リアル


気が付くと、ぼくはベッドに寝かされていた。


カプセル型のそこには、頭上によくわからない機械が沢山取り付けられている。


ピリッとした痛みが一瞬走って、耳の中から小さな金属片がこぼれ落ちた。


ぼくは、頭のコードを抜きながらゆっくりと起き上がる。


気付けばすぐ隣で、遊安が不思議そうにぼくを見つめていた。


「遊安、ココは一体……?」


けれど、遊安は何も答え無い。


それどころか、ぼくを見つめたまま動かない。


「遊安?」


ぼくと同じタイミングで、遊安もパクパクと口を動かす。


「おい…………」


遊安に向けて、手を伸ばした。


冷たい壁に遊安も手を伸ばして、ぼくらはお互い同じ動きで見つめ合っていた。


「コレは…………」


ぼくは自分の顔に触れる、すると遊安もぼくと同じ動きをする。


「気が付いた?」


後ろから、男の声がした。


振り返るとそこには……、



ぼくがいた────



ぼくだけれど、ぼくより少し大人びて見える。


白衣を着たその男は、ぼくを見つめていた。


「君が、本当の絆。そして、僕が良太郎……。ココは、国の研究施設、僕は、ココの研究員をしている」


ぼくは……いや……、<私>は、少しずつ記憶が戻る感覚がした。


「ココは、なんの研究をしているの?」


「犯罪者とそれに精神感染されたとされる[フォリア・ドゥ]の患者の研究をしている」


「[フォリア・ドゥ]……あの感染病……ぼく……ううん、私は……どうしてココに? その病気なの?」


「違う。……君は、僕の兄が、僕の家族を殺害している現場にいただけだ……」


一瞬、頭の中にまるで電気が走った様な感覚がした。


靄がかかっていた記憶が鮮明に映画でも観ているみたく、私の頭の中で流れ始める。


そうだ、全て思い出した──


良太郎さんは私たちの幼なじみだった。


兄さんと同い年で、兄さんの親友。


よく妹の私とも遊んでくれて、いつも三人で一緒にいる事が多かった。


彼は物知りで、一緒にいて楽しかった。


良太郎さんのお父さんは、偉い学者でお母さんはお医者さん。いつも、仕事が忙しくて家にはいない。


彼にも歳の離れたお兄さんがいて、お父さんと一緒に色々な研究をしていると聞いていた。


「良太郎さんのお兄さんってどんな人なの?」


「……あんまり話した事無い……。いつも、難しい話しを父さんとしてる。でも、虫を捕ったの僕にくれたんだ。この前も大きなカブトムシをくれたよ……」


「へぇ~優しいな~、うちのお兄ちゃんなんてこの前、私が冷蔵庫に入れたプリンかってに食べちゃったんだよ~」


私の話しに、良太郎さんは微笑んでいた。


三人の秘密で、空き家で子猫を飼っていた事もあった。


名前は、[デビルズ・ハート]赤いリボンを良太郎さんは首に巻いてやって、そう命名した。


意味は無い、強そうだからって言っていた。


その時は、子猫の名前が三人の合い言葉になっていた。


三人だけの秘密。


私はそれが嬉しかった。


良太郎さんと兄さんは、よくゲームセンターに一緒にいた。


ちょっと古いレトロゲームのいっぱいあるゲームセンター。


私もそこに行って、二人のゲームする姿をずっと見ていた。


「兄さん、また学校さぼってゲーセン?」


「別にいいだろ?」


「良太郎さんも付き合う事ないですよ?」


「良太郎はオレの味方だからな、絆は早く学校行けよ」


「絆も学校さぼっちゃえば?」


「こら、妹を悪の道に勧誘するな」


何気ない日常は、このままずっと繰り返されていくんだと思っていた。


変わらない、そんな保証はどこにも無かったのに……。



