魔王ちゃんと私のお話

広野 狼

第1話



 室内は、緊張に包まれていた。

中央に立ち呪文を唱え続けるのは、この国の王子である。この儀式そのものは、何十年かに一度の割合で行われているものであり、ほぼ失敗はない。

正し、儀式を行うには、色々と制約も付いてくる。その最たるものが血の制約であり、そのため、この国での王族はただ一つの血を脈々と伝えてきた。

王族という権威をもって守らなければ拡散して絶えてしまうかも知れないという懸念の元、王族という地位を与えて囲ったまでは良かったが、それ故の質の低下までは、想像出来なかったのだろう。

現国王は力衰え、儀式を行っているのは、第一皇子。

決して質が良いとは言えないというのが、家臣ともどもの感想である。表だって言いはしないが、そろそろ儀式そのものも危ういかも知れないと思っていた。

言葉が閉じ、方円が光る。儀式が成ったことを知らせる光りに一同はほっとしたが、それだけでは済まなかったことを後に思い知らされることとなった。




 それは突然の感触だった。

ぼんやりとした空白を突くように、一瞬にして力に絡め取られたのを感じる。

はっと思った時には一気に後ろに引き摺られて、世界が暗転する。

何かに捕まらなければと思い、手を伸ばしたが、その手は何にかすることもなく滑っていく。

その瞬間、何かを納得した。こう言う仕組みなのだと。そうなればここにもう戻ることはないのだろう。

納得するが、戻れないことに対しての絶望はない。問題はこの落ちた先のことだ。わざわざ選別して召喚しているのだから、それなりに何とかなるのではないかと考えはするが、選別した上でろくでもないと言うこともあり得るなと、意識まで黒く染まる寸前に思い至り、溜息を吐いた。




 方円の中に現れたのは、小柄な女性だった。

ぐったりと気を失ってるのを見て、皆慌てて女性に駆け寄る。そんな中、儀式を行っていた皇子だけが、ぼんやりと慌てる姿を眺め、小さく肩をすくめるといち早く退室していく。

その気配を感じ取った何人かは、溜息を吐く。

この国はそろそろダメかも知れないと、心の内で思いつつ、誰も何も言わなかった。

今はそれすら些末なこと。目の前で気を失っている女性を保護するのが先だ。召還後に気を失っているなどはじめてのことだ。

兎に角、女性を寝室に運び容態を確認するのが先決だと、きびきびと動き出す。なにより、世界の命運は、この女性に掛かっているのだ、無碍になど出来るはずもない。

 「気を失っているだけなら良いのですが」

召喚したのがあの皇子であるというのも不安要素の一つであった。

けれども、儀式そのものは成ったのであるから、それなりの状態であるはずだと、少なくともそこにだけは希望を見いだしたいと思う。

 「元がアレだから不安しかないよね」

主の主軸となるものがあの皇子であると考えると、現状すら恐ろしいと、歯に衣着せぬ言葉を投げる。

誰もが頷きそうになるのを必死に堪え、なんとか、その場に居た女性だけで、女性を担ぎ上げると、寝室へと運んだ。

ベッドにそっと寝かしつけ、ほっとひと息付く。

あとは、医師の役目だと、彼女の周りから離れると、やってきた医師が魔法で彼女を精査する。

どうやら儀式そのものはきちんと成功していること。女性がただ気を失っているだけだと言うこと。

そして。

 「彼女には、魔力があるように感じられます」

医師がそう言った瞬間、場が凍り付いた。召喚される人間は魔力の無い。けれども魔力の器の大きいものだ。そう指定して召喚しているはずなのだが、元を思い出し、この程度の事故で済んだことを喜ぶべきなのだろうかと考える。

