第6話 しまった心

 月明かりだけのうす暗い部屋の中で、剣劇の火花が幾度も灯る。

 親と子ほども年の離れた男達と一人の少年が生み出すそれは、状況を忘れ、サラを強く惹いていった。

 まさしく剣舞とも言おうか。不規則に迫る三刀を、それが物語の筋書であるかのように華麗に裁いていく。まるで大人が子供の未熟な剣をいなしているように。テルンは道場でサラと向き合った時と同じ表情で、それを軽々と行っている。


「ガキが! ちょろちょろとうぜえんだよ!」


 三人がかりで子供一人をいつまでも倒せないということに、男の苛立ちは頂点に達し、本能に、怒りに任せて剣を振り始める。そしてその瞬間に、でようやく保っていた均衡は、呆気なく崩れ去る。


「はい、おつかれさんでした」


 テルンは動けなくなった男達の手元から剣を蹴り飛ばし、ほっと一息ついて汗を拭う。

 サラはぺたんと座り込んで、テルンの戦いを注視していた。自分とは全く違った戦い方を見せるテルンの一挙手一投足を、全て自分のものにしようと目に焼き付けていたのだった。


「怪我、してないか?」

「……っ! へ、平気よ」

「そうか、ならよし」


 本来ならば自分が彼を労い、お礼を言わねばならないだろうに、サラはそのタイミングを逃して、ただもじもじとしている。

 代わりに気になっていることを口にした。


「どうしてあなたがここに……」

「まあ、まずいきなりいなくなったことを謝ってほしいというのはともかく」

「……悪かったわよ」

「どうしてかと言えば、お前が間違いなくこういう連中に捕まるだろうと思ったからだ。帯剣してるならともかく、素手のお前じゃ、相手が武術に関して素人だろうと勝てない」


 サラは反論しようと喉から言葉が出かかったが、思いとどまった。簡単に不意を突かれたのが捕まった理由だとしても、害意剥き出しの相手の気配に気付けなかった、という恥を晒してしまうだけと思ったからだった。


「なら、どこにいるかもわからないお前本人を闇雲に探すよりも、お前を捕まえた奴が帰って来る場所を突き止めて、そこで待ち伏せしてた方が早いからな」


 あとは御覧の通り、と肩を竦め、サラを立たせるべく手を差し出した。サラはその手助けを拒否して立ち上がり、服の埃を払い、居住まいを立て直す。テルンは苦笑して手を引っ込めると、街の中に向かうべく歩き出した。


「それにしても、こんな短時間でこの場所を見つけられるなんて、運が良かったわね、お互い」


 サラは何の気なしに呟いた。


「俺も驚いたよ。どの街でも、似たような考え方するもんだなってさ」


 テルンもそう、軽く返した。


「前にもこんなことあって、こうやって誰かさんを助けたわけね」


 サラは少し冷やかすような口調で、少し前を歩くテルンの背中に言葉を投げた。ちょっとした照れ隠しと、仕返しのつもりだった。


「いやその時の俺は、這いつくばってる側だった」

「え?」


 少しテルンの言葉が予想外で、理解するのに時間がかかって。


「俺が攫う側だったよ」


 *     *     *


 テルンが見つけたぼろ宿にはベッドが一つしかなくて、サラが何か言う前にテルンは既に床に寝っ転がって、おやすみといって寝息を立て始めた。

 ここに辿りつくまで、二人は一言も喋らなかった。気まずさがサラの口を閉ざして、それ以上同じ話題を続けるのを防いでいたのだ。

 テルンがこうしてすぐに寝込んでしまったのは、無為なベッドの譲り合いで睡眠時間が削れるのを心配したのではなく、間が持たなかったのだろう。別に言わなくても良いことだったということを、テルンはもちろん分かっている。だから、その責任をちょっぴり感じていた。

 サラはかび臭いベッドに顔をしかめながらも、贅沢は言うまいと仰向けに倒れ込む。

 ところどころ腐りかけ、いつ落ちてもおかしくないような天井をじっと観察したところで、一日の、いや、たった数時間の夜の出来事を振り返った。

 刺激的、というにはいささか度が過ぎるような体験の数々。屋敷を抜け出してから、こうして横になる、たったそれだけの間にぎゅっと詰まったそれらを、サラは持て余してしまっていた。今までの生活と一線を画した世界が、こんなに近くにあっただなんて想像もしていなかったし、何より信じられないのが、それを共にし、窮地を助けられるにまで至ったのが、この、自分より弱い男の子だったということ。

