遊安 絆
どのくらい歩いたろうか。
電車やバスにも乗らず、ただひたすら人の気配のない街を歩く。
何だろう……。
この違和感……。
普段なら歩いている人がいてもおかしくない時間だ。
しかし、誰ともすれ違わない。
やがて、よく知る大通りに来た。
あのファミレスがあった通りだ。
そこでぼくは自分の見た光景に目を疑った──
最初に目に写ったのは赤。
それから、桜色。
血液と肉塊。
恐らく、人間の形をしていたであろうもの。
物凄い死臭が立ちこめている。
男なのか、女なのか、性別すらわからない。
大人なのか子供なのか年齢すらもわからない。
ただの肉塊が、山の様に積まれていた。
「これは……一体……?」
胃酸が喉元にまでこみ上げる、なんとかそれを飲み込み嘔吐するのを耐えた。
「
「そんな、これ全部ソイツが殺したっていうのか!?」
「恐らく……」
ぼくらはただ、血と肉とそれにまみれた骨の間を、フラフラと操り人形の様に歩く浅沼の後をついて歩いた。
そして、何体目のかろうじて人間と目視出来る死体を見たくらいだろうか、浅沼の動きがピタっと止まった。
「ココなのか?」
ぼくの記憶では、こんな場所がココにあったかは定かでは無い。
大通りをしばらく行った、交差点の向かい側に、古めかしい豪邸があった。
「ここは……!?」
遊安は明らかに動揺している。
「知ってる場所なのか?」
「……少し……知っている場所に似ていると思っただけ……」
様子が明らかにおかしい、今までの遊安とは確実に違う。
一体どうしたんだろうか?
この場所に何があるというのだろう。
「思い違いだと思うから……」
カナリ大きな一軒家だ。
高い塀に囲まれ、周りの木々も手入れされていないせいか、鬱蒼と生い茂っている。
辺りを警戒して様子を伺うが、人の気配は全く感じられない。
(空き家だろうか?)
扉の前に[売り家]と書かれた札が下げられているのを発見した。
大分古くなって所々に錆びが浮いたドアのレバーを浅沼は引いて中へと進み、更にその先の大きなドアを押した。
どうやら鍵は掛かっていないようだ。
古い扉はギギっと不快な音を響かせて、真っ暗な口を開ける怪物の様に、ぼくらを中へと招き入れた。
音を立てない様注意しながら、そっと中へ入る。
カーテンの破れた部分から差し込む日差しだけが、家の中を照らしていた。
外観から見てもカナリの豪邸だと思ったが、思った以上に広い家の様だ。
そこでまた、ぼくは不思議な感覚に襲われた。
懐かしさというのだろうか、ぼくは、以前に確かこの屋敷に来た事がある。
ただ漠然とそう思い、立ち尽くした。
中に入った途端、糸が切れたみたいに浅沼はその場に倒れ込む。
「浅沼……!?」
ぼくは急いで駆け寄った。
息はある、
「良かった、大丈夫みたいだ」
「役目が終わっただけ……アナタは彼とここにいて」
「えっ……? なんでだよ」
「どこに、
「ぼ、ぼくだっていざとなれば武器も用意出来るし戦える」
「……相手はランキング1位の狂人の殺人鬼、身を守る武器くらいはあってもいいと思うけど、けっして本気で相手をしようなんて思わないで……」
「わかったよ……」
ここは大人しく遊安の言う事を聞いておく事にした。
狂人、そう言われてさっきのアゲハの時の事を思い出したからだ。
あの時、ぼくは動けなかった。
アイツは普通の人間とは違う。
その存在だけで人を畏怖させる事が出来る。
体こそ浅沼なのはずなのに、その存在に恐怖して動けなくなる。
あんなヤツに、情けないが勝てるとは思えない。
遊安は、再度「ここにいて」とぼくに念を押し、玄関の前にある大きな階段をゆっくり2階へと上がって行った。
一人になると不安は大きくなる。
(用心の為に武器を思考しておこうか……)
ぼくは、金属バットを一本脳内にイメージして具現化した。
武器がある事で少し余裕の出来たぼくは、一階をゆっくりと見回してみる。
部屋数は、ぼくの家の倍以上ありそうだ。
ぼくの家、その言葉で家族の事が思い浮かんだ。
父さん母さんは、本当の存在だろうか?
アズ……本当に妹じゃないのか?
じゃあ、誰なんだ……?
