1st show 平穏

 月曜日の騒ぎはなんとか無事に乗り過ごすことができた。

 それぞれ違う問題を抱えている二人をくっつけ、お互いを助け合うことによって仲間意識が芽生え、その結果俺は抜けるという我ながらも素晴らしい計画は見事に成功し、俺は日常に戻ったのだ。

 それから何日か経ち、今日は木曜日。

 俺を訪ねてくる人も特になく、今日まで安穏な生活を過ごした。

 明日がラジオ番組の金曜日というのを除けば、悪くない木曜日である。

 そのおかげか学校の空気も妙に浮ついたように感じて、俺は思わず鼻歌を歌っていた。

 「お、鼻歌とは珍しいじゃないか。なんかいいことでも?」

 口の中に食べ物を入れながら汚くツバを飛ばすニシゴリというゴリラに興が冷める。

 「お前のせいでたった今、ものすごく気分が悪くなったよ」

 「なにゆえ?!」

 「考えるまでもなかろう。その野暮な態度こそが悪いに決っている」

 宇佐と昼飯を一緒に食うことになったので裏庭に出て来たのだが、なぜかニシゴリや小嵐までいる。

 こいつら友達ないのかよ。

 「あ、あの……秋風くん、飲み物買って来ましょうか?」

 弁当を広げると宇佐が俺に気を使ってそう申し出たが、俺は飲み物まで用意しているのでその心配には及ばない。

 「いや、お茶も持って来てるからいいよ」

 「あ、はい……」

 俺が水筒を宇佐に見せると、少し残念そうな顔して納得してくれた。

 なんでそんなに人に使われたがるんだ。

 持って来た弁当を開けると、香ばしい匂いが漂う――ことはなく、嗅ぎ慣れた弁当箱のプラスチック臭が混じった食べ物の匂いがした。

 今日の昼飯の献立は食パンに肉じゃがを乗せたなにか。

 ご飯を炊くのを忘れてしまったのでパンで炭水化物をとることになった。

 ニシゴリが俺の弁当をみて顔をしかめるが、ご飯がパンに変わっただけで別におかしいところなどない。

 失礼な奴め。

 「それにしても、お前のラジオ放送、思ったよりうまく行ってるじゃないか」

 行儀悪くむしゃむしゃ食べながら喋るニシゴリに精一杯いやな顔をしてみてもまったくやめる気配がない。

 「俺のもんじゃないし、別に上手く行ってもない」

 話すのは別にいいとして、高校生が持つ数多い話題の中でよりにもよって一番くだらない話題を選ぶとは、本当にどうしようもない奴だ。

 「そうか?少なくとも俺たちのクラスでは好評だったぞ」

 「弁が立つ人がいるのだから、群衆の関心が集まるのはまた当然であろう」

 雑談など興味ないという顔をしていた小嵐も自然と話しに入って来た。

 「便が立つ?それはよくわからんが、アッキーは話が上手いからな」

 なんで同じ言葉繰り返してんだよ。

 そして今のはなんだ?褒めてるつもりか?別に嬉しくもなんともないのだが。

 「お茶が少し多いな。誰か飲むか?」

 お茶が飲めきれなかったので水筒を前に置いて勝手に飲むように勧めた。

 他意はない。

 「それにしてもあんなに嫌な顔してたのに、意外とやる気だったのは驚きだな」

 「誰がやる気だ誰が」

 渡された水筒を遠慮無くがぶ飲みしたニシゴリが宇佐にお茶を渡しながら、またくだらないことを聞く。

