第2話「バカと魔法とボーンフィッシュ」

「……今日もだめか」


 まるでうんともすんとも言わない自分の手に向かって、俺は独りごちた。


「やっぱバグなんじゃねえのこれ……」


 それでも諦め切れず、もう一度同じことをやってみる。


「氷よ! 出ろ!!」


 そうして叫びつつ、俺は思い切り右手を開き、その腕を前へと突き出した。

 我ながら、これ以上ない完璧な挙動だ。これでダメなら、俺には一生この世界で魔法なんか撃てやしない。そう思えるくらいに、今俺は非の打ち所のない完璧な“魔法使い”ポーズを取っている……。

 

「…………」 


 はず、なのに。

 待てども待てども、やっぱり俺の手からは何も出ない。手が急に光り出して、目の前の岩を全て凍りつかせる……なんてことは、全然ちっとも、起きる気配がない。

 こんなことをし始めて、もうそろそろ1ヶ月である。俺は半ばやけになって、色んなポーズで岩に空魔法を撃ち続けた。


「アイス!●ャド!ブ●!!んああああああエターナルフォースブリザードおおおおおおおおおお!!!!」 

 

 そうして氷魔法的な名前をがむしゃらに叫んでみても、やっぱりダメ。うんともすんとも言わない。魔法のまの字もない。

  

 分かってはいたが、今日も俺の負けである。魔法のまはないのに、負けのまは当然のようにある。全くもって腹ただしい。

 いつまで経っても傷一つ付けることの出来ないそのお岩様に礼をして、俺はいつも通りうなだれながら、そこを後にした。今日も惨めな敗走である。


 もはや日課と化してしまったこの“岩参り”。街から少しはずれたところにある大岩に向け、ちょっと試してみようと思って魔法を撃とうとしたのが最初である。軽い気持ちで始めたはずなのに、気付けば今や泥沼。無限ループ状態だ。いつまで経ってもでかい亀のボスになんか辿り着けない。発狂して死ぬか時間切れで死ぬか、どちらが先かってな具合である。俺がそうやって心の残機を減らしてお参りしまくっているおかげで、そろそろあの岩も神格化するまである……。


 別に俺は、この世界で常にRPGの勇者みたいにドラマチックな日常を過ごしたいなんて高望みは一切していない。ただちょっとだけ魔法が使えて、ちょっとだけファンタジーな世界が感じられて、ちょっとだけ現実を忘れられる生活が出来れば。そんな風に思っているだけだと言うのに……。

 この『IslanD』に入ることが出来るようになってから、すでに28日目。今日もまた俺は、魔法を会得することが出来なかった。

 他のプレイヤー達は普通に使えているっぽいのに、なんで俺だけこんなことに……。

 

「はあ、帰ろ」 


 叫んで腹が減った。とりあえず今日も酒場で情報収拾しつつ、飯でも食うことにしよう。

 と、そう思いながらとぼとぼと砂原を歩き出した時だった。

 俺は、目の端でとんでもないものをとらえていた。


「……ぷっ! あーっはっはっはっは!!」


 俺が気付いたのを見て、そいつは途端に大声で爆笑し始め、地面を転げ回った。

 

「おまえ……っ! いつから……!?」


 震えながら俺が問うと、そいつ、エクレアは、転げまわって息も絶え絶えになりつつもそれに答えた。


「ぶふ! んあああああエターナル何とかああああああってとこくらいからかな!」言いながら、なおもエクレアは笑い続ける。「あっはっはっは! んああああとか! どんだけ必死なのよ! あーっはっはっはっは!」


 もはや転がり過ぎて、砂で真っ白になりつつあるエクレア。何か言い返そうにも、ほぼ全てを見られてしまった後では大した言い訳が出来るはずもなく、しばらく俺は、そこに立ち尽くしている他なかった。

 岩参りは言わば秘密の特訓。なるべく誰にも見つからないようにしてたはずなのに、なんでこいつがこんなところにいるんだよ……。

 くそ! イラついてたからって油断した。よりにもよってこいつに見つかるとは……。


「あー……お腹痛い。久々に爆笑したわ……」 


 普段は可愛げのあるそのピコピコと動くネコ耳も、今は何だかものすごくうっとおしい。

 そうしてひとしきり笑った後、エクレアはぱんぱんと自分の体を払いながら、俺の元へとやって来た。

 

「はぁいテオ。元気?」


 しらじらしくもそう言って仕切り直そうとするが、よほど俺のアレが面白かったのか、まだ全然笑いを収めきれていない。俺の顔をじっと見たかと思うと、すぐに視線をそらして吹き出す始末。しかもそれを何回もやりやがる。

 さすがにカチンと来て、俺はそのくそ猫娘の横を素通りしてやった。


「あ、ちょっと! 無視しないでよ!」

「うるせ! 耳元でわめくな!」


 さっさと街へ帰ろうとする俺の腕を、しかしこいつはがしりと掴んだ。


「……離せ」

「イヤ」

「は、な、せええええええ……!」

「イ、ヤ、だああああああああ……!」

 

 無理やり引きずって行こうかと思ったが、こいつの力が無駄に強く、逆に俺が引っ張られる形となる。

 どんだけ必死が聞いて呆れる。必死なのはお前の方じゃねえか……。

 