思い出す、それしか答えはないのだろうけど、しかし何も浮かんで来ない。
ふと、ぼくはこの屋敷に妙な感覚を覚えた。
不思議と怖くは無い、それよりも既視感というのだろうか、何故か懐かしさが込み上げる。
ぼくが何処かに置いて来た記憶の断片が、ココにはある。
そんな気がした。
「……待ってるだけっていうのもな」
ぼくは、一階の部屋を少し見て回る事にした。
何かあれば大声を出すか、遊安のいる二階に逃げればいいだろう。
手にした金属バットの重みがぼくに安心と自信をくれる気がした。
一つ、一つ確認して行く。
特に異常は無い。
最初はそっと開けていた扉も、慣れてくると普通に開けれるくらいだ。
怯えていたのが馬鹿馬鹿しくすら思える。
扉を開けて見ていただけから、中に入って調べられるほど成長した。
目に付いた部屋を一通り確認したが、特に変わった様子も無い。
ただの空き家というだけ、生活感こそ無いが不気味な印象も受けない。
ぼくは、遊安の方が気になって階段の方に戻る事にした。
玄関前に残した浅沼の事も気掛かりだ。
バットを握りしめ、ここにいろと言われた場所へぼくは戻った。
(えっ…………?)
しかし、そこには倒れていたはずの浅沼の姿が見当たら無い。
(アイツ、意識が戻ったのか?)
とりあえず、辺りを見回すがやはり浅沼の姿は無かった。
「おい、浅沼!?」
1階が無人だったとはいえ、まだこの屋敷には誰かいる可能性も捨て切れない。
ならべく、声を押し殺しながら名前を呼んだ。
だが、返答は無い。
その時──
ガタンっ!!
突然、ぼくの後ろで何かの物音がした。
ギ──────ッ…………
振り向くと、ぼくの後ろに扉が開いていた。
どうやら背後の壁が隠し扉になっていたみたいだ。
(隠し通路? どこに続いているんだ?)
ぼくは……、まるで何かに誘われるかの様に、扉の中へ足を踏み入れた。
(ここは……)
朧気な記憶の中でこの場所がうっすらと浮かんだ。
(ぼくは……この場所を知っている……)
闇の中をゆっくりと進んでいく。
やがて少し天井の低い廊下があり、奥にはぼんやりとした微かな光が見えた。
そこを目指し、真っ直ぐ光へ光へと歩み進む。
やがて、小さな部屋を見つけた。
燭台が並んだその部屋には、医療用のキャビネットと簡易ベッドがあり、ベッドの上では、誰かが横になっている。
ぼくは、ベッドへと歩み寄った。
「誰……だ……?」
蝋燭の薄明かりの中、ぼくはそいつの顔を確認した。
「浅沼?」
ベッドの上に、浅沼が横たわっていた。
また気を失っているのか目を閉じて反応を示さない。
「おいっ!? 浅沼っ!!」
ぼくは、呼び掛けた。
暗闇に慣れた目で見ると、浅沼の両手と両足はパイプベッドに固定されている。
ぼくは、名前を呼びながら体を揺する。
「……おっ、お兄ちゃんっ……!?」
後ろから、聞き覚えのある声がしてぼくは振り返った。
「お兄ちゃんっ!!」
「アズ……?」
「お兄ちゃん、助けに来てくれたんだね!!」
お気に入りだと言っていた真っ白のワンピース。
それが真っ赤に染まっている。
アズは涙と血で顔をグチャグチャにして、嬉しそうに微笑んだ。
「……アズ……?」
「どうしたの? お兄ちゃん……」
「オマエは……ぼくの妹なのか?」
「……何言ってるの? お兄ちゃん」
遊安は言った、ぼくに妹はいないと……。
もし、それが本当なら、コイツは誰だ……?
「……り、良……太……郎……」
その時浅沼が意識を取り戻し、途切れ途切れに小さな声でぼくを呼んだ。
「り……は…………」
「浅沼!? 気が付いたのか!?」
何を言っているのか聞き取ろうと、浅沼の側へ行き、口元に耳を近づける。
「良太……郎……、ソイツから……ハナれ……ろ……」
「えっ!?」
ぼくは、自分の隣にいつの間にか立っていた人影を見た。
アズが、メスを振りかぶり浅沼の腹部にそれを降ろした瞬間だった。
「……っ!?」
声が、出ない。
あまりの事にぼくは、ただ呆然としてその場にしゃがみ込んだ。
「……浅……沼?」
ぼくは、アズの方を見た。
笑っていた。
アズは、浅沼の返り血を浴びて微笑んでいた。
「見て、お兄ちゃん……これが人間の中身だよ……」
アズはメスで開いた浅沼の腹部の中へ、両手をズブリと入れていく。
「グッ……フッ……」
浅沼は口から血を吐き、びくびくと痙攣した。
「あっ……あっ……ヤメ……ろ……」
「お兄ちゃん……私とアナタは同じだよ?」
「違う!」
「私はアナタ、アナタは私……アナタは殺意を抱いても実行していないだけ……本当はこうしたい……だから同じ私が叶えてあげる」
「違うっ!! ぼくは……」
「ほら! 体の中にはね、こんなものが詰まっているの」
ズルリと内蔵が取り出されていく。
「これが、小腸……胃……大腸……」
「ヤメロ……」
「どうしてお兄ちゃん? だって、この人はもう……」
「ヤメロ……言うな」
「ずっと前に死んでるじゃない……」
「ヤメロ……ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロ…………あっ!!」
瞬間──
頭の中に鮮明に、ぼくの記憶が再生される。
いつものゲームセンター。
ここは、裏路地の所だ。
浅沼がいる……いや兄さんが……いる。
それと、数人の男。
「なぁ~、いいかげんにしろよ、これっぽっちの金で許されると思ってんのか!?」
「……もう……持ってないんだ……」
杉原!