 せっかく食事を楽しめると思ったのになんて野蛮なゴリラなんだろう。

 「あんなにペラペラ喋っておいていまさら何言ってんだ。俺はてっきり一言も喋らないと思ったんだがな」

 「そんなふてくされた子供みたいな真似するか」

 人を舐めすぎるのではないかと、躾のなってないゴリラを睨み返したが、えげつないウィンクを返しやがった。

 気分が悪くなりお茶を求めると、山奥で泉を飲んでいるうさぎみたいにちびちびとお茶を飲んでいた宇佐が慌てて俺にお茶を渡す。

 うむ、気の毒なことをしまった。

 これも全部ゴリラのせいだな。

 「じゃあ、やっぱりやる気じゃないか」

 「やる気じゃない」

 しつこい奴だな。

 「だってあんな濃い内容考えるのなかなか難しいだろ?」

 「内容もないことを適当にほざくだけだ。大げさに言うな」

 「そ、そんなことないです。秋風くんはすごいです……」

 もじもじと箸でおかずをつつきながら俺の言葉を否定するのは宇佐だった。

 まあ、うまく喋られない宇佐の前で少し言い過ぎたのかもと思ったが、そんなことをそう恥ずかしそうに言われると俺も居たたまれない気持ちになるのだが。

 「くはー、見てらんねー!爆発しろとまでは言わないが、ちょっとだけ弾けてくんない?先っちょだけでいいから。あ、うさちゃんはそのままでいいよ」

 「低俗な!宇佐さんの前でなんて言い方だ!」

 勝手に頭を抱えて悶えると思ったらふざけたこと抜かしやがるニシゴリに、なぜか小嵐がいきり立った。

 「低俗って、いまのってなんかエロ要素あったん?」

 「な、白を切るつもりか!」

 「いや、マジで意味わからん」

 勢いというか、二人の息が合いすぎて、俺が入る余地がない。ついこの前、似たような経験をしたのを思い出した。

 まあ、ふたりで盛り上がるなら俺にとっては好都合だ。

 今のうちに食事を済ませよう。

 「なら秋風くんの意見を聞こうではないか!」

 「へいへい、なんなりと」

 お茶で喉を潤して、食べ物が美味しくなるという秋の空を見上げて消化を促していると、いつの間にか矛先がこっちに戻っていた。

 何を聞かれてるのかまったくわからないので答えるすべがない。

 ただ宇佐がふたりの間でオロオロしているのを見てふと思った。

 「なんでお前らは宇佐に馴れ馴れしいんだ」

 宇佐は、俺が言うのもなんだけど人との付き合いが上手い性格ではない。

 昔に人間関係で揉めたことが原因らしく、知り合ったばかりの頃にはそりゃもう声も小さく今以上にどもっていたのでひどかったものだ。

 もちろん今は少しましになったが、それでも未だに社交性があるとは言い難い。

 なのにニシゴリと小嵐の馴れ馴れしさに、宇佐が見せる反応はその昔の苦手意識全開の拒否ではない気がする。

 例えるなら道端で勝手に失礼をする躾のなってない犬を見守るような困った感。

 「そりゃ仲良しだからさ」

 「僕は宇佐さんに御恩があるので」

 それぞれ何の疑問もなく答える二人。

 ニシゴリの奴は、確か一度だけ一緒に下校した時に邪魔されて下を打ちながら名前を教えた覚えはあるがそれっきりで、ニシゴリの方が勝手にうさちゃんなどと呼ぶことはあっても、付き合いはないはず。

