第5話
「いえ、あの、ヴェルツに行きたいのですが……」
「んん!? だから、ベヌクじゃろ!? 良いから良いから、遠慮なさんな! 儂が連れて行く!」
「あ、あはは……」
早朝の宿。
夜は早く寝て、朝の夜明けもしっかり目に焼き付けたヘラは、一階の酒場で暇を潰していたところだった。
静かな筈の朝の酒場で、夜中に辿り着いて今まで飲んでたという老年の冒険家に目を付けられることになるとは。
「おい酔っ払い! 若いもんに冒険家はロクデナシしかいないって思われたらどうすんだ、大人しく部屋で寝てろ!」
「何だとコノヤロウ! 儂は金を払って飲んでるんじゃぞ!!」
「あ、あの、お構い無く……」
一宿一飯を助けてもらったヘラに対し、男はしっかり金も払っている。まさかこんなところで宿に迷惑を掛けるわけにもいかないし、幸いにも酒場に客はヘラたちばかりだ。少し絡まれるくらいは問題無かった。
それに何より、今はこうしてタジタジになっているが、ヘラの方も冒険家と話すチャンスは逃したくなかった。
「どうだ若いの、一緒に来る気になったか!?」
「そうですね、考えておきます。 ところで、冒険家と仰っていましたよね?」
隙あらば冒険の思い出を語ってもらおうと、こうして話を振っている。
しかしこの時も老年の男は、「ふぃいいいい」などとジョッキをカウンターに叩きつけるばかりで、ヘラの言葉など聞いてもいないようだった。
「あの、冒険のお話もぜひ――」
「おぉそうだぁ、お前さん、何して旅をしてるのかね!?」
三度目の同じ質問を食らって、ヘラの片頬がぴくりと引きつった。
それでも人の良い笑みを崩さず、これまた三度目となる自己紹介を始める。
「歌を片手に旅をしています、ヘラです。 良ければお聞かせしましょうか?」
「うん!? 歌!? 歌か! 歌は良いなぁ!! 歌は良い。 だが、生憎儂は飲んでる時に歌わないんじゃ。 いや何、話せば長いが、儂に恋人がいた頃の話だ――」
そして三度目となる昔語り。カウンターの中で店長が頭を掻き毟って何やら喚いている。ヘラは諦めた顔で相槌を打ちながら、酔っ払って歌う女の人の名前が毎回違うことに、これは何かの歌に使えるかも、などと考えていたりした。
そうして酔った勢いで浮気を暴露し破局した哀れな男は、何がどうしたのか、「そうして儂は身軽な一人者となったわけじゃ! お主も見習えよ! はっはっは!」と笑ってジョッキを煽る。
その背はやはり、無性に寂しく見えた。
呑んだくれに同情するなとは次兄のいつかの忠告だが、この時もヘラは、遣る瀬ない気持ちのままに、ぽつりと提案していた。
「歌」
「あん!?」
「よろしければ、歌をお聞かせしましょうか。 とびきり愉快な」
先ほどと調子の違うヘラの声に何かを勘付いたのか、冒険家は口をつぐんでヘラの顔をじっと見た。1,2,3秒、そして笑い出す。
「わっはっは、ガキが何いっちょ前な顔してやがる!」
「あっ、いだだだだだっ!?」
ぐりぐりと、岩のような拳を、果たして撫でているのだろうか、乱暴に押し付けられて、ヘラは情けない悲鳴を上げた。
そんなヘラの横で、冒険家の喉が音を変える。
「良いか詩人よ! いつだって人は間違える! 人生は失敗の連続である! ひとところに腰を据えてみろ、すぐに後ろ指が刺さる! だからそう! 我々は旅に出る、何時の世も、初めましてを朝の挨拶にすれば、ボロを出すこともそうそうあるまい!」
歌うような、張りの有る声。通る声が、狭い酒場を突き抜けるように響き渡り、ヘラは目をまん丸く開いた。
男はにやりと笑うと、一際声を張り上げる。