そうだ、アイツは……。
「ふざけんなよっ!」
「あ~っ、じゃあさ~、今日買ったこのバタフライナイフの切れ味試させてよ~」
「ヤメ……」
「オマエら押さえておけよ」
そうだ杉原、思い出した!
杉原が殺したんだ!
兄さんを殺した!!
そうだ、それなのにアイツは親の権力でその事実を捻じ曲げた。
普段から素行が悪く仲間数人と、女子生徒に乱暴したり、他校の生徒を恐喝したりしていた。
そして、とうとう殺人まで……
しかし、それがバレると仲間にその罪をなすりつけ、自分は何もしていなかった事にした。
だから、許せなかった。
杉原を殺してやりたかった……。
そうだ、アノ時。
ぼくは、見ていた……。
でも見ていただけで、助けられなかった。
殴られ蹴られている兄さんは、物陰から見ているぼくに気づいたんだ。
そして……。
『逃……げろ……』
そう、ぼくを見て言った。
ぼくは、逃げた。
いや、アノ人を呼びに行った。
アノ人なら助けてくれると思ったから……。
(アノ人って……誰だ!?)
「良……太郎…………」
ぼくを呼ぶ声がする。
「良太郎」
「遊安……絆……」
振り向くと、いつの間にか遊安がいた。
遊安は、ぼくの前に立ってアズを無表情で見つめた。
「まさか、アイツらがここまでするなんてね……」
そう、アズに向かって言った。
アズ……ぼくと同じだという存在。
「そう? 僕はやると思っていたよ? だって、この方が効率いいだろ?」
その時アズはもう、妹という存在でいた彼女では無かった。
言葉遣いも仕種も、今はもう、ぼくの全く知らない別人だ。
別の誰か、しかしすぐにそれが誰かはわかった。
「君の兄さんはイイヤツだった…………私の兄とは全然違って、羨ましかった、君が……」
遊安はぽつりとそう言った、だがその先は口ごもる。
「遊安?」
「
「……ウソ……だろ!?」
ぼくは、俯いたままの遊安を見つめていた。
「君が色々忘れてしまって、コイツも、何も言えなくなってしまったのだよ」
「全てが終わったら話すはずだった……」
遊安はいきなりメスを構え、アズの喉元に突き立てた。
向かい合う二人の光景は、ぼくにとって異様なモノだった。
「ココで死んだら、あんたなんか現実でも死んでいる様なモノだ」
「おやおや、物騒だな僕の妹は……」
しかし、ほぼ同時にアズの持っていたメスが遊安の腹にも突き立てられていた。
全く互角のスピード。
遊安は後ろにジャンプして、今一度間合いを取った。
二人共、メスを構えたまま動こうとしない。
張り詰めた静寂が続く。
「この家、懐かしいだろ?」
それを壊したのは、アズの姿をした遊安の兄だ。
「ココは、私の家。いいえ、私達の……家だった……」
ぼくの視線に気付いた遊安が、そう答えた。
「そして、あの日、貴方はココで見てしまった……それが全ての始まりだった……」
「ぼくが、以前にココへ来た事があるっていうのか?」
遊安は、首肯する。
「ぼくがココに来て、何を、何を見たって言うんだ!?」
「それは…………」
「それは、僕が教えてあげるよ。あの日、君はたまたまココでとある殺人現場を目撃したのさ……」
「殺人現場……?」
「そう、僕が父と母を殺す所をね……」
「──!?」
頭を突き刺す頭痛がした。
モヤのかかっていた脳内で、何かがハッキリと浮かび上がりそうだった。
けれど、それはとても恐ろしい事の様な気がした。
ぼくは、激しい頭痛に頭を押さえてしゃがみ込む。
頭の中で、記憶の断片なのかそれとも空想の産物なのか、何かの映像がクルクル回って吐き気すらして来る。
「良太郎!?」
見上げると調度、遊安が三本のメスをアズへ向け投げていた。
メスは垂直に飛行し、アズの避けた右腕に綺麗に刺さる。
「へぇ……。自分の血を見るのは初めてだ」
血まみれのメスを抜き、暫く見つめたアズは、床にそれを一本投げ捨てた。
