第6話

「あん? 手伝いたい?」

「えぇ、その、旅の資金を稼ぎたくて……できる仕事があったら、手伝いたいんです」

 ヘラの申し出に、宿の女将はちらとカウンター向こうの夫を伺った。

 のんびりと頷いた夫を見てから、女将は小さく肩を竦める。

 振り返った彼女は一つ口を開いて、それから少年を上から下までさっと一瞥した後、口をへの字に曲げた。

「皿洗いくらいは任せてやっても良いが、あんたも歌唄いならそれで金を稼ぎゃあ良いじゃないか」

「……え?」

「おいおい、無茶言うなよ」

 女将の言葉に目を丸くするヘラに、乾いたジョッキをカウンター下に収めながら苦笑する主人。妻が何かを言う前に、主人は顔を上げ、ヘラに向かって困ったような笑みを浮かべた。

「通りで歌って日銭を稼ごうったって、この辺りじゃあ、自分の酒に出す金で手一杯って男どもか、明日の家計も回らないって嘆いてるかかあどもしかいないだろう」

「あ、え?」

 目を丸くしながら男の言葉に要領を得ない返事をするヘラ。そんなヘラの様子に夫が反応する前に、女将が「そんなことは分かってる」と苛立った声を上げた。

「誰がこんなシケた通りで稼げるって言ったんだい、ロクデナシしかいないってのは重々承知だよ! だからこんなとこじゃなくて南門の近くで歌えば、酔狂な金持ちどもからがっぽりお金を剥ぎ取れるじゃないかって、そう言ったんだよあたしは!」

「おいおいそう怒るなって。 なるほどな、そういうことか」

 ついていけないヘラを余所に、夫婦は一見喧嘩にも見える積年のやり取りを繰り広げる。納得した様子の主人がヘラに「どうかな?」と首を傾げて見せた時も、同じく首を傾げることしかできなかった。

「いや何、この辺りじゃあ、べろべろに酔った男どもの、すっからかんの財布くらいからしか投げ銭は期待できないがね。 こいつの言う通り、南門の近くなら良い稼ぎ場所になるだろう」