 そして小嵐に至っては、こいつ自身が宇佐に負けないくらいに人間関係が希薄だったはずだが。

 「うさちゃんにはゲームも貸したりするんだが」

 「なに?初耳だが」

 「す、すみません」

 ニシゴリが宇佐に同意を求めてゲーム機を弄るような動作をしてみせると、宇佐は困った顔をして俺に謝ってきた。

 だからなんで謝るんだよ。

 初耳だと言っただけだろう。

 「いや、謝らんでいい。というか謝るな」

 その言葉にまた頭を下げて来そうな宇佐を止めて、落ち着かせる意味でお茶を渡した。

 一旦口を防がせるような意味も含めてだが、宇佐は感謝しながら水筒を受け取った。

 しかしなんと、俺が知らないところで接点があったとはな。

 いや、別にそれがどうって訳ではない。宇佐だって個人の付き合いはあって当然だろうし、むしろ昔を考えると喜ぶべきものだろう。

 宇佐はゲームが好きだからオタクー本人はオタクの領域には及ばないというがーであるニシゴリと接点は理に適っている。

 ただ相手が類人ってのが気掛かりなだけだ。

 「お、嫉妬か?」

 このように、類人級の発言を欠かせないのがその気掛かりを払拭できない理由だ。

 こいつはオタクのくせにコミュ力は妙に高いのが気に入らん。

 二年になった時、隣の席ということだけで付きまとわされて、今まで続いているのだ。

 オタクが必ずしも根暗である必要はないが、この図体なのに高いコミュ力というのはなかなかうざいものがある。

 いや、その図体だからこその自信が。

 やっぱり類人じゃないか。

 「おい、怒ったん?」

 「少しは自重しろ類人」

 「るいじん?!」

 しかしニシゴリとの繋がりはまだ納得できるとして、小嵐はまたどういった因果なのか見当もつかない。

 その疑問から自然と小嵐の方に視線が向く。

 小嵐は言わずとも俺の視線の意味を察したのか、少しためらいを見せて答えた。

 「僕は……御恩があるとだけ言っておこう」

 秘密があることだけ仄めかして口を噤んでしまう小嵐。

 その答えをもどかしさを感じたのは俺だけではないらしく、衝撃を受けていたニシゴリが正気に戻って小嵐を問い詰めた。

 「おいおい、ここまで来てそれはないっしょ」

 どこに来てるって言うんだ。

 ニシゴリの類人語はともかく、小嵐の態度がむしろ好奇心を刺激したのは事実なので、もうひとりの当事者である宇佐の方を見ると、

 「あ、あの……あんまり聞かないほうが……」

 視線が合った途端ビクッと驚きながらも小嵐の秘密を守り抜いた。

 ううむ、宇佐の性格を思うとこれ以上聞いても無駄なのだが。

 「そんなに恥ずかしいことか?」

 「は、恥ずかしいとは何事か!」

 たぶん考えなしに口に出したのだと思うが、ニシゴリの言葉に小嵐が激しく動揺した。

 なるほど、恥ずかしい思い出だったのか。

 どのようなことがあったのかは気になるが、それが黒歴史に触れるものならそっとしてあげよう。

 どうせこの先、死にたくなる恥がごまんと待ちわびているのが人生、わざわざ傷を増やしてやる必要はない。

 小嵐の黙秘権を認めて、俺たちはまた食事に戻った。

 しかしニシゴリの奴、野生なだけあって感は生きているようだな。

 「なあ、あの東雲って女とはいったいどういう関係なんだ?」

 「コホッ!」

 脈絡をまったく考慮していないニシゴリの発言に喉を詰まらせてしまった。

 口を抑えてお茶を求めて手を出すと宇佐が慌ててお茶を渡して来たのでそれを飲んでやっと落ち着く。

 「ふう……?」

 お茶を飲むのがそんなに珍しいわけでもないのに、他の三人の視線が俺に固定されていた。それと、気のせいか宇佐との距離が縮んだような。

 「なんだ」

 「だから、あの東雲という女との関係」

 チッ、この無粋なゴリラめ、余計なことを口走りやがって。

 何を思って聞いたのかは知らないが、お前ごときの思うつぼにはならない。

 「あいつと関係と呼ぶべきものは何ひとつ持っとらんし、持ちたくもない」

 「でも前から知り合いだったんだろ?」

 「それがなんだ」

 「誰もいない教室で抱き合っていたと」

 「誰がだ!」

 「ひうっ!?す、すみません!」

 あまりのデタラメに声を荒げると、静に聞いていた宇佐が驚きながら謝ってきた。

 どうやらデタラメの発信元はここのようだ。

 おそらく部活に誘われた日のことを言ってるのだろう。

