第18話(神野藍子)

”今からそっち行く”


主語もなにもない、蒼ちゃんみたいな文章。灯ちゃんどうしたんだろう。

「っていうか何の用かな?母さんも父さんも留守だから家のこととか何もわからないんだけど。」

灯ちゃんがここに来るのは大体おばさまの用事だから、私にはさっぱりわからない。

「まあ、来る奴が悪いわよね。」

「藍子!」

「え!?」

突然、半分叫びながら突進してくる。

「灯ちゃん!?どうしたの。」

正直怖い。

「ちょっと待ってて!飲み物とってくる。中入ってて!」

「いいから!」

踵を返した私の手首を力強くつかむ。

「え…?」

「俺は今からものすごく図々しいことを言う…。全部聞いてくれたら殴ってくれて構わないから。」

見たことのない灯ちゃんの迫力に気圧されてつい私は黙ってしまう。

「俺は…ずっと思っていた幼馴染に失恋した。」

知ってはいた。それでもやはり灯ちゃんの口からほかの人を愛しく想う言葉が出ると、心の奥のほうがうずく。

「諦めて、ふっきったつもりでいるんだけれども、大切な存在の幼馴染二人だから、どうしても見てしまうんだ。」

真剣な目で玄関から見上げてくる灯ちゃんに。身勝手なことを言われているのに。吸い込まれそうになる。

「俺はその幼馴染と比べてだいぶいろいろなものが劣るから、自信なんてどこにもなくて、たぶんもう一生誰も想わず想われず…。初恋を抱えたまま生きて、そしていつか死ぬんだろうと思ってた。」

私はハッとする。

「それでも、姉ちゃんや、蒼。それに優ちゃん。みんなが周りを見ることをひたすらに俺に促した。それでも二年たってしまったけど…。

藍子、やっと藍子のことに気づけたんだ。藍子にとっては幼いころの恋かもしれない。それでも今、俺は藍子に隣にいてほしいって思うんだ。図々しいことはわかってる。」

お兄ちゃんも、蒼ちゃんもモモちゃんも余計なことを!恥ずかしいことこの上ない。

初めて見る灯ちゃんの不安そうに揺れる瞳に、妙に熱を含んだ言葉。私の体は考えるより先に、愛しい人の体を抱きしめていた。

「藍子…?」

「ばか…!」

私は、不安そうなこの人に涙を見せたくなくて。うれしくてうれしくて。止まらない涙を。

ずっと大好きで、大切な人のものすごく待ち望んでいた言葉。それがうちの玄関で、私だったろくな格好をしていない。かっこ悪い。でも、それでもすごくうれしい。

「私が何年灯ちゃんを見てたと思ってるの…。今更灯ちゃんから離れたくなんてない!灯ちゃんの隣で、灯ちゃんと同じ景色を見たいの!灯ちゃんと手をつないで歩きたいの。今更灯ちゃんの視線なんていらない。灯ちゃんがその幼馴染を見てしまうというなら、私も一緒に見る。それで、たまに灯ちゃんがこっちを向いて、笑ってくれたら…。それ以上に望むものなんてない!」

いつだって私は灯ちゃんの背中を見つめてきた。それが横顔をずっと見つめていられる。

大した進歩じゃないか。

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終わらない想いと始まらない想い 水無瀬 @Mile_1915

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