そして、あの事件が起きたんだ。



兄さんが殺された。


あの日、いつもみたいに三人でゲームセンターで待ち合わせをした。


良太郎さんは少し遅くなるって言っていて、私も学校で遅くなってしまった。


兄さんは一人ゲームセンターで私たちを待っていた。


そして……杉原に──


あの時、良太郎さんを呼びに私は走った。


でも、間に合わなかった……兄さんは死んだ。


殺されるなんて想像していなかった……。


警察は、杉原の言いなりだった、杉原は咎められる事も無かった。


兄さんが死んで、良太郎さんは私の兄さんみたいに色々と面倒をみてくれた。


きっと、良太郎さんの中の罪悪感が、そうしていたのかもしれない。


次の年、私は高校生になり良太郎さんは大学に進学。


お父さんやお兄さんと同じ、脳科学を専攻していた。


難しい事はわからなかったが、私は良太郎さんを尊敬していたし、憧れていた、好意を覚えていた。


勉強を教えて貰うという名目で、しょっちゅう良太郎さんの家に遊びに行った。


「良太郎さん、勉強教えて欲しいんだけど~」


「……いいけど、友達はいいのか? 僕のウチばかり来ている気がする……」


「いいの、いいの!」


本当はこの時、私はクラスで孤立していた。


理由は、特に無い。


いじめられていた訳でも無い。


ただ、なんとなく馴染めずにいた。


兄の死が心のどこか深くに刺さり、心の奥から笑えなくなってしまった。


自分の感情を表に出せず、他人との距離もよくわからなくなっていった。


でも、良太郎さんには嘘を付いていた。


心配させたくなかったし、本当の事を言って嫌われたくなかった。


いつも兄の事を忘れたかのように、私は明るく快活な自分を演じた。


クラスでも、友達が沢山いるフリをしていた。


「それでね~、この前も昼休みに、みんなでコンビニの新作スイーツの話してて~……」


「楽しそうだね、絆の高校生活は」


「うんっ! 楽しいよ~! 友達いっぱいいるし、あっ……、でも、良太郎さんといる時の方が、私は私らしくいれる気がするんだ」


この時、とても、顔が火照ったのを覚えてる。


「……僕も、そうだよ」


そして、嬉しかったのも思い出した。


きっと、私はこの時が一番幸せだったんだ……。



それから一週間後、私の運命を更に変える事件が起こった。



アレは……。




良太郎さんが一人暮らしをする為に、引っ越す日の前日。


「なんにもないね……」


無機質な古いマンション、打ちっぱなしの曇り空みたいな壁と、簡素なベッドに小さな冷蔵庫。


まるで簡易宿泊施設みたいな生活感の無い部屋。


私がその部屋に行ったのはその時の一度だけ……。


部屋を見せて欲しいって無理言って連れて来てもらった。


「明日、部屋から本とか服の入った荷物が来るから……」


「そういうんじゃなくて、もう少し華やかさがあった方が女の子呼べませんよ?」


「どうせ絆しか来ないから……」


「……だ、だったらソファくらい置いて下さいよ……」


「わかった……」


「もう荷造りは終わったんですか?」


「いや、まだだけど……」


「じゃあ、明日は私手伝いに行きますよ」


「大丈夫だよ、絆は学校あるだろ?」


「平気平気! 良太郎さんの事だから、どこに何入れたとか忘れてわからなくなっちゃいますよ?」


私は強引に彼の引っ越しの手伝いを申し出た。


そして、学校帰りに彼の家を訪れた。


インターホンを鳴らす。


何の応答も無い、もう一度鳴らす、やはり応答は無い。


約束の時間は過ぎていない。


荷物を運びに業者が来るのもまだのはずだ。


(おかしいな……)


