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[やばいぞ、やばいぞ]

[早く、何か代わりのを]

[突然の事態で、もう!]

//



 彼は、幼い頃に母親を亡くした。

「………」

 文字は全然読めず、言葉もろくに知らない人だった。

 だが彼女は苦労しても自分を育ててくれた母親で、彼にとってはかけがえのない人だった。

 だが、今彼の前にいる母親は死んでいた。


 族間の抗争に巻き込まれた――ではない。

 事故だ。

 母親が手に入れたボトルには洗剤が入っており、それは人が飲んじゃいけないもので――母親は知らずに、飲んでしまったのだ。その洗剤は強力であるが故に人には有害で、あっという間に母親は白目をむいてクチから泡をふいて死んでしまった。

「………」

 少年は、しばし一人で地下都市の暮らしをした。

 長くは続けられない、とすぐに悟った。

 食料はほとんど手に入らない。

 一番街など自力で食料を生産する街はいいが、その街からはぶられた者。六角形の中心にある七番街はただ飢えて苦しむしかなかった。ここは人の往来が激しい街ではあるが、居住する人は限られている。ほとんどはどの街にも受け入れられず、逃げ延びた者だ。

 しかも、その面々は毎回変わる。すぐに死ぬからだ。

 食料がなくて死ぬ者。

 もしくは、族間の抗争に巻き込まれて死ぬもの。

 ――母の場合は、かなりイレギュラーだった。勝手に洗剤を買って、勝手に飲んだ。


 少年はまず知識を身につけようとした。

 ロクに言葉も覚えておらず、それでも少年は人々の会話を聞き取って徐々に語彙を増やしていき、人並みに話せるようになった。

 文字は知っている人を探した。元は楽園教の団員だったが、今じゃ足をやられて路上暮らしの男に会い、どうにか文字を教えてもらった。代償は大きかったが、仕方ない。少年は嫌々だったが、体を使った。従った。

 知識を得ても明日につなぐ食料がなければどうなるか分からない。

 食料はどうしたかというと、食べられそうな虫やネズミを捕まえて、調理して食べた。クソマズイのもいたが、うまかったのもいた。中には燃やしたら逆に駄目なのもあって困った。そこら辺に生えている草の中に毒消しのものがあるから、それを利用したり、焼けばある程度は味をごまかせると誤魔化した。最初は死にものぐるいだったがその内に少年は生活になれて、次第に人々の往来を見ながら商売のようなことができないかと考えた。

「………」

 案内人だ。七番街だけなら自分の庭のように生活してきた。だから、地下都市で誰よりもくわしい自信がある。少年は自分の評判を周りに広めるため、なるべく人とのつながりを大事にし、機械のパーツを集めたり、ささいな手助けをして評価を集め、そしてよそから来た者の案内を紹介してもらうようになった。

 これはすこぶる好調で、それが逆に「あいつ、結構儲けてんじゃねぇか」家には食料に変えてもらえそうな機械やパーツがたんまりあるんじゃないかと思わせ襲撃されたこともある。最初の一回目だけはかわいらしく被害者面で泣きわめいたが、二~三回と繰り返す内にどうすれば守れるか、そして敵を返り討ちにできるかを学び、罠にかけるようになった。


「きみは、驚くべき知能を持っているね」


 中肉中背の無精ひげを生やした男が、少年の前に現れた。

 薄汚れた白衣に、シャツとジーパン。髪はぼうぼうで、かゆいのか首筋や頬を何回もかいている。不潔、不快、不愉快、ありとあらゆる嫌悪感が思い浮かぶ男。

 歳はそこそこいってるようで、三十代半ばぐらいと思われる。

「工夫してるのだね。機械に関してもきみはロクに知らないはずだ。だが、きみは人の見る目や経験でどれがいくらぐらいになるのか。価値を判定している。……なるほど、野生の知性というものか。鋭敏な頭脳ははじめから答えが用意されてる場所では得られないのか」

 男は、そう言うと少年に背中を向けた。懐からチョークを取り出し、壁に文字を書いた。

「――ここが――違う、こうで――」

 少年が見たことのない数式を次から次へと書いている。いや、何も彼だけじゃなく、人類史にいた人間達が見てもわけが分からないだろう。出てくる数式は、加法や減法など基本的なものばかりだが、考えている式というのが、人間はどうやったら超人になれるかという途方もないことだった。

「……むぅ、いかんな。私は、奴らと戦わなければならないのに」

 奴ら?

 少年は首をかしげた。

「――あ、あぁすまんね。つい、夢中になってしまった。私の悪い癖なのだよ。考えに没頭すると周りが見えなくなる」

「この、線が二つ重なってるのは何ですか?」

 だが、少年が返した言葉は男にとって予想外だった。

 男は複雑な図形も駆使して数式を組み立てていた。それはけして、数学のすの字どころか、言葉さえこの前覚えた子供にはかすりも理解できない内容な――はずだった。

「もしかして、二つを合わせるって意味ですか?」

 男は、一瞬目を点にして驚きに浸るが――すぐに、ニヤッと笑った。

 おもしろい。

 と、彼は思ったのだ。

 彼は手をさしのべる。

「教えてあげよう。この世の真実を」


 ◆


 それから、少年は彼と共に暮らすようになった。

「私の名前は、ノザキだよ」

 その場所は、ノザキ邸と呼ばれている。

 邸といっても、とても個人が住む規模ではない。

 かつて、人類史を支えていた科学技術をいくら滅ぼうと後世に残そうと、建てられた四つの学舎――校舎に、ノザキは住んでいた。

 ここを、ノザキ邸と呼んでいた。

「きみには最高級の知性を与えよう。いずれ、私も後継者が必要になるときがくる」

 ノザキ邸の四つの校舎は、二つ一組に十字に並んでおり、バッテンにも+にも見える。

 校舎は無骨な鉄筋コンクリートの建物で、見た目は巨大な墓石にも見える。中は何故か木造に見えるように床や天井に、木材を使っていて、全てまとめてゴシック建築と呼んでいい代物だ。

 ――少年は中に連れられる。彼が案内されたのは、図書室だった。

「きみは、文字が読めるかな?」

 半円形の空間。

 全体的に温白色に見える。木造のすきまにある窓から地下都市のスポットライトの光が入ってくる。それは木造に濡れて温かい茶色に、ここは鉄筋コンクリートも混ざっていて、多様な価値観を象徴しているようでもある。

 入り口から見ると、半円形に段差をのぼっていく。段差は三段あり、段ごとに本棚がぎっしり詰められている。もちろん、中の本もぎっしりだ。本棚の前には、勉強するために椅子やテーブルも置かれている。

「……多少は」

 思わず、少年は圧倒されてしまった。

 神々しいとすら感じる。まるで、樹海の中で神秘的な自然美を見たかのよう。

 この場合は、人の軌跡というべきか。本も建築物も人の技術であり業だ。自然美に匹敵するほどの物量が、そこにはあった。

「じゃあ、私が教えよう。そうすれば、どんどん賢くなれるよ。知識とは、知性とは抗う技術だ。これがモノや物質なら、誰かの手で、自然の悪意で奪われるかもしれない」だが、とノザキは言った。「ここだけは奪われない」

 頭を、指さして言った。

「ま、それも能力者によるけれど――でも、特殊なことがない限りはここは安全だ。知識は裏切らない。知性は騙されない。真を身につけよ、真を探り当てろ。知性こそが、きみを照らす鍵となる」

 どんな絶望下におかれても、唯一の武器となる。

「だから、ここは最適さ」

 と、ノザキは少年に言った。

「………」

 つい、その言葉に意識をもってかれそうだった。

 ノザキの言葉は、滔々と語るわりには淡々としておらず、いや淡泊に聞こえる響きではあったが、その内包された情報には熱があった。熱は、少年の心をたちまち燃やし尽くして、ついには彼の核となる部分に引火して爆破してしまった。

(……あぁっ)

 少年はノザキに悟られぬよう、心を落ち着かせようとした。

 ――だがダメだ。思わず、にやけてしまう。彼が強く望んでいたことがついに叶おうとしているのだ。

 やった――やったぞ――やった!

 心の中で両手を上げて喜んだ。

 これでもう、知識に困る必要はない。騙される心配も、敵に出くわしても戦いようがある。そう、もう馬鹿じゃないんだ。


「……かあさん」


 彼は、部屋まで与えられて、そこで一人になると思わず涙をおさえられなくなった。


 少年は図書室にこもって本を読みあさった。

 ノザキ邸にある図書室は複数あり、どうやら少年が目の当たりにした物量でも足りないものがあるらしく、少年はそれらも魔物が食らいつくすように読みあさった。文字は多少読めないのもあったが、学びながら読んで、習得していった。頭の中に文字を入れて、咀嚼していった。

「我々はいずれ奴らと戦うことになるだろう。ここは、そのための施設なんだよ」

 ある日のことだ。ノザキは少年を連れて、ある研究室に案内した。

 その施設は少年のような幼い子供達が大勢いた。

「きみのような知能高き子ははじめてだ。他は能力者ばかりだね」

 能力者。

 少年の目はするどくなる。

 彼がこれまで怯えていたもので、同時に憎んでいたものだ。

「大丈夫。ここからなら、きみのことは知られないよ」

 研究室は、円形状の空間だった。

 高さは二階建てで、二階からはふきぬけになっている。一階の中央に子供達がのぞけた。彼らはそれぞれ体術のような訓練をしており、それぞれの能力を使って岩を浮かせたり、壊したりしていた。

「……彼らを、鍛えてるのですか?」

 自分のように、とは聞かない。

「そうだ。いずれ、奴らと戦うためにね」

 校舎の地下にも降りた。ただでさえ、ここは地下都市なのにさらに地下に降りる。

 地下の一室に入ると、そこは複数の機器が置かれてる場所で、五個のモニターには別室の光景だろう。真っ白な空間に少年がぽつんと突っ立っていた。

(……あれは?)

 自分と同じくらいの歳の少年を見て、疑問符を浮かべる。

「見ていたまえ、彼がこの研究所のエースだからね」

 真っ白な空間の壁が突如変形して、トビラになる。

 そこから、一匹の大きな虎が現れた。

「………」対峙してる少年は微動だにしない。

(――!?)逆に、それを眺めていた少年は肝を冷やしていた。あんなの、目撃しただけで裸足で逃げる。なのに、対峙している少年は笑ってさえいた。

 虎は大きなクチを開いて、牙をむき出しにする。

 足を強く蹴って疾走し、少年をかみ殺そうと――

 できなかった。

「えっ?」

 眺めていた少年は目を点にした。

 モニターには、虎がクチを開いたまま硬直していた。ぷるぷると震えているが……それ以上の動きは取れない。

(あいつがやってるのか?)

