終章 〜 春風の中を



 ♢♢♢



 ルキオンの夜空を支配していた『眠り夜図』が消えてから五日目の朝。ルファとアルザークは王都へ戻るために宿館を出た。


「道中気をつけてな。俺はまだ少し雑用があるから残るが。また王都で会おう」


 見送りに出て来たレフに、ルファは笑顔で頷いた。


「……ああ、そうだ。昨夜連絡があったんだが、あの星見師、奇跡的に一命をとりとめたそうだよ」


「イシュノワさんが! ……よかった………」


 短剣を胸に刺した姿を最後に、イシュノワの情報がルファの耳には入ってこなかった。


「彼自身もあの一族にとっても、これから問題が山積みだけどな」


 ───それでも。


 ルファは言った。


「変わることはできます。変えていくことも……。生きていれば」


 闇に消えたセシリオは、この奇跡を視ただろうか。


 決まっている未来なんてきっとない。どんな未来でも、たとえ不幸が視えたとしても、必ずそうなるとは限らない。不幸が永遠に続くこともない。


 冬が春になるように。


 季節が巡るように。


 月星の輝きが続く限り。


 希望という光も消えない。


 ルファはそう信じていた。



 ♢♢♢



 ルキオンを離れる前に、二人はサヨリのところへ寄った。



「帰ってしまうのかい。寂しくなるねぇ」


 パン屋の主人は昼食とおやつ用だよと言って、焼きたてのパンや菓子を包んでくれた。


「あんたがルキオンの星見師になったらいいのに。……なんてわけにもいかないかねぇ」


 残念そうな顔をするサヨリにルファは微笑んだ。


「すぐに王都から新しい星見師が来ますよ。お屋敷の修理も予定より早く進んでいるみたいだから」


 星見師の邸は風の獣が暴れたせいで壊れた部分も多く、惨殺のあった部屋を取り壊し、建て直したりと大工事になるはずだったが。


「ルキオンの人たちみんなが、毎日修理を手伝ってくれてるおかげですね」


「星見師には早く来てほしいからね。また眠り夜空になったら困るもの」


 ───大丈夫ですよ、もうなりませんから。


 ルファは心の中だけで呟いた。


「それじゃあ。おばさん、おじさん、お元気で。サヨリおばさんとふのふわの花探しができて楽しかったです」


「私もだよ、ルファ。あんたと一緒に星色花を見ることができて嬉しかったよ。今度は仕事抜きで遊びにおいで。きっとだよ」


「はい」


「無愛想な旦那さんと仲良くね」


 店の外で待つアルザークをチラリと見ながらサヨリは笑った。


「もう、おばさんったら。アルザークさんはそういうんじゃなくて。……違うんです」


「そう? でもわからないだろ、未来のことは。何がどう変わるかなんてね」


 片眼をつむってみせたサヨリに、ルファは小さく微笑んで頷いた。



 ♢♢♢



「ん~っ。やっぱりおばさんちの胡桃パンは美味し~」


 ルキオン領を出て数時間。峠の途中で昼食をとることになった。


「ロム茶と合いますね」


「そんな苦いのよく飲めるわね。ミルクのほうがいいのに」


 こう言ったのはココアで、ルファが器に用意したミルクを飲み終えると毛繕いを始めた。


「パン生地が甘めでモチモチなのよ。胡桃とロムと両方の香ばしさが上手く溶け合うの。最高なんだから」


 パンと一緒にアルザークが焚火で小鍋に湯を沸かし淹れてくれたロム茶を味わいながら、ルファは微笑んだ。


 しばらく食事に集中していると、アルザークが声をかけた。


「調査内容はどこまで報告するつもりなんだ?」


「ぁ、えぇと」


「全てを報告するつもりじゃないなら教えてくれ。俺もおまえに合わせる。口外はしない」


「……はい。報告書は王都へ戻ってから書くつもりですけど。視たこと全ては書きません。公表しないことで守られるものもあると思うから。……あの、報告書作り、アルザークさんも協力してくれますか?」


「ああ、わかった。読ませてくれ」


「へぇ~。アルが自分から報告書が読みたいとか言うなんて。俺には関係ないとか言ってたときもあったのにぃ」


 目を細めながら言うココアを無視して、アルザークはルファから視線を外しながら答えた。


「興味が出てきたからだ。月星のことや奇現象、それからおまえにな」


「ぇ? ……ぇえと、私に?」


「ほら、早く食べて行くぞ。夕方までにこの峠を越えて宿に着かないと。山の夜はまだ冷え込む。野宿は避けたいからな」


「は……。はい………」


 動揺しているのはルファだけで、アルザークは平然と出発の準備を始めた。


 遅れては大変と食べ終えることに集中しながら、気になる言葉の意味について考えるのはまた後にしようとルファは思った。


 とにかく、アルザークが月星に興味を持ってくれたことはとても嬉しい。



「でもアルザークさん、春はちゃんと来ていますよ」


 この道は王都から来るときにも通ったが、そのとき残っていた雪は溶けて消えている。


 鳥のさえずりが多くなり、地面にはあちこちに小さな緑が芽吹いている。


「ああ、そうだな。陽射しがやわらかくなったのを感じるよ」



 昼食を終え、身支度を整えて愛馬ルトスの背に跨ると、風が優しくルファの髪を撫でた。



(季節が廻って、春が無事に目覚めたのね)



 見上げると輝きを乗せた風が、よく晴れた空へ流れていくのが見えた。





〈完〉





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天文巡察官・奇録譚〈星読み娘と星護りの騎士〉 ことは りこ @hanahotaru515

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