門をくぐり、扉を数回ノックした。やはり応答が無かった。


けれど──


『ガタンっ!!』


重い物が床にぶつかる、そんな音がした。


私は、良太郎さんの家のクラシカルな扉を見つめていた。


ノブも今どき珍しい丸くて金色の可愛いデザインで、私はそれを気に入っていた。

試しに、ノブに手を掛け回してみる。


鍵のかかっていない扉は、スーっと開いた。


中を覗く、カーテンが引かれ、照明の付いていない廊下は真っ暗で、先は何も見えない。


「すみません! あの~、どなたかいらっしゃいますか?」


私は、中に向かって声を掛ける。


応答は無かった。


「良太郎さん?」


彼の名前を呼んでみる、やはり応答は無い。


気が引けたが、物音の事が無性に気になった私は、家の中へと入って行った。

暗闇に慣れて来た目で辺りを見回すが、よくわからない。


そんな中、うっすらとした明かりが視界の端に映った。


(こんなトコに、部屋があったんだ……)


それは、良太郎さんの家に頻繁に遊びに来ていた私も、初めて気付いた扉だった。


明かりは、階段の下にあるその扉の開いた隙間から差し込んで来ているみたいだ。

私は、扉に近づいて耳を澄ませた。


誰か人のいる気配を感じ、そっと扉を開けると蝋燭の灯かりを辿り、細い廊下を通ってアノ部屋に来た。


部屋の中は、沢山の並べられた燭台でかなり明るかった。


そして、部屋の中央に誰かがいた。


しゃがみ込んで何か作業をしているのか、モゾモゾと動いている。


なんだか来てはいけない場所で、見てはいけないモノを見たと、私は後悔した。


そっと、ココから出ようとした。


しかし、慌てた私は燭台に躓き、物音を立てしゃがみ込む人物に気付かれたのだ。


ゆっくりと、その人物がこちらを向いた。


知らない人物だ、でも、どこか少し良太郎さんに似ている感じがした。


けれど、そんな事より私の目をその人物が釘付けにしたのは、何故かその人が全身真っ赤だった事だ。


顔も体も、手も、その手に握られた銀色に光るメスも赤く染められていた。


そして、その人物の足元には人間なのか人形なのかわからない、まるで人体模型の如く綺麗に皮を剥がれた人間が二人倒れていた。


「ひっ──!!」


私は声にならない悲鳴を上げ、そのまま意識を失った。


どのくらい時間が経っただろうか、私の耳に高く響く耳障りな音と人の声が聞こえて来た。


(サイレン……? 誰かいるの?)


うっすらと見える瞼の隙間、白い防護服を着た人達が私を担架に乗せ運んでいる。


「感染者か!?」


「おそらく……」


「キャリアは……」


(何の話をしているの……?)


私の意識はそこで途切れた。




気が付くと、病院にいた。


あの倒れていた二人は良太郎の両親で、殺したのは良太郎のお兄さんだと、病院に私の話しを聞きに来た警察の人から聞かされた。


そして、殺人現場を見た私は、重要な証言者であると共に、この国の新しい法律が生んだ、[殺人者影響予備人物]だと診断されたのだ。


[殺人者影響予備人物]とは、猟奇的な殺人者の殺人現場を、間近で直視し遭遇した人物が精神感染病[フォリア・ドゥ]を起こし、その人物も後に同じ様な猟奇的殺人を犯す可能性があるというものだ。


殺人衝動は、何処かで精神汚染を受けた病気であり、更にそれは第三者に感染すると何年か前から、この国で信じられている。


その為、目撃者、加害者の親族、同居していた者、親密にしていた者、更には被害者で生き残った者にまで、その疑いはかけられた。


「浅沼 絆、彼女は今回の事件の犯行現場の唯一の目撃者です」


「では、彼女は[殺人者影響予備人物]か?」


「極めてその可能性は高いです、彼女の兄は数年前に通り魔により殺害されており、精神状態は常に不安定。更に数年前には痴漢行為に遭った際、被疑者男性に行った暴力行為が正当防衛となっていますが、過剰だったという報告もあり……」



