53

 求めに応じて開かれた扉から、陽光が差し込む。日の光を背にゆっくりと歩いてくるのは、神官にあるまじき黒衣を隙なく纏った背の高い青年だった。


「あ……」


 顔の上半分を仮面で覆い、ゼルシアと同じ色だったとされる髪は真白に塗りつぶされている。まるでジークリンデという人格そのものを隠し通しているようなそれに、百官は何があったのだと互いに囁き合った。


「兄上」

「お久しゅうございます、陛下」


 ゆるゆると腰を折ったジークリンデに、セイムは息を飲んだ。先ほど案内をした青年が、まさかゼルシアの兄だったなんて。


「この度陛下から御下命賜りました慰霊の儀、全て滞りなく準備が進んでおります。つきましては、イヴァン令師のことに関してもこちらで執り行ってよろしいでしょうか?」

「構わない。全て、貴方に一任する」


 王と臣下という立場ではあるが、ゼルシアにとってジークリンデは唯一血を分けた兄である。最低限の礼節だけは失わずに言葉を選ぶゼルシアは、セイムにとって少し新鮮に見えた。

 それに、実際には死んでいないイヴァンについてを一任するという言葉も少し引っかかる。少しだけ交わされた視線にどんな意図が含まれているかは、恐らく兄弟二人しか知らない。


 ちらりと、仮面の向こう側の顔がセイムを見たようだった。

 唇だけで、ありがとう。そう言ったのが分かる。


「では、私はこれにて失礼致します。何分大がかりな式典でございますので、私も準備の方が」

「足労、痛み入る。……その、兄上」


 ゼルシアが、頭を下げた。

 十七年、辺境の神殿に閉じ込めたことを謝っているわけでも、彼の手にもたらされるはずだった帝位を簒奪したことに対する謝罪でもない。


「イヴァンを、よろしく頼む」


 ジークリンデは何も言わなかった。代わりに微笑んで、それから一臣下として、椅子に座る。誰もがゼルシアのその行動に、彼が優秀な腹心を悼んでいるのだと、そう思ったに違いない。


 それから暫し何も言わずに眼を閉じていたゼルシアは、議場のざわめきが収まった頃にもう一度目を開いた。


「このことに関して近衛の方で人事の動きがあった。「杖」では「三本目」ジョルジュ・オリエンティウスを暫定的に「一本目」に、また特例措置であった「十本目」セイム・ミズガルズ並びに「剣」の「十本目」ラウ・シューゼンを、それぞれ昇格させる」


 本来はティティの言葉に反抗する形でセイムとラウを近衛に招き入れたゼルシアだが、既にその必要はない。また、先の遠征で騎士魔導士ともに欠員が多いというのも、その理由の一つだった。


「ラウ、セイム、前へ」


 そっとジョルジュがセイムを促す。玉座から一段下がった位置に膝をついたラウは、いつか見た敬虔な騎士そのものと言った風格だった。


「まずはラウ・シューゼン、この度の働きご苦労だった。帝国はお前の働きに厚く報いるだろう。……悪かったな、寝ずに城下を走り回っていたんだろう」


 最後の言葉は、ラウとセイムだけに聞こえるような声音で、いつも通りの気さくなゼルシアが語り掛ける。一瞬だけ目を丸くしたラウが、すぐにハッとして首を垂れた。


「有り難きお言葉です、陛下」

「今後も俺の元で存分にその件の腕を磨いてくれ。此度の功績により、お前に剣を一振りと、「八本目」の地位を授ける」


 先代の「八本目」が遠征で命を落としてから、その座に名前が刻まれることは久しくなかった。そうなれば、セイムに与えられるのもまたそのような階級なのだろう。


「セイム・ミズガルズ。先日はシャルローデの命を救ってくれたことを、礼を述べねばならない。お前によく目をかけていたイヴァンに恥じぬ働きをするよう――紫紺の間は開けておこう。その気になったらいつでも声をかけてくれ」


 洒落なのか本気なのかわからないゼルシアの言葉に驚きながらも、セイムは形式上頭を下げねばならない。一歩下がると、次の言葉を待つ。


「常に静謐たる力で俺とシャルローデを今後とも守ってくれ。お前には現在空席の「九本目」の地位と――これを」


 不意に立ち上がったゼルシアが、軽やかにセイムの前まで進み出てくる。その事にもまた会場はざわついたが、今度はジョルジュも何も言わなかった。耳元で金具が止まる音がして、セイムは何があったのかとその場所に触れる。小さな鉱物の感覚。どんな色のものかは、見ることが出来ない。