 あの時になんでないと説明したのに、ずっとそんな風に思っていたのか。その上、それをニシゴリに話してたなんて、ちょっと衝撃だが。

 「わ、わたしはただ、ふたりが近かったとだけ言って……」

 「ウェイト、潔白を証明する証拠はあるのかね」

 ニシゴリが宇佐の釈明を遮って、頭が高いというか図に乗った事を言い出した。

 こいつはたまに戯言というか、たぶんオタクの間だけに通用すると思われるセリフを得意げに決めるくせがあるのだが、そこら辺の知識がない人が見ると不愉快でしかない。

 「今さっき証人が証言を否定してるだろうが。あまりふざけると貴様の黒歴史をネットと学校の掲示板と近所の回覧板に刻み込むぞ」

 「ちょ、ヤメテ!」

 こいつの恥部なんて知らないし知りたくもないが、即刻に反応をするのを見ると相当にやらかして来たと思われる。

 人間って本当、恥の塊だな。

 騒動の種であるふたりが羞恥に包まれたことで、俺の昼休みはようやく安定を取り戻した。

 宇佐はもじもじとまだ何か言いたそうにしていたが、多分さっきの釈明の続きだと思って気にしてないとの意を伝えてなだめた。

 人が増えるとそれだけ面倒なことが増えるという改めて思い知りながら水筒を取ると、お茶はすでに飲み干されていた。

 周りを見るといつの間にか全員とも食事は終えている。

 時計をみるともう結構な時間が経っていた。

 そろそろベンチに四人揃えて学校を眺めるのもいい加減虚しい頃と思い、俺が教室に戻るべくと尻を持ち上げると、他の三人も時を同じくして立ち上がる。

 涼しい風が通る校庭では食後の運動に励んでいる男子の声がやけに大きく響く。

 元気なこったと思いながら校内に入ると、ニシゴリが後ろから呼び止めた。

 「なあ、せっかくだし、放課後どっか行こうぜ」

 「行かねえよ」

 何かと思えば放課後の誘いか。

 学生らしくて結構なことだが、俺には該当しない事柄だ。

 「あの、秋風くんがいくなら……」

 一番後ろに付いて来ていた宇佐が小さく手をあげて参加したいとの意を表明した。

 俺の参加を前提しての消極的な主張ではあるが、人付き合いの苦手な宇佐にしては結構な勇気を出したものだろう。

 それがすごく望ましいことなのだが。

 「ごめん、バイトなんだ」

 今日のバイトは早番であるため、悪いけど付き合う暇はないのである。

 何度目かわからない誘いを断り、俺はさっさと教室に足を運んだ。

 「部室にこれをおいてきてくれ」

 最近、大前先生に呼ばれる回数が増えた気がする。

 その大抵は今のような使い走りで、返ってくる補償など皆無に近い。

 そのうえ、殆どが放課後というのがまたたちが悪い。

 すでに校門を抜けだしている俺の気持ちをどうしてくれるのだ。

 「なんですかこれ」

 「見てわかるように横断幕だ」

 見ればわかるけども。

 「なんで部室に置く必要が?」

 「私が管理することになったのでな。部室、使ってないだろ?」

 使ってないけども。

 「なんで俺がやらなきゃだめなんです?」

 「さっさと行け」

 結局、なぜ俺が使われなきゃならないという質問に対する答えは聞くこともできずに追い出された。

 これは職権乱用と見てもいいほど横暴だが、今日は珍しく大前先生が髪を解いていて新鮮な感じを与えてくれたので許すことにした。

 部室に着いてドアを開けると、中には先客がいた。

 「あ、師匠!」

 ふくよかで人当たりの良さそうな一年生の男子が嬉しそうに迎えてくれる。

 「やあ、なんか手伝おうか?」

 もうひとりの背の高い、明るい顔をしている同級生は、俺が持っている横断幕を見て手伝いを申し出てくる。

 言うまでもなく、先週の放送でメールを送った川尻志保と白鳥英美の二人である。

 月曜日の放課後、先週の放送がきっかけで起こった話し合いの末に、川尻と白鳥が助け合うー加えて俺はこの件から抜けるー方がもっともいいだろうという俺の提案がが受け入れられたことで一段落がついた。

 しかし話し合いはそこで終わってはいない。

 そのまま解散になったら理想的だったのだが、提案と言っても具体性が欠けている思い付きであることに気付いた二人がどうすればいいのかという助言を求めてきたので、俺は仕方なく人間関係に関するありったけの浅い知識をまとめてそれらしく言い繕ってその場を抜け出してきたのである。