「浅沼 絆は、本日を持って[殺人者影響予備人物]に認定とする」



私は、ワケのわからぬままに病院の隔離施設へ収容された。




今までの記憶が、頭の中で洪水みたいに溢れて来る。


「入院していた……。そうだ私は、確か、入院していた……」


「そう……、思い出した?」


「あの日、僕は絆を家で待っていた。けれど、引っ越し先から連絡があって不手際があり今すぐ来て欲しいと呼ばれ、家にいなかった……」


「私は……そして、見て……しまった……」


「兄は本当はあの現場を僕に見せたかったんだと思う……それなのに、僕のせいで君があの現場を見てしまい……こんな場所に……」


「でも、いつ、この研究所に連れて来られたかは思い出せない」


「君が、入院していた病院からココに連れて来られたのは三年前だよ」


「三年前……?」


「君は、この実験[ソドム]の被験者の一人なんだ……」


「実験……?」


私は、もう一度辺りをよく見回した。


真っ白な天井や床がドコまでも続いている部屋には、私が寝ていたのと同じカプセルが、幾つも整列していた。


「ぼくの父さんと兄さんは、脳内疑似空間に付いて研究していた。そして、実際に作り出す事に成功したんだ[ハイパー・ドラッガー]というシステムをね……」


良太郎は小さく嘆息して白衣のポケットからタバコを取り出し、火を付けた。


「[ハイパー・ドラッガー]は、自分の脳内で日常を楽しむシステム。まさか、これを国が使いたいなんて言って来るとは思わなかった……」


「国が? 使う? なんの為に……」


「当時、国は相次ぐ[犯罪感染者]の処置に頭を抱えていた。いくら、犯罪を犯す可能性があるとはいえ、実際に犯していない人間を牢に入れるワケにいかない。そこで、感染者達に、脳内疑似空間を用いて実生活と変わらない生活をさせ、殺人行為を犯すか監視する事になった。より現実と混同させ、本当に感染しているかを明確にする為、事件に関する事、本人に関する記憶までも消去した」


「監視…………」


「[ハイパー・ドラッガー]が[フォリア・ドゥ]への対策として決定した矢先、僕の兄が凶行に走った……。勿論、僕も感染者の疑いがある。実験が最初に施行されるのは、僕のはずだった……けれど、父もいない、兄は完全隔離されている状態で、これを完全なシステムに出来るのは、研究を手伝っていた僕しかいなかった……。僕は、監視付きでの[ハイパー・ドラッガー]の研究を言い渡された。そして……被験体の一人に、君が選ばれた……」


つまり、私はずっと脳内疑似空間でテストをされていたという事らしい。


「事件や、本人に関する記憶を全て削除した事で、名前どころか脳内空間において性別や容姿を被験者自らが変更させてしまう事はあった、元々の[ハイパー・ドラッガー]システムの名残だ、だが、それ事態は特に実験に影響無い様だった。むしろ、なりたい自分になる事は、抑圧されていた精神の解放が、殺人欲求を高まらせるとさえ思われていた……」


そして私は、良太郎さんになっていたのだ……。


ずっと、憧れの対象だった彼に……。


「じゃあ、今まで私はずっと脳内空間の中にいたの?」


「そういう事になる。君は約一年半、そこで生活していた」


「一年半……」


産まれた時からいた様に思っていたあの世界が、ずっと脳内の疑似空間だったなんて……。


「ただ、またそこで問題が起きたんだ……。一年以上経過しても脳内空間にダイブした人々には、なんの変化も見られ無かった……。普通の生活を送り始めた人がほとんどだった……」


「それが、どう問題?」


私は、段々とハッキリした頭の中で、脳内疑似空間にいた一年半を振り返った。

私は良太郎さんになった事以外、特にこれがしたいとかやりたいなんていう欲求には駆られ無かった。


まして、人を殺してみたいとかそんな事、考えもしない……



いや、一度あった。



私が、脳内の世界で[ソドム]にダイブしたあの時だ。


「何も無いという事は、これまでの[フォリア・ドゥ]の存在を否定する事になる。だから最初から絶対に君達は、脳内空間の中で人を殺さなければならなかったんだ。しかし、何も起こらない。そこで、なんらかのアクションを起こしてみてはどうか? という意見が上がった。既に殺人を犯している数人の人間の脳内仮想空間と、被験者の脳内仮想空間を繋げる……。[コネクト]だ。君たちはこれによって、殺人鬼と共通の仮想空間に存在している状態になった。現実と変わらない、リアリティのある脳内空間を殺人鬼と共用した……[ソドムプロジェクト]だ」