 モニターに映る少年――白髪頭の彼は、口角をつり上げた。

 肌は白く、病気のように色素がない。地下都市は最初から太陽がないから肌が白い者が多い場所ではあるが、それにしても異常だ。髪も肌も白いから、彼の存在感は極めて透明で――なのに、妙な圧迫感があった。澄んだ水に毒があったかのように、それは対峙してる虎も徐々にだが感じ始めたようで、気がつけば虎の顔は恐怖で歪んでいた。

 まるで、人間の顔のように威厳あふれていたはずの虎の顔は、泣きべそをかき、逃げたい、でなければと嘆いていた。


「牙か……こんなものがあれば、オイラもこんなことする必要なかったナリよ」


 虎は、自身の爪で喉をひき裂き、血管を破って血を大量に噴き出す。

 少年の顔に真っ赤な血が当たる。真っ白だったキャンバスに塗られた赤い絵の具――赤く染まった彼は笑った。

「ナリよぉ……」

 その後も、虎だけじゃなく少年に幾多の動物が襲いかかる。

 いや、襲わせる。

 だが、少年に傷一つつけられない。熊やゴリラ、中には恐竜を模した生き物まで現れたが、少年を血で汚すことはあっても、血を流させることはなかった。一方的に流れたのは動物たちだけで、少年は血のシャワーを浴びて満面の笑みを浮かべるだけだった。それは不気味を通り越して吐き気を催すが――少年は、少しでも生きている実感を味わっているようだ。

「ナリぃ……」

 両手を広げて、雨を受けとめるように血の雨を受けとめる。


「……ノザキさん、あの子は?」

 少年――褐色肌の少年はたずねる。

「彼は、エース。我々はそう呼んでる。この研究所で一番の実験材料だよ」

 最強の能力者、だと彼は言った。

(最強の……)

 少年は記憶に深く刻むように反芻する。

(最強の……能力者)


 ◆


「エース……」

 それが、彼の名だ。

 この研究所で最も強い者だから与えられた。

 実験材料として、最も強いから。

「………」

 褐色肌の少年はマジックミラー越しに戦いを見物した。

 今日は、肉体強化の能力者が戦っている。少年はこと細かに記録を取っていた。別にノザキが命じたわけでもなく、自発的にやってることだ。モニターや、マイクから指示をしている大人達もノザキといっしょの研究員で、科学者としての知識がある。(彼らも、ノザキに近い者なのか)

 少年は考える。

(それにしても、ここで勝ち残るのは肉体強化がほとんどだな)

 研究所が行う実験とは、簡単に言ってしまえば殺し合いだ。

 命を賭けた殺し合いをさせ、能力の精度や特製を見極める。そして、能力者、個人個人の力を高める。エースはその筆頭で、今じゃ能力者が束になっても適わない。外に出ても、そこら辺の族じゃ彼を止められないだろう。

(エースは例外だが、ほとんどは肉体強化が勝ち残る。応用力に関して、彼らが一番なのだろう。それに何より使いやすい。自身の肉体を使うから、どうしても炎を出すだったり、何かを具現化する能力とは雲底の差だ)

 それは露骨に戦闘に現れた。能力を使いこなす前に敵にやられ、死んでいいった子供達もいた。

「………」

 モニター越しに、熊に喰い殺される映像を見た。

 あの真っ白な少年がやったことを、他の子供達もやってたようだ。

 その子供の幼い肢体は熊の体当たりで簡単に吹っ飛び、倒れてるとこを肩から噛みつかれ骨ごと砕かれて食われた。子供のやわらかい体が見るも無惨に蹂躙される。

「………」


 褐色肌の少年は、あるとき少女を紹介された。

「彼女も、きみと同じ後継者候補さ」

 候補が何人も出るってのは初めて聞いたが、ともかくノザキは少女を連れて現れた。

「……よろしく」

 髪を左右に二つに結んでいた。顔立ちは端正だが、少年と目を合わせようとしない。

「えーと、きみの名前は――そうだ。Bにしようか」

「……はい」

 納得はしてない、だが否定はしない。少女は首肯した。

「それじゃ、仲良くするんだよ。A」

 少年の名前を呼んだ。彼の名前は、拾われたときに名付けられた。


 ◆


 少女は元は楽園教にいたらしく、両親は偉い家系だったらしい。

「でも、親戚が身分の違う女と子供を作ったらしくてね。それの対応を私の家がしなくちゃいけなくて……お金もなくなっちゃって」

「お金?」

 Aは聞いた。

「お金はお金よ。知らないの?」

 資料で見たことはある。昔は、人々は硬貨や紙幣など、金銀などの鉱質や紙を使って物々交換の代用品を行っていたらしい。何でも、そのお金とやらには国という大きな集まりが保証することで多大な信用を持っていて、どんなことがあってもお金の価値はゆるがなかったらしい。

(……ま、実際は失敗した例もあるらしいけど)

 それと、地下都市で通じるお金となると難しいのではないか。

 国家がない。国家がないと信頼たる大きな組織がない。どの族も、信頼となると話は別だ。さらにいえば、等価交換を行うには絶対的な信頼を持つモノじゃなければ成り立たない。そう、金だとか銀だとか。


 このとき、Aは知らなかった。楽園教とやらで配布されている貴族と揶揄される特権階級のみで、あとの者達はほとんど現物支給。お金というものに慣れていない者達、またそんなのより現物の方が魅力的な者は現物を渡し、自分達は特別だからあんな者より通貨の方がいいと思える奴らはお金を渡した。

(しかし、実際はこれは何の信用もない。物質の数次第で、いや言ってしまえばお金を配布してるものの勝手で自在にお金の価値を変えられる。そのため、奴隷のようなのは貴族といわれてる者の方だ。

(でもまぁ、ある程度は予想がつく。人間の考えるコトなんて単調だ。大抵は自分のために相手を騙す。数字や複雑な読解が必要なものは特に騙しやすい)

「それで、あたしの家は楽園教で暮らせなくなったの。元々、父は能力者としては劣っていて、だから騎士団どころか憲兵団もロクに働けなくて、そしたらすぐにお払い箱よ。……いえ、本当は下等団員になればまだ暮らせたかもしれないけど」

 それだけは死んでも嫌だった、らしい。

 Aは無言を貫くが、内心は馬鹿だなと感じる。

(……そんな些細なプライドなんかで、こんなとこに連れて来られたんだな)

「でも、あたしは幸せよ。ここで学ぶことができたし、能力者としては劣っていても」

 Aは多少、悪戯心が芽生える。

 じゃあ、きみの両親は今どこにいるんだよ、と。

「……そう」

 きっと、楽園教から追い出されてしばらくは七番街で暮らしてたのだろう。貴族暮らしをしていたボンボンだ。七番街の暮らしなど地獄の所行以外の何者でもない。

 AはBのことが嫌いだった。

 生まれがかなり違う。だからむかつく。自分は母親が文字すら読めなかったのに、彼女の家は文字を教えてくれる家に生まれた。その上、プライドを捨てればそこに留まることができたのに捨てて七番街に追い出された。

 馬鹿が。

 あんな暮らし、誰が二度とするものか。それを、この馬鹿はあっさりと捨ててしまったんだ。


 ◆


 日が経つにつれて、Aの仲間は増えていった。

「……よ、よろしくなんだな」

 新しく入ったのは、Cといった。

 太り気味の少年で、アゴの肉や大きな腹回りが特徴的。

 また、気が弱いのかいつも周りを気にしている。

「うぜぇ、おいA。てめー、俺より格上だと思ってねーだろうな?」その次に来たのが、D。

 Cとは対称的で、いつも眉間にしわを寄せて怒声を上げている少年だ。

「そう思うだろ、C。あ?」

「……う、うん……Aの方が、格下だよ」

「サイテー」

 一連の流れを見て、二人まとめて軽蔑するB。

「………」Cは悲しそうに顔をうつぶせる。

「けっ」Dも意外と反論せず、大人しかった。

「………」意外と、Bは人気なのだろうか。Aは首をかしげる。


「――よ、よろ――」その次に来たのが、E。やたら、カゲが薄い少年だ。顔は端正なんだが。

「Aって頭いいのね。もしかして、この中で一番? ふふっ、他はガキばっかだしね」次に来たのが、Fだ。彼女はすらりとした顔立ちの美少女で、Bとは対称的な存在だ。Bは幼さのあるかわいい少女なのに対し、この少女は大人びていて妖艶ですらある。

「――おい、俺のどこがガキだって?」Dがそのあとうるさかったが、それはまた別の話。


「………」

 Fの次に来たのは、同年代にしては大柄のGだ。

 彼は六番街出身のようで、服装はA達と同じズボンやシャツだが、背丈は群を抜いている。

「……ちっ」流石のDもやりずらそうな顔をする。

 だが、彼は無駄に勇敢だったため、誰も見てないとこで彼にケンカを挑んだらしい。

「案外、あっけなかった」

 そのときは、どうやらあっさりと勝ったようだ。

 意外と図体だけの奴だったのか。


「僕はね、前はエリートだったんだけどね。あ、楽園教でね。でもね、馬鹿な奴らが僕の家を潰して」

 髪を七三に分けたH。聞いてもいないのにべらべらとしゃべる。

「そもそも、僕は騎士団希望だったのに。入っていたら今頃、僕の風の能力で華麗に活躍――」

 次に来たのは、I。

 これまでの中ではかなり普通な部類に入る少年だ。同年代の中で平均的な身長で、顔も普通。ただ、性格は良いほうで、その次に入った幼い少女のJのめんどうも見てやっていた。

 以上が、Αと共に学ぶことになった後継者候補だった。


 ◆


「きみたちにはゲームをしてもらう」

 ノザキは突然彼らに言った。

「なーに、殺し合いをしてほしんだよ。そして、二人だけ生き残ってほしい」

 十人の子供達は、トラックに乗せられて運ばれている。

 研究所からわざわざご苦労なことだ。

「本当は一人でよかったんだが、それだと何かあった場合不安だからね。だから、念のためということで二人。あとは殺していいよ。てか、殺さないと生き残れないからね。負傷もダメ。殺さないと私は認めない。時間の制限もないから、殺すまで続けるよ」

 はじめは、淡々としゃべっていたため、みんな正気だと思っておらずDなんて冷笑さえしていた。

 だが、Αは一切笑わなかった。

「みんなには、それぞれ箱を与えるね。そこにはそれぞれ違ったり、同じだったり、武器が入ってるから。それを使って生き残って」

 そして、ΑからJまで余すことなく箱を渡すノザキ。

 ようやく、みんなは異変に気がついた。

 いや、冷静に考えればこれは異変ではない。

(これが、この男の普通なんだ)