 その内容とは簡単に言って『できるだけ長い時間を一緒に過ごす』という至極当然のものであるが、それについては文句を言われていないので二人ともそれでいいのだろう。

 「いや、置いていくだけだから」

 気にすることないと手を振って断ると白鳥が頷いて笑顔を返して来た。

 その顔から月曜日に受けた困った印象は欠片も見えなかったので、もしかしたら俺の臨機応変は意外と的を射ていたのかもと思わせる。

 川尻も楽しそうに白鳥に言葉を掛けていることだし、俺は思わぬところで人の助けになったなと思うと、なんか手の届かないところが痒くなった気がした。

 うむ、なんかお礼でもしてくれないんだろうか。

 そんな俗物的な考えが思い浮かんだが、二人があまりも面白そうに話し合っているので、邪魔者はさっさと退去してやろう。

 「あ、先輩、ちょっと待てください!」

 適当な隅っこに横断幕を置いて出ていこうとしたら、川尻が俺を呼び止めた。

 「?」

 頭をかしげる俺に近寄って来た川尻はまごまごとなかなか口を開かなかっが、やがて決意を固めたように俺に言った。

 「あの……本当にありがとうございました。し、いや先輩の助言のおかげで、僕にも道が見えてきた気分です!」

 言いたいことは感謝の言葉だったようだ。

 そんなにありがたいなら形があるもので示して欲しいものだが。

 しかしまあ、キラキラした目で感謝している川尻にそんなこと言うほど無粋なつもりはないので、今日は言わずにおこう。

 正直に言って、俺が何もしてないのは俺が知ってるし。

 言わないけど。

 「まあ、上手く行ってるようでなによりだ」

 白鳥の方を見てそう言うと、川尻も白鳥も照れくさそうにほくそ笑む。

 「えへへ、本当に先輩の言う通りでした」

 「相性がバッチリだからね。美女と野獣ってやつ?なんちゃって」

 「デブとガリでしょそこは」

 「誰の胸が貧しいって?!」

 「あははは」

 「はははは」

 俺が何を言う間もなくボケたり突っ込んだり勝手に盛り上がる白鳥と川尻。特にこっちの反応望んでいるコントでもないようで、俺はただ呆然と立つしかなかった。

 なんかこいつら思ったより仲がいいな。

 気に入らん。

 「あの、秋風くん。その……あれからなんか言われたりした?」

 こっちは全く構いなしに、いたずらっぽく笑いながら会話を楽しんでいた白鳥が急に真面目な顔に戻って心配そうに聞いてきた。

 主語も目的語も曖昧で他の人が聞くとまったく意味のわからない言葉であるが、白鳥が俺に聞く心配事というのは例の友達、鴨井に関することしかない。

 今日までの間に鴨井が直接、俺に何かしたのかではないと懸念していると受け取れる。

 あの日、つまり放課後の話し合いが終わったとき、念の為に謝罪の手紙を白鳥を通して送ったのだが、この様子を見るとどうやら通じてないようだ。

 内容をネットのお問い合わせのテンプレートを少しいじったものにしたのが悪かったのかな。

 「こっちには特に何もないんだがな。何かあるとしたらお前の方ではないか?」

 「私はその……それから秋風くんに会えなくなったって言い訳してるから」

 そのことが未だ後ろめたいようで、白鳥は話しながら落ち込んだ。

 陳腐ではあるが、確認できない間はどうしようもない言い訳だから有効な方法ではある。さすがにいつまでもその言い訳を通させるのがキツイという難点がいるけど。

 「……」

 どのみち、事案は俺から離れているので、あまりこの話題を広げて余計なことになるのは御免だから言葉を慎んでいると、それが余計に静寂を強調させて、ずっしりと重い空気が場を支配した。

 「だ、大丈夫ですよ!僕が自信を得たように、友達ともきっと上手くいけるはずです!」

 暗い顔をしている白鳥を見かねた川尻がわざとらしく自分の胸を叩きながら励ましの言葉をかける。

 健気なものだが、自信の根拠が少し弱いのではと思う。

 「だから、元気出してください、白鳥せ――いや、え、英美さん」

 「ちょ、ちょっと!それやめてって!ま、まだ心の準備が……」

 む?

 川尻の無謀なセリフに白鳥がびっくりしたのはまだわかるが、後半の反応はさっきまで落ち込んでいた人がするにはちょっと場違いなような……

 「僕は、準備出来てます!」

 「えええ?!!」

 勢いが溢れる川尻の言葉に白鳥は驚きながら顔が赤くなった。

 う、ううむ~?

 てっきりさっきと同じくふざけたコントになるかと思ったのだが、なんか予想外の展開になって来てない?