「[ソドムプロジェクト]……」


「これによって、殺人鬼たちとその予備軍が同じ脳内空間に存在するという世界がいくつか出来たワケだ。そして君達と殺人鬼、この接触がどう影響を及ぼすか僕らは全く推測出来なかった。それに、[コネクト]には多少の問題があった、繋がった相手の感情が、微量に相手の感情に入り込む危険性がある。僕を含め、一部の研究員は反対した。けれど、訴えは却下されてしまった」


私は、思い出した。



あの時、一度だけ、人を殺そうと思った。



アレは、繋がった殺人鬼の感情が、私に、流れ込んで来たからだったのだと……。


「一番危惧されていた、他人の脳内疑似空間にコネクトする際伴うであろう他人と自分の感覚が入り乱れて起こりうる精神の崩壊は、[ソドム]がゲームだという事を被験者に認識させる事で対処した。ゲームの知識や、そのルールは記憶に上書きさせてもらったが……」


「他人の脳内と繋がった瞬間、それをゲームだと思いこまされた」


「そう。そして、そのコネクトした殺人鬼の中に兄がいた……」


「良太郎さんのお兄さん……」


「まさか……兄を使うなんて思っていなかった……兄は本当の快楽殺人鬼だ。そこまでして願った結果を得ようと思うなんて……僕が甘かったんだ……」


「それで……それでどうなったんです?」


「最初は、特になにも変わりなかった。けれど、三カ月前に、事態は急変した。システムを兄に乗っ取られた。兄は、[ハイパー・ドラッガー]を完全に掌握し、自分の脳内空間を基盤に、殺人鬼たちと繋がっていた君たちの脳内空間までもを一つに統合し始めた。そして、君達の脳に微弱な信号を送って、夢の様な形でメッセージを送る、ごく普通の人間のちょっとした悪意や殺意を増幅させ、殺人鬼にする。更にその世界で、兄は、賭けを始めたキミが殺人鬼になるかならないかの……」


私は、思わず苦笑いした。


「実験が試行された時から、僕は停止を何度も求めていた。けれど、それは受け入れられず実験は続けられた。僕は、なんとしても君だけは、この実験に巻き込みたくなかった、ずっと、君を脳内空間から救い出せる機会を伺っていた。そして、ようやくチャンスが巡って来た。向こうでキミにも話したが、脳内空間が一つに集約されてから死人が出始めたんだ。僕は調査という名目で自ら脳内空間に入った……そしてわかった事がある」


「わかった事?」


「僕に説明されていない、殺人鬼を君達の脳内にコネクトした本当の理由」


「本当の理由……?」


「仮想空間での処刑だよ。対策の無い増えすぎた[フォリア・ドゥ]の一番簡単な処分方法。脳内空間での死は現実での死だ」


「本当は、もっと早く君をこの状況から救い出したかった……。なのに、僕のこの行動が更に君を危険にさらした。兄の策にまんまとハマったんだ、きっと、兄は最初から僕とゲームがしたかったんだよ……」


「なんのゲーム?」


「殺人鬼に、誰もがなる事をわからせる為の……。でも、君は絶対に脳内空間の中でも殺人を犯さないって僕は信じていたから、時期を見て、君を助け出そうとずっと考えていた。思ったより時間が掛ってしまって本当に……ゴメン……」