その程度で済むはずもないかと、その場に居たものは溜息を吐いた。

 「我々が彼女に説明をします」

男女一人ずつ。騎士の態をしているが、未だ騎士ではない、そこそこの氏族の娘。地位もない成り上がりの騎士の二人組だ。

庶民の貴族の社会を教えるのには確かにうってつけであろう二人の申し出に、中のいつ版の権力者が頷いた。

 「女が居た方が彼女の警戒も薄れよう。がちがちの貴族に上から説明されるのを大概渡ってきたものは気に入らぬようであるし、丁度良い」

理由を告げられれば、あまりの言葉に、二人の頬が引きつった。

 「まあ、上手くやれ。魔力があると言うことは、彼女が聖女でない可能性もある」

儀式が成った上で、魔力が使えるとなれば最悪の事態もあり得る。

上司とも言えるこの場の最高位の人間は、嫌味ではなく言ったのだ。彼女の機嫌を損ねれば、それがすなわち身を滅ぼすことになりかねないと分かったために。

 「肝に銘じておきます」

ぞろぞろと中に居た人間が退室すると、二人はそっと顔を見合わせた。

この世界では、聖女と言われる魔力の無い人間を呼び込むのが習わしとなっている。聖女とは、この世界に居る魔王を閉じ込める籠のことで、故に魔力を扱えないと言うことが最低条件であった。

そして、聖女はこの世界から元に帰ることは出来ない。そのため、世界と遠薄い人間が呼び込まれる。

世界が連れ戻そうとしない。世界にすぐ忘れられてしまう。世界と結びつきの薄い、そんな人間を。

 「恐ろしい人間には見えないけど」

 「中に魔王がいるんだから、元の人格をどうこう言っても仕方ないんじゃないか?」

 「確かに」

ぐっすりと眠っているように見える女性の顔を覗き込み、二人はそんな話しをする。

その間も女性は起きる気配はなく、ただ寝息が聞こえるのみだった。




 それから三日。

飲まず食わずであることを考えれば些か衰弱もあるのではないかと思われた女性は、見るからに健康そうに眠っていた。

 「どう考えても魔力使ってるよね」

ぼそりと女の方がいうと、男の方は、嫌そうに目を細める。

魔力を流して生命を維持する。簡単なことではないが高い魔力を要するものであれば、意外と簡単にやってのけるらしい。そのため、魔力の器の多いものは長命になる。

聖女は魔力のないものがなると言うのが本来であるから、この現象はあまりよろしくはない。

けれども、二人は揃ってそのことを口を噤んでいた。

衰弱していて、食事を上手く摂れていないと嘯いて、ここで食事を摂っているように見せかけていたのだ。

そんな小細工がどこまで通用するか分からないが、魔力を使っているのがばれた時点で否応なく殺される可能性もある。

少なくともそれだけは回避したかった。こちらの都合で呼び込んだものを更にこちらの都合で殺めるなど、一体どれだけ自分本位なのだとは、女の言葉だ。

その言葉に男も同意したからこそ、この状態を三日間保たせることが出来ている。

しかし、これにも限界があるだろう。

 「せいぜい誤魔化せてあと二日程度だよね。どうする?」

 「最悪担いで逃げるか」

 「手に手を取って逃避行か。良いね」

ケラケラと楽しそうに女が笑うと、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 「その必要は無いです」