「お前が自分から俺んとこ来る時はろくなことがねーんだよ! どうせまた金貸せとかそんなんだろ!!」

「ち、違うし! 今日はもっとソフトなアレだし!」

「んだよそれ! たかりに来たのは変わんねえんじゃねえか!」


 思いっきり顔をぐいぐいと押して引き剥がそうとしたが、それでもこいつは頑なに俺の腕を離さず、がっちりとホールドしてきた。

 女の子が必死になって自分を求めてくる。俺のような健全な男子高校生からしたら、これは本来喜ぶべき状況である。

 でも俺はすでにこいつのぽんこつさを知ってしまっているせいで、今さらこれくらいのことじゃ全く喜べない。もう最近ではこんな風に距離を詰められても、ただうざいと思うだけになってきてしまった。


 始まりの街、ガガ・ヤードを根城にする情報屋。このエクレアことエクレールに初めて出会ったのは、俺がこのゲームにインした初日のことだった。

 アイランドはマニュアルの類がほとんどないゲームだったから、まず俺は入ってすぐに、情報収集を始めた。その時たまたま入った酒場で真っ先に話しかけてきたのがこいつ、エクレアだった。


(お、新顔だね。良かったらこっちで一緒に飲もうよ)


 最初にそうしてこいつに声を掛けられた時、俺は二つの理由で興奮した。

 一つは、こいつがとても可愛かったこと。

 顔のパーツは女の子らしく基本小さめなのだが、目だけがはっきりと大きい。その整った顔立ちを、さらさらの金色がかった茶髪のショートカットがまた映えさせる。そんな正統派美少女に、裏のなさそうなさっぱりとした笑顔で話し掛けられたら、男なら誰でもちょっとはドキッとしてしまうだろう。少なくとも俺は、その時ばっちりときめいてしまった。

 格好はかなり露出度が高めで、着丈の短いライトジャケットと、これまた丈の短いホットパンツという出で立ちだった。ジャケットの前は豪快に開け放たれていて、下のぴっちりとした黒いインナーを堂々と晒しているため、ちょっと目のやり場に困る。雰囲気的には、ファンタジー世界のくの一、と言ったところだろうか。

 体つきは細身だが、筋肉質だ。しかし全体に女性的な柔らかなラインはしっかりとあり、その身体は健康的な魅力にあふれている。顔良しスタイル良し。中身はともかくとして、マジでガワだけはホントにいい。それは多くのゲームをこなし、数々のヒロインを見てきた俺が言うのだから間違いない。


 初めて知り会った女の子がこんなに可愛いなんて、すごく幸先がいい! 

 最初はそう思ってただ興奮していた俺だったが、エクレアと何度か他愛ない会話をするうちに一つの事実に気が付き、いよいよ興奮を抑えられなくなった。

 俺がエクレアに会って興奮した二つ目の理由。それは、こいつが“亜人”だったことだ。

 

 この世界には純人と亜人の2種類の人種がいる。ほとんど情報なんて載ってないぺらっぺらな説明書にも何とかそれだけは書いてあり、亜人という存在がいるということはあらかじめ知っていた。だから俺が興奮したのは別に、人ならざるものを初めて見て驚いたから……というわけではない。 


 俺がこのアイランドに初めて入った時、他のゲームと同じように自分の外見を設定するシーンがあったのだが、その時純人か亜人かを選ぶなんて設定は、どこにも見当たらなかった。ただHASによってスキャニングされた自分の元の顔や体格等をちょっといじれるというだけで、獣耳やしっぽを付けるなんてオプションも、そこには一切なかった。


 つまり、この世界ではプレイヤーは純人にしかなれないのだ。ということは必然、これは未だ信じられないところではあるが、亜人は現実の人が動かすキャラではなく、AIで動くNPCである、ということになる。

 そのあまりの会話の淀みのなさに一瞬気付くのが遅れたが、そういうことだ。エクレアはNPC。つまり、人間ではないのだ。


 これは本当に驚いた。現実の有機ロイドに載っているAIだって相当なものなのに、このゲームのAIは、それをはるかに凌駕しているように思えた。うちのルミも相当流暢に話せる方だと思うが、何か分からないことがあればかなり長い間フリーズして考えこむこともあるし、従来のAIめいたところはやっぱりある。なのにこのゲームのAIときたら、まるで人間だ。

 本当に今でも信じられない。まさかこんな人間臭いぽんこつを生み出すことが出来るくらいに、AIが進化していただなんて……。


 件のエクレアは、なおも俺にすがりついたままでいる。おかげで、一向に街へと向かえる気配がない。

 何だか今日はいつにも増して必死だ。ついに借金取りにでも追われ始めたのだろうか。

 いい加減埒が明かないので試しにそう訊いてみると、エクレアは首を横に振った。


「違うの違うの! いやそれもあるんだけど」


 それもあんのかよ。こいつマジアホだな……。

 

「今日はお金じゃなくて、その……」


 ドン引きしながら見下していると、そうしてエクレアは言い淀んだ。

 いつも臆面もなく金の無心をしてくるこいつにしては、ちょっと珍しい挙動だ。今日はソフトな頼みごとだとか何とか言ってたが、この感じだと相当やばい案件でも持ってきたんじゃないだろうか。