 ノザキは、平然と他人に死ねという。

 で、タチの悪いことに死ななかった場合は「いや、だから死んでよ」と自分で引き金を引くのだ。

 迷いなく。

「……あ、ぁ」

 それに気付いたBは、この異常な事態に対して文句を言おうにも言えなかった。

 言おうとした瞬間、自分が理解したら破裂してしまう悪意にふれてしまいそうで、言えなかった。

 ――他の者も、大半はそうだ。

「………」

 少なくても、Aは違うが。


「みんなは、それぞれバラバラに戦場に下ろすね。どこになるかはみんな、それぞれ違う。あ、サービスで地図は渡しておくね。赤線で囲んだのは、出ちゃ行けないって意味だから。出ようとしたら、殺すから」


 トラックで移動したのは、三番街の奥にある樹木が鬱蒼と茂る森の中だった。

 森といっても、道路が敷かれており、道も坂ではなく山でもない。平坦な道である。

 天上は枝葉が覆っており、葉の落ちた細い枝が毛細血管のように伸びている。

 地面には葉っぱや、折れた枝が落ちていて、気をつけないと足音が簡単に立ってしまう。

(……地図を見ると、戦場の全体は三十分あれば、全部歩き回れるな。走れば数十分ぐらいか)

 Aは、一番最初に下ろされたが動揺らしい様子は少しも見せなかった。


「狼煙が見えたら、それが開始の合図だからね」


 と、トラックから降ろされるとき言っていたっけ。

「……ねえ、本当なのかな」

 Bが青ざめた表情で何か言っていた気がするが、Aは無視した。

 今も彼は淡々と作業に没頭している。こうなることは大体予想していた。そもそも、あのノザキという男は自分を拾うときも、ゲームをはじめてって言ったときと同じ顔で言ったのだ。

(だったら、いいさ。やってやる)

 自分の力を証明してやる。そして、利用するのはこちらの方だと思い知らせてやる。

 Aの箱に入っていたのは、オートマティックの拳銃だった。ベレッタM84。

 コンパクトでありながら、装弾数は多く13(+1)発可能で、口径も.380ACP弾と少年には非常に使いやすい拳銃だった。(……狙った?)こんなことに優しくされてもな、と眉をしかめる。念のため、弾倉を外して、銃弾を一つずつ丁寧に確認していく。あのノザキのことだから細工はしていないと思うが、念のためだ。

(多分、実験するには細工は不要と思ってるだろうな。万全な状態で殺し合ってくれないとデータが取れないとかで)

 信用ではなく、事実を知ってるだけ。

 あの男に慈悲はなく、情けもない。だが、真理に対しての追求欲は異常にある男だ。

 ……その、真理とやらが具体的には何なのか。それが分からないから、得体の知れない男ではあるが、全てが謎というわけではない。ある程度の予測はできる。

 銃弾を確認し終えると、念のため拳銃を分解し、入念に確認。速やかに組み立て直すと、弾倉を装填、スライドを引き、弾を一発だけ撃って最後の確認を終える。

(戦いがはじまる前に撃っちゃいけないとは聞いてない)

 弾は、しっかりと木の幹に当たっていた。銃痕がありありと残っている。

(音はここじゃ響きやすいか。これも誰かに聞かれたかな。開始――する前に移動――はしない方がいいな。これは、ノザキが良い顔をしないかもしれない)

 かすかな硝煙……セーフティをかける。

 ――狼煙が上がった。

 即座に、Αは移動をはじめる。


 ◆


 箱には拳銃のホルスターはなかったので、片手で持ちながら移動した。

 セーフティをかけても彼はベルトに引っかけるのは怖かったし、両手で構えながらの移動は進みずらい。何よりこの森は急な段差や、這いつくばって隠れながら進む必要がある。そうなると、どうしても構えるより無くさないように気をつけながら、両手で器用に移動するしかない。

 Αはトラックが子供達をどこら辺に下ろしたかは――考えないようにした。地形は知っているから予想しやすいが、ノザキのことだ。何かフェイクを企んでいるかもしれない。念のため、移動は違う要素で進むことにした。

 彼は事細かに地形を把握しているため、敵に遭遇しても即座に隠れ、逃走できる道を随時確認する。

(拳銃を持っているとはいえ、候補者の中には能力者が数名いる。迂闊に過信はできないぞ)

 と、腰を低くしながら進んでいると、足音に気付いた。

 瞬間、足を止める。そして、つま先立ちでそぉーと……進んでいく。樹木の物陰を進みながら、音のする方向へ移動する。

 見ると、Cがいた。

(あいつ……)

 震えながら、辺りを彷徨っている。

 どうやら、彼がもらったのは爆弾らしい。Αは過去に見たことがある。あれは、ノザキの研究所で開発されたもので、最新型の奴だ。楽園教やその他の奴らは、手榴弾や地雷など起動させるのに手間がかかるのを使っているが、あれは人の思考をスキャンし使い手の狙い通りに起動させることができる。時間差を狙うなら、~時間後に必ず爆破するし、周囲に入っただけで爆破するなど、用途は幅広い。(とはいっても、手榴弾でも工夫すれば使い方の幅は広いから意味ない気がする)と、Αは内心思う。

(確か、Cも能力者か。とはいっても、小指程度の水分を操るぐらいだ。それなら、自分と大して変わらない。それでいて、奴は臆病)

 一瞬だけ、視線を拳銃に向ける。

「………」

 やめた。右足の裾を引っ張り、草を引き千切って拳銃を右足に巻き付けた。厳重に縛り、結ぶとトンットンッと感触を確かめ、大丈夫そうなのを確認。ΑはCの元に行く。

「あ、Cくん!」

 ビクッ、とCは震えるが相手がAだというのに気づき、ホッと胸をなで下ろす。

 それはΑが温厚だから(そう思わせてきた)というのもあるが、何より自分と大して変わらない――いや、彼の場合は能力者じゃないから余計に安心感があったのだろう。

(馬鹿が)

「あ、一応言うけど敵意はないからね。ねぇ、Cくん。僕たち協力し合わないか。ノザキさんは正気なのか分からないけど、このまま一人でっていうのもね」

「……うん、そうだね。ノ、ノザキさんは……いつも本気なのか分からないけど」

(嘘つけ)と、Αは内心感じる。

 本当は、こいつも気付いてるはずだ。これはマジなんだと。

「僕の方こそ……うれしいよ。一人じゃ、心細かったから」

 二人はいっしょに行動することになった。

 とりあえず、Αが先頭になって進むことにした。


「Dだったら乗り気かもしれないけど、ΒやIやJなど戦いに反対する人は多いと思う。彼女等に会えばもしかしたら、ノザキさんのこのゲームを止められるかもしれない」

「……うん、そ、そうだね」


 Αは穏やかな口調でそう言った。

 相手は簡単にΑのいうことを信じた。

(もちろん、先頭を切ってもらうのは自分が嫌だからというのもあるだろうが)

 しかし、この場合はCは失敗したと言えた。Αはこのとき、なるべく敵に見つからないようにこちらが一方的に見つかるシーンがあればいいな、と好戦的な態度を狙っていたのだ。

 もし、こちらが敵を発見したら絶対に仕留める。という気持ちで。

「い、いてっ。待ってよぉ、Α」

 Cは森の中を進むのは苦手のようで、途中何度も転びそうになった。ただでさえ遅いのにめんどうなものだ。


 ◆


 ΑはDを見つけた。

「………」というより、彼の足跡らしいのを発見したのだ。

 実はΑはDの靴底にガムのようなものをくっつけていた。これは、極々小さなもので感触も柔らかく踏んでも感覚がほとんどない。だから、彼の靴跡はすぐに分かる。一部が、やたら窪んでいる。

(おそらく、そう遠くはないな。足幅から見ると走ってる様子でもないし、彼も森の中は慣れてないのだろう)

 逆に、Αは周囲の探索は怠っていないし、七番街にいた頃も何回かは三番街に出向いたことがある。そう、このような普通の人が来ない場所も彼は知識として知っている。

(CやDは道に迷うみたいだな。見回しても目印はないし、どこに向かってるかも分からなくなるか)

 現在もDは迷いながら、不慣れな道を歩いているのだろう。

 彼は能力者だ。

 元々はエースと呼ばれていた少年と同じように、能力者の実験材料としてここに来た。

 だが、意外にも彼は頭が回るらしく、こちらに回されたのだとか。

「………」

 さて、どうするか。

 一瞬だけ悩み、すぐに答えを出した。

 ΑはDの足跡を消して、Cを引き連れて進む。

 Cには足跡は気付かれていない。一瞬も立ち止まることなく、歩きながら足で足跡を消したのだ。

(さてと、偶然出くわしたということにするか)

 丁度良く、Cは木の根っこ足を引っかけ転倒した。

 静寂な森に、無駄な音がひびく。

「――あ、ご、ごめん」

 Cはあやまるが、もう遅い。敵はもうこちらに近づいたようだ。

「動くな!」

 Dだった。

 彼は鬼のような形相で、手のひらをこちらに向けていた。

 Dの能力は、風を起こす能力。空気中の酸素を自在に動かし、弾丸のような風を作る。

 そう、Αが持つ拳銃よりも威力の高い能力だ。

「……あ、ああああ、D!」Cは声をふるわせて、涙ぐんだ。

「余裕がないね、D」逆にΑは落ち着いていた。彼は相手を挑発する余裕もある。

「……はぁっ!? 誰が余裕ねぇんだよ。……おい、両手を上げろよ」挑発しながらもΑは両手を上げていたが、Cはまだだった。慌てて彼は両手を上げる。

(ダメだな、これは)

 ΑはCを見据えた。そして、目を離した。

「提案がある。仲間にならないか、D」

 これには、敵であるDも仲間であるCでさえも驚いた。

「な、ななななな、何を言って」

「馬鹿じゃねーのか、てめっ!」

 Cは仲間が突拍子もないことを言い不安になり、Dは余計に挑発されてるのかと憤っている。

(やっぱりだ。Dはあまり余裕がない。元々、精神が発達していなかった奴だ。怒りやすく、すぐキレてケンカする。それはようするに、ケンカするほど心が傷ついてしまいやすいってことでもある。無駄に繊細だ)

「いいよ。こちらから仲間になる証拠を見せよう。このCを殺してみせる」

 その言葉に、CもDもぽかんとクチをあけて間をおいた。

 そして、何言ってんだこいつ、と苦笑した。


 ――銃声っ。


 足に隠していた拳銃を取り出し、またその間にセーフティも解除して、引き金を引いた。

 Cのこめかみを弾丸が貫き、彼はそのままうしろに倒れた。

 血が地面に流れ、手足はぴくぴく動く。

「――何、してんだよ」

 そして、Αは拳銃を構えた。

(無駄に音も大きいな)