そして、歪んだ笑みを浮かべたまま遊安に向かって二本のメスを投げ返した。
メスは、遊安の腿に刺さり、脇腹を掠める。
「うっ!!」
だが、その痛みを無視して遊安は、勢いよくアズに向かって突進し、もう一度メスを振り下ろした。
が、それを左腕で受け止めたアズは満面の笑みを向けた。
「お前には、僕は殺せないよ。だって、あんなにも人を傷付ける事を嫌がっていたじゃないか?」
「私も……殺人鬼かもしれない……。貴方と同じ血が流れているなら……」
「……まぁ、確かに……その可能性はあるだろうな。でも、お前には出来ないよ、
僕にはわかるんだ人を殺せる人間と、殺せない人間がね……」
アズは、遊安の腹に目掛け思いきり蹴りを入れた。
遊安の体は机の上の物や、燭台と共に部屋の隅へと吹っ飛んだ。
「ほら、お前には無理だよ。だって……僕をココで殺す事は……」
アズは、倒れ込んでいる遊安に近づいて行く。
「……本当の死と、同等だから……」
遊安はゆっくりと体を起こして、アズに敵意に満ちた視線を送った。
「それでも……、あの人を守る為なら……例え殺人鬼になっても構わない……」
「そんな理由は、殺人鬼としては認められないかな」
アズは、自分のメスを数本、まるで愛しいモノに送る視線で見つめる。
「さあ、僕が本当の殺人鬼を教えてあげるよ」
ぼくは……、ぼくは思った。
今、ココで遊安にアイツを殺させてはいけない──と。
何故だか、深い深いぼくの記憶は、そう告げていた。
だから、後は簡単だった。
だって、今ぼくの目の前には遊安が投げ、アズが腕から抜いたメスが落ちている。
ぼくは、メスに腕を伸ばしそれを手に取った。
力を込めて握った不思議と緊張はせず、ぼくは、遊安の方を向いているアズの背中に、音も無く近づいて行った。
「ゴメン……」
自分でも、何故そこで謝ったのかはわからない。
きっと、ぼくに人を殺す事をさせない為、必死になっていた遊安への謝罪なんだったと思う。
背中から、深く深くメスを二度、三度アズに振り下ろした。
心臓の場所を、ぼくは昔ドコかの家で見た医学書を思い出しながら見当を付け、崩れてゆくアズの背中に、もう一度メスを刺した。
「もう、もういい!!」
ぼくの、血まみれの手は遊安によって押さえ付けられた。
「……ゴメン……」
「もう……いいんだ……」
「僕は……死ぬのかな……?」
アズが、ぼくの腕を掴み問い掛けて来る。
「あぁ……多分な……」
ぼくは、呟く様に答えた。
「そうか…………」
納得した様に、アズは、目を閉じた。
途端に、辺りが真っ白になった。
あの部屋も屋敷も、アズも浅沼も何もかもが消失していた。
だだ、ぼくの隣に遊安だけは存在している。
この場所に、ぼくは少し見覚えがあった。
初めて[ハイパー・ドラッガー]を使った時、あの時に見た場所。
[ソドム]の入口。
目の前で、[ログアウトしますか?]という文字が赤く点滅している。
「元の世界に戻ろう?」
隣にいる遊安が、そう言った。
「うん」
ぼくは、目の前に映し出されている選択肢のYesに指で触れた。
すぐに[PASSWORD]という表示が出される。
「パスワード……?」
ぼくは、予期せぬ応答に遊安の顔を不安気に見つめた。
「パスワードは……、きみの名前」
「ぼくの?」
ぼくは、アルファベットのキーで[良太郎]と入れてみる。
結果は……エラー。
「きみの名前と、真実が必要」
「ぼくの名前と真実?」
「そう……。と言っても今は、私の名前になっている……」
「遊安の名前?」
今度は[絆]とローマ字で入れた。
すると、遊安はその上に苗字を入力した。
けれどそれは、[遊安絆]とは読めない。
[You are KIZUNA]
「貴方は、絆? ……ってどういう……」
その瞬間、ぼくの意識は途切れた。
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