「石言葉は「調和」と「覚醒」――一応一級品だが、原石から掘り出したため効果は未知数だ。お前の力の使い方で、どうとでも変わる」


 まだどんな力も馴染んでいない、まっさらな玉石。満足げにセイムに付けた耳飾りを眺めると、ゼルシアは同じように玉座に戻っていく。

 その後の朝議はつつがなく、一日の予定とティティの祈りをもって閉じられた。セイムは、壊れてしまった首飾りの代わりに与えられた耳飾りを大切そうに撫でながら、初めての朝議が終わる時を待った。



「色? 深い紫だぜ。あれだろ、お前紫紺の間にいたんだし」


 朝議終了後、ゼルシアから下賜された剣を携えたラウが、びしっとセイムの耳を指さす。安直と言えば安直だが、宝石言葉にも着目したうえで選んだのもあるだろう。未だ違和感を覚える耳のあたりを撫ぜて、そっと魔力を流し込んでみる。誰のものでもなかった紫色の石は、ゆっくりとセイムの魔力を飲み込んでいった。


「……イヴァン様、結局どうなったのか知ってる? その、処遇については陛下から聞いたけど」


 しばらく二人で連れ立って王宮の中庭を散策していた。ポツリと呟いた問いに、ラウが鼻を鳴らす。

 実際朝議の場でイヴァンが死んだとゼルシアは言ったが、近衛たちには真実が伝えられているはずだ。皇帝本人から欠片だけ伝え聞いた話によれば、現在はどこか遠くで幽閉されているらしい。それがどこであるのかまでは聞かなかったが、ラウならば知っているかもしれない。


「あー、俺もテオドールのオッサンから聞いただけなんだけどよ。なんでもナターリェンの神殿だって」

「ナターリェン? じゃあ、さっきの……」

「一応、護送の意味合いも兼ねてんだろ。ホント陛下って時々何考えてるかわかんねぇ……」


 とはいえ、イヴァンの処遇はこれが最良なのだろうと言って、ラウは息を吐いた。


「もう死んだことになってるからな、なんつーか、いなくなったってことにするのが一番綺麗な終わらせ方なんだろうし……ノーヴルの時みたいに、不必要な根回しするくらいならって思ったたみたいだぜ」


 相変わらず、ヴィア=ノーヴァの名前を口にする人間はセイムとゼルシアくらいだ。セイムがこれまで原動力としてきた「ヴィア=ノーヴァの汚名を雪ぐ」という目標を成し遂げるには、セイム自身がまだ修練を積み、功績をあげねばならない。

 そしてイヴァンもかつてのヴィア=ノーヴァと同様、深く暗い場所にこれから幽閉され続けるのだ。恐らくは、その命の火が消えてしまうまで。


「殺されなかっただけ、マシだろ。お前にとっても陛下にとっても、大切な人なんだから」


 死んだことにしたのも、実兄が守る神殿にその身を縛り付けたのも、恐らくはゼルシアが出来る最良の判断だったのだ。そう無理にでも言い聞かせなければ恐らくは前に進めない。風に揺れた耳飾りが、小さく音を立てた。


「あんまり、思いつめんな。話がありゃ俺も聞くし、ノーヴルだっているんだろ? つーか俺だって「八本目」で止まってたまるかよ。アマルシアのおっさんやテオドールのおっさんを正々堂々ぶっ倒して、いつか絶対「一本目」になってみせる」

「そう、だね。私も、いつかお師様とイヴァン様に胸張れるくらい、立派な魔導士になるよ」


 セイムも、ラウも、ゼルシアでさえも何が正しい決断なのかはわからないままだ。ただ今は、掲げた目標を手放さず追いかけるしかない。


 このまま自主鍛錬だというラウと別れて、セイムも中庭から出て歩き出す。

 遠くの方で、ここにいないはずのノーヴルが帰りが遅いと怒っているのが聞こえた気がした。

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名前のない賢者 玖田蘭 @kuda_lan

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