「何してんだよって聞いてんだよ!」

 Dは声を張り上げて叫んだ。

 そんなに叫んじゃ、他の敵も来ちゃうよ。Αは狙いをよーく狙う。

(……自分も、あまり冷静ではなかったか)

 リアサイトにDを捉えるが、かすかにだが震えている。やはり、はじめての殺人は余裕がないか。あまり過信しない方がいいと学んだ。

「てめっ!」Dの風は当たらない。

 Αのわきにそれて、見当違いの樹木を破壊する。

「………」逆に、それがΑを冷静にさせた。

 銃声っ。薬莢が地面に落ちる。その二秒後に、Dの体がひざをついて倒れた。

 Αは念のため、CとDの脈をはかり死亡を確認。

(音がしたから、誰か来るかもしれないな。さて、銃をどうするか)

 念のため、弾倉から銃弾を抜いた。まだ数発撃てるが、これから戦う相手には意味がないだろう。

(能力者はこの二人を含めて三人だった。あのでかいGだけだ。彼には拳銃が……いや逆に邪魔になるかもしれない。確か、彼の能力じゃ拳銃は効かないし。これを持って移動するのも面倒だ。それに、これがあることで拳銃にすがるかもしれない)

 それは弱さになる。

 銃弾をそこらへんに投げ捨てると、Cの死体から奪い取った武器を使った。

 目に見える位置、木の根っこ辺りにわざと拳銃を置いた。その下にはCの爆弾が埋まっている。拳銃に少しでもふれたら爆発が起こる仕組みだ。

(Dが持っていた武器はナイフか。しかも、サバイバルナイフだ。先端に丸みがあるヤツ。これじゃ武器にも使えない。……いや、森の中じゃ使い道はあるか)

 拳銃を隠したように、ナイフを足に巻き付けた。Αは再び、敵を捜しに行く。

(身を潜めて生き残るなんてことはしない。積極的に殺しにいってやる。自分の力がどれほどのものか測るには丁度良い)

 数メートル離れたぐらいか。Αがいた辺りであろう場所から、轟音がひびいた。

 視線を上げると煙のようなものまで濛々と立ちこめていた。

(これで、死者は三名かな。いや、もしかしたら他でも戦いがあって一人か二人は……いや、CやDを見るとまだ戦いに出てる実感がないのもいる。どうなってるかは分からない)


 ◆


 Αは腰を低くし、身を潜めながら進んだ。

(敵はどこにいるか分からない)

 だから、なるべくは人目につかないように陰へ、陰へ、移動する。

 樹木をかけのぼり、上空から俯瞰すれば最高なのだが自分にはそれはできないとΑはあきらめている。

(だから考えなきゃいけない。考えろ、考えろ。自分は能力者じゃない。だからといって、強力な武器もない。だから考えろ。頭こそが唯一の武器)

 進んでいくと、人の足跡を発見した。

 D以外にもΑは候補者の靴底にガムを踏ませたが、その一つだ。足跡はカカトの辺りが、妙に窪んでいる。確か、Hだったはず。髪を七三にして、真面目で堅苦しい奴だ。

(ガムは全員にはつけられなかった。元々つけられるのも限られていたから)

 だから、ガムをつけたのはDとH。そして、IとJだ。

 あとは必要ないか、つけるのは難しいと思った奴ら。


(……いた)

 Hを見つけた。

 彼はそぉーと、そぉーと忍び足で歩いている。だが、腰は無駄にまっすぐで音を消してる割には姿は隠そうとしない。さらにいえば、音を消しても足跡は残ってるし、移動が遅いし、とお笑いのような光景だった。

(絶好の的だな。拳銃があれば簡単に仕留められた……が、危険か)

 周りに敵がいるかもしれない。いくら、あのバカを仕留めてもそれで敵がかけつけ、奇襲されたらたまったもんじゃない。

 近くに石を見つけた。小さいのと、Αの手のひらに余るくらいの大きさもある。これなら、全力で投げて頭にぶつければ傷は負わせられる。あとは倒れたところを殴打すれば確実か。

(いや、先回りして罠でもしかけるか? 足でも引っかけさせて、殴り殺してもいい)

 Hは全く気付いていない。チャンスだ、とΑは高揚するが――途端、彼は表情を消す。

 高まった感情を殺すように。

(……待て、もしかして、もしかしてだが。あんな見つけてくださいという奴がいて、それ他の奴も見つけていたらどうする? ……殺すか? いや、もっと有効な手立てがないか。例えば――)

 Αは急に立ち上がり、駆けた。

「な、Α!?」

 Hにバレたが、それどころじゃない。

 Αがいた地面には剛速球の石が投げられていた。

 今もΑは全速力で駆けているが、それを槍のように石が投擲される。石は木の幹にぶつかるが、幹にめりこむほど威力が高い。

(――そうだ。自分だったら、誰かHを狙おうとする奴が来るまで待つ。そして、誰か来たと思ったら、そいつを攻撃する)

 そいつは樹木を足場にして、幹から枝からと跳躍して追ってきた。

 Gだ。巨体に似合わない敏捷な動き。かつ、猿のような移動力。まさか、樹木を足場にするなんて芸当、行動どころか考えたことすらない。

「くそっ!」

 Αは舌打ちしながら走る。

 Gは逃げるΑを追いながら石をなげつけるが全く当たらない。

 そりゃそうだ。移動しながらだと拳銃だって命中率が落ちる。石なんて、体のほとんどを使うから走りながらじゃまず当たらないだろう。

(だが、それはあっちも分かってるんだろうな)

 威力をΑに見せつけ、恐怖を植え付けているのだ。現にΑを狙ってるというより、彼の進む先の樹木を狙ってるといっていい。

「ちきしょう! 一体何なんだよ、待てよぉ!」

 遠くで七三がキレていた。

 別にいいか、とΑは無視する。

 だが、Hはそう思わなかったようで逃げて遠く離れたΑを悔しながらも、まだギリギリ射程距離のGを狙った。

 彼は空気中の水分を操り、弾丸にして放つ能力だ。

 それをGに放った。

「――っ」不意に、Αはその光景を見ようと振り返る。

 だが、Gは何のことはない、その攻撃をただ単によけた。

 ただでさえ、樹木を跳躍して進むような男だ。そのくらい余裕だろう。

「ちっ――」

 能力を使わなかった。

 やはり厄介だ。あの男はおそらく白兵戦でも、能力を使う戦いでも、強いだろう。さらにいえば、性格もDとは違い余裕があって大人びている。落ち着きがある。そして、今のように頭もいい。

(Dのような奴なら何も考えず能力を使って、攻撃を回避するか防御するだろう。だが、さっきのは違う。肉体の動きだけでよけた)

 ノザキ邸にいた頃から得体の知れない奴だった。感情が変化する片鱗すらないし、能力なんて少しも情報をもらさなかった。ノザキがDと同じようなことを言っていて、元は能力者として連れて来られたというのを知らなかったら、能力者とさえ見ていなかった。

(だが、ここの地形だけなら自分の方が把握してるはず)

 Αは勢いよく道を駆ける。細かな地形の段差も覚えているから、無様に転ぶことも、スピードをゆるめることもしない。Gもその健脚ぶりを見て感嘆の声を上げる。気付けば、Gを大きく引き離していた。

(奴は図体がでかいから森の中は進みづらいし、樹木を跳躍してるのもそれに近いんだろう。……もしかして、あれ自体が能力を使ってるのか。いや、違うと思うが……どうだか)

 そして、Αはそのまま逃げ切り、とりあえずGとの戦闘をあとにした。


「はぁっ……はぁっ……」

 ノザキ邸に来ても、空いた時間に走って鍛えておいてよかった。

 やはり、体の基本はまず走ることだ。全身を使った運動だし、何より戦闘では倒せるか分からない腕力よりも、戦いに耐えうる肺とすばやく動ける足が必要になる。

「……くっ」

 Αは高木に背中をあずけて、地面にへたり――こまない。立ち上がって、筋を伸ばした。ふくらはぎも揉んでおき、筋肉をマッサージする。

(さっきは逃れられたが、あの化け物にそう何度も逃げられるとは限らない。次はないと思わないと。……しかし、それにしてもどう戦うか)

 Cの爆弾はあえて使わなかった。使わないで逃げられるかもしれなかったし、それにあそこで爆弾を使って倒せたとしてもHにそれを見られるのはさけたかった。あまり、人に武器を知られるのは良くない。。

(考えろ。これから、どうするか。Gは誰か倒すのを待つか? ……いや、そう上手くはいかないだろう。倒せる奴も見当がつかないし。……いや、一人いるか。女性ながら獰猛な奴が――)

 Αは動いた。体を反転させて中腰になり、近づいてくるであろう人物の足音を聞いた。

 ――と、相手もこちらに気付いたようだ。中々の相手だ。少なくても、これまでの敵よりは利口だ。Αは足に隠しておいたナイフを取り出し、左手で構える。……思い直して、逆手にした。

(サバイバルナイフじゃ、戦闘じゃ大して使えない。切り口もそうだが、突き刺すのも期待できないだろう)

 だが緊張下では相手は気付かない可能性もあるし、それならと逆手なら威力も増すのではと構えた。ナイフの練習も七番街にいた頃からしていた。刃物は意外と簡単に手に入る武器で、そのためそれを利用した戦い方を独自に研究したことがある。

 Αがやっていたことは重要だ。人類史でも、農民が使っていた農具が武器になった例は多い。武器にした理由も、元々使っていたので慣れていたという理由だ。実際に鎌やぬんちゃくなど武器に転化したものは多く、そのため慣れるというのは武器を扱う上で非常に重要である。

(さあ、誰がくる。姿を隠そうにも相手次第では逆効果だ。いきなり能力をかます相手なら、隠れるよりいつでも逃げるか、攻撃できる態勢の方がいい)

 足音は――

(考えろ、もっと考えろ。どう戦う。誰が来ると思う。どうすれば生き残れる)