 思い出すと羞恥やら屈辱やらで頭を抱えて転がりたいという衝動に駆られるが、そんなことをすればこのベッドは崩れ去ってしまうだろうと、理性を働かせて押し込める。

 ただ、そんな気持ちの中に、今までに味わったことのない、新しい感情が含まれていることを、サラは案外不快感なく受け入れていた。


 *     *     *


 結果から言うと、サラが母親に会うことは叶わなかった。朝一番、何やら騒がしいと思い起きて見れば、ケミル家の雇っている傭兵達が詰めかけ、暴れるテルンを羽交い絞めにしているところだった。どうやら正しく情報が伝わっていなかったらしく、傭兵達はテルンのことを賊と勘違いしていた。サラが慌てて止めに入らなければ、怪我の一つでもしていたかもしれない。

 屋敷に帰ってみればサラの父親は呆れ半分怒り半分でサラのことを叱り、一方のテルンはハル・アリアにげんこつでごつんとやられた後、どうして俺も誘わなかったと怒られていた——この後ハルはサラの師匠に怒られた——。


「どうして私まで怒られたのよ……。私は被害者なのに!」

「えー? 本気で嫌ならいくらでも拒否出来ただろ? 屋敷を出るより前にさ」

「それは!……そうね、そうなるわよね」


 罰として両者は、一日剣を握ることを禁止され、ハービットの監視の下、サラの勉強部屋にかんづめ状態を強いられている。サラはまじめに机に向かいながら、テルンは早々に飽きて部屋にある本を適当に引っ張り出し、椅子に胡坐をかいてその上でページを捲っている。


「また次の機会があったら、また行ってみようぜ。今度はもう少ししっかり準備して……」

「行かないわよ。……ぜ、全然、楽しくなんかなかったし」

「そうか? 俺にとっては、悪くなかったぜ。お前と街を歩くってのは」

「……そう」


 それきり言葉を交わすこともなく、花見の後のように静かに過ごして、一日を終えた。

 テルンは数日後にはハル・アリアに連れられて屋敷にお別れを告げたが、月に一度、修行としてサラの道場を訪れ、同じようにサラの屋敷に泊まり込んだ。その度にテルンはサラに屋敷を抜け出そうと提案して、サラはぶつぶつと文句を言いながらもテルンの横に並び、夜の街を闊歩する。誰にも打ち明けなかったが、サラはこの時が毎度楽しみで仕方なかった。お嬢様としての仮面を放り投げて、遠慮なく、思うがままに楽しんでいたのだった。

 そんな二人の関係が一年ほど続いた頃。その日は夏の日で、分厚い雲が空を覆っていた。昼間からやけに暗く、ほんの少し肌寒く感じるような気温だった。


「よっ」

「いらっしゃい、久しぶりね……その子は?」


 出迎えたサラの視界には見慣れない女の子が映っていた。テルンの後ろに隠れ、恐る恐ると言った様子でサラの顔色を伺っている。頭の上で猫の耳が小刻みに動き、お尻の辺りからはフサフサとした尻尾がゆらゆらと揺れている。


「こいつの名前はメロン。いろいろあって、今はハルのところで一緒に修行してる」

「人間じゃ……ないの?」


 その一言に、メロンは強く身体を震わせる。元々大きくない身体はさらに縮こまり、消えてしまうのではないかと心配される程度に弱々しかった。


「人間と亜人のハーフだ。ちょっとナイーブなところもあるけど、いい奴だよ」


 テルンは後ろに隠れようとするメロンを前に押し出す。恐々とサラを見上げるその様は、サラの堂々とし過ぎている態度と相まって、まるで小動物がライオンににらまれているようだった。


「わ、私……」

「何? 聞こえないわよ!」


 そんなおどおどとした態度が気に入らず、サラは思わず声を荒げる。


「そんなひ弱なことでどうするの! 剣術は甘くない、もっと声を張りなさい!」

「ひぃっ!」


 メロンは脱兎——脱猫のごとくサラの正面から逃げ出し、さっとテルンの後ろに収まってしまった。


「あんまりいじめるなよ」

「いじめてないわよ!」


 サラは、メロンとテルンを見ていると無性に気が立って、怒鳴るような真似までした自分に驚いていた。そして何が原因かはなんとなく察しがついてしまっていたが、それ以上は気づかない方がいいと、なんとなくのままで心に仕舞った。

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:PlaceMentS 涼成犬子 @075195

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