 「え、英美さん……」

 「か、ゆきやすくん……」

 ふたりが見つめ合うと、空気が一変した。

 さっきのような重い空気ではないのだが、さっきよりも居づらくなっている。

 しかも俺はまったく眼中にない白鳥と川尻。

 「あー、俺いくわ。じゃあな」

 その場のすべてが俺を拒絶してるような居たたまれなさに、俺は急いでその場を逃げ出した。

 すっかり冷えてきた夜の街を歩いて家につく。

 郊外の片隅に位置する味気ないアパートメントがわが家である。

 ここに住んでもう四年になるのだが、壁は薄く、隣人の騒音は絶えることもないし、冬には寒く夏には暑いのは基本で、ネズミや虫が仲睦まじいという、もう現代の住居を代表している素晴らしいところである。

 今は暗くてよく見えないけど、昼に見ると薄汚い黄色の塗装がそりゃもうビンテージ的な感じで、プリミアムがつくほどだ。

 嘘だが。

 「あ、おかえりー。そういえば今日はバイト早番だっけ」

 玄関の扉を開けると、リビングから妹の声が聞こえて来た。

 リビングと言っても玄関から丸見える小さな空間のことだが。

 「妹よ、パンツが丸見えだが」

 「見せてんの」

 小さいソファでうつ伏せになって携帯をいじる無防備な妹に注意を喚起させようとしたが、あっさりと返されしまった。

 なんと嘆かわしいことだ。最近の妹というのはこれほど堕落しきってるというのか。

 パンツのひとつやふたつは見せつけてもいいというその腐った精神をどこから正してやればいいのか俺にはわからない。

 まあ、ジャージパンツを着ているからパンツが見える隙もないが。

 「今日も母さんは遅いって」

 「知ってる」

 「だから晩飯は自分でなんとかしてねー」

 俺が部屋で着替えを済ませて出るまで顔も見せない我が妹が吐き出した言葉は耳を疑わせるもので、寂しいサラリーマンの気分になっていた俺は妹に問い詰めた。

 「ん?今日の当番は貴様のはずだが?」

 「だって勉強でいそがしかったもん」

 「どの口がほざいてんだ」

 今すぐその携帯を真二つに割ってやってもいいのだぞ。

 「本当だってばー!アタシはまだテスト期間だからね!」

 「むっ」

 そういえばまだ終わってなかったか。

 頭の出来が悪い妹でも、テスト期間中にせめての悪あがきは認められるべきであるので、俺は素直に断罪の剣を収めた。

 「でも今は暇そうだな」

 「もうー!わかったよ、作ればいいんでしょ?それより早く風呂入って来てよね、クサいから!」

 「ぬっ」

 もし断ろうとしたら兄の威厳を見せてやろうと思って近づいた俺はその一言に崩れ落ちた。

 なんでこうも妹から言われるクサいはダメージが大きいんだ。

 この空の下で、今も誰かが俺と同じ痛みを味わっているのだろうか。

 「どいて」

 妹の言葉にしたがって、俺は渋々と風呂場に向かった。

 悲しい気持ちもバイトの疲れも風呂に流して出て来たら、台所で妹が完成した晩飯と一緒に俺を待っていた。

 つい嬉しくなって食卓に近づくと、皿に乗せられていた今日のメニューはトスト二枚と目玉焼き二枚、それと牛乳。

 これを食べたらまたすぐにでも登校したい気分になるようなメニューだった。

 段々兄への扱いが雑になってきているな。

 文句を言うとしたら塩入れの蓋を外してぶっかけようとしたので大人しく席についた。