「慰める? いやとんでもない! 我々は失敗に落ち込まない! 後悔する時間があったら、笑い飛ばして明日を見るのだ! 我々は旅人だ、その道を選んだ時から人生は後悔の中だから、わはは! さぁ慰めの愉快な歌を歌う? 切ない思い出を歌に乗せる!? いや違う! 我々は歌う! 愉快な思い出で歌を歌う!」
カウンターの中の主人もにやりと笑みを浮かべていて、いつの間にやら、酒場の中は歳を感じる男たちが集っていた。
ヘラは、その空気にただ、身を委ねていた。
そして冒険家が、歌い出す。
あれはまだそう 儂の若い頃 女の尻と明日の区別もつかぬ頃
――おいそこ、何が今もじゃ!――っコホン
えー……しかし儂も 顔は良かった 将来を誓った仲がいた
器量好しで 美しい女じゃった ただ少し器が狭かった
旅先の女との ダンスが特技 そんな儂が気に食わんかったらしい
先とは一転、茶々を入れられながらの歌は、お世辞にも惹きつける引力が有るとは言えなかった。稚拙で単調な旋律は、けれど、確かに冒険家自身を表した歌だった。
それが妙に心地良くて、ヘラも野次を飛ばさずにいられなかった。
何度も叱られた だが何度も立ち直った それが男だそうじゃろ?
(そうだ そうだ!)
もちろん誤魔化した バレると不味かった それで尚更楽しさが増した
(このロクデナシ!)
約束は破るのが! 秘密はバラすのが楽しい! 儂は前者ばかりに夢中になってた
酒とは恐ろしい 口を軽くする ついに禁断の秘密が暴かれる!
(ざまあみろ!)
男たちの野次は口々で、統一性も無い。だがどの言葉も妙にハマって、それに一々顔を顰めたり言い返したりにやりと笑む冒険家も相まって、まるで歌の一部のようだった。
そして男の歌もクライマックスに向け、様相を変える。
あぁナンシー ラナ サーシャ ヴァレリア ここまではお前の知ってる相手
じゃが儂が 一体 どれだけ 浮気を 重ねて来たかは分かっておるか?
のうサリーナ タージャ エマ レーゼ あの子らは皆胸がデカかった
スージー カルメ イサベル ルイディナ ああ あの指使いが今も思い出せる
オレーシャ エレオノーラ ヘレン アンセア そこまで話すと彼女が怒りだした
まぁ信じられない!? 貴方言ったでしょ? 浮気はしないんじゃなかったの!?
胸だか指だかしらないけれど よくまぁ浮気をそう抜け抜けと!!
あなたを信じた 私が馬鹿だった 貴方なんてきっと下半身が旅してるのよ!
そのままがつんと やられた儂が 何と返したかって?
あぁ違う我が恋人よ! 私は冒険家! 危険と快楽と栄光を求める!
浮気がそれを満たしてくれるのだ!
儂らは冒険家! 危険と快楽と栄光を求める!
浮気がそれを満たしてくれるのだ!
ひゅーっ。
指笛、口笛、囃し立てる声。
朝の酒場の騒がしさは最高潮に達していた。
熱の篭った空気に夢中になって拍手を送るヘラに、冒険家は不器用にウインクをして見せる。
笑い合う男たち。彼らは確かに冒険家なのだろう。その精神に、歌に、ヘラはまた一つ、世界の広さと、男たちのどうしようもなさを垣間見た気がした。
バタン!
感慨深く酒場を見渡していると、突然に扉が勢い良く開かれる。
「おいうるさいの! 朝から散々騒ぐんじゃないよ! ロクでもないこと言いやがって、あんたの恋人がどう返したか当ててやろうか?」
大騒ぎは扉向こうにも聞こえていたようだ。男たちの視線を一身に受け止めた店主の妻は、にやりと笑って男たちを見渡した。
「何が冒険家! 浮気を求める? そんなに好きなら旅と身を固めな!」
「大当たり! だから儂らは旅人なのじゃ!」
「このロクデナシども!」
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