「ねえ、ちょっと待ってくれない?」

 凜とした声だった。可憐でありながら、芯の太い音声。それは、獰猛な性質を隠し持ったFだった。

「あたし、交渉がしたいの。お願い、誰か分からないけど殺し合いなんて止めて。いっしょに戦わない?」

「……Αだ」

 声が静まりかえった。

 動揺か、それとも……何を考えてるのか。

 相手はやはりFだ。おそらく、良く回る頭であれこれ考えてるのだろう。Αは負けてたまるかと自身も頭を働かせる。

「そう、CやDじゃなくて良かったわ」あの子達、馬鹿だからねと言う。「……Α」

 Fは姿を現した。長い髪をポニーテールにしてまとめている。

 同年代の少女では一番身長が高く、というか下手な男子よりも背が高い。Αだって、大して身長差がないほどだ。

「協力、だって?」

「そうでしょ。お互い、こんな戦いにいきなりやらされてるんだから」

「いつ殺し合うか分からない」

「……あなたなら、もう殺してそうね。でもね、いくら何でもひどい戦いだと思うわ。だから、とりあえずはお互い協力ということにして、行動を共にしない?」

「何故、自分を誘う」

「強そうだから」

 意外と単純な理由だった。Αは疑問を浮かべない。

 他の奴らには温厚そうなフリをしてきたが、こいつにはそんな皮は無意味だろう。

「武器は隠し持ってないか」

「武器はこれ」

 背中からトンファーを出した。背中に、おそらくベルトか何かにつけていたのだろう。

「……そうか」

 この戦いでは、微妙だ。そもそも拳銃だって効果的とは限らない。能力者とも戦わないといけないのだ。それこそ、Cの持っていた爆弾の方が数倍すばらしい。

「ねえ、協力しましょうよ。その方がお互い得だと思わない?」

「きみは、ここに来るまでどうしてた」

「戦いなんてしたくないと思ってた。でも、誰かに見つかるのは怖いからなるべく話ができそうな相手と会って、それからあとのことを考えようとしたわ」

(一見、まともなことを言ってるようだ)

 だが、とΑは思い直す。こいつは、こんなまともだったか。もっと、野心的で野生の完成を持ち合わせていなかったか。

「………」

 しかし、同時にときおり見せる素の彼女は優しかった。

 幼いJに対しても姉のように接していたし、CやDだってクチではあーだこーだ言っても、二人のことを思って心配したり、愛の鞭で怒ったこともある。

 もしかして、本当に協力しようとしてるのか。

 信じられるのか。

(考えろ)

 もし、これが騙してるとするなら、信じて背後を見せた瞬間に命はない。

 可能性を完全に否定出来るほど自分はこいつを信用できるのか。

 Αは脳内で思考を巡らし、幾多の選択肢を消去してたった一つの道を選んだ。

「分かった」

 Αは中腰から、普通の姿勢にもどる。背筋をピンッと伸ばした。

「……え?」急な返答にFは困る。

「だから、協力しようって話だろ。自分も一人で行動するのは不安でね」

「あぁ、……そう。それならいいわ」

 ΑはFに歩み寄る。咄嗟にFはしりじこうとするが。

「握手って知ってる? 互いにあいさつするときに」

「人類史で使われてたあれでしょ。知ってるわよ、そのくらい」

 そして、Fの手をつかんだ。

 つかんだと同時に腕を引っ張り、腹に拳を打ち付けた。

 胸と胸の間、人体の急所となるとこを強くだ。

「かはっ――」Fは目を見開き、慌てて拳銃をベルトの後ろ側から引き抜いた。

 だがそれを、手刀で落とす。流石の彼女も急所をつかれて動きがにぶい、そのままΑはFの手をひねって地面に倒し、落とした拳銃を足でこちらに寄せて空いてる手で取る。

「……さて、と。聞かせてもらおうか。きみは、何を企んでいた?」

 Fが持っていた拳銃はリボルバーだ。撃鉄を引き起こし、銃口をFの後頭部に向けた。

「……何って、何も」

「………」

 沈黙が、森の中に浸透している。

 心臓の鼓動さえ聞こえそうな静けさ。

「……ぁっ」Fの冷や汗がたらりと、地面に落ちる。「ごめんなさい、許して。殺すつもりはなかったの」

 どうやら、騙して何かをするつもりではあったらしい。

 拳銃を持っていたんだから、殺すつもりはなかったとは言えないが。最低でも、膝を撃ち抜かれていたか。

「誰と?」Αは聞いた。「誰と、結託している」

「……っ」Fは奥歯を噛みしめたあと「……D達よ。DはCとも組んでいて」

「嘘だね」

 銃口を後頭部に直接つける。

「正直に答えろ」

「あ、あたしは」

「Dは死んだよ」Αは言った。「……殺したんだ」

 その答えに、Fは軽蔑と劇場を混ぜた目を見せた。

「血も涙もないのね」

「きみもノリノリなくせに」

「あたしは……彼と生き残るために」どうやら、男らしい。Fの仲間とやらは。しかし、Αはわざわざクチにはしない。「あなたは、いつから分かってたの。あたしが騙そうとしていたこと」

「いや? 別に」その答えもまた、Fの考えを凌駕するものだった。「誰も信用しないと決めていた。だから、すぐに殺さないで銃をつきつけたんだ」

「――最低」Fは吐き捨てるように言った。「あんた、ノザキ以下のゴミクズだわ」

「騙そうとしていたくせに」

「……殺すつもりはなかった。本当よ、手足は撃ったかもしれないけど」

 随分と簡単にいう。この状況で手足を使えないってだけで致命的だ。

「まぁいいよ。じゃあ、誰と組んでるか教えてよ」

「……あ、あたしは――いえ、別に誰とも」

「いやいや、彼と生き残るためにって言ってたじゃん」

「……あれは、つい訳の分からないことを言っちゃって。動揺してたから」

 リボルバーのグリップで後頭部を殴った。

 彼女の顔は地面に叩きつけられ、美顔は土で汚れる。ついでに、頭を打たれて衝撃が走ったようだ。しばし、ぼんやりしていた。

(本当なら腕をへし折ってやりたいが)それだと悲鳴が出る。なるべく穏便に済ませたい。

 いや、この場合の穏便とは音が出ないようにということである。

「答えろ」

「絶対にいや」

 Fの精神は強い。このまま殴っても、例え腕を折られても拷問に耐えきるかもしれない。

 じゃあ、万が一逃げられた等を考えて手足を使い物にならなくして痛めつければいいのではないか。今の内に喉仏も潰して。


「――ちっ」


 Αは銃口を後頭部につけた。

「あっ」引き金を引いた。Fのか細い声が最後の肉声になり、顔は地面にバウンド。薬莢は地面に飛び、硝煙がのぼる。

 後頭部はどでかい穴を空けて、撃ち殺したΑや周りを血に染めた。

「……馬鹿か」自分は、と。

 殺すなら、こんな方法じゃなくて首を折るなり殴り殺すなりすればよかった。わざわざ、大きな音を立てて自分の居場所を知らせた。

 Αは立ち上がる。

(………)

 嫌な記憶を思い出した。それで、拷問をやめて殺すにしても最も安易な方法を選んでしまった。

(……足音が聞こえる。あぁ、これは樹木が振動している音だ)

 耳をすまさなくても、奇妙な音がこちらに近づいていた。まるで樹木を足場にしてるかのように音の主は近づいている。

 Αは最低限拳銃を確認し、撃鉄を引き起こす。そして、近くにCから奪った爆弾をまいておく。

 Αが爆風に巻き込まれないよう、遠くに。かつ時間も無いので、地面には埋められないから草が茂っているとこに隠した。ついでに、奴が足場にしそうな木の幹の溝にはめる。Αは離れた地点で目に見える位置についた。前方は爆弾が守ってくれる。逃げるにしても、後方に行けばいくつでも隠れながら行ける道はあり、余裕がある。

 耳をつんざくような叫び声。

 思わず両耳をふさいでしまう――Αは地面を転がった。彼がいた地点を何かが貫いた。

 それは後方の地面を破壊し、粉塵を撒き散らす。

(投擲した!? あれは――石か、ただの?)

 大きさは、Αが持っている爆弾や彼の拳よりも大きい、大人の頭よりあるんじゃないかというくらいのサイズだ。それを、軽々と敵は投げつけた。

 ――一つじゃない。

 二つ、三つと敵は投げてきた。

(馬鹿した。そうか、相手は肉体強化の能力者)

 七番街にいた頃、そして研究室、何度も見たことがある。

 肉体強化の能力者。他の能力者とは違い、応用力に長けてバランスのいい能力者のことだ。

 肉体の一部、腕だけを強化する者から、五感を発達させる者など、肉体強化といって違いは大きいが、他の能力者は弱点の能力と出会うと、簡単に無に帰ってしまうのに対して、肉体強化はあまりそうはならない。バランスは良すぎる分、破壊力に特化してるとは言えないかもしれない。だが、バランスが良いことは悪いことではない。少なくても、能力者が生き残ろうとするなら。

(ちっ――)

 敵はすぐそこまで迫ってきた。

 来たのはG。六番街から来た巨人で、同年代とはいえ幼いながらも身長は一八〇を越えている。

 彼はΑの元に近づくと突然大きく跳躍し、上空に向かった。

(しかも、罠まで気付いたか。――いや違う、自分と同じだ。はなっから、信用しちゃいない。罠を張ってるのが当たり前だと思っている)

 Αは拳銃を構える。高く跳んだとはいえ、奴の距離は拳銃の射程距離にいる。

 よーく狙い、引き金を引いた。強烈な反動と、銃声が鳴り響く。リボルバーでも大口径ではないため、それほど振動が強いわけではないが、それにしても子供には不釣り合いな武器だ。

 それでも、弾丸はGの胴体に命中した。Αは普段から訓練を怠らず、知識だけじゃなく体も鍛えている。

(……効いていない?)

 敵は身体能力を向上させる――だけじゃない。どうやら、ほぼ全身を強化する能力者のようだ。

 胸に当たった銃弾は弾かれ、それどころか落ちてくる途中に枝をひき裂き投擲してきた。Αは慌てて後退して避ける。

(化け物が)

 走りにくい道をΑは駆ける。

 踵を返して走ったはいいが、肉体強化の化け物と追いかけっこするなんて冗談じゃない。さっきは地理に慣れていたから逃げられたが、もう、そうはいかないだろう。相手もある程度は辺りを探索し終えているはずだ。

 現に、Gの追跡は早い。そもそも樹木を足場にするのは、地面よりも早い。安定していない足場である地面より、でたらめとはいえ跳躍しながら力の限り跳んでいけるGの方に分がある。

(もっとも、あんな方法は奴しか使えないが――まずいな)

 逃げながらでは、銃を撃ったところで当たりはしない。射撃とはしっかりした構えと、全身の筋肉で支えにするものだ。移動しながらなんて、ボールを投げたって当たらない。

(じゃあ、これしかない)

 Αは数秒後に爆発するよう爆弾をセットし、地面に転がした。逃げながら、だ。

 そして、Gが近づく頃にはそれが爆発した

「――っ!?」轟音、粉塵が舞い、樹木が破壊される。足場が崩れたGは慌てて地面に着地。

(チャンス)Αは立ち止まり、一瞬だけ思考した。(拳銃か? いや、爆弾はあと三つか四つ)

