第4話

「ねぇねぇ、お兄ちゃんずっと座ってるの、なんでー?」

 幼い少女が、首を小さく傾げて若者を見上げた。先まで溜め息を吐いていた若者は、すぐに柔らかい笑みを浮かべて、溜め息を隠して返す。

「そういう君こそ、さっきから向こうで遊んでいたね。 お母さんを待ってるのかい?」

 聞きながら、若者は傍らのハープを胸の内に抱えた。その指が音を奏でだす前に、少女の言葉が若者の手を止める。

「ううん、お母さん、もう来ないってー。 だから、お父さんを待ってるの」

「…………」

 短いその言葉に、どれだけの意味が含まれていたのか。若者はしばし黙り込むと、どちらとも決まったわけではない少女の身に、けれど優しい色の音を奏でだした。

「わぁ!」

 綺麗な音を溢すハープに少女が嘆声を上げ、道行く人も足を止め振り返る。

 日の傾き出した通りで、若者は影を縫うように、声を上げた。


明日を待つだろう 緑の丘のガラドよ いつまでも 夢を見るだろう


朝に舞う草の切れ 風に乗る春の笛 あの日はそう いつもより 胸の躍る朝だった

明日を夢見て 緑の丘のガラドは 旅に出たのだ 緑の丘を飛び出した

永遠を夢見て 誓いの地図を片手に 幸せを得るのだ 言い伝わる歌口遊み

あの朝に 夢を見たのだ


星に舞い光る蛍 木々を縫う影の獣 世界はそう 思ったより 胸の躍る物だった 


谷の底でガラドは 年老いた獅子に出会った 聞いていたものよりも ずっと大きな体

「この先は長い旅になる」 年老いた獅子のしわがれ声 「失うことも得ることも お前の旅を飾るだろう」


山の頂でガラドは 生まれたての龍に出会った 聞いていたものよりも ずっと小さな体

「永遠を望む子どもよ」 生まれたての龍のあくび声 「今一時と永遠と どちらを生きるか忘れるな」


海を渡る夜には 星をじっと見つめること 山を歩く午後には 寝床を探すこと

洞窟を潜れば昼も夜も 風の動きを読むこと 草原を進む日には 夢を目指すこと


旅を知るごとにガラドは 歩き方を覚えた 世界を知るごとにガラドは 地図を埋めていった


ある朝ふと気が付いた この旅こそが いつの日にも夢見た 幸せなのだろう

そしてガラドは遂に 世界を旅した 行かぬとこなど どこにも無くなってしまった

もう得るものも 失うものも 残っていなかった

永遠を探した旅の 一時一時を 探した

世界を知ったガラドは 地図を畳んだ どこか知らない場所に 行きたかった


谷の底でガラドは 年老いた獅子を看取った 聞いていたものよりも ずっと掠れた声

「地図はまた書き換わる」 年老いた獅子の最後の声 「お前もまた旅に出るだろう 私も長い旅に出る」


山の頂でガラドは 生まれたての龍を抱いた 聞いていたものよりも 親にそっくりな子

「一時を望む旅人よ」 生まれたての龍の最初の声 「今一時と永遠と 最後の寝床を忘れるな」


朝に舞う草の切れ 風に乗る春の笛 緑の丘 見慣れてた 景色が眩しかった

明日を夢見て 緑の丘にガラドは 帰ってきたのだ 緑の丘に望むのだ

一時の旅路を 埋まった地図を空白に また旅に出るのだ 時が明日を運ぶのだ

また朝に 夢を見るのだ

明日を待つだろう 緑の丘のガラドよ

いつまでも 夢を見るだろう 


いつまでも 明日を待つだろう



 ハープの弦が最後の音を紡ぎ、若者は顔を上げた。

 しんと静まり返った街角。人々は誰もが足を止め、呆然と歌の余韻に浸っていた。

「……ふわぁ」

 少女の感嘆が風に溶け、それがそっと緊張を解す。あちらこちらで溜め息が聞こえた。

 若者は苦笑し、それからようやく、少女の問いに答えた。

「ここで、歌を聴いてくれる人を待っていたんだ」

 勿論、それは真実ではない。若者は思っていたよりも宿が高く、どうしようかと途方に暮れていただけだった。しかしそんなことを言って少女の顔を曇らせるのも望ましくない。

 若者の思惑通り、少女の顔がぱぁっと輝いた。

「はいはい! わたし聞く!」

「………………はは」

 目を輝かせて身を乗り出す少女。その周りにもちらほら人が腰を落ち着け始めたのを見て、ヘラは帽子を僅かに傾け、照れ臭そうに微笑んだ。

「おい、お前さん」

 そんな若者の背後から、静かな落ち着いた声が響いてきた。

 はっと帽子から手を放し、昼に宿泊を諦めた宿の店主を見上げる。店の前で歌ったりなんかして、あてつけだと思われたのではないか。不安がヘラに過るが、店主は小さく微笑んだ。

「お前さんの歌が随分良いもんだから、呑兵衛どもが外へ出たがってね。 うちで歌ってくれりゃ、一部屋貸そう。 どうするね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る