 と、そう思って警戒していたが、次の瞬間俺は意表を突かれてがくりと肩を落とした。

 

 きゅう~るるるる……。


 ふいに力の抜けるような音が、エクレアの細い腰の辺りから鳴る。

 エクレアはほんのりと頬を染めながら俺を見上げた。さすがにこれは少し恥ずかしかったらしい。

 普段は割と何があってもあっけらかんとしているやつだが、やっぱり今日はちょっとしおらしい。ちょっとだけ可愛く見えなくもない。


「あ、あっはははー……」


 頬を掻きつつ、エクレアはごにょごにょと言った。


「その……ごはんおごってくれませんか……? ちょっと計算が狂っちゃって、今持ち合わせがなくてですね……」


 腹が減っていたのを思い出してしまったせいか、エクレアは自分の腹を抑えながら、弱々しく小刻みに震え出した。そうして涙目で必死に俺にすがるエクレアは、猫というよりは犬、チワワみたいな感じに見えた。

 いつもこんな感じなら可愛げもあるというものだが、通常時のぽんこつ状態のマイナスポイントがでかすぎて、全然プラスにまではメーターが振れない。本当に残念な美少女である。

 て言うか、こいつの丁寧語とか初めて聞いた。どんだけせっぱつまってんだ。

 

「……何でそんなに金ないんだよ。最近割と調子よくやってるって酒場で小耳に挟んだんだが?」

 

 そのくせ俺への借金は返されていないんだが? 割とマジでどうなってんの? このゲームプレイヤーもちゃんとモノ食わないと死ぬ設定だから、俺も楽な生活じゃないんだよ。早く返して欲しいんですがね……。 

 そうした糾弾の意も込めて訊いたのだが、次にこいつから出てきた言葉は、俺の予想を遥かに越えるものだった。


「いやー……ちょっと、ポーカーで負けちゃって……」

「は?」


 え? 幻聴?


「……何て?」


 念のためもう一度訊いてみる。たぶん俺の耳がイカれてただけだ。

 するとエクレアは、トイレでも我慢してるみたいにもじもじとしながら、やっぱりこう言った。


「いやだから、ポーカーでスッちゃって……」 

「お前何言ってんの?」


 もはや食い気味に言ってやる。


「何で俺がギャンブルで金スッたやつのケツ持たなきゃいけねえんだよ! お前の責任じゃねえか!」


 だめだこいつ……早くなんとかしないと……。

 せめてもうちょっとマシな理由だったら助けてやろうという気にもなるものを、さすがにこれじゃあ動く気にはさらさらならない。

 最上級の蔑みの目を向けてやると、エクレアはうっ、と漏らし、一歩後ずさった。

 さすがに引くかと思ったが、それでもこいつは諦めなかった。


「いや最初はもちろんちょっとだけのつもりだったよ? でも手が入っちゃったんだからしょうがないじゃん! テオだってフルハウスとか来たらレイズするでしょ?」


 全然言い訳になっていないその抗弁に、俺は心底呆れ返った。

 内容なんかどうでもいいんだよ。俺は単にギャンブルすんなって言ってんだよ。それくらい分かれや……。

 そもそもフルハウスくらいじゃあなあ。割とよく入る手だし、俺だったら自信満々でレイズしたりはしない。まあちょっと上げてみて、相手の顔色うかがってって感じではいくかもしれないけど……。

 と、一応そうして考えてやってみたところで、俺はふと恐ろしいことに気が付いた。


「……つうかお前。手が入ったから終わったみたいに言ってるけど、フルハウスごときでどこまでレイズしたんだよ」


 そう訊くと、え? とエクレアは小首を傾げながら言った。


「持ち金全部だけど?」 


 常識でしょ。何バカなこと訊いてんの? ってな感じのマジなきょとん顔である。

 それを見て、俺はもう目頭を抑えずにはいられなかった。これから真面目にこいつの相手をするのはよそう。俺は改めて強くそう思った。


「自業自得だな。じゃ、俺は飯食いに行くから!」

「あ! 待って待って! お願いだから! 今日だけでいいの! ほんと、そしたらツケとか借金もろもろ全部頑張って返すからあああああ!!」


 空腹でふるふる震えてたやつが一転、またこいつは両腕を抑えこむようにして俺の体をギリギリとパワフルに掴み、締め上げる。

 

「ぐああああああ! お前これ腹減ってる力じゃないんだがあああ!?」

「ホントだって嘘なんかついてないよおお! って言うかさっきあたしのお腹の音聞いたじゃんんんん!!」

「分かった! 分かったから一旦離れろ! ……っておい! 変なとこに顔埋めんな!」


 そこでやっと拘束の手が少し緩む。俺はそれに乗じて何とかエクレアを引き剥がした。

 なんで女の子の拘束ごときでほとんど動けなくなってしまうのか、全く理解に苦しむ。最初から超人的な力を持っているやつもいるらしいのに、俺は少し力が弱すぎやしないだろうか。

 このゲームはステータスウインドウとか、そういう類のものが一切ないから確認出来ないが、もしかすると俺の内部ステータス的なものは相当低いのかもしれない。身体能力は現実のそれとほとんど一緒だし、ゲームの中なのに爽快感も何もあったもんじゃない。魔法が撃てればその状況も変わってくるのだが、それも全然ダメだしな……。

 本当に先が思いやられる。こつこつやるにも何をどうしたらいいのか分からないし、いよいよもって詰みの様相を呈してきた。

 この世界の攻略法、誰かちょっとでいいから教えてくれませんかね……。 


(……お?)


