第41話

「みんな遅いね」

 俺とリョーコはプールから上がり、同じデッキチェアに並んで腰をおろしていた。

「でも凄いよね中之森先輩。ここのホテルの株式の3パーセントを持ってるんだもんね。3パーセントっていくらぐらいなんだろ?」

 正確にはここのホテルと鉄道を合わせたグループ全体の3パーセントらしい。配当だけでかなりのものだろう。しかも親とかではなく中之森先輩本人の名義らしい。

 なんでそんなお金持ちが、県立の高校なんかに来たんだろう? 普通は設備のいい私立に行くんじゃないかな?

 まあいいか、人にはそれぞれ事情があるさ。

 俺の左側に座るリョーコは、手を握ってきた。そのまま左腕にもたれかかる。そこには、あの日の傷痕きずあとがあるのだが、もう注意して見なければ分からないくらいに目立たなくなった。こうやって、いろんな傷も痛みも消えてしまうのだろうか。忘れたくない思いも、時間とともに薄らいでしまうのだろうか。

 それは、15歳の自分には、想像の彼方にあった。

 今の自分にできる事は、大切だと思える物を大事にしたい。それくらいしかできそうにない。そう、リョーコのように……。


 急に、ドカドカという形容そのままに、匂坂部長たち3人がやってきた。なぜか恥ずかしくなりお互いパッと手を離す。


「いやーお待たせお待たせ! 去年の水着キツくて入んなくてさあ。サオリンに新しいの買ってもらっちゃったの、ほら見て!」

 どこがキツかったのかは聞かなくても分かった。歩く度に青いビキニからこぼれ落ちそうで見ていて心配になってくる。

「凄いよね、ちょっと連絡したらお店の人が水着いっぱい持って飛んでくるだもん!」

「中之森、さんざん世話になって言う台詞では無いと思うが、友人を甘やかすのはよくないぞ」

「はい、承知しているつもりです」

「そう固いこと言わないの先生。化学部の問題解決しちゃったんでしょ?」

「え! ホントに?」

「あれ? 先生から聞いてないの?」

 太田先生はわざとらしく咳をして言った。

「あー、さっきの電話なんだが、八木先生からでな、どうやら県知事に近いところから、化学部の処分について、楠木高校に確認の電話をしてきたらしい。生徒の活躍で管理不十分な薬品を発見できたのに、その生徒の活動を制限しようというのは本当なのかと。かなりキツイ電話だったらしいぞ。おまけに週刊誌記者を名乗る人物からも問い合わせがあったらしく、学校は慌てて処分撤回。処分そのものが無かった事になったんだそうだ!」

 なんだそりゃ!

「だから! 今日は飲むぞ!」

「先生、お供します!」

「匂坂はメチルでも飲んでろ!」

「先生ヒドイ! あ、堀川くんナニ笑ってるのよ?」

「え? えと、えと、いやー、あの、水着だとさすがに匂坂部長も薬品とか隠し持つのはムリかなーって」

「そう? どこかにはいってるかもよ?」

「コラ! 下品だぞ匂坂!」」

 キャーキャー言いながら逃げる部長さんを太田先生が追いかける。

「こら、プールサイドを走るんじゃない!」

「先生だって走ってるじゃない」

「なんだと! 教育的指導だ!」

 先生は部長の腕をつかんで振り回してプールに投げ込んだ。続けて先生もプールに飛び込む。まるで女子プロレスだよ。


「あの2人、仲が良いわね」

 プールで子どものようにはしゃいでいる太田先生と匂坂部長をながめ、中之森先輩がつぶやく。先輩は手にビーチボールを持っているが、よく見たら水分子の形をしていた。そんなビーチボール市販されてるんだ!

「堀川くん、いろいろありがとう」

 え? 俺は何もしてないけど?

 中之森先輩は、正面から俺の目を見て話を続けた。

「あなた、意外と策士さくしよね。弾着の仕掛けで、ゴムやナプキン、血糊まで市販の物を使うのが普通なら、火薬だってそうじゃなきゃおかしいわよね? 火薬は市販の爆竹、発火装置はフィラメントを使えば弾着の仕掛けはできると、情報部に教えるだけで良かったはずよ。

あなた、私たちをまとめるため、わざと言わなかったでしょ」

 リョーコが驚いた顔で俺を見ているのが分かった。

「それを言うなら、知事に近い筋には誰が楠木高校の内情を伝えたんでしょうね? 普通の人には伝手は無いと思いますよ」

「あなた……気に入ったわ」

 半分ハッタリだったが、ビンゴだったらしい。

「本当に、あなたを気に入ってしまったみたい……」

 え? なんか顔近くありませんか中之森先輩?


 いきなり横から馴染なじみのある平手が顔面に飛んできて俺は突き飛ばされた!

「ちょっとちょっとナニしてるんですか先輩!」

「それは俺の台詞だ! この状況でなんで俺が突き飛ばされなきゃならないんだ!」

「なによ、男の子でしょ! それくらいガマンしなさいよね! だいたいデレッとしてみっともないのよ!」

「俺がいつどこで誰とデレッとしてようがお前に関係ないだろ!」

「このに及んでなによ! いい加減に観念しろ!」

 俺の背後にまわってスリーパーホールドをめながら言う台詞かそれが!

「冗談よ、冗談。堀川くんに手を出したら大変ですもの。私あなたに頭を蹴られて救急車に乗せられたくないから」


!!!!!


「2人ともそんな顔しないで。今日は楽しみましょう。だってあなたたちこれから忙しくなるのよ。情報部の映画の手伝いだけじゃなくて、私たち化学部の文化祭の準備も急いで始めないと。処分撤回だから当然でしょ? それに、来年はあなたたち2人が部長と副部長よ。」


 え? 考えてみれば1年生は2人しかいないから、そうなるのか。


「だから、今日は1日、おもいっきり遊びましょう」


 そう言った中之森先輩は、薄っすらと、いたずらが成功した子どもの眼をしていた。

 中之森先輩はくるりと振り向くと、水分子のビーチボールをプールの部長さん目掛けて投げ込んで、そしてキレイなフォームでプールへ飛び込んだ。


「やられた、な……」

「そうね、やられちゃったね……」

 俺とリョーコは、先ほどのスリーパーホールドの形そのままでプールサイドにへたり込んだまま、呆然としてつぶやいて、そしてお互い堪えきれずに笑いだした。2人とも涙が出るくらい大笑いを続けた。

 スリーパーホールドの、いや、背後から密着して両腕を俺の首にまわしたままの姿勢から、リョーコは問いかけてきた。

「ところでコーチン、化学部が廃部になってたら、空手部に入りなおすつもりだった? もう空手するの怖く無いんでしょ?」

「え? それは考えて無かったな! なんでだろ? 今の化学部のつながりを守る事しか考えて無かった」

 俺の答えを聞いて、リョーコはにっこり微笑んだ。


 見上げれば抜けるような青空が限りなく拡がり、太陽は容赦ようしゃなく照りつけている。


「おーい! 何やってんのよ! 早くこっち来なさいって!」

 プールで匂坂部長が手を振っている。中之森先輩が、太田先生が待っている。


 俺の横には、それが当然という顔でリョーコがいる。その目が「着いて行くから」と語っていた。


「よし、行こう!」

 俺とリョーコは駆け出した。

 みんなの待っているところへ。

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めんでれ 皆中きつね @kit_tsune

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