 爆弾を大きく振りかぶり、Gに投げた。

 鍛えたられた肩は、爆弾をGの顔にぶつかる――閃光が広がり、爆発した。


 ◆


「――やったか?」

 煙が濛々と立ちこめて、周囲の空気は炎のように熱い。

 少しずつ、煙は晴れていく。Αは思わず声を上げる。「馬鹿な……」

 Gは直立していた。彼の着ていた服は全て焼けてしまい、ほとんど全裸になってしまったが、彼は恥ずかしがるどころか威風堂々としていた。服の下に隠されていた分厚い筋肉も露わになり、より彼の強さが強調される。

「………」このとき、Αは完全に勝機を見失った。彼が戦う場合は必ず勝機があるときだけだ。でなければ死んでしまう。それがこの地下都市の掟。誰もが知っているルール。だから、強靭な能力者と戦う場合も勇気あるとか、死にものぐるいなんかではない。賭けではないのだ。高い勝率があってこその勝負。彼からしてみれば、むしろ安全圏を狙っているようなものだった。

 だが、こいつは何だ。

 Αの得意とする攻撃は奇襲。というか、それしかない。

 真っ向から能力者と対峙したら、拳銃もない素手、いや拳銃が例えあったとしてもΑじゃ全く相手にならない。それこそ、序盤に倒したDにだって瞬殺されるだろう。だから、彼と戦ったときもまずは動揺させてから、となった。

(こいつは、何だ?)だが、Gはどうすればいいのか。

 奇襲するにしたって、拳銃を撃っても効いていない。爆弾も死なない。傷一つつかない。

 いや、よーく狙って眼球やクチを開いた瞬間を狙えば――無理だ。敵だってずっと立ち止まってるわけじゃなく、この銃にしたって反動があるから命中率は下がる。それに、敵だってこちらの狙ってるとこは分かるから――いやそもそも、奇襲するにしたって相手はDみたいに油断もしないし、Cのように馬鹿でもないんだ。頭の良い、強者なんだ。

(卑怯だろ、そんなの――こんな、デタラメだ)

 知識、経験、そして何より知能こそが彼の武器だった。どんな強力な能力を持っていたとしても、喉にペンを突き刺せば、眼球を破壊すれば、心臓を撃ち抜けば、簡単に人は無力になり、あるいは死んだ。だから、意味があったのだ。だから、忘れていた。本来は能力者と自分には絶対的な差があるということを。

(そうだ、忘れていた。今まで能力者を倒してきたのは、相手が馬鹿だっただけだ。けして、自分が彼らをはるかに上回っていたわけじゃない)

 相手が下回っていただけだ。

 今回は相手は馬鹿じゃない。欠点がない。だから、勝ち目がない。

「……な、なあ、お互い話をしないか」

 そこで、Αが取った最後の手段は話し合いだった。

「仲間にならないか? ごめん! 今まできみを無遠慮に攻撃してしまって。いや、そもそもきみが攻撃してきたんだぜ。こっちは正当防衛さ。なあ、頼むよ。もう、こんなことやめにしよう。あんまり、みんなと戦いたくないんだ」

「その割には、顔は血で濡れているぞ」

 背筋が凍り付く。さっき、近距離で撃ったときだ。顔が血で濡れていた。

「……あ、いや、これもあいつが殺す気だったから」

 嘘ではない。だが、情報をさらけ出さないだけだ。Fに関しては確かにあちらも仕掛けようとしていた。だが、CやDは自分から殺す気マンマンだった。

 Gは殺気を隠そうとしない。ありあまる気を放出し、Αを圧迫させる。

「どちらにせよ、お前はあいつを殺した」重々しく語る、怒りの声。「Fを殺した奴を生かす道理はない」

 彼女の協力者は、Gだった。

(……まさか)

 予想外だった。

 目の前の男は女と仲間になるなど、と理解しがたいのもあった。いや、問題はそこじゃない。

「………」彼のは、ただの協力関係だった者の恨みではない。あきらかに、もっと深い感情があった。

 愛していたのか、彼女を。

「お前には分からんだろう。最初から、お前にだけは用心していた。それはFも同じだ。……だが、今にして思えばそれでも過小評価だったようだ」

 おそらく、Αを攻撃したときからFはGの近くにいたのだ。

 そして、Αに気付かれぬように追いかけて、迂回して反対側から来たように見せかけて遭遇した。そこで、協力関係と偽ってGと始末しようとしたのだろう。

「G、きみも否定するのか。自分は、ただ生き残ろうとしただけだ。それの何が悪い。死にたくないんだ、それの何が悪い!?」

「悪くはない。ただ、理解できないだけだ。言っておくが、これでも俺は躊躇してるのだぞ?」Gは言った。「Hのときだって、それで攻撃できなかった」

 あれは、どうやらΑを狙っていたからではないらしい。

 たまたま、Αの気配に気付いたからこそ反応した。しかもそれは、殺気だった。こいつは、むしろHをΑから守ろうとしたのか?

「……でも、殺すつもりだったんだろ」自分を、と指で己をさした。

「否定はしない。お前だけは殺さなくてはと思っていた。お前は、目的のためなら容赦しない人物だ」

「知ってるかのように言うんだな」

「分かるさ。会って数日だが、それでもお前の異常性は理解しているつもりだ」

 Gは手に石を持っている。奴がスナップを効かせるだけで、Αを砕く攻撃を放てる。

 そして、その間にΑは接近を許し、負けが確定するだろう。死、という名の敗北を。

(……死ぬのか、こんなとこで……死ぬのか?)

 Αは戦慄する。

 死ぬ、死ぬ。これまで、何度も間近で見てきたもの。だがそれを何度も彼は回避してきた。だからか、彼の中で死という概念はやや薄らいでいた。目の前にいくらあっても、自分に届いたことは未だかつてなかったはずだ。

 だが、これは何だ。

「死ぬ、のか?」

 嫌な思い出がよみがえる。


 母親の死。

 死に顔。


(嫌だ――死にたくない)

 Αは爆弾を取り出した。すかさずGが石を投げる。それはΑの額にあたり、小石でも彼の頭をゆらす威力はあったようで――「あっけない」敵の接近を許した。別にいい、それが狙いだ。

「――ははっ」Αは、爆弾を上に投げた。

「なっ!?」

 閃光が走り、辺りを震撼させた。


 ◆


 立ちこめる煙、焼け焦げたニオイ。吹き飛ばされた樹木。

「……っ」Gは五感を研ぎ澄ます。慌てて動くと敵にバレる。

 爆発は、自爆狙いか。あまりにも近距離でやった行為。

 だが、あいつのことだ。まだ何か企んでいるかもしれない。Gの本能が危険を察する。

(敵もこの煙の中、迂闊に行動できないはずだ。少しでも動けば煙の流れを追って俺が近づく。危険なのは奴の方だ。それなら、このまま待ちかまえていれば)


 ◆


 その間に、Αは逃走していた。

(馬鹿がっ)

 あの爆弾は煙幕のようなものだ。

 近距離で大変危なかったし、ふらついていたのでかなり危うい状況だったが、どうにか逃れることはできた。おそらく、GはΑが逃げたことにすら気付いてないだろう。

(だが、どうする。奴をどう倒す。このまま、あいつと二人になるのを待つか。……いや、あんなのと行動を共にするくらいなら死んだ方がマシだ。あいつ、殺す気マンマンじゃないか)

 気がつけば、Fの死体がある方に逃げていた。彼女の死体は、目を見開いたまま死んでいた。

「………」Αは彼女の目蓋をそっと閉じる。

(どうする? 奴を倒すには、それこそ眼球を撃ち抜くぐらいのことはしなくちゃいけない。ほぼ眼前でやらなきゃダメだ。しかし、奴がそれを易々と見逃すはずがない)

 Αは考える。

 爆弾を使う?

 爆風が舞っている間に、Gを攻撃。

 無理。

 煙の中でも奴なら五感で探知するかもしれない。いや、そもそも煙が舞っていても上空に逃げれば問題ないのだ。ここは高木が立ち並ぶ森の中。逃げ場は無数にある。

 Αは考える。

 罠で奴を足止めするか?

 するにしても、あまり時間はない。なるべくすぐにできて、奴の足止めをできる罠。

 ……ダメだ。足を引っかけさせるのも、かからない。落とし穴は余裕がないし、おそらく意味がない。奴なら足場が崩れた瞬間に跳躍しそうだ。そうだ、身体能力も人間の倍はある。樹木を足場になんて、その証拠だろう。

(そもそも、銃弾も爆弾も効かないなんて……ん? でも爆風は高温で息を吸うだけで肺が焼けるんじゃないか。つまり、あのときは無酸素だったわけか)

 無酸素を利用――いや、肺も強そうだし、長く息を吸わなくても余裕だろ。

 考えれば考えるほど選択肢が狭まる。

「………」Αは不意にFの死体を見る。

 それこそ、この死体をバラバラにすれば?

 そしたら気が動転して我を忘れる。その状態なら――

「ありえない」

 一瞬でも、自分がそのようなことを考えたことに戦慄が走った。

 母親の顔を思い出した。

(絶対にしない、するか、そんなこと!)

 Αは探した。

 勝つ方法を、Gを殺す手段を――「ん?」Αはふと閃いた。

「別に、手っ取り早く考えなくてもいいじゃないか。そもそも、一発で殺せるほど甘い相手じゃないんだ」

 狙い所だって、眼球ばかりじゃない。他にも弱点はあるじゃないか。

「……そうだ、馬鹿だった」

 肉体強化にしたって無敵というわけじゃない。弱点はある。

「肉体強化の弱点は、肉体強化しかできないことだ」心を読めるわけでもない。炎を出せるわけでもない。地面を揺らすほどではない。逆を言えば、極端に性能が生きすぎていないためにバランスも良く、弱点が少ないと言える。

(だからこそ、狙い所がある)


 ◆


 GはΑがいないことに気付くと、それでも警戒しながら辺りを見回し、完全に逃げられたと知ると憤りと同時にため息をついた。

 内心、ビクビクしながら奴と戦っていた。

 常に武器を隠し持ち、追いつめたと思ったら切り札で逆転するような相手だ。

 そんな相手に平常心でいられるほどGは超人ではなかった。

(そもそも……ここに来たのも、頭のキレるアイツの怖さを知ってるからだ)

 六番街の戦士とやらは、中々他の街に来ない。

 大体は自分の街で戦い、死闘をすることに人生の意味を見出す。だが、たまにだが彼らの中には人類史でいう傭兵のように外へ行く者がいる。彼も、その一人だ。

 今より昔、彼はこんな冷静な男ではなく熱情的な人間で、かつ行動力のある人間だった。だから、外に出て戦いと思い、なめきった考えで地下都市の族達に戦いを挑んだ。

 小規模の族は幼い彼に抗うことができず、あっさりと倒された。だが、大規模な族は無理だ。族と銘打っていない楽園教も含み、四番街の強豪族、そして三番街のノザキ邸関連の者に捕らえられ、現在はこのような状況だ。