唐突の声に、女と男は、思わず辺りを見回して、そして、最大級に怪しいはずの寝ている女性を見た。

そこにはちょこんとベッドの端に座っている女性と、一体何処から現れたのか、ぬいぐるみのような物体。女性はそれをが抱えていた。

 「この世界のことはだいたい、この魔王ちゃんに聞いたので」

抱え込んでいるぬいぐるみのような物体を見詰めてそう言えば、その物体が声を発した。

 「ふむ。我が説明はしておいたぞ。我のことでもある故な」

姿に似合わぬ古めかしい言い回し。魔王と言われればそうであろうという言葉遣いであるが、如何せん姿がずんぐり過ぎて、威厳が欠片もない。

あまりのことに呆然としていたが、はっとしたように女が片膝を付いた。

 「聖女様。このたびは我らの召喚にお答えいただきありがとうございます」

女の態度に慌てた男も同じように剣を置いて片膝を付いた。

戦闘の意志がないことを知らせ、剣を下に置いたのを見て、女性はやっと気配を緩める。

 「実は、この数日、あなた方のことは見ていたので、それほど心配はしてなかったんですけれど」

 「彼女はどうしてもお前達からの説明も聞きたいそうだ」

 「あー。ですよねー」

男はまず、自分の名を名乗った。

 「俺は、民間の出です。今は騎士としてここに居ます。名は、ルクス。氏はありません」

 「わ、私は、この国の氏族の出で、八女とかもうどうでも良い感じだったので、騎士になろうと出てきました。名は、ルーリー。ここに来た時点で氏は捨てておりますのでご容赦を」

魔力を扱っていることは分かっているため、二人の緊張は否応なく高まっていた。

二人は一体何処から説明したものかと考えていると、女性がとんとベッドの上から降りる。

何をするのかと、その一挙一動に緊張している二人を余所に、彼女は魔王ちゃんといったそれを抱き締めながら、深々と一つ頭を下げた。

 「私の名前は、甘乃木です。初めまして。ルクスさん。ルーリーさん」

 「へっあっ。はじめまして、アマノギ」

 「初めまして」

慌てて、二人も挨拶をすると、甘乃木はにこりと笑った。

 「さて、これで私たちは第一段階のお知り合いになりました」

ぽやんと笑っているが、結構えげつない性格をしていそうだと感じ、二人は笑顔が引きつる。

名を名乗り合うまで、互いの関係は、なにもないも同然であった。人という認識ではない。互いに思い入れのないもの同士。害そうとも呵責の感じない関係であったのだと、言外に彼女、甘乃木は言ってのけたのである。

現在は、とりあえずお互いに言葉の通じる人という距離となり、知り合いという関係に成ったが、あくまでそれは名を知っているという程度の関係だ。

ここから上手く関係を作らないと、どうなっても知らないと、脅されているのだろうかとまで二人は穿った考えを持つ。

実際、甘乃木はそれに近いことを考えていなかったわけではない。けれども、先ほども言ったように、甘乃木は見ていたのだ。二人の行動を。

魔力を使っていることを知っても、二人はそれを周囲にばれないように隠蔽をしてくれた。

少なくとも信用出来ると思ったからこそ、こうして目を開けたのだ。

 「出来れば、友人になりたいものですね」

にこりと甘乃木が笑う。

二人は、最初に感じた自分の感覚が間違っていなかったことを痛感する。

確実に甘乃木は一筋縄ではいかない性格だ。

けれども、同時にそれは二人にとっては頼もしくはあった。聖女などと言って、祭り上げ、いい気にさせて上手いように囲い込み、この世界で生きて死んで貰うのだ。

それを上手くサイクルとして回すことが大切であるのだが、今回は実にイレギュラーな状態となっているため、二人も些か対応に戸惑っている。

上手く隠してと言うわけにもいかないのは、彼女が抱えている「魔王ちゃん」と甘乃木が呼んでいる存在だ。

おそらくアレは、真実魔王なのであろう。どうしてそれが外に居るのかというのも大問題だ。

 「降参」

とっとと白旗を揚げたのは、ルーリーだった。それに対してルクスも肩をすくめながら同意する。

 「アタシ、元々腹芸とか得意じゃないの。だから騎士になろうと思ったの。腕っ節はまあ、そこそこあったしね」

 「実力で成り上がるにもここまでが限界かなって言うのが俺だしな」

所謂、落ちこぼれに近しい二人であると言うことだ。少なくともこの社会では。ただし、そこそこの地位もあるため、食いっぱぐれることはない。実力も全くないというわけでは無いので、余程のことがない限り、命の危険はあるまいと言う、毒にも薬にもならない位置で、のんびりとのらくら躱しているというのが、二人の見解であるのだが。