 と、そうして自身の境遇に心底落胆していると。少し遠くで、砂の地面から何かがせり上がってくるのが見えた。

 二人同時に「あ」と声を上げ、俺達は顔を見合わせた。


 ボーンフィッシュ。街の周辺にある大砂原に多く生息するモンスターである。

 体長は50センチ程。魚の骨のような外見をしているが、アンデッドみたいなものではなく、ちゃんとした生物である。そのため普段は砂の中を泳ぎまわっているが、音に反応して地表にまで上がってきて、餌を取ろうとする。人間にも反応して出てくるが、その時はトビウオみたいに砂を跳ねながら体当たりしてくるので、その刺々しい体が結構痛い。しかし俺でも殴ってたらそのうち倒せるので、単体ならそんなに危ないモンスターではない。つまりはスライム的なやつである。


「何だあボーンフィッシュかあ。身がないから食べられないんだよなあ」


 こっちに向かってくるそれを眺めながら、骨でもしゃぶってやるかなあなどとエクレアは暢気に笑ったが、俺の方は全くの真顔だった。

 嫌な予感がした。一匹なら俺でも対処できるが、ボーンフィッシュは基本群れで行動する。こうして一匹だけで行動することは稀だ。俺が倒した時も、街の近くのを運良く狩れただけだった。群れとまともに戦って狩れたことは、一度もない。


 良い予感というものはあまり当たらないものだが、こういう予感は実によく当たる。

 思った通り、向かって来ていたボーンフィッシュの後ろから、ずしゃあずしゃあと砂音を立てながら、どんどんと別の個体が現れる。皆一様にこちらを目指し、一目散に向かってくる。

 たぶんさっきの押し問答の際の音が原因だろう。エクレアもそのどんどんと増えるボーンフィッシュにさすがにまずいと思ったのか、さっきまでの暢気な笑いを苦笑いへと変える。


「うーん……ちょっとまずいっぽいねえ……」


 そう呟いたかと思うと次の瞬間、「一抜け!」と意味不明の宣言をして、エクレアは街の方へと走り出した。


「あ!? きったね!」

 

 俺の方を見つつニヤリと笑うエクレアを見て、俺は一瞬で理解した。こいつ、俺を囮に使う気である。

 すぐさま追い始めたが、猫の亜人だけあってか速い。このままだと本当に、俺がズタズタになっている間にこいつだけがまんまと逃げおおせることになってしまう。

 絶対に死ねん。そう思って俺は必死に走ったが、しかし。


「んにゃあ!?」


 マヌケなことに、前を走っていたエクレアは石にけつまずいて頭から地面に突っ込んだ。

 エクレアはそのまま顔面をしこたま砂で擦った後、ゆっくりと倒立状態になって、前転するような形で大の字に倒れこんだ。

 そのマンガみたいな倒れ方に、俺は思わず吹き出してしまった。

 バカめ。勝ち誇ってこっちばっか見てるからだ。

 

「へへっ。お先にー」


 ぺっぺと砂を吐くエクレアを横目に、俺は悠々とその場をやり過ごす……。

 そのはずだったが、最短距離を走るためにエクレアの真横を通ったのがまずかった。


「行かせない!」


 エクレアは砂で涙目になりながらも目ざとく俺を見定め、飛びついてきた。


「ぐお!」 

「一人で逃げようなんて虫が良過ぎますぜ旦那ぁ……」


 俺の真似をしてへへっと笑うエクレアに、心の底からイラッとした。

 どの口が言ってんだどの口が。


「分かった! 分かったからさっさと立って走れ! マジでやばい!」


 頬でも思い切りつねってやりたかったがそれは何とか抑え、俺はエクレアの手をぐい、と引いて立たせてやった。今は余計なことをしてる時間はない。

 しかし、俺がせっかくそうしてやったというのに、エクレアはすぐに走り出そうとはしなかった。なぜか呆気にとられたような顔をして、じっと俺を見つめた。

   

「な、何だよ」


 それは普段のおちゃらけた感じが全くしない、素の表情だった。こいつは本当に見た目だけは良いから、こうして黙られると普通の女の子みたいに見えて、どうしてもドキリとさせられてしまう。

 裏返る声で必死に取り繕うと、エクレアは少し眩しそうに俺を見て、柔らかく笑った。


「や、何て言うかさ。君ってほんと、アレだよねえ」

「は? アレ?」


 訊き返しても、エクレアはなぜだか妙に嬉しそうに笑うだけで、何も答えなかった。

 代わりに、今度はエクレアの方が俺を引っ張った。

  

「ほら、何ぼーっとしてんの。行くよ!」

「あ、おい!」

 