「でも、良太郎さんは私の脳内にまで来てくれた……ありがとう」


私のその言葉に救われた様に、良太郎は、少しはにかんで微笑んだ。


「君が僕の姿をしていたから、混乱させない為にも僕は君にならないといけなかった……女の子になるのは難しかったな」


「いえ、私よりずっと女の子らしかったです」


私たちはその時初めて、本来の自分で笑い合った。




ふと、自分の隣にある小さなカプセルに気づく。


静かに両の瞳を閉じ、小さなうさぎのぬいぐるみを抱いて横たわるその幼い少女にはどこか見覚えがある。


「アゲハ……」


「そう[這い回る蝶クリープバタフライ]、彼女は自身の持つ特殊な能力の為に精神感染者と関係なく[ソドム]にダイブさせられた。元々、彼女は僕が大学の研究で知り合ったんだ、生まれつき人と違う能力が彼女にはあった」


「人と違う能力? 虫を操るあの能力の事?」


良太郎は、首を左右に振った。


「テレパシーというのかな、彼女の場合、植物や昆虫と微弱な電波で交信する事が出来た。勿論、あんな虫の大群を操る能力は無いよ。ただ、彼女は想像力と子供ならではの純粋さがあったから、本来なら現実以上の事を起こせ無い脳内空間の中でも、リアル以上のパワーが使えた。僕も、それを知っていたから脳内空間の中で、普段には無い身体能力を発揮出来たんだ」


あの世界の中で男の子だぅったのは、彼女なりの防衛だったのかもしれない。


本来の彼女は小さく非力な幼い少女だ。


「そういえばあの時の、魔法の言葉って……」


「僕が、良太郎だと話しただけだよ……」


そう言ってから、少し照れた様な笑いを浮かべ、彼は続けた。


「正確にいえば、よく彼女とそのぬいぐるみで遊んでいてね。僕が良太郎だと告げて、その証拠に二人の間で遊ぶ時に僕が言ってたセリフを言った」


そこで、私はピンと来た。


以前、ゲーセンでぬいぐるみを取った時、遊安がアゲハにやってあげていたアレの事だと。


アゲハの隣にも、同じ様にカプセルが並んでいる。


一つは、30代位の男性だろうか、牧師の様な服装をしている見覚えはなかった。


「彼が、[疑惑の狂信者ファナティック・ダウト]だよ。現在、脳死判定が出ている」


あのシスターがこの男性。


ああ、そうか。自分のなりたい姿にこの男性はなっていたのか。


「彼は、真面目な人だったそうだよ。妙な呪術を信奉するまではね」


「呪術?」


「人間の頭部を生贄に、死人を蘇らせる。リアルでは、彼は、自分の妻が目の前でサイコな殺人鬼に殺された事件の目撃者」


「それで、あんな事を……? でも、パンドラの中でリアルの記憶は……」


「失っているハズだよ。でも、どこかで、強い思いは覚えているんだろうね。君が自らの記憶を僅かに残していた様に……。だから、彼は、記憶を無くしていても、どこかでやらなければと思っていたんだ。死んだ奥さんと、お腹の中の子供を蘇らせるという事を……」


私の向かい側のカプセルには、かなり太った男性が眠っている。


「[屍肉の双子キャリオンザハンプティダンプティ]は、少し異例の存在だ。彼は、多重人格者。彼の人格の中の一人が、殺人鬼だった。しかし、主人格の彼は殺人を犯していない。だからココに送られて来た。パンドラで殺人鬼の人格と自ら対峙し、兄貴の思考に共感していくうちに、主人格の方も殺人鬼となり、彼は[ソドム]の中でも殺人を犯す様になっていった。そして、兄貴の崇拝者となり手駒にされていたみたいだ」