(……力に振り回されていた自分が、いかに愚かであったか。身に染みた)

 Gはひとまず、Fの死体のとこにもどろうと決めた。

 Fとは、ノザキ邸の前から面識はあった。といっても、彼女は元は四番街の強豪族の一員だった。幼いながらも、父親が族のメンバーだったため、少しだが協力していたらしい。(だが、その強豪も滅んだ。四番街は土地が貧しいため、逆に強力な能力者と族を生みだした。貧しいからこそ、強くなって数少ない土地を求める。皮肉なことだ。豊かな土地は、二番街などを例にすると逆に絶好の的になり、追いつめられてエサになるのだから)


 GがFの死体に向かう途中に、Αは佇んで待ちかまえていた。

「………」

 その目は、先ほどのように死に恐怖した目じゃない。

 死を受け入れながらも、それに抗おうと強い意志でのぞむ目だ。

(勇敢だ)これまで彼に抱いていた嫌悪感を捨て去る。「これまで、すまないことをした。きみを侮っていたようだ」

 六番街の戦士は、戦いに美学を求める異常者。

 地下都市は常に戦いにあけくれ、熾烈を極める。

 だからこそ、それに美学を求めた。

 戦うならルールを作れ。そして、それに準じろ。

 そうしないと、彼らは地下都市の生活に意味を見いだせなかった。生きていることの意味が。

(六番街の戦士は、強い意志を持つ者――戦士には、敬意をはらう)

「変わってるな、あんた」Αは言う。「まあ、いいか。さっさと戦おう」

 Gは大地を蹴った。

 一瞬で肉迫し、強く握りしめた拳を一直線にΑにぶつけた。

 寸前で彼はよけた。すかさず手に持っていた拳銃で撃とうと――する前に転がって逃げる。Gはローキックを放った。危うく、彼の足がくだかれそうだった。逆方向に逃げて後退、それをGが追う。「――っ」今もΑは拳銃を構えているが、これでは急所どころか胸に当たるだけだ。それじゃ、反動でまたスキも生まれる。逆に相手は効いてないから、強烈な一撃を食らうハメになる。

(このままじゃ、ダメだ。馬鹿――逃げるな。立ち向かえ)

 Αは自身の頬を叩き、そして前に乗り出した。

 地面を蹴って進み、あえて死地にのぞみゆく。

 Gは目をうたがう。(正気か? 接近戦で勝ち目など)

 スナップを効かせて、Gは軽いジャブを何発もΑに与える。だが彼は前に進みながらも小刻みに動いて拳をかわし続ける。動転したGは思わず蹴りまで放つが、大振りの攻撃は余計に当たらない。

 そのスキをつかれて――Αは、膝を銃弾で撃ち抜いた。

「――っがあああああああああああああああっ!!」轟然とした悲鳴がとどろく。

 Gの巨体は地面に転がり、叫びながら辺りをのたうち回る。

(どんなに肉体強化しても、拳や蹴りは弾丸より早くはない。それなら、こいつと戦う場合は接近戦の方が安全だ。問題は、それに耐えきれる勇気と根性だけだ)

 そして、立つこともままならなくなった彼を仕留めるのは容易い。

 Gは近くにあった石をΑに投げるが、簡単によける。そもそも、大した大きさではないので元々意味はない。石がないのも、Αがしくんだことだ。

「――あぁ、そうか」Gは一瞬恐怖や怒りで顔を歪ませるが、次第に感情を落ち着かせ冷静になる。だがそれは、あきらめに近いものだった。「死ぬのか」

「そうだ」

 否定はしない。GはAを許さないだろうし、例え実力を認めたとしてもAはGが最も許せないことを犯した。だから、ここで生かして戦いが終わったらいずれ彼はΑを殺す。

「……分かった」

 それを、Gは受け入れた。

 もう悪あがきはしない。クチで罵声を浴びせもしない。彼は十字架のように地面に横たわったまま、目を閉じた。

 Αには、受け入れられないことだった。

「それが、六番街の信条か?」

 地下都市の中で六番街は最も異質かもしれない。

 彼らは唯一、族を組まない。どういう経緯があってそういう思想が広まったのか不明だが、彼らは集団になることを拒み、一世帯か最高でも二世帯の家族観でしか行動しない。それでも、戦うときは『戦士』と呼ばれる者だけが戦い、それが生きるか死ぬかで家族の生死が決まる。

 戦士が負けたら、その家族は死ななければならない。それが掟。

 だから、父親でも何でも家族を代表する戦士が他の戦士と戦って負けた場合は残った家族は全員死ななければならないのだ。

「……狂ってる」Αは理解できない。「何故、生きようとしない。抗えよ。貴様なら、まだいくらでも方法があるだろ」

「例えば、這いずって木を引っこ抜くか考えた。だが、無理だろ。その前にお前が阻止する。土をすくって弾丸に、というのも考えたがどうやっても石より硬くはできないな。片足で立って戦う――無理だ。移動することはできるが、これまでのような機動力は不可能だ」

「だから、あきらめるというのか」

「違う、受け入れるのだ」GはΑの意見を違うといい、自分の思想を語る。「我々にとって、戦いとは神聖なものだ。そこのとこがお前等が理解できないのだろう。だが考えてみてくれ、命を賭けたものが神聖じゃないなんて、そっちの方がおかしい」

 そうは思わないか?

 Gは無垢な瞳で問うた。閉じられてたはずのそれはとても純粋だった。

「……神聖? はっ、騙しあって殺すのがか。自分が取ったことなんて、他とは違い卑怯千万なことなのに」

 Αの言葉に、思わずGはふいてしまった。

「自覚はあったんだな」

「……これから死ぬのに楽しそうだな」

「ああ、不服はない。思ってたより良い奴に殺される」

 理解できない。

 今から殺すって言う奴に、何故そんな顔ができる。

 良い奴?

 殺すんだぞ、お前を。

「理解できない」

「お前とは大切に思っているものが違うのだ。俺は信念で、お前は自分の命だってことだろ」

 だから、自分を殺そうとする奴に笑うなんて行為が理解できない。

 Gは、まさしくΑの本質を言った。

「……今後、自分を殺さないってなら」

「それはでできない」しかも彼は命乞いどころか、チャンスさえ不意にした。「俺がここで生き延びたら絶対にお前を襲う。俺は信念を大切にしているが、それと同時にFのことも愛していた」

「あ、愛し?」

 自分と同年代のくせに何を言ってるんだ、こいつは。

「お前にもいずれ分かるのではないか。モテるだろう、むかつくことに」

「……知らん」

 Αは撃鉄を引き起こし、狙いをつける。

「能力は使わん。頭を狙えばいい」Gは言った。その通りにするだろう。彼の表情はとても穏やかなものだった。今から、眠りに就く。それを比喩表現ではなく本当にその通りに感じている。

「……ふざけるな」これまで、Αが人を容易く殺せてきたのは人間だと思っていなかったからだ。何もこれは、彼が非道な奴だからではない。そうしないと、彼の精神が保てないのだ。

 人は人を殺せない。

 そんなことをしたら、その人間は気が狂ってしまう。人は想像する生きものだ。ヘタをすれば、生きていないものさえ感情を想像してしまう。それが、生きてる相手なら容易いだろう。彼が殴られたら、彼女が殴られたら、自分のことと照らし合わせてどういうことを思うか、感じるかを考えてしまう。人は、人のことを考えたら人を殺せない。自分はこんなにも死ぬのが嫌だ。殺されるのが嫌だ。それを、相手にするのは容易なことではない。

「……あっ」だから、ある意味ではGは無自覚に一番残酷なことをΑに突きつけていた。

 これなら、無様に悪あがきした方がまだよかった。

(考えろ。何をためらう。こいつは、生き延びたら殺すと言ってる。そして、死を受け入れてるんだ。何をためらう必要がある。落ち着け。殺せ――殺せ――)

 最後に、彼は脳裏に浮かべたのはある女性の姿だった。


「………」


 死んだ母親の姿を思い浮かべ、引き金を引いた。

 Gは抵抗することなく、頭蓋骨に穴を空けられて死んだ。

 血はタラタラと流れる。だが、死体はキレイに整然としており、見苦しく身体はよじれていない。

 それが、なおのこと怖かった。

「……死にたくない」

 生き残るんだ、とΑは歩き出す。


 ◆


 さまようようにΑは歩いていた。

 彼の頭の中はGのこと、そしてFのこと、最後に死んだ母親のことが駆け巡り、渦となってこんがらがっていた。

(自分は……何故、こんなに……今まで……今まで平気だったのに)

 能力者を、嫌悪していた。

 持たざる者を嘲笑うように、彼らは力を駆使する。

 だから、彼らを人間じゃないと、人類史で打倒される権力側の人間のように考えていた。

 だが、実際は違った。彼らもまた自分と同じ人間だった。

 ささいなことで苦しみ、しょうもないものを大切にする人間だった。

(生きなきゃ……生きなきゃ、いけない。そのためなら、何でもするんだ)

 死んだ母親の顔。

 間違って人体に有害なものを飲み、死にそうだったとき、血を含んだ吐瀉物を吐き出した彼女は、最後に一瞬だけ笑いながら何か言った。

 それは、言葉になっていない音声だったが――まるで、生きてと言ってるようだった。

(死にたくない……嫌だ……死にたくない……)

 残るは、Αを含めて五人。

 少女二人に、貧弱な男。そして、GとΑの戦いを外野で見るしかできなかったHのみ。

 冷静になれば、容易いはずだった。

 こんなもの、早々に決着がつく。

「くそっ!」それなのに、彼は気が動転して冷静じゃなかった。

 高木に頭を打ち付けて、雑念をまぎらす。

 何度も、何度も、額は真っ赤に染まる。だが、血は出ていないし、死ぬほどではない。

「……分かってるよ」

 何が分かったのか。Αは残りの敵を探してさまよう。


 ◆


「見つけた」

 BとJはいっしょに行動していた。


 待でよぉ!