 何なんだよ。変にぼかされると気になるんだが……。

 追求したかったが、思い直して口をつぐむ。引かれるがまま、俺はエクレアの後ろを走り出した。

 ボーンフィッシュの群れが、すでに50メートル程にまで迫っていた。いよいよもって時間がない。


 大きく土けむりを上げながら向かってくるその様は、さながら巨大な耕うん機だった。その刃に巻き込まれれば無事ではすまないことが、一目見ただけで容易に分かる。

 全速力で走る。しかし向こうの方が少し速く、じりじりと差を詰められていく。このままだと街に着く前に追いつかれ、ズタズタのひき肉にされてしまう。


「ぐあああああやべえ! 間に合わねえええ!」


 拾った石を群れに投げてみたものの、全く効果がない。動くものに反応しているのかと思って遠くに石を投げてみてもダメ。ボーンフィッシュ達は、真っ直ぐに俺達の方へと向かってくる。

 それを見て、エクレアがやれやれとばかりに嘆息しながら言う。


「無駄だよー。ボーンフィッシュは生き物にしか反応しないんだから」

「マジかよ! 早く言えよそういうことは!」


 じゃあ虫でも投げとけばいいのかと思って探してみたが、そんなに都合良く転がっている訳もない。そもそも人間より小さいものに反応するのかも怪しいので、その作戦は早々に諦めた。

 やばい。どうしよう。マジで詰んだくさい。


「くっそおおおおお!」


 何かないかと体中まさぐっていると、エクレアがまた言った。


「この窮地を打開する方法、知りたい?」 

「あんのか!?」


 一も二もなくそれに飛びつく。すると、エクレアは「ありますとも」と、得意そうに胸を張った。


「知りたい? ねー知りたい?」


 こんな時にも関わらず、エクレアはそう言いつつやたら楽しそうにガツンガツンと肩をぶつけてくる。ほとんど遊園地でアトラクションの順番を待ってる時の子供である。うっとうしいったらない。

 ……つか、さっきからなんでこいつこんなに余裕なんだ? アホだから状況分かってないの? 何かあるにしても、さすがに悠長過ぎるだろ……。

 俺は呆れながらも、またエクレアがぶつけようとしてきた肩をガシリと掴み、言った。 


「何かあるならもったいぶらずに教えろ! 何だ! どうすりゃいい!」


 そう訊いたが、エクレアはぷいっとそっぽを向き、この期に及んでまだそれを出し渋った。


「えー教えてもいいけどー……タダじゃねー……」


 俺は頭を抱えた。

 くそ! そういうことかよ! 


「だあああああ分かった! 飯でも何でもおごってやる! だから早く!」

「毎度ありー」


 飯おごるか死ぬか選べって言われたら、そりゃこうするしかない。

 金を貸しているやつにこの上施しをするのは納得がいかん。そういう気持ちもなくはなかったが、一回の飯で命が買えるんなら安いもんだと思うことにする。もし本当にこの局面を打開出来たなら、気持ちよくおごってやろう。

 しかし自分のピンチすら商売道具にするなんて、何と豪胆で抜け目のないやつだろうか。

 もしかするとこいつ、結構すごいやつなのかもしれない。


 ともあれ、この口ぶりからするとかなりの確率でこの状況を打開出来ると見ていいだろう。それくらいの自信がなければ、さすがにこんな悠長には構えてはいられまい。

 ただ、街まではまだ500メートル程もある。このペースだと半分かもう少しくらいのところで追いつかれるだろうから、その前に何か対策を講じなければならない。本当に大丈夫なのか、ちょっと不安なところではある。

 

「で、何だよその方法って! 何すりゃいいんだ!」 


 そう訊くと、エクレアはようやくまともに話始めた。


「簡単だよー。正直こんな情報で報酬もらうのが悪いくらいだよ」


 マジか。そんな簡単なことなのかよ。ちょっと損した気分だな。

 そう返すと、エクレアは「簡単も簡単」と、にこやかに笑った。

 

「テオが魔法を撃てばいいんだよ。どーん! って。ね? 簡単でしょ?」

「……は?」


 は?

 俺はあまりの衝撃に、口と心の中で1回ずつ同じ言葉を吐いてしまった。

 え、何言ってんのこいつ。ボケてんの?


