない。
「でも、そうですね。ソレがソコにありのままに存在している事は確かに幸せなんでしょうね」
それが前回の一件で学んだことだ。志津先輩に対する夕先輩であったように。とても強い絆であっても脆く壊れるときは一瞬だ。
だからこそ、そのかけがえのない物を大切にしなければならない。
そんな僕の言葉に志津先輩は少しだけ顔を曇らせると僕に気を使ってか作り笑いを浮かべた。
「――そうだな。そう言えば、夏休み明けには一年と二年から委員会の人間が補充されるそうだ。まぁ、良かったよ。自分から進んで委員会に所属したいという人間がいてくれてな。ただ、こうして君と話す時間は減るのは少しばかり寂しいものがあるがな」
互いに神籬夕だった人間を覚えている。世間的には少女Aとなってしまった彼女を知っているという秘密を共有している。
きっと、志津先輩の口から洩れた言葉にはそういう意味もあったのだろうと判断すると僕は小さく唇を噛んだ。
共有しているなんて言うにはおこがましいからだ。僕は多くの事を志津先輩に秘密にしている。きっと、それはこうして何かにつけて胸を締め付けてくるのだろう。それが罰なのかもしれない。
「そうですね。でも、変わらない日常はそれはそれでつまらないじゃないですか」
僕は胸の痛みをそう言ってごまかすと本棚を眺めるのだった。
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