 「腹芸はそこそこ出来る方が生きやすいですよ」

こてんと首を傾げて辛辣なことを言う甘乃木に、二人はぐっと言葉を詰まらせる。

 「まあでも、お話相手としては信頼度は多少上がりますね」

そう言うと、甘乃木はテーブルに座ると、用意されていたティーセットで器用にお茶を入れていく。

二人の分も入れるのはまだしも、魔王ちゃんと言ったどう考えてもぬいぐるみにしか見えないものにも入れていた。飲めるのかと凝視していれば、なんて言うことないように飲み始める。

なんとなく理不尽を感じつつも、入れられたお茶を飲み始めた二人に、甘乃木は溜息を吐いた。

見ず知らずの他人が入れたものを疑いもせずに口に入れるとは、騎士としては失格なのではないだろうかと、甘乃木ですら思ってしまう。

けれども、それは同時に甘乃木にとっての脅威ではないと言うことでもある。

二人は曲がりなりにも騎士である。口が堅いのは、なんとなく察することが出来た。少なくとも甘乃木に不利になることはしないだろう。

そんなことを考えていると、ルクスがにっと笑う。

 「俺たちはアンタを疑ってないって信用して貰えたか?」

言葉の意味を咀嚼するのにしばらく時間がかかる。そうしてしばらく経ってから、やっと、甘乃木は、二人がなにも考えずに口を付けたわけではないと理解した。むしろ、甘乃木を無条件で信用するという意思表示であったのだと。

 「私がすごい極悪人で、あなたたちを簡単に従えてしまうような魔術を持っているとか、考えた方がいいですよ。たぶん」

 「アマノギの居たところはそう言う物騒なところだったんだ。まあ、ここも安全とは言いがたいけど」

 「まあ、お互い何かを疑ったままだと、簡単な話すらも信じられないだろ」

ルクスは兎に角建設的で、ルーリーは享楽的だ。それでも二人が反発していないのは、性別が違うことと、ルクスがだいぶ折れているからだろう。

そんな二人を見て、甘乃木はやっと、ほっとした笑みを浮かべた。

 「いいでしょう。今この瞬間から、一蓮托生と言うことで」

にこにこと、腕の中にいる魔王ちゃんも笑っている。

 「うわー。嫌な予感しかしない」

楽しそうに笑いながらルーリーはそんなことを言った。どう考えても現状を楽しんでいる。そんなルーリーを見て、ルクスはダメな子を見るような瞳を向けていた。

 「まずは、あなた方からのこの召喚の理由を教えてください。魔王ちゃんの話はその後で。かなり長いことになると思うので、あと三日くらいは、私が養生中だということにして、あなた方以外は入れないようにしてください」

甘乃木の言葉に、ルクスはいちいち頷いて、了承を示す。

 「了解。下手に色んなところから自分たちの思惑混じりの話しをされてごっちゃになったのを精査すんのも面倒だろうし。なにより、俺たちは一番最初にそれの説明が聞きたいっ」

魔王ちゃんと甘乃木が呼んでいるもの。それが正しく魔王であるのならば、色々と問題もある。

それをどうにかするための時間がルクスとしては欲しかった。

 「ええ。それも含めて三日です」

心得ているといった風な甘乃木に、ルクスはほっとする。さすがに、ルーリーの奇行を受け入れるのとは訳も規模も違う。簡単にはいそうですかと言うことはたぶん出来ないだろうし、それを人に知られて大丈夫であるかどうかの判断が出来るのは、ルクスとルーリーだけだ。

甘乃木の身の安全を確保すると考えたとき、それは絶対に必要になることだった。

そんなわけで、召喚から約三日。甘乃木は、この世界の成り立ちを、人の口から聞くことになった。

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