「……どういうことだ?」


 ストレートにそう訊き返すと、エクレアはやっぱり同じことを言った。


「だから、魔法を撃てばいいんだよ」

「……誰が?」

「君が」


 気付けば俺は、拳を握り締めていた。

 ニコッ! とビックリマークが付くくらいやたら爽やかな笑顔で戯言を抜かすエクレアに、俺はとうとうキレた。


「このバカ! 使えねーから練習してたんだろうが!! 何見てたんだよお前は!!」

「え? アレって魔法の練習だったの? ギャグの練習か何かだと思ってたんだけど」

「んなわけねえだろ! ……つかこの流れ2回目なんだよ! くそつまんねー天丼やってる場合か!!」

「え? 何? テンドン?」


 マジでこいつ、死ぬ前にいっぺんぶん殴ったろか。

 何で俺がわざわざギャグの練習なんかすんだよ。毎度飲み会で宴会芸を強いられて困ってるサラリーマンじゃあるまいし……。

 最悪なことに、不安は的中してしまっていた。エクレアはやっぱりバカだった。


「えー? 何で使えない魔法の練習なんてしてたの? テオ魔法使えるじゃない」


 一人絶望して頭を抱えていると、ふいにエクレアがそんなことを言った。


「ほら、あたしに一回ちょっと見せてくれたじゃん。覚えてない?」


 言われて俺は、力なくエクレアの前に手を伸ばし、それを見せた。


「……これのことか?」


 人差し指に、小さな火が灯る。本当にろうそくの火のように小さい、ささやかな灯火。

 そのちっぽけな炎は全速力で走る俺の風圧に耐えられず、数瞬で消えてしまう。

 それでもエクレアは、目を輝かせて俺の手を掴み、それを賞賛した。


「すごい! やっぱりすごいよ! そんなに簡単に火を出せる人見たことない!」


 そしてエクレアは後ろの追跡者達をビシっと指差す。


「さあ! あとはそれを大きくでも何でもしてきゃつらにぶつけるだけ! レッツファイヤー!!」

「ファっ!? ……くっ!」


 やれそうなことが他にないという絶望と、そのエクレアの妙なテンションとに後押しされ、俺はつい人差し指をボーンフィッシュの群れへと向けてしまう。くそ! もうどうにでもなれ!

 今度はさっきよりも強く念じてみる。するとぽすっ……と湿気た打ち上げ花火のような音を立て、指先に再び火が灯る。

 その炎はブスブスと不完全燃焼したような音を上げ、健気にも少し頑張る様子を見せたが、結局最後にはさっきと同じように儚く消え、その短い命を終えた。

 

「ぐっ……」


 どうしてなのか。一体どうして俺はまともな魔法が使えないのか。  

 確かになぜか炎なら出せる。でもこんなちっぽけな炎、現実世界でだってマジシャン用の商品でも買えば簡単に再現出来る。これが魔法だなんて胸を張ることは、間違っても出来ない。


「んーやっぱだめかー……。もしかしたらって思ったんだけど」

「お前! こんなゴミみたいな作戦によく自信満々で命賭けれたな! ギャンブラーにも程があんだろ!!」


 あっちゃーとほほいっけねーとばかりに舌を出すエクレア。普段の俺ならたぶんもうぶん殴ってるところだが、すでに俺には、怒る気力なんか残っていない。

 ボーンフィッシュ達と俺達との距離は、もう十数メートル程しかない。まもなく俺達は、シュレッダーにかけられる紙のごとく無残に切り刻まれてしまうだろう。


(終わった……)


 こんなことになるんなら、もっとその辺にいる可愛い亜人の女の子とかにアタックしてイチャイチャ生活でも送ればよかった。どうせ魔法も使えないんだし、変に倫理的な生活をするよりそっちの方が断然楽しめたはずだ。何で俺は、こんな死線の上でアホなやつのツッコミ役をする未来なんか選んでしまったのだろう。アホなのはむしろ俺だったということなのか……。

 そうして自分の末路が見えてしまって鬱モードに入っていると、エクレアが慰めるかのように俺の肩をポンと叩いて言った。


「やだなー、あたしだって命賭ける時くらいはさすがに慎重になるよー」


 まだ希望があるというような口ぶりだったが、すでに青息吐息の俺にはもうそんな言葉は信じられない。


「いいからそういうの……アホなお前が保険なんか用意してるはずもないし……」


 そう返すと、しかしエクレアはまあまあと俺をなだめた後、「危ないからちょっと離れてて」と俺の肩を押した。


「本来なら別に料金をもらうとこだけど、今回は特別だよ!」


 え? まさか本当に何かあんの? 

 その俺の期待の眼差しを受け、エクレアはニヤリと笑い、懐から何か小ぶりのナイフのようなものを取り出す。

 刃部分と柄だけの簡易的なナイフだった。エクレアはそのナイフをいくつか両手の指の間に持ったかと思うと、「や!」という掛け声とともにそれを前方に投げた。何だか随分と堂に入った手つきだ。

  

「あたしの前を走って!」


 いつにもなく真剣な眼差しのエクレアに、俺は慌ててその通りにする。

 こんなに真面目な顔をしたエクレアを見たのは初めてだ。これはもしかしてもしかすると、死なずにすむかもしれない。


 ちょうどゴールの目印みたいに、ナイフが両サイドの地面に刺さっていた。俺はとりあえずとばかりに、その間を全速力で走り抜ける。

 もはや巨大な一匹のモンスターと化したボーンフィッシュ。生半可な攻撃は効きそうにない。そんな怪物を相手に、エクレアはあんな小ぶりのナイフで何をしようと言うのか。

 気になって振り向いてみる。するとエクレアが一本のナイフを顔の前に持ち、何やら目を瞑って集中している場面が目に入った。ナイフの刃先を額に当てながら、ぶつぶつと何か呟いている。

 数瞬の後。エクレアもそのゴールを通り過ぎる。そこでエクレアはカッと目を見開き、飛び込み前転をしながら持っていたナイフを地面に思い切り突き立てた。


 瞬間、バチィ! と耳をつんざくような大きな音がした。巨大風船でも割れたか、はたまた巨人がクリティカルビンタでもしたか。そんな風に思ってしまう程の、馬鹿でかい炸裂音だった。

 

「何の音……ってうおお!?」


 目の前で起こっている事態を見て、俺はようやくことの次第を理解した。

 電気である。エクレアが地面に刺したナイフが起点となり、最初にあらかじめ投げていたナイフにまでその電気が伝わって、バチバチと電流のトライアングルを作り上げていた。どうやったのかは分からないが、はっきりと目に見える程の強力な電気を、エクレアが放ったのだ。