 場所については分かった。ただ、肝心なことをヘラは分かっていなかった。弱り切った顔のヘラが、恐る恐る二人に尋ねかける。

「えっと、実はさっきから、何の話をしているのか分からなくて……歌唄いで金を稼ぐって、この町では公演でも募集しているんですか?」

「――あん?」

「――何だって?」

 予想外の言葉を吐く若者に、夫婦は同時に似たような顔を浮かべた。

 身長も体格もまるで正反対な夫婦のその顰めっ面があまりに似通っているものだから、自分がその表情を浮かべさせたにも関わらず、ヘラはにこにこと微笑み出す。

「何にやついてるんだい、公演がどうしたって?」

「いえ。 僕の歌でも出してくれる場所が有るなら、ぜひ歌わせてほしいと思って」

「……ん?」

 ヘラの言葉に首を傾げ、顎に手を当てる主人。女将の胡乱げな顔に一つ頷いて見せてから、宿の主人は、或いはと一つの憶測を口にした。

「……もしかしてサデナンの方かな」

「え?」

「あん?」

 主人の言葉に、ヘラと揃って首を傾げる女将。二人の様子にますます首を捻って頭をぽりぽりと掻いた主人は、小さく苦笑いした。

「いや、何。 サデナンってのは、確か海向こうの宗教の一つなんだが、投げ銭とか施しは卑しいから受け取らないっていう主義だったと記憶しててね。 違ったなら良いんだ」

 海向こう、という単語に、ヘラは目を輝かせ、女将は鼻を鳴らした。そんな二人の様子にまた苦笑した主人は、それからもう一度顎に手を当て考え始める。

 今の話の続きも気になっていた少年は、けれどその前に一つ聞かなくてはならないことが有る気がして、「あの、」と二人の目を引いた。

「えっと、さっきも気になったんですけど――」

 申し訳なさそうに尋ねたヘラの言葉に、夫婦はどこで食い違っていたのかに、ようやく気付けたのだった。

「――投げ銭ってなんですか?」




「へぇ、なるほど! じゃあ好きに歌えて、その上お金も貰えるんですね!」

「期待できたもんじゃないけどね」

 鼻を鳴らした女将に、苦笑しきりの主人。

 二人の話を聴いたヘラは意気揚々と宿の外へ出た。その背に、酒場の呑んだくれ達が乱雑に声援を送る。




 南門、というのはそのものずばり、町の南の門である。

 ヘラが住んでいた町よりも規模の大きなこの町には、行商も多く訪れる。近隣の町への通達もこの町を通じて行われる上、時折だが、首都から直々に政務に携わる者が視察に訪れる為、町の南の門は彼らを迎え入れようと立派な造りになっていた。

 そんな門の造りに合わせたように立ち並ぶ家々は随分と立派で、先の宿屋の有った通りとは全く違う町に見える。訪れたお偉方と仲良くなりたいという貴族や、行商と宜しくやりたいという大・中規模商団が居を構えているのだ。

 行き交いの激しい南門の通りは、行きずりの旅人には格好の稼ぎ場になるらしい。

 呆然とその大通りを眺めるヘラは、視線を一人の青年に移した。道の端に布をひろげ、その上に骨や皮らしき物が並んでいる。塀に背を付けて座る青年の傍で、長剣もまた塀に靠れ掛かっているので、どうにも冒険者のようだった。時折商人が立ち止まっては、青年と何か話をしている。

 視線を転じれば、踊る少女が目に入った。すぐ傍に笛を吹く老人がおり、その音に合わせて少女の体が、否、服の袖に付けられた装飾の長いひれが、ひらひらと宙を舞う。空気の中をするすると蠢くその布は、見る物を惹きつけ、彼女の周りはぼんやりと足を止めた人で一杯だった。

 その先へまた目を動かすと、激しく打ち合う二人の男が喝采を浴びていた。そのすぐ傍には縄に縛られた女性と、いやらしい笑みを浮かべた男が居て、二人は戦況が動く度に芝居がかった仕草で正反対に喜憂を見せる。どうにも芝居らしい。

 もちろん、吟遊詩人も居た。

 皆が皆、道の端に行儀よく寄りながら、それでも主役を奪い合っているようだ。

 どの芸も、見ずには居られない。魅力があり、心を惹き付け、目を輝かせてならない。観客達も、それぞれの感じた数だけ硬貨を投げ、喝采と共に賞賛のコインを受け取る旅人たちは、誰もが誇らしげに顔を上気させていた。

 ヘラの胸が、どくんと高鳴った。

 この中で、歌ってみたい。

 喧騒。歩く沢山の人々。素晴らしい数々の芸。何度も繰り広げられる、開幕と閉幕。

 それは、歌にしようとしても、きっと収まり切らない。

 だから、だからこそ。

 この場の空気に、ここだからこそ歌える歌を、歌いたい。

 頭の中に次々と言葉が溢れ、メロディーが溢れて来る。

 今にも歌い出しそうな程思いが高まっているのを感じながら、ヘラは、それでも詞を紡ぐことができなかった。

 道の端に寄っていないから、というわけではない。

 ハープをまだ抱いていないから、というわけでもない。

 それは、ただ、ただ。

 あまりに多くの言葉、メロディーが一遍に押し寄せる物だから、一つの口しか持っていないヘラが、歌いあぐねた為だった。

「…………はは」

 場に呑まれてしまっている。それを自覚した少年は、祖母から習った方法で、場に溶け込むことにした。

 視線を下げ、瞼を閉じ、息を止め、喧騒を遠ざけ。

 それから、一つ、息を吸う。

 ぱちっ、と顔を上げて瞼を開けたヘラ。

 頭の中にゆっくりと、メロディーが流れ始めた。

 今度は場所の問題で歌を紡げなかった少年は、苦笑しながら辺りを見渡す。


 ここにおいで、と呼んでいるようなぽっかり空いた塀の下へと、旅を始めたばかりの吟遊詩人は、靴先を向けて歩み始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヘラの旅日誌 新月賽 @toshokan_suimin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