名前の無い者は語ることができるか

 今、私が最も新作を待ち望んでいる作家であるといえる。
 アノニマ、名無しと名乗る主人公は、それなのに強く、雄弁に語り、機転を利かして進んでいく。そもそも、初対面の挨拶からはたまたインターネットサービスのアカウント作成まで明示的/非明示的に強制される「名乗れ」という命令は、名乗ると不利になる状況を持つ社会的弱者にとってダブルバインド的に映ることがあるが、さて、戯れて自らをアノニマと呼ぶ強さを持つ時点で、主人公は既に弱者ではないと言えるだろうか。
この物語のモチーフは酷く寓話的(本質的)であるにも拘らず、世界を捉えようと、登場人物、さらには物語自体がもがいているように見える。弱者と称せられ勝ちな者は、あるいは死に、あるいは生き残り、他者の声/内なる声にうわごとを言わせるように展開していく物語は、弱者とは何なのか、阻害されているとはどういうことかを読者に考えさせてしまう(と私が勝手に考えている)。それは絶対的な著者/話者が弱者である他者を内包し、代表するなどという意識とは程遠いものだろう。
文章や言語、言説が、指し示す対象を代弁し、それに取って代わろうとする作用を持っているとすれば、レビューと呼ばれるものはそれをあからさまに体現していると思う(原文のフレーズを引用するなどは、特に顕著な行為だ)。言説に寄り沿っているという体を装いながら、自らの正当/正統性を担保しようとする権力作用が働いていると感じる。
それでもこの作品にレビューをしてしまうのは、日本語で書かれたこの作品は他でもなく日本人に向けられ、問われていると感じてしまったからだ。是非他の方にも読んでほしい、と私は考える(主体、是非、意思表示、時制など印欧緒語であれば多くは文頭にて提示されるであろう情報を文末に置き勝ちな日本語の狡猾さを最大限に利用し、曖昧にしようとする私を、あなたが今観測した)。

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