 ボーンフィッシュ達はそのトライアングルの一辺にぶち当たり、先頭集団が感電して次々に地面へと力なく落下していく。それが進行の妨げとなり、やつらのスピードががくりと落ちる。

 これなら俺達の方が断然速い。間違いなく間に合う。


「はあ……はあ……」


 やつらがまごついているうちに、俺達はまんまと街まで逃げおおせることが出来た。

 街の大きな東門をくぐり、商店街まで走り抜けたところで限界が来て、俺はその場に倒れこんだ。

 ここまで来てしまえばもう安全だ。モンスターは基本、人のいる街までは入ってこない。もし入ってきても、門にいる守衛さんが大体なんとかしてくれるので、彼らに任せておけばいい。


 とにもかくにも助かった。正直絶対死んだと思ってたから、マジで嬉しい。

 俺は何とか少しづつ息を整えながら、命の恩人に感謝した。

 

「いや助かったわ……すげえなお前……」


 俺のそれに、エクレアはニコリと笑った。


「なんのなんの。ご飯のためだからねえ」


 未だ息も絶え絶えな俺に対し、エクレアの息はもう整っている。さすがなんだかんだで終始余裕だっただけのことはある。

 

「で、さっきのは何だ? 何かすげえバチバチいってたけど……」


 あの音を聞いて真っ先に思いついたのは、コンビニとかに設置されている殺虫灯だ。夏の夜に買い物に行くと、ちょうどあんな感じの音をよく耳にする。

 でもあれは、正直言ってそんなものとは比較にならなかった。マジで身が竦むレベル。実際に音を聞いたことはないが、スタンガンの強力版とかがちょうどあんな感じの音になるんじゃないだろうか。

 あのナイフは何かそういう特別なアイテムなのか。そう訊いてみると、エクレアは首を振った。

 

「あれは、魔法だよ。あたしが唯一使える、雷の魔法」

「え? マジで?」

 

 予想外の答えに、俺は思わず素で訊き返してしまった。

 エクレアとは何回か一緒に仕事で組んだことがあるが、魔法を使っているところなんて一回も見たことがない。今日みたいにわりかしピンチになることもあったのに、その時も逃げたり殴ったりと体術だけで乗り切っていた。だからまあ使えないんだろうなと特に疑問もなく思っていたのだが……。

 でもそう言えば、エクレアは何かをぶつぶつ呟きながらナイフを地面に突き立てていた。あれが魔法の詠唱的な何かだったのだろうか。

 

(……ん?)


 そこで俺は、はたと思いついた。


「おい。じゃあ何でわざわざ俺に魔法撃たそうとしたんだよ。完全に時間の無駄じゃねえか」


 結果的に助かったとはいえ、かなりきわどいタイミングでの打開ではあった。下手したら本当に死んでいた可能性もあるのに、なぜわざわざそんな時にあんな茶番をさせたのか。

 そう抗議すると、エクレアは頬を掻きながら言った。


「いやーもしかしたら出来るかもしれないじゃない。何かほら、火事場の馬鹿力的なあれでさ。炎だけに」

「いやうまくねえし。そんな簡単に出来たら苦労しねえから」


 俺のプレイヤー間でのアダ名知ってんのか? 『100円ライター』だぞ? 酒場に入ったらいらっしゃませの代わりに「よ! 100円ライター様のおでましだ!」なんて嘲笑混じりの声がその辺から上がるんだぞ?

 仲間内での愛称的なものだったならまだしも、これは完全にバカにするために付けられたアダ名だからたちが悪い。小学生だったら間違いなく泣いてるところだ。俺は小学生じゃないから涙ぐむだけだけど!


 思い出したらムカムカしてきた。あいつらそのうち絶対ボコボコにしてやる。まあ俺は紳士だから殴ったりはしないが、いつか何らかの方法で精神的には追い詰めてやる。格ゲーで延々とフレーム単位の攻防をしていたこともある俺は、思考スピードにはちょっとした自信がある。引きこもりゲーマーだからって甘く見てると、痛い目に遭うぜ……?


 と、そうしてどす黒い感情を胸の中で泳がせていると、俺はまたあの音に強制的に我に返させられた。


 バチィ!

 

「おわっ!」

「そんな難しいものじゃないはずなんだけどなあ。イドの扱いなんて」


 見ると、エクレアの髪がいくらか逆立って、スーパー何とか人みたいになっていた。手には青白い例の雷魔法をまとわせていて、何か本当にそれっぽい。マジでエクレアのくせに、ちょっとかっこよく見える……。