 黙々と食事を始める俺の向かい側で、妹の奴は携帯を手に離さずポチポチといじっている。

 「ポチポチポチポチと、いつまで携帯をいじるつもりだ。いいか?そんなに携帯ばっか――」

 「だってうちテレビもないしお兄ちゃんのノートパソコンいじったらけち臭くキレるでしょ」

 お前が警告文を読める奴ならノートパソコンくらいいくらでも貸してやるけどな。俺はまだノートパソコンを失う自信がないんだよ。

 「……好きなだけいじるがいい」

 「してる」

 言うまでもない妹の返事を受けて、俺は食事にもどった。

 しかしこの目玉焼き、まったく味付けがされてないな。

 「ねえ、お兄ちゃん」

 「なんだ、妹よ」

 目玉焼きの無味さを長く咀嚼して吟味していると、妹が携帯でのコミュニケーションをやめ、神妙な顔で話をかけてきた。

 「お兄ちゃんって、もう少し余裕を持ってもいいと思うよ」

 「身も蓋もなさすぎてお前が心配になってきたぞ」

 我が妹の知能にとうとう限界が来てしまったのか。

 どうしたらいいんだ、いきなり突拍子のない話をするのはバカの始まりだと――ふむ、すでにバカだったな。

 「バイトと学校ばかりだからさ、友達もいないんでしょ?」

 「え、俺なんでいきなりディスられてんだ?」

 俺の心を読んだとでもいうのか?

 はっ、すまん!悪気があったんじゃない、反省はするからこれ以上俺の心を覗かないでくれ!

 「なにしてんの?」

 「いや、続けてくれ」

 どうやら冗談やふざける話ではないようだ。

 妹が真面目な話をして来るのは久しぶりだったので、俺は残りのトストを一気に食べ尽くして付き合ってやることにした。

 「とにかくさ、そんなんじゃ息が詰まって死んじゃうよ」

 妹が見るには、俺の生き様は余裕もなく息詰まる苦しい物に見えるらしい。

 最近似たようなことを誰かに言われた気がするし、俺ってそんなにキツイ顔をしていたんだろうかと、ちょっと反省する。

 しかし事実としては、特にこれと言った辛さはない。

 俺が毎日バイトしているのは家の事情があるからで、それは妹も主知の事実だ。

 これは避けようとしてどうにかなるものでもないし、不満を垂らして変わるものでもない。

 原因を憎むことはできても、それで満たされるのは歪な自我の安定性だ。

 公平な人生なんてバカげたことこれ以上ない夢物語であることを自覚したのら何とかしなきゃならないし、各々の差し迫った状況だけが行動の動力になる。

 だから今の状況を甘んじて受け入れている俺を心配するのは無用と言えるだろう。

 まあ、妹が何を言いたいのかもわかるが、それもまた妹の踏み外しだ。

 「息抜きならしてるがな」

 俺には立派な息抜き用の趣味もあるのだ。

 月に1回くらいの頻度で映画を見に行くこと。

 ひとりで暗い劇場の中に身を隠して、スクリーンに流れる映画を何も考えず眺めると、俺の脳はリフレッシュできるのだ。

 「あんなの息抜きとは言わない!見てきた映画がどんな内容かも覚えてないんでしょ!」

 「おい、俺がバカみたいな言い方するな」

 だって映画の内容を知るために行っているわけじゃないのだ。

 この事実を知った妹はびっくりしたというか、怒りながら自分も付いて行くと言い出し始めたのだが、そんなことになったら一人で行く意味がなくなるので今まで上手く撒いている。