 何があったのか、あんなに温和な少年だったIは気が狂い、かすれた叫び声を上げて少女二人を追いかけていた。

(……元々は三人で行動していたがIが緊張下に耐えられなかった。もしかして、誰かに襲われそうだった。……分からない。ともかく、あの二人は死にそうだってのは事実か)

 それなら、好都合だ。自分から敵を減らしてくれるならこれほど効率が良いことはない。Αは三人のあとを、俯瞰するように眺めながら追った。

 彼は物陰に隠れながら、完全に気配を消してだ。


「までよぉ、までっ!」

 Iは鉈を持っていた。

 それを乱暴に振り回し、草や木に傷をつける。彼が狙う少女達は距離を取って彼を見つめていた。もう、ほとんど走る気概もないのか、鉈を避けるのを最優先にしていた。

「……お願い、もうやめて。I! こんな、戦いなんて。あなたは望んでなかった!」Bは澄んだ瞳でIに訴えた。だが、彼には届かない。よく見れば、Iの焦点は定まっておらず、例えば今Αが前に出たらBと勘違いして斬りかかってくるのではないか。

(ご立派なことだな。こんな状況でも、小さな子を守ろうとしてる。楽園教の教えとやらは、そこまで慈悲深いのかな)

 反吐が出そうなほど憤るΑ。

 そんなのは嘘だ。そんなことしたって、自分が死んだら元も子もない。自分が死んだらどうする。死んだら、何も残らなくなる。人類史とは違い、地下都市は人の死がゴロゴロ転がっているとこだ。こんな場所で死んだら、あいつはどう生きていたかなんて語られることはない。それこそ、生きていたことなんて誰も彼も忘れてしまう。

(それなのに、あの馬鹿は)

 BはJの手を引き、Iから逃げた。

 泡のようなものまで吹いているIは恐ろしい姿だったが、Bは懸命に走る。

 Jは涙で顔がぐちゃぐちゃなのに、Bは懸命に守ろうとしていた。


 ――お前とは大切に思っているものが違うのだ。俺は信念で、お前は自分の命だってことだろ。


 Gの言葉を思い出した。

 彼女は……Bは、何を守ろうとしているのだ。

「までよぉ!」

 何が、大切なんだ。

 他人の命。

 助けたって、それが自分のためになることなんてない。

 むしろ、助けた奴が報われない。助けられた奴が助けた奴を殺し、仇なす。それが地下都市だ。

(それなのに、お前は何を――)

 Bはつまづいて、転んでしまった。

 ニヤリ、と笑うI。手を振り払い、一人だけ逃げて行くJ。

(……どうせ、こうなるのに)

 Bは両腕で顔をかばう。Iの鉈が、振るわれた。

 いくら鉈といえど、振るうのは細身のI。だが、遠心力が少しはついたのか鉈が振るわれる度に血飛沫が上がり、か細い悲鳴が上がる。鉈は錆びていたのか、切れ味はほとんどない。だから、これは切っているのではなく、叩いていた。それが、余計にBを苦しませた。そう簡単にはラクにさせなかった。

「死ねっ! 死ね! 死ねよぉ!」

 殺そうとしてるくせに涙声のI。逆に恐怖と痛みで意識が飛びそうなBの瞳は透明になりかけていた。

(能力者じゃない。かといって武器もない。……少女。それじゃ、やられても仕方がない。だが、それなら何か手はあったんじゃないか。それこそ、自分のようにあらゆる手を尽くして戦えばよかったんじゃないか)

 舌打ちをする。気配を隠さなきゃいけないのにΑに似合わぬ失態だが、それほど彼は激情にかられていた。そして、それを自覚しながら自分は何故こんなに怒っているのかも腹立たしかった。


「……はぁっ……はぁっ……へへっ、よえー」


 IはBの服をまさぐり、ベルトのうしろにでも隠していたのか。拳銃を発見した。

 ――いや、知っていたのか。

(何故だ。あんなのがあるなら、どうして使わなかった。あれを使えば、Iなんて確実に)

「馬鹿が……ははっ、これで、これで殺せばよかったのに」

 そうだ、殺せばよかったんだ。

 だが、Bは後悔してはいなかった。

「………」

 澄んだ瞳だった。

 これから死にに行くものなのに、


 気がつけば、Αは引き金を引いていた。


 重々しい銃声が辺りに鳴り響く。

 薬莢は吹き飛び、硝煙はしずかに立ちこめている。

 Iの身体は暴風に飛ばされたかのように横転し倒れていた。

 彼の体が軽かったのか。頭を狙ったはずなのに、何回転もした。残ったのは、息も絶え絶えのB。……いや、逃げたはずのJがもどってきた。

「………」彼女は、Iが落とした拳銃を見つめている。

 そして、ゆっくりと歩み寄るとそれを拾った。

「……ご、ごご、ごめん、なさい」

 拳銃の銃口を、Bに向けていた。

 また、Αは撃った。


 ◆


 無造作に転がる二つの死体。

「……な……んで」

 そして、涙を流す瀕死の少女。B。

 何故か、彼女は助けてくれたΑをにらんでいた。

「……こ、ころさな……くても」

「馬鹿か」ただひと言。

 最後まで理解できなかった。

 何なんだ、この女。

 楽園教で甘やかされ、楽園教のルールで地下都市を生き延びようとした。

 馬鹿。馬鹿だ、こんな奴は。

「何故だ。自分には理解できない。お前は、何故そうまでして殺さない? 自分が死にそうなんだぞ。殺されそうなんだぞ。しかも、あの場面ならJを守るためでもあった。それなのに、何故お前は殺さなかった。武器があったのに。武器が、殺せる武器があったのに」

 Bの返答は小難しいものじゃなかった。

 Αがこれまで読んできた書物と比べてもこれほど簡単なものはないだろう。誰でも理解できるようなことだった。逆にそれが、Αにとって認めがたいものだった。

「……人が……死ぬのは……かなしい……よ?」

 そんなことは、知っているよ。


 ◆


「あ、あっ――Α!? き、きみは、まだ……ん? あ、あれ、B。き、きみがやったのか?」

 Αは頭が真っ白になっていた。もう、何が何だか分からないという状態だ。

「ははっ、すごいじゃないか。もしかして、これでもう戦いは終わりかい? いくつか辺りを見てきたんだよ。死体がさ、七つぐらいはあったんじゃないかな。バラバラのもあったけど。ははっ、誰がやったんだか。ねえ、これなら、きみと僕が勝者ってことだよね。生き残れるのは二人だけだから」

「………」

 ΑはBの言ったことが理解できない。

 ……いや、理解したくないのか。

 理解したら、彼がこれまで守ろうとしていたタカが外れる気がした。

「ははっ、この女。僕は嫌いだったんだ。こいつ、同じ楽園教と言ったって、所詮は下級貴族。僕なんかとは比べほどにはならない」

「………」

 Hは、能力者だ。

 これまでの敵と比べると大したことないとはいえ、Αとは個体の力が違う。能力がない能なしは、能力者とは生まれながらに大きなハンデがある。だから、なるべくなら戦わない方がいいはずだった。

「………」

 拳銃も、弾は切れているみたいだし。落ちている拳銃があるが、あれを拾う気にはどうしてもなれない。

「ねえ、どうしたんだい。きみともあろうものが。Gを殺したのはきみなんだよ。いやぁ、流石だね。ねえ、僕ときみなら何でもできるんじゃないかな。そうは思わないか」

「思わねーよ」

 Αは凍り付いた目で、Hを見据えた。

「……な、なんだよ」

 それ自体が能力であるかのように、Hをたじろがせた。

 冷静に考えれば、彼と戦うのは得策じゃない。


 ――母親のことを思い出した。


「ただ、それだけだ」

「……は?」

 Hは疑問符を浮かべる。

「ただそれだけで……自分は、どんなことしてでも生き延びようとしたんだ」

 母親は、死ぬときに最後笑っていた。

「あの笑顔があったから、死にたくないって思ったんだ!」

「う、うわあああああああああああああああっ!」

 Hは思わず、背中を向けて走り出してしまう。

 だが、Αも冷静ではなかったのか。ご苦労なことに、一目散にその背中を追った。わざわざ、疲労困憊の足に鞭を入れてまで。

「ああああああああああああああああああああああああっ!」

 Hは馬鹿でかい声を出して泣き叫ぶ。

 逆に、Αは鬼のような形相で追いかけていた。無言だ。

「ちきしょう! 何でだよ! まだ殺したり足りないのか、この悪魔! くそ!」

 Hは何も考えずに闇雲に能力を使用した。彼は風をあやつり、弾丸のように放てる。といっても、せいぜい成人男性の拳ぐらいの威力で、武器として使えるかは怪しい――はずだったが、今のΑには格段に効いていた。満身創痍の状態では、限界なようだ。

 見た目は無傷に見えても、Gと死闘を繰り広げ、心も体もボロボロだ。筋肉はほとんど疲労で限界だ。

 Αは、無様にもんどり打った。

「……え? あ、あれ?」

 そこで、Hは調子づいた。もしかして、こいつ弱い?

 そうだ。彼は能なし。能力者じゃない。だから、Hなら簡単に倒せるはずだった。人の拳程度しかないといっても、飛び道具を何発も使えるのはやはり強い。倒れたΑをさらに追い打ちし、能力で殴打した。Αの体はその度に震え、反って、短い悲鳴を上げた。

 鼻は潰れ血を出し、頬は腫れた。

「……ははっ、何だ。怖がることなかった。そうか、こんな弱かったんだ。いや、僕が強いのかな?」

 だが、殺す勇気はないようだ。

 しばらく、躊躇ったあと、またΑを能力で攻撃する。無駄だ。殺せるなら、さっさとすればいいのに。

(……馬鹿が。何も考えない。そして、感情になすがまま。こいつも、Bだって……理解できない。何故、何故こいつらはもっと考えない。たった一つしかない命だろ……死にたく、ないだろ。少しでも考えれば、まともに戦うことができたはずなのに)

「馬鹿野郎が」

 ドスの効いた低い声。

 それだけで、Hは震え、攻撃が外れてしまった。

 もう一度、Αは言う。「馬鹿が」

 Cから奪ったあの爆弾――最後の一個を取り出した。「これは爆弾だ。今から、お前に投げる。「や、やめろよ」「死にたくなかったら攻撃しろよ」

 能力を使った。

 それはΑの腹に当たり、ついうめき声を上げる――が、次の攻撃は見当違いのとこへそれた。偶然だったようだ。彼は、Dと同じように精神が乱れると途端に能力の精度が落ちる。

「やめろよぉ!」

Αは爆弾を投擲した。

Hはそれを撃ち落とそうとするが――かすりもせず、爆弾は彼に届いた。


 轟音っ――爆風。


 Αの体は後方へ吹き飛び、受け身も取れず地面にぶつかる。

 Hの四肢はバラバラに散らばり、血肉が周囲の草木に飛び散った。

「……あぁ」

 Αは、かすれた目でBを見る。

 彼女は、悲しそうな顔でこちらを見ていた。

(……お前は、どうせ理解できないんだろうな。人を殺してまで、したことを。誰かを――いや、たまたまだ)

 ひとまず、子供達の殺し合いはそれで終わった。

 あとはノザキのスタッフが勝者二名を確保し、共に治療を受けさせた。

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7start 2.0 蒼ノ下雷太郎 @aonoshita1225

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