 俺がそうして羨望の眼差しで見ていると、しかしエクレアは少しそうして見せただけで、なぜかそれをすぐに引っ込めてしまった。


「あ、何だよ。俺魔法こんなに間近で見たの初めてなんだよ。もうちょっとよく見せてくれよ」

「だあめ。一応あたしの切り札なんだから。誰かに見られたら大変でしょ。情報屋が情報をタダで提供してどうすんのさ」


 じゃあ何でわざわざこんなところで見せたんだよと返そうとして、止めた。

 色々あり過ぎて疲れた。あと、腹が減った。何か冷たい飲み物でも飲みながら、少しどこかで休みたい。

 俺はゆっくりと立ち上がりながらエクレアに言った。


「ま、何でもいいわ。いい加減腹減ったから飯食いに行こうぜ。一応助けてもらったし、ちゃんとおごってやるよ」


 歩き出すと、やた! と耳としっぽをピンとさせてエクレアが付き従う。そのまるっきりペットみたいな挙動に、思わず苦笑が漏れた。

 ここからはちょっと遠いが、とりあえずいつも俺が拠点として使っている酒場に向かうことにする。近くで新しい店でも開拓してやろうかという気力は、今はさすがにない。


 エクレアは機嫌良さそうに鼻歌交じりで俺の後を着いて来ている。飯をおごってくれるというだけでこんな幸せそうになれるとか、全くうらやましいやつである。

 酒場まで手持ち無沙汰なので、俺は何となくエクレアに話を振った。


「そういやボーンフィッシュが生き物にしか反応しないってよく知ってたな。色々調べたつもりだったけど初めて聞いたわ。さすがは情報屋ってとこか」

 

 そう言うと、エクレアはふふんと胸を張ってますます機嫌を良くした。

 

「ま、ねー。この街じゃ一応一番の情報屋だからねー」


 そうしてふんぞり返るエクレアはちょっとうざかったが、俺はここでふと思いついた。

 この状態なら、俺が今まで分からなったことをそれとなく訊けばぽろっと話してくれるんじゃないか。今の俺はいかんせん情報がなさ過ぎて詰み状態だ。色々聞き出せるなら、ここで思い切り訊いといた方がいいんじゃないだろうか。


 そう思って口を開こうとした俺だったが、機嫌が最高潮に達したエクレアが、ここで急にとんでもないことを口走り始めた。


「いやーほんと、あたしじゃないと思いつかない作戦だったよねえ。ボーンフィッシュって音に反応するじゃない? だからテオをからかって大声出してれば、そのうち出て来て襲ってくるんじゃないかなあと思ったんだあ。それで窮地に陥ったところをあたしが助ければ、恩人扱いでご飯ゲット! まさにあたしの叡智と力によってのみ達せられる、かんっぺきな作戦だったよねえ……」


 ぺらぺらとそんなことを言い出したエクレアに、俺は絶句せざるを得なかった。

 語るに落ちたとかそういうレベルじゃない。こいつ、型にハメた相手の目の前で、訊かれてもいない自分の悪巧みを全部吐きやがった。バカだバカだとは思っていたが、まさかここまでだったとは……。

 ハメられた俺からしても、思わず同情してしまいそうになる程のポンコツっぷりだ。完全にアホの子である。うごご……叡智とは一体……。

 

「なるほどな……たしかにすげえ作戦だ……」


 こんなくそみたいなマッチポンプ手法を思いつくのはお前くらいのもんだろうよ。思いついても普通はやらねえしな……。

 そうしてジロリとエクレアを睨んでいると、こいつもようやく自分が何をしでかしたかに気付いたのか、ハッとなって固まった。そしてまた見ていてかわいそうになるくらい、小刻みに震え出した。

 ギギギ、と錆びたギアみたいな動きで俺の方を見る。しかし目は泳いでいて、俺を直接は見ない。

 

「あ……えっと……今のは……」


 今さら嘘と言うには厳しい状態だ。ちょっと不自然だなあと思っていたことが、全て腑に落ちてしまった。

 終始余裕だったのはなぜか。全てが自分の手のひらの上で、何が起こっても自らで解決出来る力を持っていたから。

 いつもよりやたらと必死に俺にすがりついてきたのはなぜか。バタバタと暴れる音で、ボーンフィッシュをおびき寄せるために必要だったから。

 

「何か申し開きがあるのであれば聞こうじゃないか。ん?」


 さすがにこれは言い訳できまい。そう思って言ったが、そこはエクレアだった。


「ち、違うんだニャ……コレはちょっとした手違いなんだニャ……」


 かわい子ぶりっ子で煙に巻こうというのか。エクレアは突如、猫のような口調で弁解を始めようとした。この期に及んで何とも往生際の悪いやつである。

 しかし残念ながら、俺は犬派だ。猫も可愛いとは思うが、その可愛さにほだされてメロメロの前後不覚になってしまうようなことはない。ネット民が全員猫派だと思うなよ! 犬のポテンシャルだってやべえんだからな!

 そうして変わらず怒気をはらんだ侮蔑の視線を送ってやると、さしものエクレアも言い訳は無理と判断したのか、ぐっ、と詰まって口をつぐんだ。


 自分でこんな流れにしといて何だが、もうぶっちゃけめんどくさいから、普通に謝ってくれればそれでいいんだがね。助けてもらったのは事実だし、切り札の魔法も見せてもらったし。

 そう思っていた俺だったが、しかしエクレアは最後にまたも爆弾をぶっこんできた。

 バチコーンとルビが振られそうな程の大げさなウインクをしたかと思えば、ピンク色の綺麗な舌をぺろりと出してエクレアは言った。

 

「ゆ、許してニャン!……ぁいたあ!!」


 ついに我慢できず、俺はこのくそ猫娘の頭をスパーンと殴った。

 エクレアは賭けたのじゃ……猫っぽく可愛く謝れば許されるかもしれないという、オブラート並に薄い可能性に……。


 こいつあれだ。ギャンブル向いてねえ。

 


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悠久のイド 杭全宗治 @kumataso

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