あの双子は、この一人の男性の中にいた狂気の存在だったのか。


みんなあの世界の中で、自らの狂気を生産し、実現させてしまった。


きっかけは、単純な事だったのかもしれない。


勿論、良太郎のお兄さんがそれを作ったのは間違いないだろうけれど。多分、人間なんてどこかに必ず持っているはずだ。そんな狂気を……。


ただ、それを公にする事は、どこかで歯止めがかかっているから、押しとどめて生きている。


「そういえば良太郎さん、覚えていてくれたんですね……」


「えっ?」


「デビルズ・ハート、あの時の猫の事……」


「君へのメッセージだった……君になんとか本当の自分を思い出してもらいたいと思ってね……」


全てを思い出した今、脳内空間での事は全て夢の様に感じられた。


でも、彼が私の為に必死になってくれていた事だけは、現実も向こうも変わらない。




「そういえば、お兄さんは?」


「あぁ、いるよ……ほら……」


彼の指差す先には、透明なガラスケースの柱の様な水槽があった。


中には、沢山の管の付いた脳が、海月みたいに浮いている。


「あれが、兄貴だよ。両親を殺し、更に周辺で複数の殺人を犯し、死刑より重い刑を受けた……彼は今、脳内仮想空間だけで生きてる……。それも、もう終わった」

「私が……殺したのね……」


良太郎さんは、首を横に振った。


「君はアレが生きているというのかい? アレでも生きろというのなら、僕は生を選ばない」


私は、それでも結果、人の命を奪ったという現実に押し潰されそうだった。

涙が溢れた。


結局、私は人を殺め[フォリア・ドゥ]を証明したに過ぎないのではないか。そんな事、出来るワケが無いと、思って来ていたのに……。


「君は、人を殺したりしないよ。僕が、殺させやしない……」


「でも……! 私は……」


「君が、殺したのは、兄貴の中の狂気と殺意だ……。だって、兄貴は、もうとっくに……」


人間と呼べる存在じゃなくなった……。


そう良太郎さんは、小さく呟いた。


「これから、私はどうなるんだろう……」


ふいに、私はこれからの自分がどうなってしまうか不安を覚え、それが口をついて出ていた。


いくら良太郎さんが否定したって、私は、リアルでなくても人を殺した事に代わりはない。


どこか、別の場所に送られてしまうのだろうか。


不安は、どんどん大きく増すばかりだ。


静まり返った研究施設が、一層不安を掻き立てる。


そういえばこの研究所、良太郎さん以外の人が見当たらない。


「あの、他の人は?」


「さっきので、兄貴の脳は活動を止めてしまい、システムが停止したんだ。みんな、その復旧作業に追われて出払っている……。チャンスは今しかない……」


「チャンス?」


良太朗さんはおもむろに隣のガラスケースを開け、中からアゲハを抱き起した。


「今なら、ここから出られる」




私達は、走り出した。


途中、沢山の研究員らしき人々が、せわしなく作業している部屋があった。


部屋の中央には大型の見たことも無い機械が、城壁の様に並んでいる。


「アレが……今の兄貴のなれの果てだ」


「どういう……意味?」


「アイツら兄貴の意識をコピーしていたんだアレに……。本体は確かにさっきの脳だ。でも、今、兄貴の意識体はあの機械にコピーされている……」


「じゃあ……お兄さんは」


「兄貴はもう死んだ。残ったのは、兄貴の意識を取り込んだシステムだけだ」


もう、この世には良太郎さんのお兄さんはいない。


でも、お兄さんの意識は……。


「最初から、兄貴の研究の最終目標はコレだったんだよ」


「意識をコピーさせることが?」


「本体が停止した場合、兄貴の意識のコピーはシステムから解放される様にプログラムされていた。無差別にこれから様々な場所に兄貴の意識は飛ばされ、世界中で殺人鬼を作りだす。そして、現実がソドムに変わる……」


「リアルを壊す……これの事だったんだ」



私達は、研究所を出た。


久しぶりの本物の日差しは、体に突き刺さる気がした。


きっと、これからこの世界は狂ってしまうのかもしれない。


それでも……。


私は、背中にアゲハを背負っている良太郎さんの手を握った。


それでも、現実の空気は私にようやく本当の生きる意味を教えてくれている気がする。


私は……、これから現実世界を生きて行く。


私は弱い。


でも……。




貴方となら、きっと強くなれる。



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