 「中学の時はまだましだったのに、なんでこうなったのかな」

 手に持っている塩入れを食卓に転がしながら妹はため息を付いた。

 なんで俺は妹にため息を付かれているんだ。

 「鼻たれ小僧だったお前がなに知ったような口をきいてる」

 「中二病全開だったけでイキイキしてたじゃん」

 「俺の歴史に中二病という言葉はない」

 「『俺は機械になりきる。感情などいらな――』」

 「しーっ!」

 俺は慌てて妹の言葉を遮った。

 いつの時代の言葉を覚えやがる。

 危うく恥がいっぱい詰まっているパンドラの箱が開けかけたじゃないか。 

 「こほん、とにかくお前が心配するようなことはない。お前は自分の学業の方を心配しろ」

 「別に心配してないよ。ただ見てるこっちも息詰まるから、少しは気を抜いて楽に生きようって話」

 「……」

 言葉ではそう言うが、これが憎めない我が妹なりの心配の仕方だとはわかっている。長年のを一緒に過ごしてきた俺たちは、素直に心配するのもまあまあならないのだ。

 ほら、妹は柄に合わないことを言ったことが恥ずかしいのか少し頬を染めて罪のない塩入れをいじめている。

 このような家族がいるから俺の胸も熱くなるという――

 「ついでにさ、アタシも明日のテスト終わりの息抜きにパジャマパーティーしてくるからさ」

 「……パジャマパーティー?」

 「パジャマパーティー」

 暖かくなっていた胸が冷める気がした。

 話がうまく誘導された感がある。

 「一泊の?」

 「一泊の」

 妹は期待に満ちた目で俺を見上げた。

 さっきから視線を避けていたのは恥ずかしさではなくこれは隠すためだったのか。

 「許さん」

 「許してよ!」 

 そんな楽しそうなこと許すわけ――じゃなく、年頃の娘を外泊させるなんて論外に決まっている。

 妹は許可が下りるとでも思ったのか、俺の断固とした決断に反発して暴れ出そうとする。

 ははっ、ざまみろ。

 「どうしてもしたいというならうちでやれ」

 「こんなところでできるわけないでしょ!バカ!」

 可哀想だから折衷案を出してやったのにひどい言いぐさである。

 「こんなところとはなんだ。お前は知らないだろうが、ここも無理して来たんだぞ。最初に決まった引越し先は部屋がふたつしかなかったんだ」

 「うへー!そこになったら部屋割りも出来ないじゃん!」

 渋柿でも食べたようなしかめっ面であったかも知れない可能性を毛嫌いする妹。

 まあ、俺もあまりその可能性を考えたくはないのだが、妹の言葉にはひとつ間違ったところがある。

 「はあ?何言ってんだ。部屋割りはどこでも一緒だろ」

 「え?お兄ちゃん、私に部屋を譲る気だったの?」

 ここで家族愛が溢れるひとことが出てくると予想したのか、妹はちょっと感動したように俺に聞いてきた。

 「バカか?個室は当然俺のもんだろうが。お前はせいぜいリビングか台所で寝ろ」

 もちろんそんな展開などない。

 なにより、当然のように兄貴を抜いて自分が部屋を持っていこうとするその腐った根性がある限り、そんな展開は俺が阻止する。

 「くそ兄貴!とにかくアタシ、明日パジャマパーティー行くから!」

 「俺じゃなくて母さんに言えよ」

 妹は捨てセリフを残して自分の部屋に戻った。

 まったく、本当に小物っぷりが似合う妹だ。

 しかし後片付けも妹にさせるつもりでいたのに、これはちょっといじり過ぎたな。 俺はパジャマパーティーを餌にしたらよかったのにと後悔しながら、仕方なく自分で皿を洗うことにした。

 晴れて金曜日。

 昨日が平穏すぎたせいか、朝早くから東雲と鉢合わせになる憂鬱な始まり方をしてしまった。

 今日は番組があると念を押されて、いやいやと頭を頷くことになる始末。

 授業もやけに短く感じられるもので、気が付くといつの間にか啓発時間になって、俺は部活の顧問が担任であること喜んでいた自分の浅はかさを思い知りながら否応なく放送室に連れて行かれた。

 「遅いー!部活はすでに始まってるー!」

 放送部員が働く横で漫画を広げているロクデナシが何か言っていたが、軽く無視して宇佐と挨拶を交わしてから席に座った。

 前と同じく昼飯兼会議ということになって東雲の戯れ言を相手にしていると尿意を催したので、

 「ちょっとトイレいってくるわ」

 「付いてってあげよっか?」

 「だ、だめですよ、そんなこと」

 「ん?トイレ前までって意味だったけど」

 「へ!?は、はう……」

 などの意味のない会話を後にして少し席を外した。

 今日も前回と同じような構成で行くことはほぼ決まったのだが、肝心のメールが1通しか来てないのが問題になった。

 まあ、俺にしてみれば前回が例外なだけで、今が妥当な結果だが、とにかく東雲が暴走気味なのでそれだけ避けるべきだろう。

 本当に余計な悩みが増えてしまったと嘆きながら、用を足して放送室に戻る途中、まだ昼休みが始まってもないというのに、放送室の前の方で生徒の声が聞こえて来た。それもなんか穏やかでは騒がしい感じの声。

 何事かと少し顔を出して見たのだが、そこには見慣れた顔がふたついた。

 「今まで私の言葉なんて無視してそんな豚と遊んでたわけ?!」

 「ち、違う!あと彼を豚って呼ばないで!」

 「最初から私を笑い者にしたかっただけでしょ!自分は男と遊んで、失恋した私をバカにして!」

 なんだこの修羅場は。


 

 

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